【船徳】ふなとく 落語演目 あらすじ
成城石井.com ことば 噺家 演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席
【どんな?】
船頭にあこがれた、勘当若だんな。
客を乗せて大川へ。
いやあ、見上げたもんです。
別題: お初徳兵衛 後の船徳
【あらすじ】
道楽が過ぎて勘当され、柳橋の船宿・大枡の二階で居候の身の上の若だんな、徳兵衛。
暇をもてあました末、いなせな姿にあこがれて「船頭になりたい」などと、言いだす始末。
親方始め船宿の若い者の集まったところで「これからは『徳』と呼んどくれ」と宣言してしまった。
お暑いさかりの四万六千日。
なじみ客の通人が二人やってきた。あいにく船頭が出払っている。
柱に寄り掛かって居眠りしている徳を認めた二人は引き下がらない。
船宿の女将が止めるのもきかず、にわか船頭になった徳、二人を乗せて大棧橋までの約束で舟を出すことに。
舟を出したのはいいが、同じところを三度も回ったり、石垣に寄ったり。
徳「この舟ァ、石垣が好きなんで。コウモリ傘を持っているだんな、石垣をちょいと突いてください」
傘で突いたのはいいが、石垣の間に挟まって抜けずじまい。
徳「おあきらめなさい。もうそこへは行きません」
さんざん二人に冷や汗をかかせて、大桟橋へ。
目前、浅瀬に乗りあげてしまう。
客は一人をおぶって水の中を歩いて上にあがったが、舟に残された徳、青い顔をして「ヘッ、お客さま、おあがりになりましたら、船頭を一人雇ってください」
底本:八代目桂文楽
【しりたい】
文楽のおはこ 【RIZAP COOK】
八代目桂文楽(並河益義、1892-1971、実は六代目)の極めつけでした。
文楽以後、無数の落語家が「船徳」を演じていますが、はなしの骨格、特に、前半の船頭たちのおかしみ、「四万六千日、お暑い盛りでございます」という決め文句、客を待たせてひげを剃る、若だんな船頭の役者気取り、舟中での「この舟は三度っつ回る」などのギャグ、正体不明の「竹屋のおじさん」の登場などは、刷り込まれたDNAのように、どの演者も文楽に右にならえです。
ライバルの五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)は、前半の、若だんなの船頭になるくだりは一切カットし、川の上でのドタバタのみを、ごくあっさりと演じていました。
この噺はもともと、幕末の初代古今亭志ん生(清吉、1809-56、八丁荒らしの)作の人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋」発端を、明治の爆笑王、初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)がパロディー化し、こっけい噺に仕立てたものです。
元の心中がらみの人情噺は、五代目志ん生が「お初徳兵衛」として時々演じました。
四万六千日さま 【RIZAP COOK】
浅草の観世音菩薩の縁日で、旧暦7月10日にあたります。現在の8月なかば、もちろん猛暑のさ中です。
この日にお参りすれば、四万六千日(約128年)毎日参詣したのと同じご利益が得られるという便利な日です。なぜ四万六千日なのかは分かりません。
この噺の当日を四万六千日に設定したのは明治の三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)といわれます。
「お初徳兵衛浮名桟橋」のあらすじ 【RIZAP COOK】
(上)勘当された若だんな徳兵衛は船頭になり、幼なじみの芸者お初を送る途中、夕立ちにあったのがきっかけで関係を結ぶ。
(中)お初に横恋慕する油屋九兵衛の策謀で、徳兵衛とお初は心中に追い込まれる。
(下)二人は死に切れず。船頭の親方のとりなしで徳兵衛の勘当もとけ、晴れて二人は夫婦に。
竹屋のおじさん 【RIZAP COOK】
客を乗せて船出した後、徳三郎が「竹屋のおじさぁん、今からお客を 大桟橋まで送ってきますゥッ」と橋上の人物に呼びかけ、このおじさんなる人が、「徳さんひとりかいッ? 大丈夫かいッ?」と悲痛に絶叫して、舟中のだんな衆をふるえあがらせるのが、「船徳」の有名なギャグです。
「竹屋」は、今戸橋の橋詰、向島に渡す「竹屋の渡し」の山谷堀側にあった、同名の有名船宿を指すと思われます。
端唄「夕立や」に「堀の船宿、竹屋の人と呼子鳥」という文句があります。
渡船場に立って、「竹屋の人ッ」と呼ぶと、船宿から船頭が艪を漕いでくるという、夏の江戸情緒にあふれた光景です。
噺の場面も、多分この唄からヒントを得たものでしょう。
舫う
舟を岸につなぎとめておくこと。
「おい、なにやってんだよ。舟がまだ舫ってあるじゃねえか。いや、まだ繋いであるってんだよ」
古今亭志ん朝
「舫う」という古めかしい言葉が「繋ぐ」意味だということを客の話しぶりで解説していることろが秀逸でした。
東北風
ならい。東日本の海沿いで吹く、冬の寒い風。東北地方から三重県あたりまでのおおざっぱな一帯で吹きます。
「あーた、船頭になるって簡単におっしゃいますけどね、沖へ出て、東北風にでもごらんなさい。驚くから」
三代目古今亭志ん朝
知っている人は知っている言葉、としか言いようがありません。知らない人はこれを機会に。落語の効用です。