うそをつきじのごもんぜき【嘘を築地のご門跡】むだぐち ことば

【無料カウンセリング】ライザップがTOEICにコミット!

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

「ええ、嘘をつきゃあがれ」と軽く相手を突き放すときの軽口。「嘘をつく」と、江戸の地名の築地を掛け、さらに、その地にある本願寺とつなげています。「嘘を築地」と切ることも。

「門跡」は幕府が制定したもので、出家した皇族が住職を務める格式の高い寺院のこと。築地本願寺は西本願寺(浄土真宗本願寺派の本山)の直轄寺院です。門跡に準じる「准門跡」の格ながら、俗にはやはり「ご門跡さま」と呼ばれます。中央区築地の場外市場には「門跡通り」があります。市場一帯ももとは本願寺の境内でした。地名から、このむだぐちは江戸東京限定です。

ほかに「嘘を筑紫(つくし)」などとも言いました。嘘つきのむだぐちはけっこう多く、「嘘の皮のだんぶくろ」「嘘ばっかり筑波山」、落語の演題でもある「嘘つき弥次郎」などが代表例です。

【無料カウンセリング】ライザップがTOEICにコミット!

大神宮 だいじんぐう 演目

【RIZAP COOK】

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

神さまと仏さまが吉原へ。人気のコミックみたいですね。

【あらすじ】

昔、浅草雷門脇に、磯辺大神宮という祠があった。

弁天山の暮れ六ツの鐘がなると雷門が閉ざされるので、吉原通いの客は、みなここの境内を通り抜けた。

待ち合わせの連中が、
「今朝はお女郎が便所に立ってそのまま消えてしまったので、あいつは丑歳だろう」
とか、
「つねられた痕を見ると女を思い出すから、消えないように友達にまたつねってもらった」
などと、愚痴やノロケを並べる。

大神宮が祠からこれを聞き、
「人間どもがあれだけ大騒ぎをするからには、女郎買いというのはよほどおもしろいものに違いない」
と、自分も行ってみたくてたまらなくなった。

一人で行くのはつまらないから、誰か仲間を、と、あれこれ考えているうち、黒い羽織で粋ななりをした門跡さま(阿弥陀如来)がそこを通りかかった。

誘うと乗ってきたので、自分も茶店でいかめしい直垂と金の鉢巻きを脱ぎ、唐桟の対、茶献上の帯という姿になると、連れ立って吉原へ。

お互いに正体がばれるとまずいから、「大さん」「門さん」と呼び合うことにした。

その晩は芸者を揚げて、ワッと騒いでお引けになる。

明る朝。

若い衆が勘定書きを持っていくのに、一人は唐桟づくめで商家のだんな然とし、もう一方は黒紋付きの羽織で頭が丸く、医者のようなこしらえだから、これは藪医者がだんなを取り巻いて遊んでいるのだろうと、門跡さまの方に回すことにした。

「ええ、おはようございます。恐れ入りますが、昨夜のお勤め(=勘定)を願いたいので」

「お勤め」というから、大神宮、正体がバレたかと思い、
「いたしかたありません。手をこうやって合わせなさい」
「へい」
「では、やりますよ。ナームアミー」
「へへ、これはどうもおからかいで。お払いを願います」
「お祓いなら、大神宮さまへ行きなさい」

【RIZAP COOK】

【うんちく】

円遊の創作か

直接の原話は不詳ですが、神仏が女郎買いに行くという趣向は、宝暦7年(1757)刊の洒落本『聖遊廓』にすでにあり、これは孔子と老子と釈迦の三人が、大坂道頓堀で茶屋遊びするという、罰当たりなお話。

ついで、天明3年(1783)刊の洒落本『三教色』では、天照大神と釈迦と孔子と老子が吉原でお女郎買いという、天をも地をも怖れぬものすごさ。

この噺の現存最古の速記は、「神仏混淆」と題して明治24年(1891)10月、『百花園』に掲載された初代三遊亭円遊のものです。噺の中に「神仏共に力を戮(あわ)せて日本人民を助けましょう」などのセリフがあるので、この噺は、明治20年代、明治初期の神仏分離、廃仏毀釈の政策が見直され、宗教の融和が進んだことを当て込んだ、たぶん円遊の新作ではないか、というのが、暉峻康隆の説です。

大正期は小せん

初代円遊は、品川鮫洲の荒神さまが幇間役で大神宮と阿弥陀さまを吉原へ誘うという設定で、神仏が三人(?)となっています。

荒神さま(竈の神)も大神宮の末社なので、当時、円遊以外でも、これを主役にする演者がいたようです。

明治末から大正にかけては、廓噺を集大成した盲小せんこと初代柳家小せんの独壇場でした。演題を「大神宮」として、磯辺大神宮にしたのも小せんで、その遺稿集「廓噺小せん十八番集」に晩年の速記が収録されています。別題はほかに「大神宮の女郎買い」「お祓い」などです。

パーツを取られ、本体消滅

現在は継承者がなく、すたれた噺ですが、小せんのマクラ部分は、多くの後輩が「いただい」ています。

女郎の便所が長いので、あいつは丑年だろうというくすぐりは、八代目桂文楽が「明烏」に、五代目古今亭志ん生が「義眼」に、それぞれ使っていました。

二人とも小せんに直伝で廓噺を伝授された「門下生」。志ん生はこのほか、あらすじでは略しましたが、小せんの振ったもう一つのマクラ小咄「蛙の女郎買い」を、「首ったけ」その他、自らの廓噺にそっくり頂戴していました。

なお、前半の遊客のノロケ部分をふくらませたものがかつて「別れの鐘」として一席噺になっていました。

これは、あまり女郎に振られるので意趣がえしに帰り際、女郎屋の金たらいをくすね、背中に隠したはいいが、女に「また来てくださいよ」と背中をたたかれ、「ボーン」と鐘のようにたらいが鳴ってバレるというもの。

これも、現在では演じ手がありません。「大神宮」自体、1941年10月、「はなし塚」に葬られた53種の禁演落語にすらないため、当時、もうすでに後継者はなかったのかもしれません。

磯辺大神宮

落語「富久」でおなじみの大神宮さま。大神宮は、伊勢の内宮(皇太神宮)と外宮(豊受大神宮)を併せた尊称です。

磯辺大神宮は、伊雑とも書き、伊勢内宮の別宮です。江戸では、北八丁堀の塗師町にも勧請してありましたが、浅草のは、浅草寺の日音院が別当をしていました。

現在の雷門付近にありましたが、明治元年(1868)3月28日の新政府の神仏分離令で廃され、今はありません。

門跡さま

元々は本願寺のことで、「築地の門跡さま」とも。そこから、阿弥陀仏の異称に転化しました。

【語の読みと注】
祠 ほこら
直垂 ひたたれ
唐桟 とうざん

【RIZAP COOK】