【赤城】
あかぎ
神楽坂上野通寺町の赤城明神社(赤城大明神)。現在の赤城神社です。新宿区赤城元町1-10。
牛込の鎮守。別当(神仏習合での管理者)は東覚寺(天台宗、廃寺?)で、祭神は上野国(群馬県)の赤城山の赤城明神と同じ神で、岩筒雄命(いわつつおのみこと)と、赤城姫命(あかぎひめみこと)。本地仏(神の本身)は将軍地蔵尊とか。ここは、明治以降は神社でいくことになりました。それで、赤城神社を名乗っています。
荻生徂徠(1666-1728)がこの門前で借家住まいしていた頃は、赤城先生と呼ばれていました。中国かぶれの徂徠は、牛込を唐風に「牛門」と呼んでいたとか。
赤城明神門前町と通寺町の行元寺門前町には、隠し売女(私娼窟)がいたそうで、彼女らを「山猫」と呼びました。両国回向院土手には金猫、銀猫と呼ばれた隠し売女がいたため、その関連で呼ばれていたのでしょう。山の手の猫といったイメージでしょうか。
赤城明神の隣には、常陸松岡藩(2.5万石、中山家)の上屋敷がありました。とはいえ、中山家は水戸藩の附け家老のため、江戸期には正式な藩としては扱われず、維新後の明治元年(1868)1月に立藩しました。中山家が公儀に立藩を申請しなかったのが原因。奥ゆかしい家だったのでしょうか。明治4年(1871)の廃藩置県で、松岡藩は松岡県となり、その年の11月には茨城県に編入されました。松岡藩は短命でした。


