ごかんさばき【五貫裁き】落語演目

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

【どんな?】

生業めざす熊を応援する大家と質屋との泥仕合。ケチ噺の典型です。

別題:一文惜しみ

【あらすじ】

四文使しもんづかいという、博打場の下働きをしている熊。

神田三河町かんだみかわちょうの貧乏長屋に住むが、方々に迷惑をかけたので、一念発起して堅気の八百屋になりたいと、大家の太郎兵衛に元手を借りに来た。

ケチな大家は奉賀帳ほうがちょうを作り、
「まず誰か金持ちの知り合いに、多めに金をもらってこい」
と突き放す。

ところが、戻ってきた熊は額が割れて血だらけ。

昔、祖父さんが恩を売ったことのある質屋、徳力屋万右衛門とくりきやまんえもん方へ行ったが、なんとたった一文しか出さないので
「子供が飴買いにきたんじゃねえッ」
と銭を投げつけると、逆に煙管きせるでしたたかぶたれ、たたき出されたというお粗末。

野郎を殺すと息まくのを、大家は
「待て。ことによったらおもしれえことになる」

なにを言い出すのかと思ったら
「事の次第を町奉行、大岡さまに駆け込み直訴じきそしろ」
と知恵をつけた。さすがは因業いんごうな大家、お得意だ。

ところが奉行、最初に銭を投げつけ、天下の通用金を粗略にした罪軽からずと、熊に科料かりょう五貫文、徳力屋はおとがめなし。

まだ後があり、
「貧しいその方ゆえ、日に一文ずつの日掛けを許す」

科料を毎日一文ずつ徳力屋に持参し、徳力屋には中継ぎで奉行所に届けるよう申し渡す。

夜が明けると大家は、
「一文は俺が出すから銭を届けてこい、ただし、必ず半紙に受け取りを書かせ、印鑑ももらえ」
と、念を押す。

徳力屋はせせら笑って、店の者を奉行所にやったが、
「代人は、天下の裁きをなんと心得おる。主人自ら町役人ちょうやくにん、五人組付き添いの上、持ってまいれッ」
と、しかりつけられたから大変。

たった一文のために毎日、膨大な費用を払って奉行所へ日参しなければならない。

奉行の腹がようやく読めて、万右衛門は真っ青。

その上、逆に自分が科料五貫文を申しつけれられてしまった。

それから大家の徳力屋いじめはいやまし、明日の分だといって、夜中に届けさせる。

店の者が怒って、
「奉行もへちまもあるか」
と口走ったのを、熊が町方定回じょうまわり同心に言いつけたので、さんざん油を絞られる羽目に。

大家は
「また行ってこい。明後日の分だと言え。徳力屋を寝かすな」

こうなると熊もカラクリがわかり、欲が出て毎晩毎晩ドンドンドン。

徳力屋、一日一文で五貫文では十三年もかかる上、町役人の費用、半紙五千枚……、これでは店がつぶれる、と降参。

十両で示談に来るが、大家が
「この大ばか野郎め。昔生きるか死ぬかを助けてもらった恩を忘れて、十両ぱかりのはした金を持ってきやがって。くそォ食らって西へ飛べッ」
啖呵たんかを切ったから、ぐうの音も出ない。

改めて熊に五十両払い、八百屋の店を持たせることで話がついた。

これが近所の評判になり、かえって徳力屋の株が上がった。

万右衛門、人助けに目覚め、無利子で貧乏人に金を貸すなど、善を施したから店は繁盛……と思ったら、施しすぎて店はつぶれた。

熊も持ちつけない金に浮かれ、もと木阿弥もくあみで、やがては行方知れず。

【しりたい】

これも講釈ダネ

大岡政談ものの、同題の講談を脚色したもの。講談としては、四代目小金井芦州(松村伝次郎、1888-1949)の速記があります。

六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)は「一文惜しみ」の題で演じました。

七代目立川談志(松岡克由、1935-2011)のは、五代目一龍斎貞丈(柳下政雄、1906-68)直伝で、設定、演題とも講談通りの「五貫裁き」です。

円生のやり方、談志のやり方

長講で登場人物も多く、筋も入り組んでいるので、並みの力量の演者ではこなせません。そのためか、現役では談志のほかはあまり手掛ける人はいません。

「一文惜しみ」としては、六代目円生以前の速記が見当たらず、落語への改作者や古い演者は不明です。

円生はマクラにケチ噺の「しわいや」を入れ、「強欲は無欲に似たり。一文惜しみの百両損というお噺でございます」と終わりを地の語りで結ぶなど、吝嗇りんしょく(けち)噺の要素を強くし、結末もハッピーエンドです。

談志は、講談の骨格をそのまま踏襲しながら、人間の業を率直にとらえる視点から逆に大家と熊の強欲ぶりを強調し、結末もドンデン返しを創作しています。

四文使い

博打場で客に金がなくなったとき、着物などを預かって換金してくる使い走りで、駄賃に四文銭一枚もらうところから、この名があります。

銭五貫の価値

時代によってレートは変わりますが、銭一貫文=千文で、一朱(一両の1/16)が三百文余りですから、五貫はおよそ五両一両あまりに相当します。

かじむすこ【火事息子】落語演目

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

火事好きのせがれ。家出の果ては全身文身の臥煙に。火事が親子の対面とは。

あらすじ

神田三河町の、伊勢屋という大きな質屋。

ある日近所で出火し、火の粉が降りだした。

火事だというのに大切な蔵に目塗りがしていないと、だんながぼやきながら防火に懸命だが、素人で慣れないから、店中おろおろするばかり。

その時、屋根から屋根を、まるで猿のようにすばしこく伝ってきたのが一人の火消し人足。

身体中見事な刺青で、ざんばら髪で後ろ鉢巻に法被という粋な出で立ち。

ぽんと庇の間に飛び下りると、
「おい、番頭」

声を掛けられて、番頭の左兵衛、仰天した。

男は火事好きが高じて、火消しになりたいと家を飛び出し、勘当になったまま行方知れずだったこの家の一人息子・徳三郎。

慌てる番頭を折れ釘へぶら下げ、両手が使えるようにしてやった。

「オレが手伝えば造作もねえが、それじゃあおめえの忠義になるめえ」

おかげで目塗りも無事に済み、火も消えて一安心。

見舞い客でごった返す中、おやじの名代でやってきた近所の若だんなを見て、だんなはつくづくため息。

「あれはせがれと同い年だが、親孝行なことだ、それに引き換えウチのばか野郎は今の今ごろどうしていることやら……」
と、そこは親。

しんみりしていると、番頭がさっきの火消しを連れてくる。

顔を見ると、なんと「ウチのばか野郎」。

「徳か」と思わず声を上げそうになったが、そこは一徹なだんな。

勘当したせがれに声など掛けては世間に申し訳がないと、やせ我慢。

わざと素っ気なく礼を言おうとするが、こらえきれずに涙声で、
「こっちィ来い、このばかめ。……親ってえものはばかなもんで、よもやよもやと思っていたが、やっぱりこんな姿に……しばらく見ないうちに、たいそういい絵が書けなすった……親にもらった体に傷を付けるのは、親不孝の極みだ。この大ばか野郎」

そこへこけつまろびつ、知らせを聞いた母親。

甘いばかりで、せがれが帰ったので大喜び。

「鳥が鳴かぬ日はあっても、おまえを思い出さない日はなかった、どうか大火事がありますようにと、ご先祖に毎日手を合わせていた」
と言い出したから、おやじは目をむいた。

母親が
「法被一つでは寒いから、着物をやってくれ」
と言うと、だんなはそこは父親。

「勘当したせがれに着物をやってどうする」
と、まだ意地づく。

「そのぐらいなら捨てちまえ」
「捨てたものなら拾うのは勝手……」

意味を察して、母親は大張り切り。

「よく言ってくれなすった、箪笥ごと捨てましょう。お小遣いは千両も捨てて……」

しまいには、
「この子は小さいころから色白で黒が似合うから、黒羽二重の紋付きを着せて、小僧を供に……」
と言いだすから、
「おい、勘当したせがれに、そんななりィさせて、どうするつもりだ」
「火事のおかげで会えたんですから、火元へ礼にやります」

しりたい

命知らずの臥煙渡世   【RIZAP COOK】

ここでは、徳三郎は町火消ではなく、定火消、すなわち武家屋敷専門の火消人足になっている設定です。

これは臥煙とも呼ばれますが、身分は旗本の抱え中間(武家奉公人)で、飯田町(今の飯田橋辺)ほか、10か所に火消屋敷という役宅がありました。もっぱら大名、旗本屋敷のみの鎮火にあたります。平時は役中間部屋の大部屋で起居しています。太い丸太ん棒を枕にしてざこ寝して、いざ火事となると不寝番が丸太ん棒の端っこを叩いて起こす、という粗っぽさ。法被一枚、下帯一本で火事場に駆けつけます。家々を回って穴開き銭の緡縄を高値で押し売りしたり、役中間部屋では年中賭場を開いたりしている、江戸のダニです。やくざです。それでも火事となるといさみにましらのごとく屋根から屋根を飛び移っては消火に励むわけで、まさに役に参ずる人たちでした。

せがれが臥煙にまで「身を落とした」ことを聞いたときの父親の嘆きが推量できますが、この連中は町火消のように刺し子もまとわず、法被一枚で火中に飛び込むのを常としたため、死亡率も相当高かったわけです。

小説「火事息子」   【RIZAP COOK】

落語の筋とは直接関係ありませんが、劇作家・演出家でもあった久保田万太郎(1889-1963)に、やはり、爽やかな明治の江戸っ子の生涯を描いた同名の小説があります。

これは、作者の小学校同窓であった、山谷の名代の料亭「重箱」の主人の半生をモデルとしたものです。重箱は、今も赤坂にある鰻屋。超高級店です。江戸時代には山谷にありました。当時の山谷は避暑地でした。

八代目正蔵の生一本   【RIZAP COOK】

徳三郎は、番頭を折釘にぶらさげて動けるようにしてやるだけで、目塗りを直接には手伝わず、また父親も、必死にこみあげる情を押さえ通して、最後まで「勘当を許す」と自分では口にしません。

ともすれば、お涙ちょうだいに堕しがちな展開を、この親子の心意気で抑制させた、すぐれた演出です。

こうした、筋が一本通った古きよき江戸者の生きざまを、数ある演者の中で、特に八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、彦六)が朴訥に、見事に表現しました。

明治期には初代三遊亭円右(沢木勘次郎、1860-1924、二代目円朝)の十八番でした。昭和に入っては、正蔵、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)、三代目桂三木助(小林七郎、1902-61)など、名だたる大看板が競演しています。

火消屋敷

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