【弥次郎】やじろう 落語演目 あらすじ

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【どんな?】

日本にもいた、ほら吹き男。
抱腹絶倒、痛快無比、冒険譚!

別題:うそつき弥次郎 革袋 日高川

あらすじ

うそつき弥次郎と異名をとるホラ吹き男。

久しぶりに隠居の家にやってくると、さっそく吹き始めた。

一年ばかり北海道に行っていたが、あまり寒いので、あちらでは凍ったお茶をかじっている。

雨も凍って降るので、一本二本と数え、雨払いの棒を持って外出する。

「おはよう」の挨拶まで凍って、それを一本いくらで買い、溶かして旅館の目覚まし用に使う……。

次から次に言いたい放題。

火事が凍ったのを見て、見世物にしようと買い取り、牛方と牛五、六頭を雇って運ばせ、奥州南部へ。

山中で火事が溶け、牛が丸焼け。

水をかけても消えないから、これが本当の焼け牛に水。

牛方が怒って追いかけてくるので、あわてて逃げ出し、気がつくととっぷり日が暮れ、灯が見えたので近づくと山賊の隠れ家。

山賊と大立ち回りになり、三間四方の大岩を小脇に抱え……。

「おい、三間四方の岩が、小脇に抱えられるかい」
「まん中がくびれたひょうたん岩」
「ふざけちゃいけない」

岩をちぎっては投げ。

「岩がちぎれるかい」
「できたてで柔らかい」

山賊を追っ払って、安心して眠りこけると山鳴りのような音。

目を覚ましてみると大猪。

逃げ出して杉の木にかけ登ると、先客がいて、これが天狗。

上に天狗、下に猪で、進退極まった。

猪が鼻面で木の根を掘りはじめ、グラグラ揺れる。

そこで、ヒラリと猪の背中に飛び下りた。

振り落とそうと跳ね回るので、股ぐらをさぐると、大きな金玉。

押しいただいてギュッと握りつぶすと引っくり返ったので、止めを刺そうと腹を裂くと、中から子猪が十六匹。

シシの十六。

「ばかばかしいや。おまえ、どこを握って殺した」
「金玉で」
「金玉ならオスだろう。オスの腹から子供が出るかい」
「そこが畜生の浅ましさ」
「冗談言っちゃいけねえ」

すると、松明をかざした四、五十人の男に取り巻かれ、連れていかれたのが庄屋の家。

よくぞ悪猪を退治してくださったと、下にも置かぬ大歓迎。

いい気持ちで寝ていると、庄屋の娘が言い寄ってくる。

めんどうくさいので逃げ出して、いつしか南部から紀州の白浜へ一足飛び。

船頭に祝儀をやって渡してもらい、若い娘が来ても渡さないように頼むと、道成寺という荒れ寺に飛び込み、台所の水瓶の中でブルブル震えていた。

娘は、さては別に女がいるかと、嫉妬で後を追いかけ、たちまち日高川の渡し場。

船頭は買収されているからいくら頼んでも渡さない。

娘はザンブと水に飛び込み、二十尋(ひろ)の大蛇といいたいが、不景気だから一尺五寸の蛇に変身。

道成寺にたどり着き、この水瓶が怪しいと、周りをグルグルと七巻き半。

「一尺五寸の蛇が、大きな水がめを七巻き半巻けるかい」
「それが伸びた」
「飴細工だね」
「ところが、しばらくたつと、その蛇が溶けちまった」
「どういうわけで?」
「寺男が無精で掃除をしないから、ナメクジが水瓶の底に張りついていた」
「虫拳だね」
「その時、中啓を持ってスッと立ったなりは、実にいい男」
「弥次さん、おまえさん、武士だったのかい」
「いえ、安珍という山伏で」
「道理で、ホラを吹きっぱなしだ」

底本:六代目三遊亭円生、四代目橘家円喬

しりたい

道成寺伝説のパロディー

弥次郎が逃げ込む道成寺は、和歌山県日高郡にある古刹で、天音山道成寺といいます。

大宝元年(701)、文武天皇の勅願で紀道成が創建したことから、この名があります。

名高い道成寺伝説は、延長6年(928)、奥州の僧安珍が、熊野参詣の途中、紀伊国の真砂庄司清次の家に泊まり、その娘清姫に言い寄られます。

夫婦約束までしながら逃げ出したので、嫉妬が高じ、清姫が大蛇となって後を追います。

安珍は道成寺に逃げ込んで鐘の中に隠れますが、大蛇が鐘を七巻半巻くと火が出て、安珍は鐘の中で白骨になったというものです。

これが能の「道成寺」や歌舞伎舞踊の「京鹿子娘道成寺」に脚色されました。

噺の後半は、完全にその伝説のパロディーです。

小ばなしの寄せ集め

どの箇所でも切れるので、前座噺としても重宝で、現在でもよく演じられています。

安永2年(1773)刊の笑話本『口拍子』中の「角力取」ほか、多数の小ばなしを継ぎはぎしてできたものです。

歴代巨匠がくすぐり工夫

古くは、明治期の三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が、前半の北海道のくだりなどを創作したといわれます。

当時、北海道は開拓の緒についたばかりで、新開地として、たいへんなブームだったのです。

四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)のものは、天狗につかまって空中旅行するくだりがあり、その後、改めて十九のときに武者修行の旅に出たという設定で、山賊の部分につなげています。

いずれにしても、武士だったということをどこかで言っておかないと、最後の隠居の問いがわかりにくくなりますね。

先の大戦後では、六代目円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)が意外なほど多く演じました。

三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)、六代目三升家小勝(吉田邦重、1908-1971、右女助の、糀谷の)なども、それぞれくすぐりを加えて演じました。

ふつう、長くなるので猪のくだりの「そこが畜生の浅ましさ」で切ることが多いようです。

類話「うそつき村」

同趣向のホラ噺に、千のうち三つしか本当のことを言わないので神田の千三ツと異名を取った男が、子供とホラ合戦をして負ける「嘘つき村」があります。

三代目三遊亭小円朝(芳村幸太郎、1892-1973)は、「弥次郎」とつなげて演じました。

うそつき弥次郎

古い江戸ことばで、そのまま、うそつきやホラ吹きへの囃し文句です。

「うそつき弥次郎、藪の中で屁をひった」と続けます。

人前でうそをつく者は、隠れて陰でも(「藪の中で」)悪事をするという意味で、子供たちがうそをついた仲間をからかい、囃したてて唱和しました。



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