【相引橋】

あいびきばし

「京橋南築地鉄炮洲絵」には、南八丁堀の南、本多主膳正家(膳所藩=大津市、6万石、中央区新富町1、2)の上屋敷と松平土佐守家(土佐藩=高知県、20万石)の中屋敷(中央区築地1)をむすぶ橋として「合引橋」が載っています。

これが、相引橋です。

この堀は、先の大戦後に埋め立てられて高速道路となりました。

相引橋の下には相引川(合引川)が流れていました。これは築地川の東支流。隅田川に注ぐ運河でした。

築地川は、もとは、楓川にはつながらず、相引橋北側で相引川と合流していました。

この名の由来は、本流と支流が潮の干満に作用して互いに水を引き合っていたから、とのこと。江戸人らしく、しゃれた命名ですね。

関東大震災(1923)後、築地川が改修されて、昭和5年(1930)に相引橋は撤去されました。代わりに、三又の三吉橋が少し移ったところに架かりました。

ちなみに、土佐藩といえば山内家。「なんで松平?」と、いぶかる向きもおありでしょうが、これは徳川幕府の外様大名への融和策です。雄藩に「松平」のブランドを配って、ありがたがらせる恩着せがましさと、親戚関係を結ばせて謀反や対立を抑止したわけです。

ですから、松平土佐守とは、土佐の山内家のこととなります。山内家は屋敷門の表札に「松平」を掲げていたそうです。どっちもどっちでしょうかね。

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