らくだ【らくだ】演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

長屋の嫌われ者、鼻つまみ者が急死。葬儀に巻き込まれる男の変容ぶり。上方噺。

別題: 駱駝の葬礼

【あらすじ】

乱暴者で町内の鼻つまみ者のらくだの馬がフグに当たってあえない最期を遂げた。

兄弟分の、これまた似たような男がらくだの死体を発見し、葬式を出してやろうというわけで、らくだの家にあった一切合切の物を売り飛ばして早桶代にすることに決めた。

通りかかった紙屑屋を呼び込んで買わせようとしたが、一文にもならないと言われる。

そこで、長屋の連中に香典を出させようと思い立ち、紙屑屋を脅し、月番のところへ行かせた。

みんならくだが死んだと聞いて万々歳だが、香典を出さないとなると、らくだに輪をかけたような凶暴な男のこと、何をするかわからないのでしぶしぶ、赤飯でも炊いたつもりでいくらか包む。

それに味をしめた兄弟分、いやがる紙屑屋を、今度は大家のところに、今夜通夜をするから、酒と肴と飯を出してくれと言いに行かせたが、「店賃を一度も払わなかったあんなゴクツブシの通夜に、そんなものは出せねえ」と突っぱねられる。

「嫌だと言ったら、らくだの死骸にかんかんのうを踊らせに来るそうです」と言っても「おもしれえ、退屈で困っているから、ぜひ一度見てえもんだ」と、大家は一向に動じない。

紙屑屋の報告を聞いて怒った男、それじゃあというので、紙屑屋にむりやり死骸を背負わせ、大家の家に運び込んだので、さすがにけちな大家も降参し、酒と飯を出す。

横町の豆腐屋を同じ手口で脅迫し、早桶代わりに営業用の四斗樽をぶんどってくると、紙屑屋、もうご用済だろうと期待するが、なかなか帰してくれない。

酒をのんでいけと言う。

女房子供が待っているから帰してくれと頼んでも、俺の酒がのめねえかと、すごむ。

モウ一杯、モウ一杯とのまされるうち、だんだん紙屑屋の目がすわってきて、逆に、「やい注げ、注がねえとぬかしゃァ」と酒乱の気が出たので、さしものらくだの兄弟分もビビりだし、立場は完全に逆転。

完全に酒が回った紙屑屋が「らくだの死骸をこのままにしておくのは心持ちが悪いから、俺の知り合いの落合の安公に焼いてもらいに行こうじゃねえか。その後は田んぼへでも骨をおっぽり込んでくればいい」

相談がまとまり、死骸の髪を引っこ抜いて丸めた上、樽に押し込んで、二人差しにないで高田馬場を経て落合の火葬場へ。

お近づきの印に安公と三人でのみ始めたが、いざ焼く段になると死骸がない。

どこかへ落としたのかともと来た道をよろよろと引き返す。

願人坊主が一人、酔って寝込んでいたから、死骸と間違えて桶に入れ、焼き場で火を付けると、坊主が目を覚ました。

「アツツツ、ここはどこだ」「ここは火屋(ひや)だ」「冷酒(ひや)でいいから、もう一杯くれ」

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

上方落語を東京に移植

本家は上方落語です。本場の「駱駝の葬礼」では、死人は「らくだの卯之助」、兄弟分は「脳天熊」ですが、東京では両方無名です。

「らくだ」は、江戸ことばで体の大きな乱暴者を意味しました。明治・大正の滑稽噺の名人・三代目柳家小さんが東京に移植したものです。

聞きどころは、気の弱い紙屑屋が次第に泥酔し、抑圧被抑圧の関係がいつの間にか逆転する面白さでしょう。後半の願人坊主のくだりはオチもよくないので、今ではカットされることが多くなっています。

これも五代目志ん生の十八番の一つで、志ん生は発端を思い切りカットすることもありました。なお、戦前にエノケン劇団が舞台化し、戦後映画化もされています。

かんかんのう

らくだの兄弟分が、紙屑屋を脅して死骸を背負わせ、大家の家に乗り込んで、かんかんのうを踊らせるシーンが、この噺のクライマックスになっています。

かんかんのうはかんかん踊りともいい、清国のわらべ唄「九連環」が元唄です。九連環は「知恵の輪」のこと。文政3年(1820)から翌年にかけ、江戸と大坂で大流行。飴屋が面白おかしく町内を踊り歩き、禁止令が出たほどです。

以下、その歌詞を紹介しますが、何語なのかわからない珍妙なことばです。

 かんかんのう、きうれんす きゅうはきゅうれんす さんしょならえ さあいほう

 にいかんさんいんぴんたい やめあんろ めんこんふほうて しいかんさん

 もえもんとわえ ぴいほう ぴいほう

【らくだ 古今亭志ん生】

近日息子 きんじつむすこ 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

上方噺。三十近い、このどら息子、ばかなんだか、こざかしいんだか。

【あらすじ】

三十歳近くになるが、ぼんくらな一人息子に、おやじが説教している。

芝居の初日がいつ開くか見てきてくれと頼むと、帰ってきて明日だと言うから、楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札。

「バカヤロ、近日てえのは近いうちに開けますという意味だ」
とおやじが叱ると、
「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」

なにしろふだんから、気を利かせるということをまるで知らない。

「おとっつぁんが煙管(きせる)に煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ。そのくせ、しかるとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって」
とガミガミ言っているうち、おやじ、かわやに行きたくなったので、
「紙を持ってこい」
と言いつけると、出したのは便箋と封筒。

「まったくおまえにかかると、よくなった体でも悪くなっちまう」
と、また小言を言えば、せがれ、プイといなくなってしまった。

しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、わけを聞くと
「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、取りあえずリンゲルを持って」
「えっ? あたしは何分ももちませんか」
「いやいや、一応お脈を拝見」
というので、みても、せがれが言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。

それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊主の方へも手をまわしたから、説教の薬が効きすぎた。

長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、
「あのばか息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃなりません」
と相談する。

そこで口のうまい男がまず
「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、あんないい大家さんが亡くなるなん……」
と言いかけてヒョイと見上げると、ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。

「へ、こんちは、さよならっ」
「いいかげんにしろ。おまえさん方まで、ウチのばか野郎といっしょになって、あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ」
「へえ、それでも、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて、忌中札まで出てましたもんで」
「え、そこまで手がまわって……ばか野郎、表に忌中札まで出しゃがって」
とおやじが怒ると、
「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや。よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」

底本:三代目桂三木助

【しりたい】

「近日」は芝居用語

江戸時代の芝居興行では、金主(=スポンサー)と座主(=プロデューサー)のトラブル、資金繰りの不能、役者の「もっといい役をつけろ!」というクレームや、ライバル役者同士の序列争いなど、さまざまな原因で、予定通りに幕が開かないことがしばしばでした。

そこで、それを見越して、初日のだいぶ前から、「近日開演」の札を出して予防線を張っていました。

これを「近日札」といって、大阪・道頓堀の劇場街では、昭和に入っても戦争前まで、このしきたりが残っていたそうです。古くは上方でこれを「前繰(さきぐり)」とも呼びました。

民話からつくられた噺

「病人に坊主」という民話が原型といわれます。

小ばなしでは、先走って寺に知らせるくだりは安永3年(1774)、上方で刊行された笑話本『茶の子餅』中の「忌中」、オチの「近日札」の部分は、その前年に江戸で刊行の『仕形噺口拍子』中の「手まはし」がそれぞれ原話で、この二つをミックスして落語に仕立てたのでしょう。

特に後者は、すでに現在の「近日息子」の後半とほとんど同じです。

三木助の当たり噺に

もともと上方落語で、「吹き替え息子(干物箱)」と同じく「息子」という言い方も大阪のものです。

東京で口演されるようになったのは明治40年ごろからですが、東京の落語家はほとんど手掛けず、もっぱら上方くだりの二代目桂三木助などが、大阪のものをそのまま演じていた程度でした。

大阪での修行時代に二代目桂春団治からこの噺を伝授された生粋の江戸っ子・三代目桂三木助が戦後磨きをかけ、独特の現代的くすぐりをふんだんに入れて大当たり。十八番に仕上げました。

三木助演出の特徴は、年代を大正末期に設定してあるため、長屋の連中の会話がデスマス調でていねいなことや、名前も錆田に長谷川と、新作落語のような印象が新鮮な点でしょう。

三木助のくすぐりから

●(長屋の住人の会話。昨夜乙が湯屋で会った大家が死んだと聞いて)

甲「なんですか? ゆうべ湯に行って帰りにざるを二杯食べると、今朝死ねませんか」
乙「死ねないって理屈はないでしょうけどねえ」
甲「あのね、イースーピン(一四筒)が通ってもチーピン(七筒)が通らない場合があるン」

「イースーピン」のくすぐりは、戦後の麻雀ブームでサラリーマンや学生客に大ウケだったとか。

●(早桶をかついできた息子)

「おとっつあん、ちょっと入ってみてねえ、そいで具合が悪いようだったら、あの、今のうちならね、(寝棺と)取り替えてくれるって」

天狗裁き てんぐさばき 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

他人が見た夢を覗いてみたいという欲求。底知れぬ魅力が隠れているからです。

【あらすじ】

年中不景気な熊公。

女房のお光に、
「路地裏の又さんがムカデの夢を見たら、客足がついて今じゃ大変な羽振りなんだから、おまいさんも、たまにはもうかるような夢でも見てごらん」
と、せっつかれて寝る。

「……ちょいとおまいさん。夢見てたろ。どんな夢見たんだい」
「見やしねえ」

見た、見ないでもめているうちに
「ぶんなぐるぞ」
「ぶつんならぶっちゃァがれ」
と本物の大げんかになる。

大声を聞きつけて飛んできた隣の辰つぁん、事情を聞くと、自分もどんな夢か知りたくなり
「おめえとオレたぁ、兄弟分だ。女房に言えなくても、オレには言えるだろう」
「うるせえなあ、見ちゃあいねえよ」
「こんちくしょう、なぐるぞ」

またケンカ。

今度は大家が。

一部始終を聞くと、まあまあと、熊を家に連れていき、
「大家といえば親同然。オレには言えるだろう」

ところが熊公、
「見ていないものは、たとえお奉行さまにも言えない」
というので、大家もカンカン。

それならとお白州へ召し連れ訴え。

訴えを聞いて、奉行も知りたくてたまらない。

「どうじゃ、いかなる夢を見たか奉行には言えるであろう」
「たとえお奉行さまでも、見てないものは言えません」
「うぬッ、奉行がこわくないか」
「こわいのは天狗さまだけです」

売り言葉に買い言葉。

頭に来たお奉行、
「それならばその天狗に裁かせる」
と言って、熊を山の上へ連れていかせる。

高手小手に縛られ、大きな杉の木に結わきつけられた熊。

さて、そのまま夜は更け、ガサガサッと舞い降りてきたのは天狗。

奉行から事の次第を聞いて、天狗も熊の夢を知りたくてたまらない。

「どうしても言わないなら、羽団扇で体を粉微塵にいたしてくれる」
と脅すので、さすがの熊も恐ろしくなり、
「言うかわりに、手ぶらではしゃべりにくいから、その羽団扇を持たせてくれ」
と頼む。

天狗がしぶしぶ手渡すと、熊公、団扇でスチャラカチャンと扇ぎ始めたからたまらない。

熊公の体はたちまちフワフワと上空へ。

「うわっ、下りてこいッ」
「ふん、もうてめえなんぞにゃ用はねえ。こいつはいただいてくから、あばよッ」
「うーっ、泥棒ッ」

しばらく空中を漂って、下り立った所が大きな屋敷。

ようすが変なので聞いてみると、お嬢さんが明日をも知れぬ大病とのこと。

たちまち一計を案じた熊、医者になりすまし、お嬢さんの体を天狗団扇で扇ぐとアーラ不思議、たちまち病気は全快した。

その功あってめでたくこの家の入り婿に。

婚礼も済んで、いよいよ日本一の美人の手を取って初床に……。

「……ちょいとッ」
「ウワッ。なんでえ、おまえは」
「なんでえじゃないよ。おまいさんの女房じゃないか」
「ウエッ、お光。あー、夢か」

【しりたい】

長編の前半が独立

噺としては、上方から東京に移されたものですが、さらにさかのぼると今はすたれた長編の江戸落語「羽団扇」の前半が独立したもので、ルーツは各地に残る天狗伝説です。

「羽団扇」は、女房が亭主の初夢をしつこく尋ね、もめているところに天狗が登場して女房に加勢。

鞍馬山までひっさらっていき白状させようとする設定で、大家や奉行は登場しません。

後半は、亭主が墜落したところが七福神の宝船で、弁天さまに酒をごちそうになり、うたた寝して起こされたと思ったら今のは夢。

女房が吸いつけてくれた煙草を一服やりながらこれこれと夢を語ると、七福神全部そろっていたかと聞かれ、数えると一人(一福)足らない。「ああ、あとの一福(=一服)は煙草で煙にしてしまった」という他愛ないオチです。

志ん生の十八番

上方では桂米朝が得意にし、その一門を中心にかなり口演されているようですが、東京では戦後ずっと五代目古今亭志ん生の専売特許でした。

と言うより、「抜け雀」などと同様、志ん生以外の、また志ん生以前の速記がまったくなく、いつごろ東京に「逆輸入」されたのか、志ん生が誰から教わったかは一切不明です。

とにかく志ん生のものは女房、奉行、天狗みなおもしろく、縦横無尽な語り口で、いつの間にか聞く者を異次元の領域に誘うようです。

ストレス解消、現実逃避に、これほど適した落語はそうありません。

上方の演出

米朝版では、場所を鞍馬山と特定し、また、役人が亭主を山へ連れていくのではなく、奉行所の松の木につるされているところを天狗にさらわれる設定です。

さらに、一度は助けようとした天狗が、同じように好奇心を起こして脅しにかかる点が東京の志ん生演出と異なるところです。

東京では志ん生没後は、長男の十代目金原亭馬生が継承しました。

現役では、柳家権太楼の音源があるくらいで、手掛ける演者はあまり多くないようです。「羽団扇」の方は、先代円歌と立川談志のCDがあります。

天狗が登場する落語や芝居

落語では上方のものがほとんどで、道中で松の木から小便をしたら、下の山賊が天狗と勘違いして逃げる「天狗山」、与太郎噺の「天狗風」、間抜け男が、すき焼きにしようと山へ天狗を捕まえに行く「天狗さし」、バレ噺の「天狗の鼻」(これだけは江戸)などがあります。

歌舞伎の天狗ものでは、執権・北条高時が天狗の乱舞に悩まされ、狂乱する黙阿弥作の『高塒』、近松門左衛門の原作で、隅田川の梅若伝説にお家騒動をからめ、これまた天狗の乱舞が売り物の『雙生(ふたご)隅田川』が現在もよく上演されます。

三方一両損 さんぽういちりょうぞん 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

柳原土手で金が拾った三両。ホントの意味はこういうことなんですね。

【あらすじ】

神田白壁町の長屋に住む左官の金太郎。

ある日、柳原の土手で、同じく神田堅大工町の大工・熊五郎名義の書きつけと印形、三両入った財布を拾ったので、さっそく家を訪ねて届ける。

ところが、偏屈で宵越しの金を持たない主義の熊五郎、
「印形と書きつけはもらっておくが、オレを嫌って勝手におさらばした金なんぞ、もうオレの物じゃねえから受けとるわけにはいかねえ、そのまま持って帰れ」
と言い張って聞かない。

「人が静かに言っているうちに持っていかないとためにならねえぞ」
と、親切心で届けてやったのを逆にすごむ始末なので、金太郎もカチンときて、大げんかになる。

騒ぎを聞きつけた熊五郎の大家が止めに入るが、かえってけんかが飛び火する。

熊が
「この逆蛍、店賃はちゃんと入れてるんだから、てめえなんぞにとやかく言われる筋合いはねえ」
と毒づいたから、大家はカンカン。

「こんな野郎はあたしが召し連れ訴えするから、今日のところはひとまず帰ってくれ」
と言うので、腹の虫が納まらないまま金太郎は長屋に引き上げ、これも大家に報告すると、こちらの大家も、
「向こうに先に訴えられたんじゃあ、てめえの顔は立ってもオレの顔が立たない」
と、急いで願書を書き、金太郎を連れてお恐れながらと奉行所へ。

これより名奉行、大岡越前守様のお裁きとあいなる。

お白州でそれぞれの言い分を聞いいたお奉行さま。

問題の金三両に一両を足し、金太郎には正直さへの、熊五郎には潔癖さへのそれぞれ褒美として、各々に二両下しおかれる。

金は、拾った金をそのまま取れば三両だから、都合一両の損。

熊も、届けられた金を受け取れば三両で、これも一両の損。

奉行も褒美に一両出したから一両の損。

したがって三方一両損で、これにて丸く納まるという、どちらも傷つかない名裁き。

二人はめでたく仲直りし、この後奉行の計らいで御膳が出る。

「これ、両人とも、いかに空腹でも、腹も身のうち。たんと食すなよ」
「へへっ、多かあ(大岡)食わねえ」
「たった一膳(=越前)」

【しりたい】

講談の落語化

文化年間(1804-18)から口演されていた古い噺です。講談の「大岡政談もの」の一部が落語に脚色されたもので、さらにさかのぼると、江戸初期に父子で名奉行とうたわれた板倉勝重(1545-1624)・重宗(1586-1656)の事蹟を集めた『板倉政要』中の「聖人公事の捌(さばき)」が原典です。

大岡政談

落語のお奉行さまは、たいてい大岡越前守と決まっていて、主な噺だけでも「大工調べ」「帯久」「五貫裁き」「小間物屋政談」「唐茄子屋政談」と、その出演作品はかなりの数です。

実際には、大岡忠相(おおおか・ただすけ、1677-1751)が江戸町奉行職にあった享保2年-元文元年(1717-36)に、自身で担当したおもな事件は白子屋事件くらいで、有名な天一坊事件ほか、講談などで語られる事件はほとんど、本人とはかかわりありません。

伝説だけが独り歩きし、講釈師や戯作者の手になった「大岡政談実録」などの写本から、百編近い虚構の逸話が流布。それがまた「大岡政談」となって講談や落語、歌舞伎に脚色されたわけです。

古い演出

明治の三代目春風亭柳枝は、このあとに「文七元結」を続ける連作速記で、全体を「江戸っ子」の題で演じています。

柳枝では、二人の当事者の名が、八丁堀岡崎町の畳屋・三郎兵衛と、神田江川町の建具屋・長八となっていて、時代も大岡政談に近づけて享保のころとしています。

また、長八が金を落としてがっかりするくだりを入れ、オチの部分を省くなど、現行とは少し異なります。

昭和に入って八代目三笑亭可楽が得意とし、その型が現在も踏襲されています。

召し連れ訴え

「大家といえば親も同然」と、落語の中でよく語られる通り、大家(家主)は、店子に対して絶対権力を持っていました。

町役として両御番所(南北江戸町奉行所)、大番屋などに顔が利いた大家が、店子の不正をお上に上書を添えて「お恐れながら」と訴え出るのが「召し連れ訴え」です。もちろん、この噺のように店子の代理人として、共々訴え出ることもありました。

十中八九はお取り上げになるし、そうなれば判決もクロと出たも同然ですから、芝居の髪結新三のようなしたたかな悪党でも、これには震え上ったものです。

あわびのし【鮑熨斗】演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

与太郎系噺。賢い女房が金をこさえる手立てにご祝儀をレバレッジする知恵。

【あらすじ】

ついでに生きているような、おめでたい男。

今日も仕事を怠けたので、銭が一銭もなく、飯が食えない。

空っ腹を抱えて、かみさんに「何か食わしてくれ」とせがむと、「おまんまが食いたかったら田中さんちで五十銭借りてきな」と言われる。いつ行っても貸してくれたためしがない家だが、かみさん「あたしからだってえば、貸してくれるから」

その通りになった。つまりは信用の問題。

所帯は全部、しっかり者のかみさんが切り盛りしているのを、みんな知っている。

借りた五十銭持って帰り「さあ飯を」と催促するとかみさん、「まだダメだよ」

今度は「この五十銭を持って魚屋で尾頭(おかしら)付きを買っておいで」と命じる。

今度大家のところの息子が嫁を迎えるので、そのお祝いだと言って尾頭付きを持って行けば、祝儀に一円くれるから、その金で米を買って飯を食わせてやる、と言うのだ。

ところが行ってみると鯛は五円するので、しかたがないから、あわび三杯、十銭まけてもらい、買って帰るとかみさん、渋い顔をしたが、まあ、この亭主の脳味噌では、と諦め、今度は口上を教える。

「こんちはいいお天気でございます。うけたまりますれば、お宅さまの若だんなさまにお嫁御さまがおいでになるそうで、おめでとうございます。いずれ長屋からつなぎ(長屋全体からの祝儀)がまいりますけれど、これはつなぎのほか(個人としての祝い)でございます」

長くて覚えられないので、かみさんの前で練習するが、どうしても若だんなをバカだんな、嫁御をおにょにょご、つなぎを津波と言ってしまう。

それでも「ちゃんと一円もらってこないと飯を食わせずに干し殺すよ」と脅かされ、極楽亭主、のこのこと出掛けていく。

大家に会うといきなりあわびをどさっと投げ出し「さあ、一円くれ」

早速、口上を始めたはいいが、案の定、バカだんなに、おにょにょご、津波を全部やってしまった。

腹を立てた大家、あわびは「磯のあわびの片思い」で縁起が悪いから、こんなものは受け取れないと突っ返す。

これでいよいよ干し殺しかとしょげていると、長屋の吉兵衛に出会ったので、これこれと話すと、吉兵衛「『あわびのどこが縁起が悪いんだ。おめえんとこに祝い物で、ノシが付いてくるだろう。そのノシを剥がして返すのか。あわびってものは、紀州鳥羽浦で海女が採るんだ。そのアワビを鮑のしにするには、仲のいい夫婦が一晩かかって作らなきゃできねえんだ。それを何だって受け取らねえんだ。ちきしょーめ、一円じゃ安い。五円よこせ』って尻をまくって言ってやれ」とアドバイス。

「尻まくれねえ」「なぜ?」「サルマタしてねえから」

そこで大家の家に引き返し、今度は言われた通り威勢よく、「一円じゃ安いや。五円よこせ五円。いやなら十円にまけてやる……ここで尻をまくるとこだけど、事情があってまくらねえ」

【しりたい】

五代目志ん生が得意に

原話は不詳。上方落語「鮑貝」を、おそらく明治中期に東京に移植したものです。これもまた、五代目志ん生の得意とした噺です。

古いオチは、大家が「丸い『の』の字ではなく、つえを突いたような形の『乃』の字があるが、あれはどういうわけだ?」と聞くと、ぼんくら亭主が「あれはアワビのおじいさんです」というもの。

大阪では、「生貝をひっくり返してみなはれ。裏はつえ突きのしの形になってある」となりますが、「つえ突きのし」という言葉が、戦後、わかりにくくなったので、志ん生が「サルマタしてねえ」という前のセリフを生かして、多少シモがかったオチに改めたのでしょう。

大阪では、さらに「カタカナの『シ』の字のしは?」と聞かれ、「あれは生貝がぼやいているところや」「アワビがぼやくかい」「アワビやさかい、ぼやく。ほかの貝なら、口を開きます」と落す場合がありますが、なんだか要領を得ません。

磯のアワビの片思い

アワビの貝殻が片面だけ、つまり巻貝なので、「片思い」と掛けた洒落です。それだけのことです。

昔は「現物」使用

熨斗(のし)は元来、「あわびのし」だけを指しました。というのも、昔は生のアワビの一片を方形の紙に包み、祝いののしにしたからで、婚礼の引き出物としてあわびのしを贈る習慣は16世紀ごろからあったそうです。

不祝儀の場合は、のしを付けないのが古くからの習わしでした。ただ、この噺で語られる通り、あわびのしは紀州特産で、生産量も少ないため、時代が下るにつれ、簡略なものとして「の」「乃」「のし」などと書いたものが代用されるようになったわけです。

現在では品物の包みに水引を掛け、その右肩に小さな黄色い紙を四角い紙で包んだのが本格で高級品。ただ、今はほとんどその形を印刷したもので済ますので、もうあの形が何を表すのか、ほとんど忘れられていますね。

「のしあわび」は酒の友

言葉がひっくり返って「あわびのし」が「のしあわび」になると、これは飲み助にはかっこうのツマミです。アワビは保存が利くものなので、婚礼などの吉例の場では料理にも使われますが、煮て干したものは固くてそのままでは食べられず、のして(伸ばして)柔らかくしたものが酒盛りの肴として珍重されました。ただし、生のアワビだけは犬の夕飯専用です。

【鮑熨斗 古今亭志ん生】