Categories: 落語演目

【首提灯】

くびぢょうちん

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【どんな?】

芝の辺で酔っぱらいの町人。
訛りの強い侍を侮った。
えいやあっ。あとは謡を鼻歌で。
サンピンめ。首が横にずれて。
ざらにない傑作です。

別題:上燗屋(上方)

★★

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【あらすじ】

芝山内しばさんない

追い剥ぎや辻斬りが毎日のように出没していた、幕末の頃。

これから品川遊廓に繰り込もうという、町人一人。

すでに相当きこしめしていると見え、千鳥足でここを通りかかった。

かなり金回りがいいようで、
「これからお大尽遊びだ」
と言いかけて口を押さえ
「……おい、ここはどこだい。おっそろしく寂しいところだ。……おや、芝の山内さんないだ。物騒な噂のある場所で、大金を持ってるのはまずかったかな……」

さすがに少し酔いが醒めた。

それでも空元気を出し、なんでも逆を言えば反対になるというので
「さあ、辻斬り出やがれ。追いぎ出ろい。出たら塩つけてかじっちまうぞ」
と、でかい声を張り上げる。

増上寺の四ツ(午後十時ごろ)の鐘がゴーン。

あたりは人っ子一人通らない。

「……おい、待て、おい……」

いきなり声をかけられて、
「ぶるっ、もう出たよ。何も頼んだからって、こうすみやかに出なくても……」

こわごわ提灯の灯をかざして顔を見上げると、背の高い侍。

「おじさん、何か用か」
「武士をとらえて、おじさんとはなにを申すか。……これより麻布の方へはどうめえるか、町人」

なまっていやがる……。

ただの道聞きだという安心で、田舎侍だからたいしたことはねえという侮り、脅かされたむかっ腹、それに半分残っていた酒の勢いも手伝った。

「どこィでも勝手にめえっちまえ、この丸太ん棒め。ぼこすり野郎、かんちょうれえ。なにィ? 教えられねえから、教えねえってんだ。変なツラするねえ。このモクゾー蟹。なんだ? 大小が目に入らぬかって? 二本差しが怖くて焼き豆腐は食えねえ。気のきいた鰻は五本も六本も刺してらあ。うぬァ試し斬りか。さあ斬りゃあがれ。斬って赤え血が出なかったら取りけえてやる。このスイカ野郎」

カッと痰をひっかけたから、侍の紋服にベチャッ。

刀の柄に手が掛かる、と見る間に
「えいやあっ」

……侍、刀を拭うと、謡をうたって遠ざかる。

男、
「サンピンめ、つらァ見やがれ」
と言いかけたが、声がおかしい。

歩くと首が横にずれてくる。

手をやると血糊ちのりがベッタリ。

「あッ、斬りゃあがった。ニカワでつけたら、もつかな。えれえことになっちゃった」

あわてて走っていくと、突き当たりが火事で大混雑。

とびの者に突き当たられて、男、自分の首をひょいと差し上げ、
「はい、ごめんよ、はい、ごめんよ」

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【しりたい】

原話と演者

安永3年(1774)刊の『軽口五色帋かるくちごしきかみ』中の「盗人ぬすっと頓智とんち」です。

忍び込んだ泥棒が首を斬られたのに気づかず、逃げて外へ出ると暗闇で、思わず首を提灯の代わりにかざします。

もともと小ばなしだったのを、明治期に四代目橘家円蔵(松本栄吉、1864-1922、品川の師匠)が、一席にまとめたものです。

円蔵から五代目三遊亭円生(村田源治、1884-1940、デブの)を経て、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)と八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、彦六)に伝わり、おのおのが得意としました。

五代目柳家小さん(小林盛夫、1915.1.2-2002.5.16)、三代目古今亭志ん朝(美濃部強次、1938.3.10-2001.10.1)も、きわだった特徴があってすばらしい出来です。

この噺はさまざまな潤色を付けやすいようで、多くの志ある噺家が自家薬籠中のものに仕上げています。

五街道雲助は七代目橘家円蔵(市川虎之助、1902-80、明舟町の)の構成を引き受けた型をこなしています。酔っ払いが首を斬られる前、屋台のおでん屋で悪酔を広げる前段を用意しています。

三遊亭歌武蔵は、似た噺の「胴斬り」を得意としています。

オチで、男が火事見舞いに駆けつけ、店先に「ヘイ、八五郎でございます」と自分の首を差し出すのは、三代目志ん朝がやっていました。

上方の「上燗屋じょうかんや

のみ屋で細かいのがなく、近くの古道具屋で仕込み杖を買って金をくずした男が、その夜入った泥棒を仕込み杖でためし斬り。

泥棒の首がコロコロ……という筋立て。

オチは同じです。

首なしで口をきくという、やや似たパターンの噺に「館林」「胴取り」があります。

芝の山内

品川遊郭からの帰り道だったため、幕末には辻斬り、追い剥ぎなどが、ひんぱんに出没しました。

「山内」とは寺の境内。ここでいう「山内」は、三縁山広度院増上寺さんえんざんこうどいんぞうじょうじのこと。「芝山内」とは、増上寺の境内、という意味です。

浄土宗鎮西派じょうどしゅうちんぜいはの大本山です。徳川将軍家の菩提寺ぼだいじ(祖先の墓、位牌を置く寺)。徳川家康は熱心な浄土宗の門徒でした。

三代家光の時代に、上野に東叡山寛永寺とうえいざんかんえいじを建て、こちらも将軍家の菩提寺と認定されました。天台宗の寺院です。比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの向こうを張ったわけです。家康と家光の墓は日光にあります。こちらの寺院は輪王寺りんのうじです。神仏習合しんぶつしゅうごうですが、いちおう天台宗です。寛永寺の系統の寺院です。

寛永寺のなにがすごいかといえば、その命名です。「東叡山」とは関東の比叡山という意味。寺号に元号を冠するのは当時の最高の寺院を意味します。

仁和寺、延暦寺、建仁寺、永観堂、建長寺、天龍寺。限られています。これらを「元号寺」と称します。

延暦寺も元号寺ですから、寛永寺は完全に比叡山延暦寺の向こうを張っているわけです。天海の悲願、いやいや執念といえるでしょう。

徳川将軍家は多重信仰の一族でした。徳川家は、多くの宗派のパトロン(後援者)をも兼ねていました。

なんといっても、江戸時代という時代ほど、日本国内の宗教者にとってらくちんな時代はありませんでした。毎年、幕府や藩などから禄(米=給料)をもらえるのですから。なにもしなくても生活できたわけです。

例外的に弾圧されたのは、キリスト教と日蓮宗不受不施派にちれんしゅうふじゅふせはだけでした。逆に言えば、弾圧された宗派はキリスト教だけではなかった、ということです。

武江年表ぶこうねんぴょう』の文久3年(1863)の項にも「此頃、浪士徘徊して辻斬り止まず。両国橋畔に其の輩の内、犯律のよしにて、二人の首級をかけて勇威を示せり。所々闘諍とうじょうありて穏ならず」とあります。

蔵前駕籠」の舞台となった蔵前通りあたりは、まだ人通りがありました。

幕末の芝山内は荒野も同然。こんな、ぶっそうな場所はなかったのでしょう。

江戸っ子の悪態解説

「ぼこすり野郎」の「ぼこすり」は蒲鉾用のすりこぎ。

「デクノボー」「大道臼おおどううす」などと同じく、体の大きい者をののしった言葉です。

「かんちょうれえ(らい)」は弱虫の意味ですが、語源は不明です。

この男もわかっていません。

「モクゾー蟹」は、藻屑蟹ともいい、ハサミに藻屑のような毛が生えている川蟹で、ジストマを媒介します。

要するに、「生きていても役に立たねえ、木ッ葉野郎めッ」くらいの意味でしょう。

サンピン

もとは、渡り中間ちゅうげんや若党をののしる言葉でした。のちには、もっぱら下級武士に対して使われました。

中間の一年間の収入が三両一分だからとも、三両と一人扶持ぶち(日割り計算で五合の玄米を支給)だったからとも、いわれます。「サン」は三、「ピン」は一のこと。

浅黄裏

諸藩の武士、つまり、田舎侍のこと。別に、「浅黄裏あさぎうら(着物の浅黄木綿の裏地から)」「武左ぶざ」「新五左しんござ」などとも呼びました。

「浅黄裏」は野暮の代名詞で通っています。「棒鱈」にも登場しました。

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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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