【胆つぶし】

きもつぶし

次郎は夢で見た女に恋わずらい。
治す方法は生き胆にかぎる。
これは困った。
兄貴分の八五郎が妙案をひねり出すが。

★★

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次郎は体が悪いという。
兄貴分の八五郎が見舞いに来た。

「あにき、聞いてくれ、おれは恋わずらいだ」
「そんな女がいるのなら、おれが口を聞いてやろう」
「とりもってくれるかい」

それじゃあと、次郎が打ち明ける。

次郎が、呉服屋で六尺褌を買って出ようとした。「ちょっとお待ちください」と女が声をかけてきた。年の頃は十八、九で、小股の切れ上がった、せいのスラッとしたあだっぽい顔で、色のクッキリと白い、いい女。

女は「はなはだ失礼でございますが、どうかこれをお持ちなすってください」と言って、白縮緬を一反くれた。

次郎はびっくりした。

「おまえさんにこんなものをもらうわけがございません」
「いいえ、わたくしの心持ちでございます。下帯になさってください」

下帯と言えば褌。縮緬の褌は祭りの時かなにかでなければ、どうも締めにくい。それでも、生まれて初めて女から物をもらった。もったいないから、神棚に上げてお燈明を供えた。ばかな奴。

翌朝。

次郎がふと買い物に行こうとすると、路地の外でその女に会った。女がニヤリ、次郎もニヤリ、両方合わせてシヤリ。女が尋ねた。

「あなたのお住まいはこのへんでいらっしゃいますか」
「この裏に巣食っています」
「あなたはお独り身でございますか。それともご家内をお持ちですか」
「独り者で独身者でやもめでございます」
「それはさだめし、煮炊きにもご不自由でございましょう」
「へえ。飯屋へ行って醤油樽に腰かけて食います」
「せめて三日なりともおそばにいて煮炊きをしとうございます」
「じゃあ、うちへおいでなさい」

次郎は女のやわらかい手を取って、路地へ連れて入ろうとすると、呉服屋の番頭が「さあさ、おうちへお帰んなさい」と引っ張っていこうとする。人の恋路のじゃまする奴は犬に食われて死ねばよい。かんじんの玉を連れて行かれちゃたまらねえから、「少し待ってくれ」と大きな声を出したら、自分の声に驚いて目が覚めた。

聞いている八五郎は驚いた。

「なに、目が覚めたって、夢か」
「フフ、実は夢だ」

初めから残らず夢だという。褌を買いに行った呉服屋がどこかも、夢だからわからない。八五郎はあきれたが、そこへ医者が来た。八五郎が、次郎の具合を話す。

「先生、お恥ずかしゅうございますが、じつは恋わずらいなんで」
「恋わずらい。それはまことに粋なご病気で」
「だいいち、相手の女てえのは形なしなんで。夢なんで」
「夢……。はあ、それで恋わずらい」
「三日でもよいから、その女といっしょになりてえと」
「うーむ、それはどうも困ったな」

医者が、もろこし(中国)にあったという話を、話し始めた。

楊貴妃という美人は、唐の玄宗の妃。その楊貴妃を夢に見た男がいた。男は「ぜひ楊貴妃と夫婦になりたい」と願うのだが、どうすることもできない。とうとう病気になった。どうしても治らない。医者では治らない。儒者がみた。儒者が言うには、これは人の胆に限る。それも、戌の年、戌の月、戌の日と、年月日がそろって生まれた人の生き胆を取って食べさせること。そこで、男の知り合いが、死刑になる罪人を尋ねた。なんと、「戌ぞろい」があったので、上役人の許しを得て、死刑当日に胆を分けてもらい、病人に食べさせた。治った。

医者は「これをやってみればよい」と言う。これはやっかい。八五郎が医者に聞いた。

「先生のお手際、でその胆をくれますまいか」
「冗談言っちゃいけない。胆を取られりゃ、生きてはいられない」
「知らないように、鰻の胆とでも入れ替えたら」
「そんなことできない。いかんせん、これはただ、話だけのことで。ともかく、元気のつく薬をあげておくから、これをのんで、なるだけ気を引き立てるように」

医者は帰っていった。

八五郎は「心配しなさんな。おれがほうぼうを探して、きっと胆を取ってきてやるから」と次郎を励ました。次郎は安堵。八五郎は、隣のばあさんに次郎を頼んで、家に戻った。家には、妹のお仲が奉公先から暇をもらい、帰ってきていた。

「次郎の野郎がからだが悪いもんだから、見舞いに行ってやったんだ」
「疱瘡かい」
「なーに、恋わずらいよ」
「恋わずらい、粋だねえ」
「粋でもねえ。夢の女と夫婦になりってえと」
「夢を見て。ばかばかしい」
「それについては、ことによると、おれは日本国中、歩くようになるかもしれねえ」
「なんで」
「探しものがあるんだ」
「なにを探しに行くのさ」
「おめえに言ってもしょうがねえ。おれが出かけてしまうと、おめえ一人きりで兄弟もいねえもんだから、おまえのからだの決まりをつけて行きてえと思うんだ。ぜんてえ、てめえはいくつだっけえ」
「いやだよ。妹の年を忘れる奴があるかね。わたしの年は、戌年じゃないか」
「戌の年か」
「わたしゃ、戌年、戌月、戌日に生まれたんで。『戌ぞろい』だよ。子供の頃にけんかすると、『犬だ、犬だ』と言ったじゃないか」
「そうそう。そうだった。不思議だなあ」
「ほんとうに不思議だよ」
「因縁だなあ」
「やっぱり因縁だろうね」
「なあ、お仲、これも約束だから、あきらめてくれ」
「あきらめなけりゃ、いまさら、どうすることもできやしないよ」
「おれ、いやな気持ちになってきた。酒を五合ばかり買ってきてくれ」
「なんだい。お酒なら、お土産に買ってきたよ」
「そいつはありがてえ」
「燗しようか」
「なに、ひや(冷酒)でいい」
「ひやは毒だよ」
「ひやが飲みてえんだ」
「そうかえ」
「お仲にお酌をしてもらっちゃ、すまねえな。でも、じゃあ、一杯ついてくんな。お仲、てめえに言っておくが、人間というやつは、老少不定だよ。順当ならおれが先に行くんだが、万一、てめえが先に死なねえともかぎらねえ。ほんとうに情けねえが、こればかりはしょうがねえ」
「なんだね、にいさん。久しぶりに藪入りをしてきたのに、そんな縁起の悪い。いやなこと言わないで、心持ちよく飲んでおくれ。わたしァ、あした、芝居へ行こうと思うんだよ」
「そうか、あいかわらず芝居が好きだなあ。じゃあ、今夜は先に寝るがいい。床を出してやる」
「知ってるから、いいよ」

八五郎は酒が長いから、お仲は先に枕に就いた。八はいいかげんに酔いのまわったところで、そっと立って台所から出刃包丁を取り出して、妹のそばへ寄っていった。

「これも約束事だ。どうかあきらめてくれねえよ」
と、あわや、妹ののどをめがけて出刃包丁を突っ立てたが、気が焦っている上に目がくらんでいるから、手元が乱れて包丁を畳にズブリ。

「えー、にいさん、なんだって、わたしを殺そうとでもいう、了簡かい」
「待ってくれ、アイタタ、放してくんな、放して」
「わけを聞かないうちは放さないよ。あまりといえば、情けないじゃないか」
「なあに、てめえがさっき、芝居の話をしたところへ、一杯やって、いい心持ちになったんで、こいつァ一番、てめえを相手に芝居の稽古をしてみようと、出刃を持ち出して芝居の人殺しの稽古をしたんだ」
「まあ、ばかばかしい。そんならいいけど。殺されるんだと思って、ほんとうに胆をつぶしたよ」
「え、胆をつぶしたァ。それじゃ、役に立たねえ」

明治41年(1908)5月1日 初代三遊亭円歌

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元ネタは

上方噺で、講釈ネタだという説もありますが、はっきりしません。とうぜん、東京に移植されたのですが、誰がいつ持ち込んだのか、よくわかりません。

演者は

初代三遊亭円歌(泉清太郎、1876-1927)や、初代三遊亭円左(小泉熊山、1853-1909、狸の)が、やりました。二代目三遊亭円歌(田中利助、1890-1964)も、三代目三遊亭円歌(中澤信夫、1932-2017)も。

二代目円歌は、もちろん、初代からの継承ですが、殺しの場で、「きのうの花はきょうの夢」と端唄まじりに芝居かかりでやりました。

六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900.9.3-79.9.3、柏木の)もやりましたが、殺しの場は素噺でした。

恋わずらいの男

初代円歌は「次郎」でしたが、六代目円生などは「民吉(=民)」でやっていました。

上方では、三代目桂米朝(中川清、1925.11.6-2015.3.19)や、二代目桂ざこば(関口弘、1947-2024)などは、「よしま(=吉松)」で。

醤油樽

居酒屋や一膳めしやにあるものです。醤油の空き樽をさかさまにして脚を付けた、腰掛け、つまり、簡易の椅子に使っていたものをさします。

下帯

男ならふんどし、女なら湯文字(女房ことばで、女の腰布)や腰巻をさします。要は、下着全般のことです。

ちなみに、ふんどしの材料はさらし木綿が通り相場です。白縮緬はたしかに縮むので、日用のふんどし素材には適しません。

呉服屋で六尺ふんどしを売っていたのでしょうか。

不思議なことですが、店頭の見切り品として、ふんどし用のさら木綿を切り売りしていたそうです。

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