【壷算】つぼさん 落語演目 あらすじ

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【どんな?】

この奇妙な計算!
頭がこんがらかってしまいます。
有名な上方噺です。

別題:壷算用(上方)

【あらすじ】

少し抜けた男、かみさんから、二荷入りの大きさの水がめを買ってこいと、命じられる。

一人では持てないし、おまえさんは人間が甘くて買い物が下手だから、兄貴分の源さんに一緒に行ってもらえと、これもかみさんのご指名なので、交渉役に頼んで、二人で出かけていく。

源さんはなかなかシタタカ。

足元を見られないことが買い物のコツというわけで、さっそく、おやじと戦闘開始。

なぜか、一荷入りの小さい方はいくらだと聞くと、勉強して二円五十銭。

じゃ勉強しないと……やっぱり二円五十銭。

同じじゃねえかと、一つ食らわして、今日はこの男に頼まれて来たんだから、言い値で買ったのでは申し訳が立たない、商人は損して得取れで、これから先、友達が瀬戸物を買う時にはきっとここへ連れてきて埋め合わせをするから、今日は二円に負けときねえ、負けてくれるな、ウン、と念押しまで一方的にしたから、おやじ、相手のペースにはまって、お買い物がお上手ですなあ、ようがす、となる。

「決まったよ。おい、金出しな」
「だって兄貴、一荷入りじゃ」
「いいから出しとけ。おい二円、ここに置くぜ」

さらには
「黙って担いでいな、そうすりゃ、この一荷入りが二荷入りに化けるから」
となにか企みがあるようで、左に曲がって左に曲がると、何のことはなく元の瀬戸物屋へ。

「おや、お忘れ物で」
「いやね、この野郎が間抜けだから、本当は二荷入りが欲しいんだとさ」

そこで再交渉。

二荷入りは倍値だから、本来五円だが、さっき一荷入りを二円に値切ったので、その倍の四円とさせた上で、狭い台所で二つあってもじゃまだから小さい方を元値で取ってくれと源さん、おやじが承知すると
「さっき、二円渡したな。で、この一荷入りの水がめを二円で取ってもらう。てえと、二円と二円で四円。それでもの二荷入り水がめ、もらってくぜ」

おやじ、なんだか変だと思ったが計算は合っているようなので、
「へい」
と答えてしまったが、どう考えてもおかしい。

「おいしっかりしなよ。算盤を持て。いいか、持ったらオレが渡した金二円、入れてみな。……取ってもらった一荷入りの水がめ、二円入れてみたら四円になるだろ」

当たり前で、いくらやっても四円。

客を閉め出し、腰を据えて何度計算しても四円。

しまいにおやじ、ベソをかいて、
「すいません、親方、前にお持ちになった一荷入りの水がめ、持って帰って下さいな」
「一荷入りはいらねえんだよ」
「その代わり、いただいたこの二円もお返ししますから」

底本:六代目三枡家小勝ほか

【しりたい】

タネ本は世界中に

清代の笑話集『笑林広記』古艶部の中の「取金」が役人と薬屋の話として、そっくり同じパターンで、これが一応、直接の原典とみられます。

寛延4年(1751)に京都で出版された、中国小ばなしを翻案した漢文体の笑話集「準訳開口新語」中にこの話がコピーされていますが、実はその四年前、延享4年(1747)刊の「軽口瓢金苗・上」中の「算用合ふて銭足らず」では、だます男が一人というだけであとは現行の噺とまったく同じ筋です。

中国のみならず、この手のサギばなしは、トルコの笑話「ナスレディン・ホジャ物語」を始め、世界中に流布しているようで、吉四六(きっちょむ)が登場する日本の頓智昔話「壺を買う」も同工異曲です。

何やらゴチャゴチャするようですが、要するに、古今東西民族を問わず、人間は繰り返し同じ悪事をたくらんでいるということですね。

本家は上方の噺

本来の題は「壺算用」で、ナニワの爆笑王・初代桂春団治のレコードも残されています。

壺算用は坪算用ともいい、大工が坪数を見積り損なうところから大阪で勘違いの意味。それが「壺」に誤用されたようです。

三代目三遊亭円馬によって東京に移植されたのは、明治末か大正初期で、そう遠い昔ではありません。

オチはオリジナルでは、「これは、どういう勘定だんね?」「これがほんまの壺算用や」というもので、東京でも古くはこれがそのまま踏襲されましたが、「壺算用」の意味が通じにくいので、六代目三升家小勝が現行のように改めました。

なお、大阪では、マクラ程度に短くやるときは詐欺男を一人にし、一席噺でコンビを出す場合は前半に、アホが瀬戸物屋で伏せてある壺を見て、口がないとひっくり返し、今度は「底が抜けた」と大騒ぎするドタバタを付けます。

憎めぬ「知能犯」

錯覚を利用して代金をごまかすパターンは「時そば」も同じですが、いずれも、ますます巧妙、あくらつと化した現代の「振り込め詐欺」などと比べると、本当に他愛なく、かわいいものです。

悪事には違いありませんが、貧しかった時代、こうしたシタタカさも、庶民のせいいっぱいの「生活防衛」の知恵だったのかもしれません。

とにかく、いくら昔でも、こすからい商人をだますわけですから、しゃべりをテンポよく、とんとんと運ばなければ話になりません。その意味で、けっこう腕がいる、難しい噺でしょう。



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