さいぎょう【西行】落語演目



  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

佐藤義清がお堂で内侍と逢い引き
歌の応酬で打ち解けた。
義「またの逢瀬」 内「阿漕」。
義清は意味わからず。西行となって歌道行脚に。
バレ噺、いや、デタラメ噺です。

別題:恋の歌法師

【あらすじ】

遍歴の歌人として名高い西行法師。

身分が違うから、打ち明けることもできず悶々としているうちに、このことが内侍のお耳に達した。

内侍は気の毒におぼしめして、佐藤義清さとうのりきよあてに御文おふみをしたためて、三銭切手を張ってポストに入れてくれた。

西行、その頃は、佐藤兵衛尉ひょうえのじょう義清という禁裏きんり警護の北面武士ほくめんのぶしだった。

染殿内侍そめどののないしが南禅寺にご参詣あそばされた際、菜の花畑に蝶が舞っているのをご覧あって、
「蝶(=丁)なれば二つか四つも舞うべきに一つ舞うとはこれは半なり」
と詠まれたのに対し、義清が
「一羽にて千鳥といえる名もあれば一つ舞うとも蝶は蝶なり」
と御返歌したてまつったのがきっかけで、絶世の美女、染殿内侍に恋わずらい。

「佐藤さん、郵便」
というので、何事ならんと義清が見ると、夢にまで見た内侍の御文。

喜んで開けてみると、隠し文(暗号)らしく、
「この世にては逢わず、あの世にても逢わず、三世過ぎて後、天に花咲き地に実り、人間絶えし後、西方弥陀の浄土で我を待つべし、あなかしこ」
とある。

「はて、この意味は」
と思いめぐらしたが、さすがに義清、たちまち謎を解く。

この世にては逢わずというから、今夜は逢えないということ、あの世は明の夜だから明日の晩もダメ。

三世過ぎて後だから四日目の晩、天に花咲きだから、星の出る項。

地に実は、草木も露を含んだ深夜。

人間絶えし後は丑三うしみツ時。

西方浄土さいほうじょうどは、西の方角にある阿弥陀堂あみだどうで待っていろということだろう、と気づいた。

ところが義清、待ちくたびれて、ついまどろんでしまう。

そこへ内侍が現れ
「我なればとり鳴くまでも待つべきに思わねばこそまどろみにけり」
と詠んで帰ろうとしたとたんに義清、あやうく目を覚まし、
よいは待ち夜中は恨みあかつきは夢にや見んとしばしまどろむ」
と返した。

これで内侍の機嫌が直り、夜明けまで逢瀬を重ねた。

翌朝、別れる時に義清が、
「またの逢瀬おうせは」
と尋ねると内侍は
阿漕あこぎであろう」
と袖を払ってお帰り。

さあ義清、阿漕という言葉の意味がどうしてもわからない。

歌道かどうをもって少しは人に知られた自分が、歌の言葉がわからないとは残念至極と、一念発起いちねんほっきして武門を捨て歌の修行に出ようと、その場で髪をおろして西行と改名。

諸国修行の道すがら、伊勢いせの国で木陰に腰を下ろしていると、向こうから来た馬子まごが、
「ハイハイドーッ。さんざん前宿まえやどで食らいやアがって。本当にワレがような阿漕な奴はねえぞ」

これを聞いた西行、はっと思って馬子にその意味を尋ねると、
「ナニ、この馬でがす。前の宿揚で豆を食らっておきながら、まだ二宿も行かねえのにまた食いたがるだ」
「あ、してみると、二度目の時が阿漕かしらん」

【しりたい】

阿漕

阿漕とは、
伊勢の海 阿漕ヶ浦に ひく網も 度重なれば 人もこそ知れ
という「古今六帖こきんろくじょう」の古歌こかから。

阿漕ヶ浦に網を引くのを何度も繰り返していると他人に知られてしまうことよ、という意味。

「阿漕」は当初、「たびかさなる」という意味で使われていました。

「阿漕ヶ浦に引く網」も、やがては熟してことわざの仲間入りをして、「隠しごともたび重なると人に知られる」ということのたとえに使われるようになりました。

江戸時代に入ると転じて、「強欲、あつかましい、際限なくむさぼる」の意味に変わりました。

阿漕ヶ浦は、今の三重県津市南部の海岸にあります。

伊勢神宮に供える魚を捕るため、一般には禁漁地でした。

病気の母を思った平次なる男が、禁断を犯して魚を取ったため、簀巻すまきにされたという伝説が残りました。

ここから古浄瑠璃『あこぎの平次』、人形浄瑠璃『田村麿鈴鹿合戦たむらまろすずかがっせん』(勢州阿漕浦せいしゅうあこぎがうら)などがつくられました。

先行作品には、能『阿漕』や御伽草子おとぎぞうし『阿漕の草子』があります。

ただ、これらには「平次」の名はありません。

「阿漕」は歌枕うたまくらとして残りました。

過去に何度も歌われた結果、言葉のイメージを誰もが抱くようになったものを、歌枕と呼びます。

染殿内侍

内侍は、禁断の恋も、しつこいのはお互いに身の破滅よ、と歌によそえて、ぴしゃりと言い渡したわけです。

馬子は、だから歌を介して発生した「アコギ=欲深でしつこい」という語意で、馬を罵っているのです。

西行先生は、「豆」が女陰の隠語ということだけが頭に浮かんで、
「二回もさせたげたのに、未練な男ね」
と怒ったのかと、即物的な解釈をしたわけです。

このあたりが落語の機微です。

歌をひねくりまわしているうちに、いつの間にかエロ噺と化しているのですね。

下半身ネタといえども、大らかなウィットの衣で包み込むセンス。

なるほど。見習いたいものです。

染殿内侍という女性が実在したのかどうは、はっきりしません。

染殿内侍が登場する『大和物語やまとものがたり』や『伊勢物語いせものがたり』から察すれば、在原業平ありわらのなりひらと同時代の人、つまり、9世紀の人ということになるでしょう。

永久6年(=元永元年、1118)生まれの西行とは300歳ほども「年上」となります。

南禅寺が出てくるのも奇異でして、この噺はでたらめが過ぎます。

西行は12世紀の人、染殿内侍は9世紀の人、南禅寺は13世紀の創建で、ひどくちぐはぐです。

落語ですし、バレ噺ですし、「でたらめだ」と目くじら立てるほどのことでもありますまい。

それでも、染殿内侍なんていう女性が取り上げられること、ネットではめったにないようですから、ここではわかる範囲で記しておきましょう。

在原業平には三人の息子がいた、とされています。

三男滋春しげはるの母親が染殿内侍だとされています。

これは『伊勢物語』の冷泉家れいぜいけ流古注本に記されています。

文芸や芸能史の世界では、事実かどうかよりも、そういうふうに認識されて後世に伝わっていることのほうが、大切なのです。

少なくとも、江戸時代の人はこのように認識していたわけですから、ここのところを読み解かなくては、噺の真意には近づけません。

染殿内侍は、在原業平と契った女性ということになります。

これこそ、染殿内侍がこの噺に登場できることになった前提条件でしょう。

染殿というのは、藤原良房ふじわらのよしふさの邸宅をさします。

京の都は、「一条大路の南、正親町小路おおぎまちこうじの北、京極大路の西、富小路とみのこうじの東」のあたりにあったそうです。

良房は、臣下しんかとしては初の太政大臣だいじょうだいじん摂政せっしょうとなり、藤原北家ふじわらほっけ繁栄のきっかけを作った人です。

染殿大臣そめどののおとどなどと呼ばれていました。

その娘の明子めいし文徳もんとく天皇に入内じゅだいして、のちの清和せいわ天皇を生みました。

明子は染殿后そめどののきさきと呼ばれていました。

染殿后は美麗であったそうです。

『今昔物語集』には、后の美しさに迷った聖人が天狗(あるいは鬼)となって后を悩ます、という話が載っています。

内侍というのは、宮廷の奥、後宮で天皇に付き従って働く女官のこと。

染殿内侍とは、染殿后に付き従った女官をさします。

ただ、内侍という職階は、もとは斎宮寮さいぐうりょうでの仕事をつかさどっていたんだそうです。

斎宮とは伊勢神宮に奉仕する皇室ゆかりの女性で、天皇の名代みょうだいです。

内侍と伊勢神宮とはかかわりが深かったようです。

隠者いんじゃの歌詠み」として後世に名を残した西行。

その大先輩が在原業平といえるでしょう。

「むかし男ありけり、その男、身をようなきものに思いなし」で始まり、都から遠のいて流浪する男の物語です。

業平とおぼしき男が主人公として描かれた『伊勢物語』(10世紀頃)は、『源氏物語』(11世紀初頭)が登場するまで、貴族の間では最高の教養文芸でした。

業平も染殿内侍も、宮廷人の中ではよく知られた存在だったのですね。

流浪るろうする業平は隠者の草分けでもあり、色好みの雄でもありました。

聖と俗を両有しているのですね。

その業平の思い人の一人が染殿内侍です。

これはすごい。

業平がジェームス・ボンド役のショーン・コネリーだとしたら、染殿内侍はアーシュラ・アンドレス(「ドクターノオ」の)か、あるいは、若林映子わかばやしあきこさん(「007は二度死ぬ」の)といったところでしょうか。

あるいは、業平は『古今和歌集』のスーパースターですから、『新古今和歌集』のスーパースター西行とからむには十分な好敵手ともいえるでしょう。

西行の存在

西行は『新古今和歌集』に94首が載っています。

残した歌は約2300首。

歌人の最高峰です。

江戸時代は百人一首が人々の教養だったのですから、西行も染殿内侍(百人一首には入ってはいませんが)も、江戸の人々にはおなじみさんだったのですね。

この噺、時代感覚はでたらめですが、噺の中の歌も同様にでたらめです。

みんなが知っている教養をさかなに笑う、という趣向だったのでしょう。

西行は、時代を経るごとにその存在感がどんどんスーパースター化していきました。

源頼朝から拝領した銀の猫を門外で遊ぶ子供にあげてしまったり(無欲潔癖)、院の女房や江口の遊女と歌を詠み交わしたり(数奇者)といった逸話が書き残されていきます。 『西行物語』と『選集抄せんじゅうしょう』がその双璧そうへきです。

さらに、連歌師の理想像とされ、その精神を引き継いだ芭蕉にいたっては隠者の最高位の認定を与えています。

江戸時代の西行評価は、隠者文学の最高峰、わびさび文化の体現者、歌詠みとしては柿本人麻呂と双璧です。

蓑笠みのがさをつけた西行の図は多くの文人画や浮世絵の題材となりました。

そんな逸話の一つ。 西行が伊勢神宮を詣でた際には、仏教者であるため付けびん姿で、つまり俗人のなりで参宮さんぐうしたといわれています。

なにごとの おはしますをば しらねども かたじけなさに なみだこぼるる

存疑の歌といわれています。

見えない神さまに接して落涙するというもの。

われわれが神社におまいりするときに感じる思いの延長線にあるようです。

伊勢では二見浦ふたみがうらいおりを結び、地元の神職者荒木田あらきだ氏と交わったそうです。

と、このように記していって、見えてくるものがありました。

西行、伊勢、和歌、女性、浦……。

江戸人が抱く西行のイメージ。

そのすべてを込めたものがこの噺「西行」なのではないでしょうか。

登場する時代も歌もでたらめですが、その自在闊達じざいかったつ融通無碍ゆうづうむげな雰囲気が、いかにも江戸人の西行像なのでしょう。

西行は、江戸人どころか、その後の日本人もが理解し得る人として形成されていきました。

寺院や宗派を超えて(高野山の、真言宗の僧侶ではありましたが)受容され、世俗に理解された日本的な仏道者で、日本人の人生観や美意識を表現してくれた人だったのではないでしょうか。

この噺、「柳亭痴楽はイイオトコ」の柳亭痴楽がたまに演じていました。

いまや、どうでもよいことですね。

参考文献:木戸久二子「染殿内侍をめぐって?『大和』から『伊勢』古注、そして『古今』注へ」(三重大学日本語学文学12号、2001年6月)

史実がらみの噺

二村文人ふたむらふみと氏といえば、現在は富山大学の教授です。

二村氏が城北埼玉高校の教諭だった頃に、「落語と俗伝」という小論を『國語と國文学』(東京大学国語国文学会、1985年11月特集号)に発表しています。

これが、なかなか刺激的な内容なのです。

まず、二村氏は、落語を6種類に分類して、そこから抜け落ちてしまう噺があることを指摘します。

それが、史実を扱った噺。

史実とはいっても、しょせんは落語ですから、俗伝であり通俗史をもとにした噺にすぎません。

具体的にはどんな噺のことのでしょうか。

二村氏は、この小論で「朝友」「西行」「お血脈」「紀州」を例示しています。

なるほど。

そこで、「西行」。

二村氏は「西行は落語になっても、芭蕉は落語にならない」と指摘します。

なぜなのでしょう。

二村氏によれば、以下の二点が、歴史上の人物が落語に採用される条件である、としています。

(1) その人物の伝説化が進行していること。
(2) 伝記に謎の部分をもっていること。

西行の足跡にはわからない部分が多いけど芭蕉にはあまりない、と言いたいのでしょうか。

たしかに、現在でも、芭蕉の研究者は圧倒的に多く、西行のほうはたいしたことありません。

ただ、地方に行けば、芭蕉のあやしげな伝説もちらほら見えたりします。芭蕉が明らかに行ってもいないところに、芭蕉の句碑があったりとか。

そんな地方では芭蕉の伝説化も静かに進行しているでしょうし、謎の部分(忍者説とか水道工事監督時代とか)もないことはないでしょう。

二村氏の説が妥当かどうか、それはもう少し咀嚼そしゃくしたいところですが、この一文、刺激にあふれています。

だって、落語の評論でそんなところをほじくる人はいませんでしたし、いまも現れていません。

この二村論文を起爆剤に、われわれも少し考えてみたいところです。それにしても1985年の論文ですから、斯界の研究はすでに進んでいるのかもしれませんが。いやあ、どうかなあ。

ことばよみいみ
染殿内侍そめどののないし
佐藤義清さとうのりきよ西行のこと
阿漕あこぎ阿漕ヶ浦
藤原良房 ふじわらのよしふさ
正親町小路おおぎまちこうじ
染殿大臣そめどののおとど
明子あきらけこ、あきらけいこ
入内じゅだい嫁ぐ
染殿后 そめどののきさき



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評価 :1/3。

ねずみあな【鼠穴】落語演目




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【どんな?】

金にまつわる壮大、シリアスな人間ドラマ、と思いきや……。

【あらすじ】

酒と女に身を持ち崩した、百姓の竹次郎。

おやじに譲られた田地田畑も、みんな人手に渡った。

しかたなく、江戸へ出て商売で成功している兄のところへ尋ねた。

奉公させてくれと頼むが、兄はそれより自分で商売してみろと励まし、元手を貸してくれる。

竹次郎は喜び、帰り道で包みを開くと、たったの三文。

馬鹿にしやがって、と頭に血が昇った。

ふと気が変わった。

地べたを掘っても三文は出てこない、と思い直した。

これで藁のさんだらぼっちを買い集め、ほどいて小銭をくくる「さし」をこしらえ、売りさばいた金で空俵を買って草鞋わらじを作る、という具合に一心不乱に働く。

その甲斐あって二年半で十両ため、女房も貰って女の子もでき、ついに十年後には深川蛤町はまぐりちょうに蔵が三戸前みとまえある立派な店の主人におさまった。

ある風の強い日、番頭に火が出たら必ず蔵の目塗りをするように言いつけ、竹次郎が出かけたのはあの兄の店。

十年前に借りた三文と、別に「利息」として二両を返し、礼を述べると、兄は喜んで酒を出し、
「あの時におまえに五両、十両の金を貸すのはわけなかったが、そうすれば景気付けに酒をのんでしまいかねない。だからわざと三文貸し、それを一分にでもしてきたら、今度は五十両でも貸してやろうと思った」
と、本心を語る。

「さぞ恨んだだろうが勘弁しろ」
と詫びられたので、竹次郎も泣いて感謝する。

店のことが心配になり、帰ろうとすると兄は、
「積もる話をしたいから泊まっていけ。もしおめえの家が焼けたら、自分の身代を全部譲ってやる」
とまで言ってくれたので、竹次郎も言葉に甘えることにした。

深夜半鐘が鳴り、蛤町方向が火事という知らせ。

竹次郎がかけつけるとすでに遅く、蔵の鼠穴から火が入り、店は丸焼け。

わずかに持ち出したかみさんのへそくりを元手に、掛け小屋で商売してみた。

うまくは行かず、親子三人裏長屋住まいの身となった。

悪いことにはかみさんが心労で寝付いた。

どうにもならず、娘のお芳を連れて兄に五十両借りにいく。

ところが
「元の身代ならともかく、今のおめえに五十両なんてとんでもねえ」
と、けんもほろろ。

店が焼けたら身代を譲ると言ったとしても、
「それは酒の上の冗談だ」
と突っぱねられる。

「お芳、よく顔を見ておけ、これがおめえのたった一人のおじさんだ。人でねえ、鬼だ。おぼえていなせえッ」

親子でとぼとぼ帰る道すがら、七つのお芳が、
「あたしがお女郎じょろうさんになっ、てお金をこしらえる」
とけなげに言ったので、泣く泣く娘を吉原のかむろに売り、二十両の金を得る。

その帰りに、大切な金をすられてしまった。

絶望した竹次郎。

首をくくろうと念仏を唱え、乗っていた石をぽんとけると、そのとたんに
「竹、おい、起きろ」

気がつくと兄の家。

酔いつぶれて夢を見ていたらしいとわかり、竹次郎、胸をなでおろす。

「ふんふん、えれえ夢を見やがったな。しかし竹、火事の夢は焼けほこるというから、来年、われの家はでかくなるぞ」
「ありがてえ、おらあ、あんまり鼠穴ァ気にしたで」
「ははは、夢は土蔵どぞう(=五臓ごぞう)の疲れだ」

【しりたい】

夢は五臓の疲れ   【RIZAP COOK】

五臓は心・肝・肺・腎・。陰陽五行説で、万物をすべて木・火・土・こん・水の五性に分類する思想の名残です。

「夢は五臓のわずらい」ともいいます。

それにしても、普通、夢の「悪役」(しかも現実には恩人)に面と向かって、馬鹿正直に「あんたが人非人に変わる夢を見ました」なんぞとしゃべりませんわなあ。

なんぞ、含むところがあるのかと思われてもしかたありません。

精神科医なら、どう診断するでしょう。

ハッピーエンドの方が、実は夢だった、とでもひっくり返せば、少しはマシな「作品」になるでしょうが。誰か改作しないですかね。

このオチ、「宮戸川」に似ています。

深川蛤町   【RIZAP COOK】

東京都江東区門前仲町の一部です。

三代将軍・家光公に蛤を献上したのが町名の起こりで、樺太探検で名高い間宮林蔵(1775–1844)の終焉の地でもあります。

三戸前   【RIZAP COOK】

「戸前」は、土蔵の入り口の戸を立てる場所。

そこから、蔵の数を数える数詞になりました。

三戸前みとまえ」は蔵を三つ持つこと。蔵の数は金持ちのバロメーターでした。

さんだらぼっち   【RIZAP COOK】

俵の上下に付いた、ワラで編んだ丸いふた。桟俵さんだわらともいいます。

演者   【RIZAP COOK】

大正から昭和にかけての名人、三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)へと継承されました。

円生は昭和28年に初演して以来、ほとんど一手専売にしていましたが、五代目三遊亭円楽(吉河寛海、1932-2009)とその一門に伝わり、七代目立川談志(松岡克由、1935-2011)も、その一門もけっこうやっています。

十代目柳家小三治(郡山剛蔵、1939-2021)もよく演じましたが、田舎ことばは、この人がもっとも愛嬌があって達者でしたね。

あ、それと   【RIZAP COOK】

十代目小三治師匠といえば、昭和14年(1939)12月生まれで都立青山高校卒であることは有名な話ですが、東宝が、いや、日本が誇るアジアン・ビューティー、若林映子あきこさんも同年12月生まれで都立青山高校を出ています。

お二人は同級生だったそうです。

若い頃の小三治師匠(小たけ時代とか)に「郡山クン、おつかれさま」とかなんとか言って楽屋に差し入れを持って来てくれてたのでしょうか。勝手に想像しちゃいます。

彼女は「不良少女モニカ」とか呼ばれてたんだとか。ベルイマンのですかい。粋です。

    日本の至宝、若林映子さん。美女の頂点





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やなぎやこさんじ【柳家小三治】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会 会長→顧問
【入門】五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)に入門
【前座】1959年3月、小たけで
【二ツ目】1963年4月、さん治で
【真打ち】1969年9月、十代目柳家小三治に
【出囃子】二上がり鞨鼓
【定紋】変わり羽団扇
【本名】郡山剛蔵
【生年月日】1939年12月17日-2021年10月10日 81歳
【出身地】東京都新宿区
【学歴】東京都立青山高校
【血液型】B型
【出典】落語協会 Wiki 
【蛇足】3人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)。若林映子と高校で同学年。柳家の噺以外では、初代三遊亭円遊の持ちネタを小三治流にさらっていたように見える。

得意ネタ⇒ 柳家小三治、逝く

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柳家小三治、逝く 

青高の12月生まれ同士



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柳家小三治師匠が亡くなりました。残念です。

2021年9月25日、テレ東系「新美の巨人たち」で新宿末広亭の屋内が特集された折、ちょっとだけですが、師匠が登場していて、この演芸場のの空間を気持ちのいいほどほめちぎっていました。

お声がちょっとヘンだなあ、なんて感じましたが、あれが見納めでした。深山でこだまを聴いたような思い。

高田馬場の街角では、手塚治虫、楳図かずお、天本英世といった滔々たる有名人を、よくお見かけしたものです。もちろん、師匠も。ムトウとかで。1980年前後の話です。

永六輔が仕切るNHKのテレビ番組にも、師匠は出ていました。俳句つながりだったのですね。師匠は物故の名人上手のものまねなんかやって会場の客を大いに笑わせ、「こんなことやってるから、あたしゃ、出世が遅れたんですな」なんて、大声でひとりごちていました。小ゑんにいじめられてたんでしょうかね。

82年頃。土曜日の昼下がり、師匠のオーディオ番組をよく聴いてました。師匠は相当な音マニアでしたから、ジャズを中心に、たまにはクラシックやボサノバも。管見ながら、藤岡琢也をもしのぐものすごさだったような。

89年春、聖路加国際病院の朝。師匠が、道端にでっかいバイクを横付けして、あの建物に入るところをお見かけしました。

あれは、私のようにどなたかのお見舞いのためだったのか、あるいはご自身の定期診察ででもあったのか。細身に革張り黒ずくめのそのスタイルは永六輔にも似ていて、どこか洗練されていて、素っ気なくて、あこがれを抱くスタイルでした。

粋の体現だったような。六代目林家正蔵のスタイルをまねていたのを、後日知ったときにはホント、びっくりしました。

どこまでも、すっとぼけた、ものまねにたけた、さりげなさを最良とする噺家さんだったのですね。

志ん朝亡き後、小三治師匠の高みには雲助師匠だけが迫ってきているもんだと、勝手に思い込んでいました。その視点は間違いではないと思うのですが、両者の差異は大人と子供くらいあったように感じます。

ラジオ東京の「しろうと寄席」で15週勝ち抜いた果てに「大学に進まず落語家に入門する」という爆弾発言で、番組ファンは「誰に入門するのか」注目していたそうです。

1959年のことですから、文楽、志ん生、三木助、円生、正蔵などなど、あまたの名人上手がわんさか。その中から小さんを選んだのは慧眼だったのかもしれません。兄弟子に小ゑんがいたことが少なからずの不幸だったのでしょうけど。それでも才を盛る器がまったく違っていました。小ゑんは災でしたか。

若林映子あきこさんとは同じクラスだったのかどうか。同窓だったことはたしかなのですがね。ウッディ・アレンの監督第一作は若林映子さん主演のものでした。ビックリです。むちゃくちゃなパクリ映画でしたが、アレンのアジアン・ビューティー好きは筋金入りなのですね。

若林映子さんは12月14日、師匠は12月17日。お二人とも近いお生まれです。

これほど余韻を帯びた噺家、もういません。志ん朝が逝ってちょうど20年。ともに贅言せずとも客を笑わせる噺家でした。嗚呼。

柳家小三治のプロフィル
1939年12月17日~2021年10月7日
東京都新宿区出身。出囃子は「二上がりかっこ」。定紋は「変わり羽団扇」。本名は郡山剛藏こおりやまたけぞう。1958年、都立青山高校卒業。同学年に若林映子わかばやしあきこ、一学年下には仲本工事と橋爪功(天王寺高から転入)。ラジオ東京「しろうと寄席」で15週勝ち抜いて全国的に注目されました。59年3月、五代目柳家小さんに入門。前座名は小たけ。63年4月、二ツ目昇進し、さん治に。69年9月、17人抜きの抜擢で真打ち、十代目柳家小三治を襲名。76年、放送演芸大賞受賞。79年から落語協会理事に。81年、芸術選奨げいじゅつせんしょう文部大臣新人賞受賞。2004年に芸術選奨文部科学大臣賞を、05年4月、紫綬褒章しじゅほうしょう受章。10年6月、落語協会会長に。14年5月に旭日小綬章きょくじつしょうじゅしょう受章。6月、落語協会会長を勇退し、顧問就任。10月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。21年10月2日、府中の森芸術劇場での落語会で「猫の皿」を演じました。これが最後の高座に。10月7日、心不全のため都内の自宅で死去。81歳。戒名は昇道院釋剛優しょうどういんしゃくごうゆう。浄土真宗なのですね。69年に結成された東京やなぎ句会の創設同人の一。俳号は土茶どさ

郡山剛蔵くんを大きく舵切りさせた「しろうと寄席」は、聴取者が参加するラジオ公開放送演芸番組です。一般の聴取者が得意の芸を披露して、プロの審査員に評定され、番組が進行します。ラジオ東京(JOKR、現TBSラジオ)で昭和30年代前半に放送されました。ちなみに、一般人が放送に参加できるようになったのはNHK「素人のど自慢」が初めて。戦前ではあり得ないことでしたから、民主国家日本の画期でした。「しろうと寄席」もこれに倣ったのですね。放送期間は1955年3月9日~62年10月29日。番組開始時では大正製薬の単独提供だったのが、終了時には日電広告に。開始時では毎週水曜21時30分~22時。終了時では毎週月曜14時10分~15時に。司会は牧野周一(声帯模写)。審査員は、桂文楽(落語)、神田松鯉しょうり(講談)、コロムビアトップ・ライト(漫才)。主な出身者には、小三治師匠以外には、牧伸二(ウクレレ漫談)、入船亭扇橋(東京やなぎ句会同人、俳号光石)、片岡鶴八(声帯模写、片岡鶴太郎の師匠)など。フジテレビ系列で昭和40年代前半に放送された同名の番組もありましたが、これは別番組です。

小三治師匠が得意とした主な演目(順不同)

花見の仇討ち」「もう半分」「宿屋の富」「大山詣り」「三年目」「堪忍袋」「船徳」「不動坊火焔」「睨み返し」「長者番付」「粗忽の釘」「子別れ」「お化け長屋」「藪入り」「鹿政談」「芝浜」「三軒長屋」「蛙茶番」「死神」「お神酒徳利」「厩火事」「千両みかん」「小言幸兵衛」「あくび指南」「うどん屋」「癇癪」「看板のピン」「金明竹」「小言念仏」「大工調べ」「千早ふる」「茶の湯」「出来心」「転宅」「道灌」「時そば」「鼠穴」「初天神」「富士詣り」「百川」「薬缶なめ」「蝦蟇の油」「一眼国」「二人旅」「お直し」「湯屋番」「明烏」「たちきり」「五人廻し」「山崎屋」「禁酒番屋」「品川心中」「鰻の幇間」「青菜」「野ざらし」「二番煎じ」「粗忽長屋」「猫の皿」「厩火事」など。

柳家なのか三遊亭なのか、演目だけでは判断がつきません。というか、初代談洲楼燕枝(長島傳次、1837-1900)にならって「はなし」をじっくり体現しようとしたのかもしれません。晩年は滑稽噺ばっかりでしたが。 まくらが異様に発達進化したのは、その後の柳家の芸風ゆえんだったのではないでしょうか。「小言念仏」(マクラが魅力) 、「千早ふる」 (細部まで小さん流)、 「転宅」 はまた聴きたいです。

(2021年10月7日 古木優)

柳家小三治 人形町末広の思い出】

2002年7月14日 第27回朝日名人会 有楽町朝日ホール

人形町末広は、慶応3年(1867)に開場し、昭和45年(1970)1月に閉場しました。今は読売新聞系列のチラシ会社が建つのみ。お隣には刃物老舗の「うぶけや」が。店内に掛かった扁額は、日下部鳴鶴門下の一字ずつの寄せ書きとなっています。その内訳は、「う」が伊原雲涯、「ぶ」が丹羽海鶴、「け」が岩田鶴皐、「や」が近藤雪竹。みなさん、近代を代表する書家です。うぶけやの爪切りは高いけど、しびれる切れ味です。

落語演目

 



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