ねぎまのとのさま【ねぎまの殿さま】演目

【RIZAP COOK】

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世間との乖離ぶりを笑う、「殿さま」もののひとつですね。

【あらすじ】

さるお大名が、庭の雪を眺め、急に向島の雪景色を見たくなった。

そこで、お忍びで、年寄りの側用人三太夫だけをお供に、本郷の屋敷を抜け出し、本郷切り通しから池之端仲町の、錦丹円という大きな薬屋の前に来て馬を止めると、うまそうな匂いが漂ってきた。

このあたりは煮売り屋が軒を並べていて、深川鍋や葱鮪を商っている。

ちょうど昼時で、殿さま、空腹に耐えられず、
「あれへ案内いたせ」

鶴の一声で、
「下郎の参る店でございます」
と三太夫が止めても聞かない。

縄のれんから入ると、殿さまにはなにもかも珍しく、「宮下」が大神宮さまの祭壇の下の席であると聞き、その場で拍手を打ったり、
「床几を持て」
と言いつけたりのトンチンカン。

床几の代わりに醤油樽に座らされ
「町人の食しているものはなんじゃ?」

若い衆が答えたのが、早口なものだから、殿さまには
「にゃっ」
と聞こえる。

「さようか。その『にゃー』を持て」
「へいッ、ねぎま一丁ッ」

ぐらぐらあぶった(煮た)のを見ると、煮売屋の安い葱鮪だから、鮪も骨と血合いがついたまま。

殿さま、葱を一口かむと、熱い芯が飛び出して丸呑みし、喉が焼けそうになったので、
「これは鉄砲仕掛けになっている」
と、びっくり。

酒を注文すると
「だりにいたしますか、三六にいたしますか?」

「だり」は一合四十文の灘の生一本、「三六」は三十六文の並み。

だりをお代わりして、殿さますっかりご機嫌になり、珍味であったとご満悦で、雪見をやめて屋敷へ帰る。

この味が忘れられず、何日かしてまた雪が降ると、ご膳番の留太夫に
「昼(食)の好みはニャーである」
とのお達し。

留太夫、なんのことかわからないが、ご機嫌を損ねればクビなので、聞き返せない。

首をひねった末、三太夫に聞いてやっと正体が判明したが、台所では、鮪の上等なところを蒸かし、葱もゆでて出したので、出てきたのは、だし殻同然。

殿さまは
「屋敷のニャーは鼠色であるな。さぞ珍味であろう」
と口をつけたが、あまりのまずさに
「これはニャーではない。チユーである。ミケのニャーを持て」

また、わけがわからない。

「ミケ」とは葱の白と青、血合いの垢の三色だと三太夫が「翻訳」したので、やっとその通りにこしらえると、殿さまは大満足。

熱い葱をわざわざかみつぶして
「うむ、やはり鉄砲仕掛けだ。ああ、だりを持て。三六はいかんぞ」

また三太夫に聞いて、瀬戸の徳利に猪口をつけ、灘の生一本を熱燗で持っていくと、殿さまは喜んでお代わり。

「だりと申し、ニャーと申し、余は満足に思うぞ」
「ありがたきしあわせ」
「だが留太夫、座っていてはうもうない。醤油樽を持て」

【RIZAP COOK】

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【しりたい】

だり

行商、駕籠、八百屋、魚屋の符丁で、4、40、400のこと。「だりがれん」だと45、450になります。

煮売り屋

一膳飯屋のことです。「煮売り」は上方から来た名称で、元は、長屋の住人などが、アルバイトに屋台のうどん、そばなどを商ったのが発祥です。江戸では、元禄年間(1688-1704)に浅草に奈良茶飯を食べさせる店ができたのが本格的な飲食店、つまり煮売屋のはしりとか。落語では「二人旅」にも登場します。

錦丹円

正しくは「錦袋円」、俗称を「金丹屋」ともいいました。元祖は了翁僧都という高僧で、承応4年(1655=明暦元)、夢告によって仁丹に似た錦丹円という霊薬の製法を授かり、これを売って得た三千両余で、現在の湯島聖堂の場所に寛文10年(1670)、「勧学寮」という学問所兼図書館を建設しました。大正年間まで残っていたその額は、徳川光圀(水戸黄門)の揮毫だったとか。錦丹円の娘が不忍池の主の大蛇に見初められ、池の中に消えたという伝説が残っていました。

池之端仲町

舞台になる池之端仲町は、現在の東京都台東区上野二丁目。このあたりは、古くは不忍池の堤でした。上野広小路と地続きで、将軍家の直轄領なので、お成りの際の警備の都合で本建築は許されず、バラック同様の煮売屋が並んでいました。店を、上野「袴腰の土手」と設定するやり方もあります。袴腰は、上野黒門の左右の石垣をさします。その形状が袴に似ていたから。今の上野公園のあたりです。

講談からの翻案

五代目立川談志(生没年不詳、明治初期-昭和初期)が、講談から落語に翻案したといわれます。講談では、殿さまは松江の雲州公(松平治郷、「目黒のさんま」参照)で、煮売り屋のおやじを召抱えて料理番にするという筋立てです。

今輔の十八番

昭和の新作落語のパイオニア的存在だった五代目古今亭今輔(1898-1976)が数少ない「古典落語」の持ちネタとして十八番にしていました。現在でもよく高座に掛けられますが、客がセコなときに演る「逃げ噺」の代名詞的存在です。

【語の読みと注】
葱鮪 ねぎま
床几 しょうぎ
錦袋円 きんたいえん

【RIZAP COOK】

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大名道具 だいみょうどうぐ 演目

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愉快なバレ噺の最高傑作。大名対大明神の戦いや、いかに。

【あらすじ】

さる殿さま。

男っぷりもなにも申し分ないお方だが、残念ながら男としての道具が相当に小ぶり。

欲求不満で業を煮やした奥方が、その方面にご利益があるという城下外れの金勢大明神に殿さまをむりやり引っ張っていき、モノをもう少し大きくしてもらうよう、祈願することになった。

もちろん、家中総出。

ところが、金勢さまのご神体は男子の一物を型どったもの。

四尺ぐらいのりっぱなものが、黒光りしてそそり立っている。

これを見せつけられた殿さま、カーッとなって
「おのれッ、余にあてつけおるなッ」

槍持ちの可内から槍をひったくると、拝殿にズブリと突き入れて、ご神体をゴロッとひっくり返してしまった。

さあ、怒ったのは大明神。

「いざ、神罰を思い知らせてくれよう」
と、その夜、天にもとどろく雷鳴。

殿さまの股間に冷たい風がスーッと吹いたかと思うと、ただでさえあるかないかだったお道具が、きれいさっぱりなくなった。

殿さまばかりか、家中三千人のモノまで、一夜にして一人残らず大切なものを取られてしまったから、大騒動。

あわててご神体を修理したが、お宝はいっこうに戻らない。

結局、山伏を招いて、秘法「麻羅返し」の祈祷をすることになった。

山伏が汗みどろで
「ノーマクサンマンダー」
とやっているのを見て、神さまも気の毒になったのか、修法三日目の夕刻、一天にわかにかき曇り、津波のような大音響とともに米俵が十俵、大広間にドサッ。

中からなんと、三千人分の道具がザーッとこぼれ出た。

殿さまは涼しい顔で、その中で一番大きなモノをくっつけると、さっさと奥へ入ってしまった。

さあ、それから広間は大混乱。

どれが誰のモノやら、わからない。

取り合いで大げんかになるやら、人のお道具を踏みつけるやらの騒ぎがようやくしずまったあと、まだ一人で大広間をごそごそ捜しているのが、槍持ちの可内で、家中第一の大道具の持ち主。

たった一つ発見したのは、四センチほどにも満たない代物。まさに、殿さまの所有物である。

「三太夫さま、あっしのがありません」
「そこにあるではないか」
「冗談じゃねえ。あっしのは、お城一番八寸銅返しってえ自慢のもんで」
「ああ、あれなら殿が持っていかれた」

可内、泣く泣くあきらめさせられたが、殿さまはめでたく「女殺し」に大変身。

三日三晩、寝所に居続けで、奥方は腰も立たないほど。

そこへバタバタと三太夫がやって来た。

「申し上げますッ」
「何事じゃ」
「ただいま槍持ちの可内めが、腎虚で倒れました」

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【うんちく】

艶笑落語の大傑作

スケールといい、奇想天外なストーリー展開といい、バレ噺の最高傑作の一つといえるでしょう。

原話は、明和9年(1772=安永元)刊の大坂小咄本『軽口開談儀』中の「大名のお道具紛失」と、安永年間(1772-81)刊の江戸板『豆談語』中の「化もの」。

このうち後者は、殿さま始め家来一同のエテモノを根こそぎさらうのが「化け物」とされているほかは、槍持ちの腎虚というオチまで、大筋はそっくりそのままです。

小島貞二によれば、能見正比古がこれらの原典を脚色、一席にまとめたものとか。能見は血液型による性格分類のパイオニアで知られる人。

当然ながら、口演記録はありません。

金勢大明神

通称は金勢さま。金精神、金精大明神、金精さまなどとも呼ばれます。男根の形をしたご神体をまつった神の一柱をさします。金清、金生、魂生、根性、根精などとも、さまざまな当て字で表記されています。男根の形をしたご神体をまつった神であることでひとくくりにされています。とにかく、ご神体は噺中に出るとおり、巨大でいきり立った男根。これに尽きます。男の永遠の憧れ、精力絶倫を象徴しているところから、五穀豊穣、安産、子孫繁栄、縁結びなどをつかさどります。古くから信仰を集め、社は日本全国に広く分布しています。

八寸胴返し

平常時で24.24cm。いきり立つとどのくらいになるか背筋の寒くなる代物です。「胴返し」というのは撃剣で、胴を払った太刀先をそのまま返し、反対側の胴、面、小手をなぐ基本技です。ということは、ピンと反り返った「太刀先」が顔面を直撃……。まさかねえ。

腎虚

江戸時代には腎気(精力)の欠乏による病気の総称でした。狭義では、過度の性行為による衰弱症状です。これの症例に関しては「短命」で、隠居がわかりやすく解説してくれます。

大名道具

題名の「大名道具」とは、大名が持つにふさわしい一流品全般をいいます。ところで、特に限定していう場合、「大名道具」とは、松の位の太夫のこと。まさに、大名の権力と財力があって初めてちょうだいできる代物ということです。

太夫にかぎらず、お女郎のことを俗に「寝道具」ともいい、年期が明けてフリーになった遊女をタダで落籍するのを「寝道具をしょってくる」と称しました。同じ「大名道具」でも、花魁はハード、男のモノはソフトというわけでしょうか。どんなに特大のソフトを手に入れても肝心のハードがなければ、なんの意味もないわけです。いやはや。

【語の読みと注】
ご利益 ごりやく
金勢大明神 こんせいだいみょうじん
一物 いちもつ
麻羅返し まらがえし
腎虚 じんきょ

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松曳き まつひき 演目

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粗忽噺。殿さまと三太夫さらには八五郎も入って、粗忽者同士の珍妙やりとり。

別題:粗忽大名(上方)

【あらすじ】

ある大名の江戸屋敷。

殿さまがそそっかしく、家老の田中三太夫がこれに輪をかけて粗忽者。

同気相求めるで、これが殿さまの大のお気に入り。

ある日、殿さまが、
「庭の築山の脇にある赤松の大木が月見のじゃまになるので、泉水の脇にひきたいが、どうであるか」
と三太夫にご下問。

三太夫が
「あれはご先代さまご秘蔵の松でございますので、もし枯らすようなことがありますと、ご先代さまを枯らすようなものではないかと心得ます」
と諌めるが、殿さまは、
「枯れるか枯れないかわからないから、今屋敷に入っている植木屋に直接聞いてみたい」
と言い張る。

そこで呼ばれたのが、代表者の八五郎。

「さっそく御前へまかりはじけろ」
と言うからまかりはじけたら、三太夫が側でうるさい。

「あー、もっとはじけろ。頭が高い。これ、じかに申し上げることはならん。手前が取り次いで申し上げる」
「それには及ばん。直接申せ」
「はっ、これ、八五郎。ていねいに申し上げろ」

頭に「お」、終わりに「たてまつる」をつければよいと言われた八五郎、
「えー、お申し上げたてまつります。お築山のお松さまを、手前どもでお太いところへは、おするめさまをお巻き申したてまつりまして、おひきたてまつれば、お枯れたてまつりません。恐惶謹言、お稲荷さんでござんす」

よくわからないが、枯れないらしいと知って、殿さまは大喜び。

植木屋に無礼講で酒をふるまっていると、三太夫に家から急な迎え。

国元から書状が来ているというので、見ると字が書いていない。

「だんなさま、そりゃ裏で」
「道理でわからんと思った。なになに、国表において、殿さま姉上さまご死去あそばし……」

これは容易ならぬと、あわてて御前へ。

殿さま、
「なに? 姉上ご死去? 知らぬこととは言いながら、酒宴など催して済まぬことをいたした。して、ご死去はいつ、なんどきであった?」
「ははっ……とり急ぎまして」
「そそっかしいやつ。すぐ見てまいれ」

アワを食って、家にトンボ返り。

動転して、書状が自分の懐に入っているのも気がつかない。

やっと落ち着いて読みなおすと
「……お国表において、ご貴殿姉上さま……?」

自分の姉が死んだのを殿と読み間違えた。

いまさら申し訳が立たないので、いさぎよく切腹してお詫びしようとすると、家来が、殿に正直に申し上げれば、百日の蟄居(ちっきょ)ぐらいですむかもしれないのに、あわてて切腹しては犬死にになると止めたので、それもそうだと三太夫、しおしお御前へまかり出た。

これこれでと報告すると、殿さまは
「ナンジャ? 間違いじゃ? けしからんやつ。いかに粗忽とは申せ、武士がそのようなことを取り違えて、相済むと思うか」
「うへえ、恐れ入りました。この上はお手討ちなり、切腹なり、存分に仰せつけられましょう」
「手討ちにはいたさん。切腹申しつけたぞ」
「へへー、ありがたき幸せ」
「余の面前で切腹いたせ」

三太夫が腹を切ろうとすると、しばらく考えていた殿さま、
「これ、切腹には及ばん。考えたら、余に姉はなかった」

底本:初代三遊亭金馬=二代目三遊亭小円朝

【しりたい】

使いまわしのくすぐりでも

「粗忽の使者」とよく似た、侍の粗忽噺です。特に、職人がていねいな言葉遣いを強要され、「おったてまつる」を連発するくすぐりは「粗忽の使者」のほか、「妾馬」でも登場します。

ただ、基本形は同じでも、それぞれの噺で状況も八五郎(「粗忽の使者」では留五郎)の職業もまったく違うわけです。

この「松曳き」では殿さまの前でひたすらかしこまるおかしみ、「粗忽の使者」では後で地が出て態度がなれなれしくなる対照のおかしさと、それぞれ細部は違い、演者の工夫もあって、同じくすぐりを用いても、まったく陳腐さを感じさせないところが、落語のすぐれた点だと思います。

殿さまの正体

御前に出た八五郎に、三太夫が叱咤して「まかりはじけろ」と言います。「もっと前に出ろ」という意味ですが、実はこれは仙台地方の方言だそうです。

とすれば、このマヌケな殿さまは、恐れ多くも仙台59万5千石の太守・伊達宰相にあらせられる、ということになりますが。

小里ん語り、小さんの芸談

この噺は、小さん、十代目馬生、談志あたりがやっていました。その流れで、柳家喜多八(2016年没、小三治の弟子)や桃月庵白酒(雲助の弟子)も。あまり聴かない噺ですが、以下は小さんが弟子の小里んに語った芸談です。芸の奥行きをしみじみ感じさせます。

語りの芸は演じきっちゃいけないだなァ。
それと師匠は「昔は大名が職人と酒盛りなんかするわけがない。それは噺のウソだってことは腹に入れとかなくちゃいけない」と言ってました。ありえないことだけれど、それを愉しく演じなきゃいけない。かといって、無理に拵えた理屈をつけてはいけない。「ウソだと分かって演るなら、ウソでいいんだ」と言ってたのは、「噺のウソを、ウソのまま取っておく大らかさが落語にはあった方がいい」という教えですね。無理に辻褄合わせで理屈をつけると解説になって理屈っぽくなっちゃうでしょ。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年

そばの殿さま そばのとのさま 演目

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お仕えの噺。そばにまつわる噺は数あれどかほど過酷な噺はなかりしや。

【あらすじ】

あるお大名。

ご親類にお呼ばれで、山海の珍味を山とごちそうになり、大満足で屋敷に帰ろうというところで、
「お帰り際をお止め申して恐れ入るが、家来のうちにそばの打ち方に妙を得ている者がおりますので、ほんの御座興にその者を呼び、御目前にて打たせて差し上げたいと存ずるゆえ、しばらくお待ちを」
と。

言われて殿さま、そばなんぞはただ長いものと聞いているだけで、見たことも聞いたこともなかったので、興味津々。

実際に木鉢の粉をすりつぶし、こねて切ってゆでて……という名人芸を目のあたりにして、すっかり感心。

根が単純なので、自分もやってみたくてたまらなくなってしまう。

帰ると、早速家来どもを集め、鶴の一声で「実演」に取りかかる。

山のようにそば粉を運ばせる。

小さな入れ物ではダメというので、馬の行水用のたらいを用意させ、殿さま、さっそうとたすきを十字にかけ、はかまの股立ちを高々と取る。

まるで果たし合いにでも行こうという出立ち。

「……これ、水を入れよ。……うん、これはちと柔らかい。粉を足せ。……ありゃ、今度は固すぎる。水じゃ。あコレコレ、柔らかい。粉じゃ。固いぞ。水。柔らかい。粉。水、粉、水、粉、粉水水粉粉水水粉……」

というわけで、馬だらいの中はヘドロのようなものが山盛り。

その上、殿さまが興奮して、鼻水は垂らしっぱなし。

汗はダラダラ。

おまけにヨダレまで、ことごとく馬だらいの「そば」の中に練りこまれるから、家来一同、あれを強制的に食わされるかと思うと、生きた心地もない。

いよいよ、恐怖の試食会。

宮仕えの悲しさ、イヤと言うわけにもいかないから、グチャグチャドロドロのやつを、脂汗を流しながら一同口に入れる。

「あー、どうじゃ、美味であろう」
「ははー、まことにけっこうな……」
「しからば、代わりを取らせる」

汗と唾とよだれと鼻水で調味してあるそばを、腹いっぱい詰め込まされたものだから、翌日は家来全員真っ青な顔で登城する。

みんな、その夜一晩中ひどい下痢でかわやへ通い詰め。

そこへまたしても殿のお召し。

「あー、コレ、一同の者がそば好きじゃによって、本日もそばを打っておいたゆえ、遠慮なく食せ。明日も打ってとらせる」
「殿、恐れながら申し上げます」
「なんじゃ」
「おそばを下しおかれますなら、一思いに切腹を仰せつけ願わしゅう存じまする」

【しりたい】

すまじきものは宮仕え

「将棋の殿さま」と並んで、ご家来衆受難の一席。この種の噺に、今はもう演じ手がありませんが、三遊亭円朝の作といわれる「華族の医者」があります。

維新後のはなしで、医術に凝った元殿さまが、怪しげな薬で家来を虫の息にしてしまい、「それは幸い。今度は解剖じゃ」。

サディスティックさの度合い、精神の病根の深さは「そば殿」や「将棋殿」など、メじゃあありませんな。

ぜひどなたかに復活していただきたいものです。ああこれこれ、「実演」するでないぞ。してよいのは余だけじゃ。

そばと殿さま

松江藩七代藩主で、茶人としても知られた松平治郷(まつだいら・はるさと、不昧公。目黒のさんま)が飢饉対策のため、藩内に信州から蕎麦を移植したいきさつは、出雲系そば屋の由来書の紋切り型です。

不昧公は名君として知られ、いやしくもこの噺のそば殿のモデルになったとは思えませんが、殿さまがズルズルとそばをたぐっている姿を想像すると、漱石ではありませんが、なんとなく「俳味」があります。

そばと茶道

不昧公が茶人だったということで、もう一つ付け加えますが、実はこの噺の発端で、殿様が茶坊主に命じて、そば粉を調達させるくだりが、あらすじで参考にした、明治の二代目柳家小さんの速記にはあります。

このことから、上層階級では、そばきりは茶懐石の添え物として供されたことがうかがわれます。

そばは、決していやしき町人のやからのみが食したのではないのです。

幻の後日談?

「目黒のさんま」の項でもふれましたが、明治期に、武士や殿さまの噺を得意としたのが実際に士族出身だった二代目柳家(禽語楼)小さんです。

「そばの殿さま」の最古の速記が、明治27年(1894)、「百花園」所載の二代目小さんのものですが、現在のやり方とあまり大きくは違っていません。戦後では六代目三遊亭円生がよく演じました。

「円生全集」第二巻(青蛙房)所収の速記では、円生はオチは使わず、殿さまが謝った後、「今度は精進料理で失敗するという……」と「続編」をにおわせてサゲていましたが、これについてはまったく不明です。

「そばの殿さま」のくすぐり

●家来がイヤイヤそばを食う場で

「中から粉が出ますな」
「貴殿のは粉だからよろしい。拙者のはワラが出ます」
「壁土じゃござらん」

 …………………………………………

「いやしくも侍一人、戦場で捨てる命は惜しまねど、そばごときと刺し違えて相果てるは遺憾至極」
「遺憾もキンカンもくねんぼもダイダイもない。このそばをもって一命を捨てるのも、やはり忠死のひとり」
「宅を出るとき、家内と水杯をいたしてくればよかった」

めぐろのさんま【目黒の秋刀魚】演目

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おなじみのお噺ですが、ここでは少々古い型を紹介します。

【あらすじ】

雲州松江十八万石の第八代城主、松平出羽守斉恒(なりつね)は、月潭(げったん)公とも呼ばれ、文武両道に秀でた名君だけあり、在府中は馬の遠乗りを欠かさない。

ある日、早朝から、目黒不動尊参詣を名目に、二十騎ほどを供に従え、赤坂御門内の上屋敷から目黒まで早駆けした。

参詣を終えたが、昼時には間があるので、あちらこちらと散歩。

いつしか目黒不動の地内を出て、上目黒辺の景色のいい田舎道にかかった時、殿さま、戦場の訓練に息の続くまで駆け、自分を追い抜いた者は褒美を取らすと宣言。

自分から走り出したので、家来どもも慌てて後を追いかける。

ところが、腰に大小と馬杓を差したままだから、なかなかスピードが上がらない。

結局、ついて来れたのは三人だけ。

雲州公、松の切り株に腰を下ろして一息つき、遅れて着いた者に小言を言ううち、にわかに腹がグウと鳴った。

陽射しを見ると、もう八ツ(午後二時)過ぎらしい。

その時、近くの農家で焼いているサンマの匂いがプーンと漂ってきた。

殿さまのこと、下魚のサンマなどは見たこともない。

家来に、「あれは何の匂いじゃ」とご下問になる。

「おそれながら、下様でさんまと申し、丈は一尺ほどで、細く光る魚でございます。近所の農家で焼いておると存じます」
「うむ、しからば、それを求めてまいれ」
「それは相かないません。下様の下人どもが食します魚、俗に下魚と称しますもの。高位の君の召し上がるものでは」
「そのほうは、治にいて乱を忘れずの心がけがない。もし戦場で敗走し、何も食うものがないとき、下様のものとて食わずに餓死するか。大名も下々も同じ人。下々が食するものを大名が食せんということはない。求めてまいれ」

家来はしかたなく、匂いを頼りに探しに行くと、あばら家で農民の爺さんが五、六本串に刺して焼いている。

これこれで、高貴なお方が食したいとの仰せだから、譲ってくれと頼むと、爺さん、たちまち機嫌が悪くなり、「人にものを頼むのに笠をかぶったまま突っ立っているのは、礼儀を知らないニセ侍だから、そんな者に意地でもやれねえ」と突っぱねる。

殿さまが名君だけに分別のわかった侍だから、改めて無礼を詫び、やっと譲ってもらって御前へ。

松江公、空腹だからうまいのうまくないの。

これ以来病み付きになり、屋敷内に四六時中もうもうと煙が立ち込めるありさま。

しまいには江戸中のさんまを買い上げた。

それでは飽き足らず、朋輩の諸大名に、事あるごとにさんまの講釈を並べ立てるから、面白くないのは黒田候。

負けじと各地の網元に手をまわして買いあさったが、重臣どもが「このように脂の多いものを差し上げては」と余計な気をまわし、塩気と脂を残らず抜いて調理させたから、パサパサでまずいことこの上ない。

怒った黒田候、江戸城で雲州公をつかまえ、あんなまずいものはないと文句を言う。

「して貴殿、いずれからお取り寄せになりました」
「家来に申しつけ、房州の網元から」
「ああ、房州だからまずい。さんまは目黒に限る」

【しりたい】

元サムライの殿さまばなし

古くからよく知られた噺です。

「サンマは目黒に限る」というオチは、落語をご存知ない方でも、一度は耳にされたことがおありでは?もちろん、現在でも前座から大看板まで、頻繁に口演されます。

今回は、明治中期まで活躍した二代目柳家(禽語楼)小さん(1850-98)の、明治24年(1891)の速記を元にあらすじを構成しました。

小さんは延岡の内藤藩士という、れっきとしたサムライでした。

それだけに、「目黒の秋刀魚」を始め、「将棋の殿様」「そばの殿様」など殿様ばなしなら、右に出る者はいなかったとか。

この噺も、小さんが原型を作ったと言ってよく、大筋の演出は現行とそうは違いません。

ただ、オチで小さんが「房州の網元から」としているのを、現在では「日本橋の魚河岸」となるなど、細部はかなり変わっています。

殿さまの正体は?

演者によってもっとも大きく分かれるのが、殿様のモデルです。

二代目小さんのように雲州公とする場合と、三代将軍・家光公とする場合があります。

たとえば、八代目林家正蔵(彦六)は家光公で演じ、六代目三遊亭円生や、門下の現円楽は殿様を特定していません。

目黒一帯は将軍家のお狩場だったところで、家光公が鷹狩りの途中、偶然立ち寄ってサンマを食し、たいへん気に入ったという伝説があります。

雲州公で演ずる場合、二代目小さんは第八代松江藩主・松平斉恒としていますが、以後は現在まで、その父で茶人・食通として名高く、出雲にそばを移植したので有名な、不昧公・治郷(はるさと、1751-1818)とされています。

演出によっては、家来が爺さんともめているところへ、殿さまがニコニコして現れ、「許せよ」と丁重に頼むので、爺さんが機嫌を直すやり方もあります。

もっとも、これは「ただの殿さま」の雲州公だからよいので、将軍家が来てこんなにゴネればハリツケものでしょう。

目黒不動とサンマのこと

「目黒のお不動さま」は、現在の東京都目黒区下目黒三丁目の瀧泉寺境内にあります。江戸の五色不動の一つで、境内では富くじの抽選が催され、湯島天神、谷中天満宮とともに江戸三大突き富といわれました。

この噺の爺さんがいた「爺が茶屋」がどこにあったのかは、諸説あって不明です。

サンマはその短刀に似た形から、通称九寸五分。

江戸に入荷するのは、九十九里沖で獲れたものがほとんどでした。

輸送の関係で生のものはなかなか出回らず、干物で売られることが多かったのです。

この噺でも、重臣たちが心配するように脂が多いものなので、労働量の多い農民や、町人でも、馬喰などの肉体労働者に好まれました。

【目黒の秋刀魚 金原亭馬生】

めかうま【妾馬】演目

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殿さまにみそめられた妹の住むお屋敷に兄が招かれ、とんちんかんなやり取り。

別題:八五郎出世

【あらすじ】

丸の内に上屋敷を持つ大名赤井御門守(あかいごもんのかみ)。

正室にも側室にも子供が生まれず、このままでは家が絶えるというので、この際身分は問わず、よさそうな女を見つけて妾にしようと、町屋まで物色している。

たまたま、好みの町娘が味噌漉を下げて、路地裏に入っていくのを駕籠の中から認め、早速家来をやって、大家に話させる。

すぐに、娘はその裏長屋住まいで名はお鶴、今年十七で、母親と兄の職人・八五郎の三人暮らしと知れた。

大家は名誉なことだと喜び、お鶴は美人の上利口者だから、何とか話をまとめて出世させてやろうと、すぐに八五郎の長屋へ。

出てきた母親にお鶴の一件を話して聞かせると大喜び。

兄貴の八五郎には、大家が直接話をする。

その八五郎、大家に、お屋敷奉公が決まれば、百両は支度金が頂けると聞き、びっくり仰天。

こうなると欲の皮を突っぱらかして二百両にしてもらい、めでたくお鶴はお屋敷へ。

兄貴の方は、持ちつけない大金を持ったので、あちこちで遊び散らし、結局スッカラカン。面目ないと長屋にも帰れない。

一方、お鶴、殿さまのお手がついて間もなく懐妊し、月満ちてお世継ぎを出産。

にわかに「お鶴の方さま」「お部屋さま」と大出世。

兄思いで利口者だから、殿さまに甘えて、一度兄にお目見えをと、ねだる。

お許しが出て、早速長屋に使いがきたが、肝心の八五郎は行方知れず。

やっと見つけ出し、一文なしなので着物も全部大家が貸し与え、御前へ出たら言葉をていねいにしろ。

何でも頭へ「お」、尻に「たてまつる」をつければそれらしくなると教えて送りだす。

さて、いよいよご対面。

側用人の三太夫が、どたまを下げいのしっしっだのと、うるさいこと。

殿さまがお鶴を伴って現れ、「鶴の兄八五郎とはその方か」と声をかけてもあがって声が出ない。

「これ、即答をぶて」と言うのを「そっぽをぶて」と聞き違え、いきなり三太夫のおつむをポカリ。

「えー、おわたくしはお八五郎さまで、このたびはお妹のアマっちょが餓鬼をひりだしたてまつりまして」と始めた。

殿さまは面白がり「今日は無礼講であるから、朋友に申すごとく遠慮のう申せ」

ざっくばらんにやっていいと聞いて、「しめこのうさぎよッ」と安心した八五郎、今度は調子に乗って言いたい放題。

まっぴらごめんねえとあぐらをかき「なあ、三ちゃん」

はてはお女中を「婆さん」などと始めたから、三太夫カリカリ。

殿さまは一向気に掛けず、酒を勧める。

八、酔っぱらうとお鶴を見つけ、感極まって「おめえがそう立派になってくれたって聞けば、婆さん、喜んで泣きゃあがるだろう。おい、殿さましくじんなよ。……すいませんね。こいつは気立てがやさしいいい女です。末永くかわいがってやっておくんなさい」と、しんみり。

最後に景気直しだと都々逸をうなる。

「この酒を止めちゃいやだよ酔わしておくれ、まさか素面じゃ言いにくい、なんてなぁどうでえ殿公」

「これっ、ひかえろ」「いや、面白いやつ。召し抱えてつかわせ」というわけでツルの一声、八五郎が侍に出世するという、おめでたい一席。

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

演題

「めかう(ん)ま」と読みます。本来は「下」もあって、侍に取り立てられた八五郎が、殿様に使者を申しつかり、乗り慣れぬ馬に乗って暴走。

必死にしがみついているところで、「そのように急いでいずれへおいでなさる?」「行く先は、馬に聞いてくれ」とサゲます。

緻密に演じると、一時間近くはかかろうという大ネタで、明治大正の名人・四代目円蔵なども屋敷の表門で八が門番と珍問答するあたりで切っていました。

もちろん眼目は大詰めで、べろべろになった八だけの一人芝居のような長台詞のうちにその場の光景、その場にいない母親の姿などをありあり浮かび上がらせる大真打の腕の見せ場です。

五代目志ん生は全体にごくあっさり演じていましたが、六代目円生は胃にもたれるほどすべての場面をたっぷりと、そして志ん朝は、前半を思い切ってカットし、最後の酔態で悲痛なほど、肉親の情愛と絆を浮き彫りにする演出でした。

はなしと芝居 1

「妾馬」で思い出すのが歌舞伎の「魚屋宗五郎」。河竹黙阿弥の傑作です。

酒に酔って殿様の面前で言いたい放題くだをまくのは共通していますが、こちらは悲劇で、旗本の屋敷奉公にあがった妹がこともあろうに無実の罪でお手討ちになったくやしさに、一本気な宗五郎が、やけ酒の勢いで屋敷に暴れ込み、斬られるのを覚悟で洗いざらい恨み言をぶちまけます。

おめでたい「妾馬」とは違って、弱者の精一杯の抵抗と抗議が観客の胸を打ちますが、殿様の「ゆるせ」のたった一言でへなへなになってしまいます。

悲劇と喜劇の違いこそあれ、権力者に頭をなでられれば、すぐ猫のように大人しくなる下層民のメンタリティは八五郎にも共通しているのでしょう。

松竹映画『運がよけりゃ』(1966)で賠償千恵子扮するおつるは、恋仲の若者への思いを貫くため、敢然と殿さまのお召しをはねつけ、長屋一同もそれを応援しますが、少なくとも江戸時代には、そのようなことは、天地がひっくりかえってもありえなかったでしょう。

はなしと芝居 2

四代目小さんの聞き書きによると、「妾馬」は昔、「御座り奉る」という名題で、歌舞伎で上演されたことがあるそうです。

そのほか、劇化された落語に、「大山まいり」「祇園会」「三軒長屋」「締め込み」「粗忽の使者」「らくだ」「ちきり伊勢屋」とあり、現在も上演されるものに「芝浜」「文七元結」があります。むろん、円朝の怪談ものなどは別です。

「大山まいり」「らくだ」はともに岡鬼太郎脚本で、それぞれ「坊主烏賊」「眠駱駝物語」の名題。

「大山まいり」(「坊主烏賊」)は初代中村吉右衛門、「祇園会」「芝浜」「文七元結」は六代目尾上菊五郎、「三軒長屋」は七代目松本幸四郎・十五代目市村羽左衛門、といずれも名優が主演しています。ただし、「どうも道具立てがどっさりで、落語から芝居にしたものは、妙にみんな面白くありませんな」。

(安藤鶴夫「四代目小さん・聞書」)

【妾馬 古今亭志ん生】

かえんだいこ【火焔太鼓】演目

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道具屋の噺。古い太鼓がお大名に三百両で売れた。夫婦はびっくりにんまり。

【あらすじ】

道具屋の甚兵衛は、女房と少し頭の弱い甥の定吉の三人暮らしだが、お人好しで気が小さいので、商売はまるでダメ。

おまけに恐妻家で、しっかり者のかみさんに、毎日尻をたたかれ通し。

今日もかみさんに、市で汚い太鼓を買ってきたというので小言を食っている。

なにせ甚兵衛の仕入れの「実績」が、清盛のしびんだの、清少納言のおまるだの「立派」な代物ばかりだから、かみさんの怒るのも無理はない。

それでも、買ってきちまったものは仕方がないと、定吉にハタキをかけさせてみると、ホコリが出るわ出るわ、出尽くしたら太鼓がなくなってしまいそうなほど。

調子に乗って定吉がドンドコドンドコやると、やたらと大きな音がする。

それを聞きつけたか、赤井御門守(あかいごもんのかみ)の家臣らしい身なりのいい侍が「コレ、太鼓を打ったのはその方の宅か」。

「今、殿さまがお駕籠でお通りになって、太鼓の音がお耳に入り、ぜひ見たいと仰せられるから、すぐに屋敷に持参いたせ」

最初はどんなお咎めがあるかとビビっていた甚兵衛、お買い上げになるらしいとわかってにわかに得意満面。

ところがかみさんに
「ふん。そんな太鼓が売れると思うのかい。こんなに汚いのを持ってってごらん。お大名は気が短いから、『かようなむさいものを持って参った道具屋。当分帰すな』てんで、庭の松の木へでも縛られちゃうよ」
と脅かされ、どうせそんな太鼓はほかに売れっこないんだから、元値の一分で押しつけてこいと家を追い出される。

さすがに心配になった甚兵衛、震えながらお屋敷に着くと、さっきの侍が出てきて
「太鼓を殿にお目にかけるから、暫時そこで控えておれ」

今にも侍が出てきて「かようなむさい太鼓を」ときたら、風のようにさっと逃げだそうと、びくびくしながら身構えていると、意外や意外、殿様がえらくお気に召して、三百両の値がついた。

聞けば「あれは火焔太鼓といい、国宝級の品」というからまたびっくり。

甚兵衛感激のあまり、百五十両まで数えると泣きだしてしまう。

興奮して家に飛んで帰ると、さっそく、かみさんに五十両ずつたたきつける。

「それ二百五十両だ」
「あァらま、お前さん商売がうまい」
「うそつきゃあがれ、こんちくしょうめ。それ、三百両だ」
「あァら、ちょいと水一ぱい」
「ざまあみゃあがれ。オレもそこで水をのんだ」
「まあ、おまえさん、たいへんに儲かるねェ」
「うん、音のするもんに限ラァ。おらァこんだ半鐘(はんしょう)を買ってくる」
「半鐘? いけないよ。おジャンになるから」

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

おジャン

オチの「おジャン」は江戸ことばで「フイになる」こと。江戸名物の火事の際、鎮火するとゆるく「ジャン、ジャン」と二度打って知らせたことから、「終わり」の意味がついたものです。

戦後この噺を専売にしていた五代目古今亭志ん生が前座時分、神田の白梅で聞き覚えた初代三遊亭遊三の演出では、実際に半鐘を買ってしまい、小僧に叩かせたので、近所の者が店に乱入、道具はメチャメチャで儲けが本当におジャンという「悲劇」に終わっています。

この噺は随所にギャグ満載で、「本物の火焔太鼓は高さ3mを超える化け太鼓だから、とても持ち運びなどできない」という真っ当な批判など、鼻で吹き飛ばすようなおもしろさがあります。

実際、長男の先代馬生がそのことを言うと、志ん生は「だからてめえの噺はダメなんだ!」としかったといいます。

二男の志ん朝は、甚兵衛の人間描写・心理も掘り下げ、軽快さと登場人物の存在感では親父まさりの「火焔太鼓」に仕上げて、後世に残しました。

火焔太鼓の急所

最後の、甚兵衛がこれでもかと金をたたきつけ、神さんが逆にひっくり返るところがクライマックスでしょう。

志ん生独自の掛け合いのおもしろさ。「それ百両だ」「あーら、ちょいと」「それ百五十両だ」「あーら、ま」

畳み掛けるイキは無類。志ん朝だと序幕でかみさんの横暴ぶりを十分に強調してありますから、この場は、何年も耐えに耐えてきた甚兵衛のうっぷんが一気に爆発するようなカタルシスがあります。

火焔太鼓のこばなし

まだまだ無数にあります。まずは一度聞いてみてください。

その1

(太兵衛=甚兵衛)「金は、フンドシにくるんで」

(侍)「天下の通用金を褌にくるむやつがあるか」

(太)「どっちも金です」

                        (遊三)

その2

(甚兵衛)「この目を見なさい。馬鹿な目でしょう。これはバカメといって、おつけの実にしかならない」


(志ん生)

その3

(甚兵衛)「顔をごらんなさい。ばかな顔してるでしょ。あれはバカガオといって、夏ンなると咲いたりなんかすンですよ」


(志ん朝)

その4

(かみさん)「おまいさんはね、人間があんにゃもんにゃなんだから、自分てえものを考えなくちゃいけないよ。血のめぐりが悪いんだから、人間が少し足りないんだからって」

                         (志ん生) 

   
世に二つ

実際は、「(せいぜい)世に(一つか)二つ(しかない)という名器」ということですね。志ん生も含め、明治生まれの古い江戸っ子は、コトバの上でも気が短く、ダラダラと説明するのを嫌い、つい表現をはしょってしまうため、現代のわれわれにはよく通じないことが、ままあります。

これを「世に二つとない」と補って解釈することも可能でしょうが、それではいくらなんでも意味が百八十度ひっくり返ってしまうので、やはり前者程度の「解読」が無難でしょう。

【もっとしりたい】

五代目古今亭志ん生が、神田白梅亭で初代三遊亭遊三のやった「火焔太鼓」を聞いたのは、明治40年(1907)ごろのこと。前座なりたてのころだったらしい。

それから約30年後、志ん生はじっくり練り直した「火焔太鼓」を演じる。世評を喝采させて不朽の名作に仕立て上げてしまった。

とはいえ、全編にくすぐりをてんこ盛りにした噺にすぎない。噺の大筋は遊三のと変わっていないのだが。

海賀変哲は、この噺を「全く以ってくだらないお笑いです」と評している。遊三の専売だったそうだ。

遊三のは、太鼓でもうけたあとに半鐘を買ってきて小僧がジャンジャン鳴らしたら、近所の人が火事と間違えて店に乱入。飾ってあった道具はめちゃくちゃに。「ドンと占めた太鼓のもうけが半鐘でおジャンになった」というオチになっている。

五代目桂文楽は、火事のくだりで、懐からおもちゃのまといを取り出して振るという所作をしていたそうだ。大正のころのこと。うーん、こんな芸で受けたのだろうか。

志ん生のは、金を差し出してかみさんを驚き喜ばせるくだりで笑いがピークに達したところで、すーっと落とす筋の運び。見事に洗練されている。

遊三のでは、甚兵衛ではなく銀座の太兵衛だ。お殿さまは赤井御門守、侍は平平平平(ひらたいらへっぺい)。落語世界ではお決まりの面々である。

それを、志ん生は甚兵衛以外名なしで通した。おそらく、筋をしっかり聞いてほしいというたくらみからだったのだろう。

リアリティーなどどうでもいいのだ、この噺には。

火焔太鼓とは、舞楽に使うもの。太鼓の周りが火焔の文様で施されている。一般に、面の直径は6尺3寸(約2m)という。まあ、庶民には縁のなさそうな代物だ。

志ん生の長男・金原亭馬生が「火焔太鼓ってのは風呂敷で持っていけるようなものじゃないよ、おとっつぁん」と詰め寄ったという逸話は、既出の手垢のついた話題だ。

遊三の「火焔太鼓」でも、太兵衛は風呂敷でお屋敷に持参している。志ん生は遊三をなぞっているわけだから、当然だ。考証や詮索にうつつを抜かしすぎると、野暮になるのが落語というもの。

リアリティーを出すために太鼓を大八車に載せては、それこそおジャンだ。この噺の眼目は、別のところにあるのだろうから。

(古木優)

【火焔太鼓 古今亭志ん朝】

はつねのつづみ【初音の鼓】演目 

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歌舞伎『義経千本桜』中、有名な「狐忠信」のパロディー です。

別題:ぽんこん

【あらすじ】

骨董好きの殿さまのところに、出入りの道具屋・金兵衛が怪しげな鼓を売り込みに来る。

側用人の三太夫に、これは下駄の歯入れ屋のじいさんが雨乞いに使っていた鼓で、通称「初音の鼓」という。

じいさんが
「今度娘夫婦に引き取られて廃業するので形見にもらった」
と説明。

これを殿さまに百両でお買い上げ願いたいと言うから、三太夫はあきれた。

なにしろこの男、この間も真っ黒けの天ぷら屋の看板を、慶長ごろの額と称して、三十両で売りつけたという「実績」の持ち主。

金兵衛、殿さまの身になれば、「狐忠信」の芝居で名高い「初音の鼓」が百両で手に入れば安いもので、一度買って蔵にしまってしまえば、生涯本物で通ると平然。

「もし殿が、本物の証拠があるかと言われたら、どうする」
「この鼓を殿さまがお調べになりますと、その音を慕って狐がお側の方に必ず乗り移り、泣き声を発します、とこう申し上げます」
「乗り移るかい」
「殿さまがそこでポンとやったら、あなたがコンと鳴きゃ造作もないことで」

三太夫、
「仮にも武士に狐の鳴きまねをさせようとは」
と怒ったが、結局、一鳴き一両で買収工作がまとまる。

殿さまポンの、三太夫コンで一両。

ポンポンのコンコンで二両というわけ。

早速、金兵衛を御前に召し連れる。

話を聞いた殿さまが鼓を手にとって「ポン」とたたくと、側で三太夫が「コン」。

「これこれ、そちはただ今こんと申したが、いかがいたした」
「はあ、前後忘却を致しまして、一向にわきまえません」

「ポンポン」
「コンコン」
「また鳴いたぞ」
「前後忘却つかまつりまして、いっこうに」
「ポンポンポン」
「コンコンコン」
「ポンポン」
「コンコンコンコン」
「これ、鼓はとうにやめておる」
「はずみがつきました」

「次の間で休息せよ」
というので、二人が対策会議。

いくつ鳴いたか忘れたので、結局、折半の五十両ずつに決めたが、三太夫、鳴き疲れて眠ってしまい、ゆすっても起きない。

そこへ殿さまのお呼び出し。

一人で御前へ通ると、殿さまが
「今度はそちが調べてみい」

さあ困ったが、今さらどうしようもない。

どうなるものかと金兵衛が「ポン」とたたくと、殿さまが「コン」。

「殿さま、ただ今お鳴きに」
「何であるか、前後忘却して覚えがない」
「ありがとうさまで。ポンポンポン、スコポンポン」
「コンコンコン、スココンコン」
「ポンポン」
「コンコン……。ああ、もうよい。本物に相違ない。金子をとらすぞ」「へい、ありがとうさまで」

金包みを手に取ると、えらく軽い。

「心配するな。三太夫の五十両と、今、身が鳴いたのをさっ引いてある」

底本:六代目三遊亭円生

【しりたい】

歌舞伎のパロディー

古風な噺で、歌舞伎や文楽のファンにはなじみ深い「義経千本桜」の「狐忠信」のくだりのパロディーです。

「初音の鼓」はその前の場「吉野山」で、落ち行く義経が愛妾の静御前に形見に与える狐革の鼓をさします。

親狐の皮でつくったその鼓を慕う子狐が、家来の佐藤忠信に化けて静に同行し、鼓を奪おうとするが、見破られ、静の打つ鼓の音で正体を現すのです。

「初音」の意味は、その浄瑠璃の詞章に「狐は陰の獣ゆえ、雲を起こして降る雨の、民百姓が喜びの声を初めてあげしより」に由来します。

噺の中で下駄屋の爺さんが雨乞いをしたのは、天気だと皆わらじばかり履き、下駄の歯がすりきれないから。

林家彦六がよく演じましたが、立川談志も持ちネタにしていました。

殿さま、金兵衛、三太夫みんな仲良しで、誰もがうそを承知で遊び戯れているような、ほのぼのと捨てがたい味わいが。

別話の「継信」も、別題が「初音の鼓」なので、区別してこの噺は「ぽんこん」とも呼ばれています。

【初音の鼓 三遊亭円生】