よいよいそば【よいよい蕎麦】演目

地方から出てきた二人連れ。そばの食べ方がわからず四苦八苦。そうかもしれません。

別題:江戸見物

【あらすじ】

江戸名物は、火事にけんかに中っ腹というが、中っ腹は気短なこと、なにかというと、悪態をつく。

田舎者の二人連れ、一生一度の東京見物に来たのはいいが、慣れないこととて、やることなすこと悪戦苦闘。

そば屋に入っても、生まれて初めてなので、食い方がわからない。

もりがくると、あんまり長いから、これではハシを持ったまま天井までハシゴをかけて上がらなければ食えないというので、一工夫。

片方がまず寝ころんで、相棒に食べさせ、今度はもう一人が、という塩梅(あんばい)で、なかなかはかどらない。

そこへ威勢よく飛び込んできたのが、言わずと知れた江戸っ子のお兄さん。

もりを注文すると、例によって粋につるつるっとたぐり出したが、そばの中から釘が出てきたから、さあ収まらない。

「おい若い衆、そばの中に釘ィ入れて売るわけでもあるめえ。危ねえじゃねえぁ。よく気ィつけろいっ。このヨイヨイめ」

謝罪の言葉も聞かばこそ、悪態をついて、あっという間に出ていってしまった。

まるで暴風雨。

田舎者の二人、それを見てすっかり度肝を抜かれ、あの食い方の早えの早くねえの、あれはそば食いの大名人だんべえと、ひどく感心したが、終わりのヨイヨイというのが、なんだか、よくわからない。

そこでそば屋の親父に尋ねるが、親父もまさか親切ていねいに「翻訳」するわけにもいかず「あれはその、近頃東京ではやっているほめ言葉で、手前でものそばがいいというんで、よい、よいとほめたんです」と、ゴマかす。

二人はすっかり真に受けて、一度これを使ってみたいと思いながら、今度は芝居見物へ。

見ているうちに、いい場面になった。

東京の歌舞伎では、役者がいいと声をかけてほめると聞いたので、ここぞとばかり「ようよう、ええだぞ、ヨイヨイ」

怒ったのが贔屓の衆。

「天下の成田屋をつかめえて、ヨイヨイたあ何だ。てめえたちの方がヨイヨイだ」「ハァ、太郎作、喜べ。おらたちまでほめられた」

【しりたい】

二通りのバージョン  【RIZAP COOK】

原話は不詳で、明治31年(1898)4月、「百花園」に掲載された六代目桂文治の速記では「江戸見物」と題しています。

これはオチは同じですが、後半途中から芝居噺仕立てになり、そば屋の場面はありません。江戸っ子に突き当たられた後そのまま芝居小屋での失敗談に移ります。

あらすじの「よいよい蕎麦」の方は、明治期では初代三遊亭円右が得意にしたもので、こちらが本元だろうと思われます。本来、ていねいに演じると、そば屋の場面の前に食物と間違え、炭団を買ってかじる滑稽が付きます。

元祖「ボヤキ落語」で知られた、同時代の五代目三升家小勝(1859-1939)や二代目三遊亭金馬を経て、戦後は三代目三遊亭小円朝が時々演じました。小円朝は速記が残っています。青蛙房刊『三遊亭小円朝集』(青蛙房→ちくま文庫)。音源はなく、初代円右のSP復刻版だけが、いま聴ける唯一の貴重な音源です。小円朝以後の継承者は、今のところいない模様です。

親ばかちゃんりん蕎麦屋の風鈴  【RIZAP COOK】

けんどんそば切り(今でいうかけそば)が一杯八文で売り出されたのは寛文4年(1664)のこと。その後、貞享年間(1684-88)に蒸し蕎麦が流行。同時に江戸市中に、多くのそば屋が出現。頼まれれば、天秤のかついで出前もしました。別名「二八蕎麦」と呼ばれる、屋台のそば屋が現れたのは享保年間(1716-36)といわれます。

それ以前、貞享3年(1686)にすでに、「温飩(うどん)、蕎麦切、其他何ニ寄らず、火を持あるき商売仕り候儀、一切無用に仕るべく候」というお触れが出ているので、かなり長い間、長屋の食うや食わずの連中が、アルバイトに特に夜間、怪しげな煮売り屋を屋台で営業していたわけです。お上では「食品衛生法違反容疑」よりむしろ火の元が危なくてしかたないので、禁止したということでしょう。

よいよい  【RIZAP COOK】

元は、幼児のよちよち歩きをさしましたが、のちに中風病み、マヌケ、酔っ払い、みすぼらしい服装の人間などをののしる言葉になりました。寛政年間(1789-1801)の戯作、洒落本などにこれらの例が出そろっているので、およそこのあたりが起源なのでしょう。

【語の読みと注】
中っ腹 ちゅうっぱら:太っ腹の対語。短気
塩梅 あんばい

【RIZAP COOK】

ねこただ【猫忠】演目

【RIZAP COOK】

落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

明治中期に上方から。当初は「猫の忠信」でしたが、お得意の縮めた呼称に。

あらすじ

美人の清元の師匠に、下心見え見えで弟子入りしている、次郎吉と六兵衛の二人。

次郎が、師匠と兄貴分の吉野屋常吉がいちゃついているのをのぞき、稽古を辞めると息巻くので、六さん、「常兄ィは堅い人なのにおかしいな」と首をひねり、二人で確かめに行くと、案の定、差し向かいで盃をさしつさされつ。

悔しいから、常吉のかみさんに告げ口して、夫婦げんかをあおってやろうと、相談する。

たまたま、今度のおさらい会で師匠が着る衣装を縫っていたかみさん、二人が「師匠が『お刺身の冷たいのは毒だよ』なんぞと口ん中でペロペロと温かにして、兄貴の口へ……」などと並べるのを聞いて「けんかをしずめてくれるのが情けなのに、わざわざ波風を立てに来るのはどういうつもりだい」と、怒り出す。

亭主は今の今、奥で寝ている、という。

噺を聞きつけて当の常吉がノッソリ現れたから、二人は仰天。

いきさつを聞いた常吉。

そういえば、最近床屋に行くと「やっぱり他人じゃないんで、唄のお仕込が違うんでしょう」などと妙なことを言われるので、オレの姿を借りて、師匠の家に入り込んでいる奴がいるのかもしれないと、思いめぐらす。

二人を連れて現場に駆けつけ、障子の隙間からのぞいてみると、なるほど、自分に瓜二つの男が師匠としっぽり濡れているから、驚いた。

これは狐狸妖怪に違いないと、二人に「先ィ入って、向こうで盃をくれたら、油断を見澄まして野郎の耳を触ってみろ。獣は耳を触られると動くから、そうしたら大声で『ぴょこぴょこッ』とでもどなれ」と、言いつける。

二人がおそるおそる声をかけると、酔っぱらった声で「よう、次郎と六じゃねえか。こっちィ入んねえ」

気のせいか、声の調子が違う。

酒を出されると「ひょっとして、馬の小便じゃねえか」と、二人はびくびく。

ご返盃に相手が手を出したところを押さえつけ、耳を触ると案の定、ぴくぴく動く。

「ぴょこぴょこだッ」
と叫ぶ声で、本物の常吉が飛び込んできたので、師匠は
「あら、常さんが二人」
と、仰天。

「やい、おれ……いや、てめえは化性のもんだな。真の吉野屋常吉、吉常(=義経)が調べる。白状しろ」

妖怪はすっかり恐れ入り、
(芝居がかりで)「はいはい、申します申します。わたくしの親は、あれ、あれあれあれ、あれに掛かりしあの三味線、わたくしはあの三味線の子でございます」

師匠の三味線の革にされた親を慕ってきた、とさめざめ泣く。ヒョイと見ると、正体を現した大きな猫がかしこまっている。

「兄貴、今度のおさらいは『千本桜』の掛け合いだろう。狐忠信てのはあるが、猫がただ酒をのんだから、猫がただのむ(=猫の忠信)だ。あっしが駿河屋次郎吉で駿河の次郎。こいつは亀屋六兵衛で亀井の六郎。兄貴が弁慶橋に住む吉野屋の常さんで吉常(義経)。千本桜ができたね」
「肝心の静御前がいねえ」
「師匠が延静だから静御前」

師匠が「あたしみたいなお多福に、静が似合うものかね」と言うと、側で猫が「にゃあう(似合う)」

【RIZAP COOK】

しりたい

著作権料は誰のもの? 【RIZAP COOK】

もともと古い上方落語で、大阪の笑福亭系の祖とされる、松富久亭松竹の創作といわれてきましたが、実は原話は、文政12年(1829)江戸板の初代林屋(家)正蔵著「たいこの林」中の「千本桜」で、ほとんど現行と同じです。

松竹という人、今もって生没年、経歴、年代不詳で、それどころか、実在自体が確認できない、「落語界の写楽」ともいえる謎の噺家です。

それでいて、松竹の手になるといわれる噺は多く、この「猫忠」のほか、「初天神」「松竹梅」「千両みかん」「たちぎれ」など、ほとんど現在でも、東西でよく演じられる名作、佳作ばかりです。

江戸の正蔵が始祖とすると、噺の伝播は江戸→大坂であって、松竹説は怪しくなるのですがともかく、噺としては上方で確立しており、松竹の年代も不明なため、東西どっちがパクったか、真相は藪の中。

猫又にでも、聞いてくださいな。

東西の演出 【RIZAP COOK】

芝居噺の名手だった、六代目桂文治が明治中期に上方の型を東京に移植。

初めは「猫の忠信」の題で演じられましたが、東京ではのちに縮まって「猫忠」とされ、それが現代では定着しました。

その文治の明治30年の速記を始め、八代目文治、大阪の五代目・六代目松鶴、六代目三遊亭円生とさまざまな名人の速記が残ります。

東西でそう大きな変動はありませんが、上方では始めに次郎吉が師匠の家をのぞく場面があります。

上方は見あらわしに乗り込むとき、最初に常吉ではなく、女房がいっしょに行くところが東京と異なり、大阪では女師匠が義太夫、東京では常磐津か清元である点も違っています。

円生は延静で演じましたが、「延」が付くのは清元の師匠で、家元の延寿太夫の一字を取ったもの。

「百川」に登場の歌女文字師匠のように、「文字」が付けば常磐津です。

「千本桜」四段目の口の舞踊「道行初音旅」は、義太夫と清元もしくは常磐津の掛け合いになるので、噺にこうした師匠が登場するわけです。

東ではやはり、この人 【RIZAP COOK】

昭和に入って戦後にかけ、東京でのこの噺の第一人者はやはり、六代目三遊亭円生でした。

円生は、三代目三遊亭円馬から習っています。

オチは、円生以外は東西ともほとんど「ニャウニャウ」と二声でしたが、円生は円馬に倣って、すっきりと一声に改めました。

東京ではほかに、三代目桂三木助も演じました。

「義経千本桜」のパロディ

「義経千本桜」、通称「千本」は全五段の時代浄瑠璃。

初演は延享4(1747)年11月、大坂・竹本座、作者は「仮名手本忠臣蔵」と同じチームで、竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作です。

この噺は、人物名がすべて「千本桜」の役名のもじり。

オチ近くの化け猫のセリフは、四段目の切「河連法眼館」(通称「狐忠信」)のパロディで、芝居の狐の、

「わたくしはあの、鼓の子でござります」

のもじりです。なお詳しくは、「初音の鼓」をご参照ください。

5世尾上菊五郎演じる忠信を描いた錦絵/画・豊原国周 、国立国会図書館所蔵

弁慶橋 【RIZAP COOK】

東京都中央区岩本町二丁目のあたり。神田の藍染川に架かっていた橋ですが、幕末にはもうありませんでした。

付近には駿河町、亀井町など、源義経の四天王にちなんだ町名が並んでいました。

藍染川、駿河町については「三井の大黒」参照。

【RIZAP COOK】

第615回 TBS落語研究会  2019年9月27日 寸評

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2019年9月27日(金) 東京・国立小劇場 古木優

【RIZAP COOK】

普段の袴  古今亭志ん吉 ★★★

落ち着いている。「落語」になっている。おもざしは味気ないが、通る声で心地よい。上下の使い分けがどうも。工夫が必要。光るものを大いに感じた。竹葉亭

蛙茶番   春風亭柳朝  ★★

一本調子の通る声が新味。誰がなにを言っているのかがてんでわからない。寝る客続出。こんなんで十二年も張ってたのか。「落語」を聴かせてほしい。いづもや

こんな顔  桂文治    ★★★★★

短い噺だからえんえんとマクラが続く。これが絶妙。安定した笑いがお次を期待させる、よいテンポ。どう終わらすのか気になりつつも、気持ちのよい笑いを最後まで提供してくれた。のだや

野ざらし  古今亭文菊  ★★★★★

ふらがある。色気がある。面妖なしぐさがいい。落ち着いたいなせな語りぶりは役者じみてて小気味よい。人物の彫り込みもわかりやすい。ふとしたあわい、文菊ワールドだった。つきじ宮川本廛

猫の災難  橘家文蔵   ★★★★

畳にこぼれた酒をせこく飲み干すしぐさは絶妙。ささやくような話柄も色気が漂ってて悪くない。たまに都下のあんちゃんが操るような言葉遣いが。これは興醒め。喜代川

【RIZAP COOK】

すとくいん【崇徳院】演目

【RIZAP COOK】

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若者が恋煩いで寝込む。昔は多かったようです。「わろてんか」にも。

別題:皿屋 花見扇

【あらすじ】

若だんながこのところ患いつき、飯も喉に通らないありさまで衰弱するばかり。

医者が
「これはなにか心に思い詰めていることが原因で、それをかなえてやれば病気は治る」
と言うので、しつこく問いただしても、いっこうに口を割らない。

ようやく、
「出入りの熊さんになら話してもいい」
と若だんなが言うので、大だんなは大急ぎで呼びにやる。

熊さんが部屋に入ってみると、若だんなは息も絶え絶え、葬儀屋にいったほうが早道というようす。

話を聞いても笑わないことを条件に、熊さんがやっと聞き出した病気のもとというのが、恋煩い。

二十日ばかり前に上野の清水さまに参詣に行った時、清水堂の茶店に若だんなが腰を掛けて景色を眺めていると、目の前にお供の女を三人つれたお嬢さんが腰を掛けた。

それがまた、水のしたたるようないい女で、若だんなが思わず見とれていると、娘もじっとこちらを見る。

しばらくすると、茶袱紗(ふくさ)を落としたのも気がつかず立ち上がるので、追いかけて手渡したちょうどその時、桜の枝から短冊が、糸が切れてはらりと落ちてきた。

見ると
「瀬を早み岩にせかるる滝川の」
と書いてある。

これは下の句が
「われても末に逢はむとぞ思ふ」
という崇徳院の歌。

娘はそれを読むと、なにを思ったか、若だんなの傍に短冊を置き軽く会釈して、行ってしまった。

この歌は、別れても末には添い遂げようという心なので、それ以来、なにを見てもあのお嬢さんの顔に見える、というわけ。

熊さん、
「なんだ、そんなことなら心配ねえ、わっちが大だんなに掛け合いましょう」
と安請け合いして、短冊を借りると、さっそく報告。

大だんな、
「いつまでも子供だ子供だと思っていたが」
とため息をつき、
「その娘をなんとしても捜し出してくれ」
と、熊に頼む。

「もし捜し出せなければ、せがれは五日以内に間違いなく死ぬから、おまえはせがれの仇、必ず名乗って出てやる」
と、脅かされたから、熊はもう大変。

熊は帰って、かみさんに相談。

かみさんは
「もし見つければあの大だんなのこと、おまえさんを大家にしてくれるかもしれない」
と、尻をたたく。

「とにかく手掛かりはこの歌しかないから、湯屋だろうが床屋だろうが往来だろうが、人の大勢いるところを狙って歌をがなってお歩き。今日中に見つけないと家に入れないよ」
と追い出される。

さあ、それから湯屋に十八軒、床屋に三十六軒。

「セヲハヤミセヲハヤミー」
とがなって歩いて、夕方にはフラフラ。

「ことによると、若だんなよりこちとらの方が先ィ行っちまいかねねえ」
と嘆いていると、三十六軒目の床屋で、突然飛び込んできた男が、
「出入り先のお嬢さんが恋煩いで寝込んでいて、日本中探しても相手の男を探してこいというだんなの命令で、これから四国へ飛ぶところだ」
と話すのが、耳に入った。

さあ、
「もう逃がさねえ」
と熊五郎、男の胸ぐらに武者振りついた。

「なんだ。じゃ、てめえん所の若だんなか。てめえを家のお店に」
「てめえこそ、家のお店に」
ともみ合っているうち、床屋の鏡を壊した。
「おい、話をすりゃあわかるんだ。家の鏡を割っちまってどうするんだ」
「親方、心配するねえ。割れても末に買わんとぞ思う」

底本:三代目桂三木助

【RIZAP COOK】

【しりたい】

類話「花見扇」  【RIZAP COOK】

初代桂文治(1773-1815)作の上方落語を東京に移植したものです。文治の作としてはほかに「洒落小町」「たらちね」があります。

ただし、江戸にもほとんど筋が同じの「花見扇」(皿屋)という噺があり、どちらも種本は同じと思われますが、はっきりしません。

オチの部分が異なっていて、「花見扇」では、だんなに頼まれた本屋の金兵衛が、床屋で鳶頭の胸ぐらを夢中でつかんだため、「苦しい。放せ」「いや、放さねえ。合わせ(結婚させ)る」というオチでした。

先方が皿屋の娘という設定のこの噺は、今はすたれましたが、人情噺「三年目」の発端だったともいわれます。

「瀬を早み……」  【RIZAP COOK】

百人一首第七十七歌です。もとは『詞花集』の収められています。

崇徳院(1119-64)は、鳥羽天皇第一皇子で、即位して崇徳天皇。父・鳥羽上皇の横車から異母弟・近衛天皇に譲位させられ、その没後も、今度は同母弟が後白河天皇として即位したので、腹心・藤原頼長とはかって保元の乱(1156)を起こしましたが、事破れて讃岐に流され、憤死しました。

歌意は「川の流れが急なので、水が滝になって岩に当たり、二つに割れる。しかし、貴女との仲は割れることなく、添い遂げよう」です。

鳶頭  【RIZAP COOK】

かしら。「とびがしら」と読みがちですが、この二字で「かしら」と呼びならわしています。町火消の組頭で、頭取の下。各町内に一人はいました。町の雑用に任じ、ドブさらいからもめごとの仲裁まで一切合財引き受けていました。特に、地主や出入りの商家の主人には、手当てや盆暮れの祝儀をもらっている手前、何か事があると、すぐ駆けつけてしゃしゃり出ます。落語にはいやというほど登場しますが、あまりりっぱなのはいません。

三木助の十八番  【RIZAP COOK】

戦後は、三代目桂三木助の十八番で、清水寺で短冊が舞い落ちてくるくだりは、三木助の工夫です。

上方では、高津(こうづ)神社絵馬堂前の設定で、桂米朝は、茶屋の料紙に娘が書き付けるやり方でした。

上野の清水さま  【RIZAP COOK】

寛永寺境内に現存する、清水観音堂のことです。寛永8年(1631)、寛永寺寺域内の摺鉢山に建立されたもので、同11年、寿昌院焼失後、現在地であるその跡地に移りました。京の清水寺を模した舞台造りで有名で、桜の名所。本尊の千手観音像は恵心僧都の作です。

【RIZAP COOK】

まめや【豆屋】演目

商いの噺。物売りの豆屋、売れても売れなくても客に怒られる始末。

【あらすじ】

あるぼんくらな男。

何の商売をやっても長続きせず、今度は近所の八百屋の世話で豆売りをやることにして、知り合いの隠居のところへ元手をせびりに行く。

隠居からなんとか二円借りたにわか豆屋、出発する時、八百屋に、物を売る時には何でも掛け値をし、一升十三銭なら二十銭と言った後、だんだんまけていくもんだと教えられたので、それだけが頭にこびりついている。

この前は売り物の名を忘れたが、今度は大丈夫そうで
「ええ、豆、そら豆の上等でございッ」
と教えられた通にがなって歩いていると、とある裏路地で
「おい、豆屋」
「豆屋はどちらで」
「豆屋はてめえだ」
「一升いくらだ」
と聞くので
「二十銭でございます」
と答えると
「おい、お松、逃げねえように戸を閉めて、しんばり棒をかっちまえ。薪ざっぽうを一本持ってこいッ」

豆屋はなんのことかと思っていたら、
「この貧乏長屋へ来て、こんな豆を一升二十銭で売ろうとは、てめえ、命が惜しくねえか」
と脅かされ、二銭に値切られてしまった。

その上、山盛りにさせられ、こぼれたのまでかっさらわれてさんざん。

泣く泣く、また別の場所で
「豆、豆ッ」
とやっていると、再び
「豆屋ァ」
の声。

前よりもっとこわそうな顔。

「一升いくらだ」
と聞かれ、
「へい、二…十」
を危うくのみ込んで
「へえ、二…銭で」
「おい、お竹、逃げねえように戸を閉めて、しんばり棒をかっちまえ。薪ざっぽうを一本持ってこいッ。一升二銭なんぞで買っちゃ、仲間うちにツラ出しができねえ」
と言う。

もう観念して
「それじゃ、あの一銭五厘に」
「ばか野郎。だれがまけろと言った。もっと高くするんだ」

豆屋がおそるおそる値を上げると
「十五銭? ケチなことを言いやがるな」
「二十銭? それっぱかりのはした銭で豆ェ買ったと言われちゃ、仲間うちに…」
というわけで、とうとう五十銭に。

いい客が付いたと喜んで、盛りをよくしようとすると
「やいやいッ、なにをしやがるんだ。商売人は中をふんわり、たくさん詰めたように見せかけるのが当たり前だ。真ん中を少しへこませろ。ぐっと減らせ、ぐっと。薪ざっぽうが見えねえか。よし、すくいにくくなったら、升を逆さにして、ポンとたたけ」
「親方、升がからっぽです」
「おれんとこじゃ、買わねえんだい」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

江戸の野菜売り  【RIZAP COOK】

江戸時代、この豆屋のように一種類の野菜を行商で売り歩く八百屋を「前栽売り」と呼びました。落語ではほかに「唐茄子屋政談」「かぼちゃ屋」の主人公も同じです。いずれも天秤棒に「前栽籠」という浅底の竹籠をつるして担ぎ歩きます。同じ豆屋でも枝豆売りは子持ちの貧しい女性が多かったといいます。

十代目文治のおはこ  【RIZAP COOK】

かつては「えへへの柳枝」と呼ばれた七代目春風亭柳枝がよく演じましたが、その後は、十代目桂文治が伸治時代から売り物にしていました。評逸なおかしみは無類で、あのカン高い声の「まめやァー!」は今も耳に残っています。立川談志は、豆屋を与太郎としていました。

逃げ噺の代表格  【RIZAP COOK】

「豆屋」は短い噺ですが、オチもなかなか塩が効いていて、捨てがたい味があります。持ち時間が少ないとき、早く高座を下りる必要のあるときなどにさらっと演じる「逃げ噺」の代表格です。

古くは、六代目三升家小勝の「味噌豆」、八代目桂文楽の「馬のす」、五代目古今亭志ん生の「義眼」、六代目三遊亭円生の「四宿の屁」「おかふい」「悔やみ」など、一流の演者はそれぞれ自分の逃げ噺を持っていました。

薪ざっぽう  【RIZAP COOK】

「真木撮棒」と書きます。すでに伐ったり割ったりしてある薪で、十分に殺傷能力のある、コワイ代物です。「まきざっぽ」とも言います。

【語の読みと注】
前栽売り せんざいうり

【RIZAP COOK】

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