あおな
背伸びしても身にはつかない。
【どんな?】
お屋敷で聞きかじった隠しことばを
長屋に帰るや、まねしたくなった植木屋。
そこにやってきた熊さん相手にもう始めた。
慣れない女房が言い間違えてしまった。
さて、植木屋はどうした。
別題:弁慶
★★
【あらすじ】
初夏のある日、さるお屋敷で仕事をしていた植木屋。
ひと休みで、だんなから「酒は好きか」と聞かれる。もとより酒なら浴びるほうの口。
そこでごちそうになったのが、上方の柳影という酒だ。
じつはこれ、江戸では「直し」といわれる安酒の加工品。
なにも知らない植木屋は、暑気払いの冷や酒ですっかりいい心持ちになった上、鯉の洗いまでいただいてしまい、大喜び。
さらに。
「ときに、おまえさん、菜をおあがりかい」
「へい、大好物で」
ところが、次の間から奥さまが出てきて
「だんなさま、鞍馬山から牛若丸が出まして、名を九郎判官」
と妙な返事。
だんなもだんなで
「義経にしておきな」
これが、じつは洒落。
菜は食べてしまってなくなったから「菜は食らう(=九郎)」、「それならよしとけ(=義経)」というわけ。客に失礼がないための、隠しことば(隠語)だという。
植木屋、その風流ぶりにすっかり感心して、長屋に帰った。
女房に
「やい、これこれこういうわけだが、てめえなんざ、亭主のつらさえ見りゃ、イワシイワシってぇやがって……さすがはお屋敷の奥さまだ。同じ女ながら、こんな行儀のいいことはてめえにゃ言えめえ」
「言ってやるから、鯉の洗いを買ってみな」
もめているところへ、悪友の大工の熊五郎が来た。
「こいつぁ、いい実験台」とばかり、女房を無理やり次の間……はないから押し入れに押し込み、熊を相手に「たいそうご精がでるねえ」から始まって、ご隠居との会話をそっくり鸚鵡返し……しようとするが。
「青いものを通してくる風が、ひときわ心持ちがいいな」
「青いものって、向こうにゴミためがあるだけじゃねえか」
「あのゴミためを通してくる風が……」
「変なものが好きだな、てめえは」
「大阪の友人から届いた柳影だ。まあおあがり」
「ただの酒じゃねえか」
「さほど冷えてはおらんが」
「燗がしてあるじゃねえか」
「鯉の洗いをおあがり」
「イワシの塩焼きじゃねえか」
「時に植木屋さん、菜をおあがりかな」
「植木屋はてめえだ」
「菜はお好きかな」
「だいきれえ(大嫌い)だよ」
タダ酒をのんで、イワシまで食って、今さら嫌いはひどい。
「ここが肝心だから、頼むから食うと言ってくれ」
と泣きつかれた。
「しょうがねえ。食うよ」
「おーい、奥や」
待ってましたとばかり手をたたくと、押し入れから女房が転げ出し、
「だんなさま、鞍馬山から牛若丸が出まして、その名を九郎判官義経」
と、先を言っちまった。
植木屋は困って
「うーん、弁慶にしておけ」
底本:五代目柳家小さん
【しりたい】
もとは上方噺
三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が、上方(大阪と京都)から東京に移した噺です。その頃は「弁慶」の題で演じられていました。
原話とされるものは、安永7年(1778)刊『当世話』にあります。
菜といえば小松菜
東京(江戸)では主に「菜」といえば、一年中見られる小松菜をいいます。冬には菜漬けにします。この噺は初夏ですから、おひたしにでもして出すのでしょう。
値は三文と相場が決まっていました。
「青菜は男に見せるな」という諺がありました。これは、青菜は煮た場合、量が減るのでびっくりしないように亭主には見せるな、の意味です。なにやら、わかったようなわからないような解釈ですね。
柳影は夏の酒
柳影(柳蔭)とは、みりんとしょうちゅうを半分ずつ合わせ、まぜこんだものです。
江戸では「直し」「本直し」、京では「やなぎかげ」と呼びました。夏のもので、冷やして飲みます。暑気払いによいとされていました。
みりんが半分入っているので甘味が強く、酒好きには好まれません。夏の風物詩、年中行事のご祝儀ものとしての飲み物です。
これとは別に「直し酒」というのがあります。粗悪な酒や賞味期限を過ぎたような酒をまぜ、香りをつけてごまかしたものです。これも一般には「直し」と呼んでいたそうですから、あまり珍重されたものではなかったのでしょう。
要は、この噺は夏を感じさせるもの。
柳影は夏の飲み物で、冬の食べ物であった菜をを肴に欲するのですから、出てこないのはしょうがないことです。
イワシの塩焼き
鰯は江戸市民の食の王さまです。天保11年(1840)正月発行の『日用倹約料理仕方角力番付』では、魚類の部の西大関に「目ざしいわし」、前頭四枚目に「いわししほやき(塩焼き)」となっています。
鰯はとにかく値の安いものの代名詞でした。今ではちょっとした高級魚です。
隠語では、女房ことば(「垂乳根」参照)で「おほそ」。僧侶のことばでは、紫がかっているところから、紫衣からの連想で「大僧正」と呼ばれました。紫衣は高僧がよそおいます。
判官
源義経は源義朝の八男ですから、八郎と名乗るべきなのですが、おじさんの源為朝が鎮西八郎為朝と呼ばれることから、遠慮して「九郎」と称していたといわれています。
これは、「そういわれていた」ことが重要で、ならばこそ、後世の人々は「九郎判官義経」と呼ぶわけです。判官は「ほうがん」と呼びます。
それともうひとつ。
判官は、律令官制で、各官司(役所)に置かれた4階級の幹部職員の中の三番目の職位をいいます。4階級の幹部職員とは四等官制と呼ばれるものです。
上から、「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」と呼ばれました。これを役所ごとに表記する文字はさまざまです。表記の主な例は以下の通り。
| かみ | 長官 | 伯、卿、大夫、頭、正、尹、督、帥、守 |
| すけ | 次官 | 副、輔、亮、助、弼、佐、弐、介 |
| じょう | 判官 | 祐、丞、允、忠、尉、監、掾 |
| さかん | 主典 | 史、録、属、疏、志、典、目 |
この一覧の字づらを覚えておくとなにかと便利なのですが、それはともかく。
義経は、朝廷から検非違使の尉に任ぜられたことから、「九郎判官義経」と呼ばれるのです。もっとも、兄の頼朝の許可をもらうことなく受けてしまったため、兄からにらまれ始めて、彼らの絆にほころびが生じるきっかけともなりました。朝廷のおもわくは二人の仲を裂かせて弱体化させようとするところにありました。戦うことにしか関心がなくて政治の闇に疎い、武骨で好色な青年はいいカモだったのでしょう。まんまとハメられました。かたや、天皇制はこうやって生き延びてきたのですね。すごい。
「判官」は「はんがん」が普通の呼び方です。塩冶判官は「えんやはんがん」ですし。
ただ、検非違使の尉の職位を得た義経に関しては「ほうがん」と呼びます。検非違使の業界では「ほうがん」と呼んだらしいのです。検非違使とは都の警察機関です。
ちなみに、「ほうがんびいき」とは「判官贔屓」のこと。兄に討たれた義経の薄命を同情することから、弱者への同情や贔屓ぶりを言うわけです。
弁慶のココロは
この噺のオチ「弁慶」は、「考えオチ」というやつです。
義経たちの最後の戦いとなった「衣川の合戦」では、主君の義経を守るべく、武蔵坊弁慶は大長刀を杖にして、橋の上で立ったまま、壮絶な死を遂げました。
その故事から、「弁慶の立ち往生」ということばが生まれたのでした。「弁慶の立ち往生」とは、進むことも退くこともできず動けなくなることをいいます。
「うーん、弁慶にしておけ」は、この「立ち往生」の意味を利かせているのです。亭主が言うべきの「義経」を女房が先に言ってしまったので、亭主は困ってしまって立ち往生、という絵です。
『義経記』に描かれる弁慶立ち往生の故事がわかりづらくなったり、「途方にくれる、困る」という意味の「立ち往生」が死語化している現代では、説明なしには通じなくなっているかもしれませんね。
上方では、人におごられることを「弁慶」といいます。
これは、上方落語「舟弁慶」のオチにもなっています。この噺での「弁慶」には、その意味も加わっているのでしょう。
ところで。
弁慶は、『吾妻鏡』の中では「弁慶法師」と1回きりの登場だそうです。
まあ、鎌倉幕府の視点からはどうでもよい存在だったのでしょうか。負け組ですから。
それでも、主君を支える忠義な男、剛勇無双のスーパースターとしては、今でも最高の人気を得ています。
小さんの芸談
この噺は柳家の十八番といわれています。
ならば、芸談好きの代表格、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)の芸談を聴いてみましょう。弟子の柳家小里んが語ります。
植木屋が帰ったとき、「湯はいいや。飯にしよう」って言うでしょ。あそこは、「一日サボってきた」っていう気持ちの現れなんだそうです。「お客さんに分かる分からないは関係ない。話を演じる時、そういう気持ちを腹に入れておくことを、自分の中で大事にしろ」と言われましたね。だから、「湯はいいや。飯にしよう」みたいな言葉を、「無駄なセリフ」だと思っちゃいけない。無駄だといって刈り込んでったら、落語の科白はみんななくなっちゃう。そこを、「なんでこの科白が要るんだろうって考えなきゃいけない。落語はみんなそうだ」と師匠からは教えられました。
『五代目小さん芸語録』柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年
なるほど。芸のゆくえは底なしです。
「青菜」の演者
三代目小さんが持ってきた話ですから、四代目柳家小さん(大野菊松、1888-1947)も得意にしていました。
四代目から五代目に。柳家の噺家たちは「青菜」をよくやります。十代目柳家小三治(郡山剛蔵、1939.12.17-2021.10.7)も、もちろん引き継いでいました。文句なし。絶品でした。還暦を過ぎた頃からのが聴きごたえあります。
六代目春風亭柳橋(渡辺金太郎、1899-1979)も得意でした。この人らしく、だんな然としていました。この噺はだんなと植木屋の対比が際立つほどおもしろくなるわけで、その視点からすれば、六代目柳橋のふんぞりかえった描写は有効です。
【まとめると】
演者による違い
「青菜」は夏の定番です。演者の個性や伝承の系統、つまり、江戸(東京)や上方(大坂と京)によって、細かな演出やキャラクターの解釈に、なかなか興味深い違いがあらわれるものです。
その違いを見てみると、以下のようなものかと思われます。
舞台設定と演目の雰囲気
江戸(東京)では、一般的に、舞台を麻布の飯倉片町付近などの屋敷町に設定します。前半では、江戸っ子の植木屋と大店のだんな風の隠居の、軽妙なやり取りが中心です。
上方(大坂と京)では、舞台は船場の大きな商家などで、だんなのことば遣いもゆったりとした上品なことばになります。
演者ごとの演出とキャラクターの差
演者によって、登場人物の「知的な滑稽さ」や「ガサツさ」のバランスが変わります。
五代目 柳家小さんは、「十八番」としていたわけですから、植木屋が旦那の家で酒(柳影)や料理を楽しむ際の食いっぷりのよさ、幸せそうな表情の描写が絶品とされます。
古今亭志ん朝は、だんなと植木屋の身分の違いがありながらも、どこか通じ合っているような「江戸の粋」を強く感じさせる演出が特徴です。
柳家権太楼は、植木屋のキャラクターをよりエネルギッシュに、あるいは少しドタバタ感を強めて演じ、笑いの爆発力を高める傾向があります。
立川談志は、登場人物の心理描写を深く掘り下げ、単なる滑稽話に留まらない、人間の「業」や「おかしみ」を強調することがありました。
オチの微妙な違い
基本的なオチ(サゲ)は、植木屋の女房が押し入れから「鞍馬山から……」と返事をして、植木屋が「弁慶だ」と返す形ですが、演者によってはこのせりふ回しや間の取り方に、わずかながらも独自の工夫を凝らします。これはもう、聴いて、見てみないとなんとも。
登場する酒と肴
酒:多くの演者が「柳影(柳蔭)」という、みりんとしょうちゅうを混ぜた冷たい酒を登場させます。この酒の飲み方の描写(氷で冷やすようすなど)も、演者の腕の見せどころです。
この柳影は、東京では「やなぎかげ」と言っていますが、上方の噺家は「やないかげ」と言っています。訛っているわけで、それだけなじみがあるということでしょう。
肴は、鯉の洗い、青菜のお浸しなど。涼しさを演出する小道具の扱いに演者ごとの思いが出ます。
ある師匠は「だんなの優雅さ」を、別の師匠は「長屋の夫婦のほほえましさ」を強調するなど、聴き比べることで落語の奥深さを楽しめるというものです。
下におすすめの師匠を列記しましたので、「これだ」というのがあれば、その師匠の音源や動画を探して、「よく食べるなあ」や「女房との掛け合いのあわい」などを比べてみるのも、たのしみのひとつでしょうね。
おすすめの演者は
六代目春風亭柳橋
三代目春風亭柳好
十代目柳家小三治
三代目柳家権太楼
二代目桂枝雀
桂文珍
三代目桂文我