【三人無筆】さんにんむひつ 落語演目 あらすじ
【どんな?】
柳派の噺。いまとまっては時流にはなじまないかもしれませんね。
別題:帳場無筆 無筆の帳付け 向こう付け(上方)
【あらすじ】
お出入り先の伊勢屋の隠居が死んだ。
弔いの帳付けを頼まれたのが熊五郎と源兵衛の二人。
熊は字が書けないので、恥をかくのは嫌だから、どう切り抜けようかとかみさんに相談すると、
「朝早く、源さんよりも先に寺に行って、全部雑用を済ましておき、その代わり書く方はみんな源さんに押しつけちまえばいい」
と言う。
「なるほど」
と思って、言われた通り夜が明けるか明けないかのうちに寺に着いてみると、なんと、源さんがもう先に来ていて、熊さんがするつもりだった通りの雑用を一切合切片づけていた。
源さんも同じ無筆で、しかも同じことをかみさんに耳打ちされてきたわけ。
お互い役に立たないとわかってがっかりするが、しかたがないので二人で示し合わせ、隠居の遺言だからこの弔いは銘々付けと決まっていると、仏に責任をおっかぶせてすまし込む。
ところが、おいおい無筆の連中が悔やみに来だすと、ごまかしがきかなくなってきた。
困っていると地獄に仏、横町の手習いの師匠がやってきた。
こっそりわけを話して頼み込み、記帳を全部やってもらって、ヤレヤレ一件落着、と、後片付けを始めたら、遅刻した八五郎が息せききって飛び込んでくる。
悪いところへ悪い男が現れたもので、これも無筆。
頼みのお師匠さんは、帰ってしまって、もういない。
隠居の遺言で銘々付けだと言ったところで、相手が無筆ではどうしようもない。
三人で頭を抱えていると、源さんが
「そうだ。熊さん、おまえさんが弔いに来なかったことにしとこう」
【うんちく】
無筆が無筆を笑う 【RIZAP COOK】
オチの部分の原話は、明和9(=安永元、1772)年刊『鹿の子餅』中の「無筆」。弔問に来た武士と取り次ぎの会話となっています。
原型はそれ以前からあり、元禄14(1701)年刊『百登瓢箪』巻二中の「無筆の口上」では、客と取り次ぎの両方が無筆、というお笑いはそのままで、客がしかたなく印だけ押して帰るオチになっています。
この元禄年間(1688-1704)あたりから、無筆を笑う小咄は無数にでき、落語も「無筆の医者」「無筆の女房」「無筆の親」「無筆の犬」「按七」「無筆の下女」「手紙無筆」「無筆のめめず」など、やたらに作られました。
江戸中期の享保年間(1716-36)あたりから寺子屋が普及、幕末には、日本人の識字率は70%を超えたといわれ、当時の世界最高標準でしたが、それでも三割近くは無筆。
19世紀前後では、寄席に来る客の3~4割が無筆という割合で、「無筆が無筆の噺に笑っていた」ことになります。現代なら人権問題に及びそうですが、なんとも大らかな時代ではありました。
柳派に伝わる噺 【RIZAP COOK】
明治28年(1895)11月、雑誌『百花園』掲載の三代目柳家小さんの速記があります。
無筆の小咄は遠く元禄年間まで溯るので、この噺も相当古くから口演されていたものと思われます。
小さん代々に継承される柳派系統の噺で、五代目小さんの音源もありますが、現在は無筆がほぼ皆無となり、だんだん理解されなくなる運命でしょう。
戦後では八代目春風亭柳枝(1959年没)が得意とし、柳枝は記帳する名に、噺家仲間の本名を使っていました。
もとは柳枝門下だった三遊亭円窓が、独自の工夫で持ちネタにしています。
円窓のオチは、「そんなことをしたらだんなに申し訳がねえ」「いや、かまいません。ホトケの遺言にしときます」というもの。
落語に多い「三」 【RIZAP COOK】
落語の世界で「三」は大きな要素です。
「三」のつく噺は、現在すたれたものを含め、「三人旅」「三人絵師」「三人息子」「三人癖」「三人ばか」「三人娘」「三方一両損」「三拍子」「三枚起請」「三軒長屋」……。まだまだあります。
仏教に「三界」という言葉があり、これは過去・現在・未来の三世のこと。全宇宙は「三千世界」。仏教の三宝は仏・法・僧で、長屋も三軒間口で三畳。
この噺に見られるように「三人寄れば文殊の知恵」となるパターンが落語に多いのは、「三」が最も安定した状態という、仏教哲学が深奥に潜んでいるのではないでしょうか。
そもそも世界も「天地人」からなります。
【語の読みと注】
帳付け ちょうづけ:参列者の記帳
銘々付け めいめいづけ:自分で名前を書く