たらちね【垂乳根】落語演目

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【どんな?】

上方由来のおとしばなしの代表格。笑っちゃいますね。

別題:延陽伯(上方)

【あらすじ】

長屋でただ一人の独り者の八五郎のところに、大家が縁談を持ちかけてきた。 年は十九で、近所の医者の姪だという。 器量は十人並み以上、夏冬の着物もそろえているという、まことに結構な話。 結構すぎて眉唾なくらい。 「そんな女が、あっしのような男のところへ来るわけがない。なんか、疵でもあるんじゃないですか」 「ないと言いたいが、たった一つだけある」 もとは京の名家の出で、言葉が女房言葉。 馬鹿丁寧すぎてまるきりわからないという。 この間も、目に小石が入った時「ケサハドフウハゲシュウシテ、ショウシャガンニュウス」つまり「今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入す」と、のたもうたそうな。 そんなことはなんでもないと八五郎が承諾したので、その日のうちに祝言となった。 なるほど美人なので、八五郎は大喜びだが、いざ話す段になると、これが相当なもの。 名を聞くと 「そも我が父は京都の産にして姓は安藤名は慶三あざなを五光、母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴の夢を見てはらめるがゆえに、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしがそれは幼名、成長の後これを改め清女と申しはべるなぁりいー」 「ナアムミョウ、チーン、ご親類の方からご焼香を」 これではかみ合わない。 ネギが一文字草、米はしらげと、通訳がいるくらい。 朝起きれば起きたで 「アーラ、わが君、しらげのありかはいずこなりや」 頼むから、そのアーラワガキミてえのはやめてくれと言っているところへ、葱屋がやって来た。 「こーれ、門前に市をなすあきんど、一文字草を朝げのため買い求めるゆえ、門の敷居に控えておれ」 「へへへー」 ようやく味噌汁ができたが、 「アーラわが君。日も東天に出御ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るべう存じたてまつる、恐惶謹言」 「飯を食うのが恐惶謹言なら、酒ならよって(=酔って)くだんの如しか」

【しりたい】

女房言葉

宮中の女官が用いた言葉です。 代表的な女房言葉には、 かもじ =髪 いしいし =団子 おすもじ =寿司 あも =餅 うちまき =米 あか =小豆 こもじ =鯉 しゃもじ =杓子 ごふじょう(御不浄) =便所 おみおつけ(御御御つけ) =味噌汁 などがあります。 「しゃもじ」「おみおつけ」などは、すでにわれわれの日常語になってしまっているかんじですね。

たらちね

垂乳根と書き、「母」に掛かる枕詞です。父の枕詞は「たらちを(垂乳男)」です。

東西の演出

大阪の「延陽伯」が東京に移されたものです。 大阪では、女は武家娘という設定なので、漢語をやたらに使いますが、東京では京女ということで、女房ことばや京ことばを使うことになっています。

「せんにせんだんにあって」

明治27年(1884)4月の「百花園」誌上に掲載された四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)の速記では、女の珍言葉の部分がさらに長く、「天は梵天地は奈落比翼連理とどこまでも……」などとあります。 まったく解読不能なのが、「せんにせんだんにあって是を学ばざれば 金たらんと欲す」(原文通り、ふつうは「賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」とやるところ) というフレーズです。 「落ちこぼれ古典教師」さんが「正解」案を提供してくださいました。深謝。

続編「つる女」

大阪では、「つる女」という「たらちね」の後日談があります。 今はもう、誰も演じ手はないようですが。 なかなか言葉が普通にならない細君が、大家の夫婦喧嘩の仲裁に入り、「御内儀には白髪秋風になびかせたまう御身にて、嫉妬に狂乱したまうは、省みて恥ずかしゅうは思し召されずや。早々にお静まりあってしかるべく存じたてまつる」とケムに巻き、火を消します。 「どないして急にピタリと治まったんやろ?」 「つる(鶴女=東京の清女)の一声」

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うじこじゅう【氏子中】落語演目

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【どんな?】

短いバレ噺です。むふふ、ですね。類話に「町内の若い衆」があります。

【あらすじ】

与太郎が越後に商用に出かけ、帰ってきてみると、おかみさんのお美津の腹がポンポコリンのポテレン。

いかに頭に春霞たなびいている与太郎もこれには怒って
「やい、いくらオレのが長いからといって、越後から江戸まで届きゃあしねえ。男の名を言え」
と問い詰めても、お美津はシャアシャアと、
「これは、あたしを思うおまえさんの一念が通じて身ごもったんだ」
とか、果ては
「神田明神へ日参して『どうぞ子が授かりますように』とお願いして授かったんだから、いうなれば氏神さまの子だ」
とか、言い抜けをしてなかなか口を割らない。

そこで与太郎、親分に相談すると
「てめえの留守中に町内の若い奴らが入れ代わり立ち代わりお美津さんのところに出入りするようすなんで、注意はしていたが、四六時中番はできねえ。実は代わりの嫁さんはオレが用意していて、二十三、四で年増だが、実にいい女だ。子供が生まれた時、荒神さまのお神酒で胞衣を洗うと、必ずその胞衣に相手の情夫の紋が浮き出る。祝いの席で客の羽織の紋と照らし合わせりゃ、たちまち親父が知れるから、その場でお美津と赤ん坊をそいつに熨斗を付けてくれてやって、おまえは新しいかみさんとしっぽり。この野郎、運が向いてきやがったぁ」

さて、月満ちて出産、お七夜になって、いよいよ親分の言葉通り、間男の容疑者一同の前で胞衣を洗うことになった。

お美津は平気の平左。

シャクにさわった与太郎が胞衣を見ると、浮き出た文字が「神田明神」。
「そーれ、ごらんな」
「待て、まだ後に字がある」
というので、もう一度見ると
「氏子中」

底本:五代目古今亭志ん生

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【しりたい】

原話のコピーがざっくざく

現存最古の原話は正徳2年(1712)、江戸で刊行された笑話集『新話笑眉』中の「水中のためし」。

これは、不義の妊娠・出産をしたのが下女、胞衣を洗うのが盥の水というディテールの違いだけで、ほぼ現行の型ができています。

結果は字ではなく、紋がウジャウジャ現れ、「是はしたり(なんだ、こりゃァ!)、紋づくしじゃ」とオチています。

その後、半世紀たった宝暦12年(1762)刊の『軽口東方朔』巻二「一人娘懐妊」では、浮かぶのが「若者中」という文字になって、より現行に近くなりました。

「若者中」というのは神社の氏子の若者組、つまり青年部のこと。

以後、安永3年(1774)刊『豆談語』中の「氏子」、文政4年(1821)起筆の松浦静山(松浦清、1760-1841、九代目平戸藩藩主)の随筆集『甲子夜話』、天保年間刊『大寄噺尻馬二編』中の「どうらく娘」と続々コピーが現れ、バリエーションとしては文政2年(1819)刊『落噺恵方棚』中の「生れ子」もあります。

連名で寄付を募る奉加帳にひっかけ、産まれた赤子が「ホーガ、ホーガ」と産声をあげるという「考えオチ」。

いずれにしても、これだけコピーがやたら流布するということは、古今東西、みなさんよろしくやってるという証。

類話ははるか昔から、ユーラシアを中心に散らばっていることでしょう。

もめる筈 胞衣は狩場の 絵図のやう
                     (俳風柳多留四編、明和6年=1769刊)

荒神さまのお神酒

荒神さまは竈の守り神で、転じて家の守護神。

そのお神酒を掛ければ、というのは、家の平安を乱す女房の不倫を裁断するという意味ともとれます。

別に、女房が荒神さまを粗末にすれば下の病にかかるという俗説も。

胞衣の定紋の俗信は古くからあります。

と、これまでは記してきましたが、これではなんのことかわかりません。

改めて、最近の見解を記しておきます。

荒神は神仏混淆の日本の神です。経典には出てきません。

仏教やヒンズー教に由来を求める人もいますが、おおかたあやしい。

この神はつねになにかを同定しています。

その結果、なんでもありの神に。

各地方でもまちまちです。おおざっぱには、屋内の守り神、屋外の守り神の二つの存在が確認できます。

中国四国地方では屋外の神です。

屋敷の隅に祀って土地財産の守護を祈る、というような。

この地域の山村部では、スサノオを荒神と同定しています。

川の氾濫をヤマタノヲロチの暴威とすればスサノオが成敗してくれるだろう、という具合です。

スサノオは確かに荒ぶるイメージです。

荒神には、さまざまな暴威から守ってくれるという要素がつねに漂っています。

都市部の荒神となるとどうか。屋内の守り神となりました。

屋内の主な暴威は火事です。

荒神は火除けの神となりました。

時代が下ると、さまざまな災厄すべて引き受けることに。

なんでもありの総合保険的な神さまとなったのです。

神田明神

千代田区外神田二丁目。

江戸の総鎮守ですが、祭神はオオナムヂ(=大国主命)と平将門です。

オオナムヂは五穀豊穣を司る神なので、当然、元を正せば荒神さまとご親類。

明神は慶長8年(1603)、神田橋御門内の芝崎村から駿河台に移転、さらに元和2年(1616)、家康が没したその年に、現在の地に移されました。

噺が噺だけに

明治26年(1893)の初代三遊亭遊三(小島長重、1839-1914)の速記の後、さすがに速記はあっても演者の名がほとんど現れません。

類話の「町内の若い衆」の方が現在もよく演じられるのに対し、胞衣の俗信がわかりにくくなったためか、ほとんど口演されていません。

ただ、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)や十代目金原亭馬生(美濃部清、1928-82)は「氏子中」の題で「町内の若い衆」を演じていました。

【語の読みと注】
荒神さま こうじんさま
お神酒 おみき
胞衣 えな:胎児を包む膜
情夫 いろ
熨斗 のし
竈 へっつい:かまど

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