【おふみ】おふみ 落語演目 あらすじ
【どんな?】
高座ではあまり掛からない、珍しい噺です。
別題:捨て子の母 万両(上方)
【あらすじ】
日本橋あたりの酒屋のだんな。
愛人のいることがおかみさんにばれ、今後、決して女の家には近寄らないと誓わされた。
ある日、赤ん坊を懐に抱いた男が、店に酒を買いにくる。
ついでに祝い物を届けたいから、先方に誰かいっしょについてきてほしいと言うので、店では小僧の定吉をお供につけた。
ある路地裏まで来ると、男は定吉に、
「少し用事ができたから、しばらく赤ん坊を預かってほしい」
と頼み、小遣いに二十銭くれたので、子供好きの定吉は大喜び。
懸命にあやしながら待っていたが、待てど暮らせど男は現れない。
定吉が困ってベソになったところへ、番頭がなぜかおあつらえ向きに路地裏へ現れて、定吉と赤ん坊を店に連れて帰る。
さては捨て子だというので、店では大騒ぎ。
案の定、男が買った樽に、
「どうか育ててほしい」
という置き手紙がはさんであった。
おかみさんは、もう子供はできないだろうとあきらめかけていた折なのですっかり喜び、家の子にすると言って聞かない。
だんなも承知し、
「育てるからには乳母を置かなくてはならない」
と、さっそく、蔵前の桂庵まで出かけていった。
ところが、だんなが足を向けたのは、なんと、切れたはずの例の女の家。
所は柳橋同朋町。
実は、これはだんなの大掛かりな狂言。
愛人のおふみに子供ができてしまったので始末に困り、おふみの伯父さんを使って捨て子に見せ掛け、おかみさんをだまして合法的に(?)赤ん坊を家に入れてしまおう、という魂胆だった。
その上、おふみを乳母に化けさせて住み込ませよう、という図々しさ。
もちろん、番頭もグル。
こうして、うまうまと母子とも家に引き取ってしまう。
奥方はすっかりだまされ、毎日赤ん坊に夢中。
そのせいか、日ごろの焼き餅焼きも忘れて「乳母」のおふみまで気に入ってしまう。
一方、だんなはその間、最後の工作。
問題は定吉で、これも、ふだん、だんなに買収され、愛人工作にかかわっていたため、妾宅にも出入りし、もちろんおふみの顔を知っている。
で、魚心あれば水心。
「口をつぐめば小遣いをやる」
と約束して、こちらも落着。
だが、定吉はふだんからおふみに慣れているから、ついおふみを「さま」付けで呼んでしまうので、あぶなっかしい。
「いいか、乳母に『さま』なんぞつける奴はねえ。うっかり口をすべらして『さま』付けなんぞしてみろ、ハダカで追い出すからそう思え」
数日は無事に過ぎたが、ある日、おかみさんがひょっと気づくと、だんながいない。
「ちょいと、定吉や。だんなはどこにおいでだね」
「ちょいとその、おふみさ、もとい、おふみを土蔵によんでいらっしゃいます」
昼日中から乳母と二人で土蔵とは怪しいと、おかみさん、忘れていた嫉妬が急によみがえり、鬼のような形相で土蔵へ駆け込む。
ガラリと戸を開けると、早くも気配を察しただんな、
「我先や人や先、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、今日とも知らず明日とも知らず、遅れ先立つ人は本の雫」
おかみさんは面食らって、
「ちょいと定吉、どういうことだい。おふみじゃないじゃあないか。だんなさまが読んでいるのは、一向宗の『おふみさま』だよ」
「でも、『さま』をつけると、ハダカで追い出されます」
【しりたい】
「権助魚」とのかかわり
原話は不詳で、上方落語で「万両」または「お文さん」と呼ばれる切りねたが東京に移植されたもの。
移植者、時期などは不明ですが、明治32年(1899)、40年(1907)の二代目三遊亭小円朝(芳村忠次郎、1858-1923、初代金馬→)の速記が残っています。
この小円朝は、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)の最初の師匠です。大河ドラマ「いだてん」にも出ていました。
上方の「万両」の演題は、舞台である大坂船場の酒屋の名からとったものです。
上方版では、下女がだんなとおふみの濡れ場を目撃、ご寮人さんに告げ口して、ことがバレる演出になっています。
この噺にはもともと、現在は「権助魚」「熊野の牛王」として独立して演じられる「発端」がついていて、明治23年(1890)、二代目古今亭今輔(名見崎栄次郎、1859-1898)が「おふみ」の題でこの発端部分を演じた速記が残っています。
後半との筋のつながりはなく、いかにもとって付けたようで、本当にもともと一つの噺だったかどうかさえ怪しいものです。
おふみさま
浄土真宗東本願寺派(大谷派)で、本願寺八世蓮如上人が真宗(一向宗)の教義を民衆向きにやさしく述べた書簡文154編を総称していうものです。
門徒は経典のように暗記し唱えます。
ここでは、だんなの女の名が同じ「おふみ」であることがミソです。
これが当然伏線になっていますが、ストーリーに起伏があって、なかなかおもしろい噺なのに、現在演じ手がいないのは、特定の宗派の教義に基づくオチが、一般にはわかりにくくなっているせいでしょう。
場所の設定が 柳橋同朋町 であることも念仏系宗派(浄土宗、浄土真宗、時宗など)とのかかわりをにおわせていますね。
かんぐれば、この噺は、本願寺の熱烈な門徒により教派の布教宣伝用に作られたのではと、思えないでもありません。
げんにその手のはなしはいくらでもあります。
それもはなしの成り立ちのひとつととらえられます。
落語世界の登場人物で、浄土真宗の熱烈な信者といえば「後生鰻」の隠居、「宗論」のオヤジが双璧です。
桂庵
けいあん。慶庵、口入れ屋とも。就職斡旋所です。
男女の奉公人の斡旋、雇われる側の職業紹介を兼ね、縁談の斡旋までしたとか。
人の出入りが激しいためか、花街、遊廓の近くに集まっていました。
江戸で最も有名なのは「百川」に登場する葭町の千束屋です。
岡本綺堂(岡本敬二、1872-1939、劇作家)は、この店の所在地を麻布霞町といっています(『風俗江戸物語』による)。おそらく支店なのでしょう。
「おふみ」では、蔵前第六天社の「雀屋」に設定することが多くなっています。
【語の読みと注】
桂庵 けいあん:就職斡旋所。慶庵、口入れ屋とも
形相 ぎょうそう
切りねた きりねた:真打しか演じられない大ネタ
ご寮人さん ごりょんさん:若奥さん。上方中流以上の商家で