神仏論 しんぶつろん 演目

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これは珍しい。日本にもあったらしい、宗教戦争のお話。

別題:神道の茶碗 新渡の茶碗

【あらすじ】

石町新道で、骨董屋を営む夫婦。

かみさんが一向宗、亭主が神道の熱心な信者。

朝起きると亭主が
「天照皇大神宮、春日大明神、住吉大明神」
と唱えれば、かみさんは
「南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ」

そんなことだから、家の中はのべつ宗教戦争。

夏に亭主がノミを捕まえ、
「こいつは人の血を盗む憎い奴だから死罪に処するが、ひねりつぶしても生き返るし、火にくべれば神棚を穢すからハリツケにする」
と言うのを、女房がだまして逃がしてしまったから、また一騒動。

「生き物の命を取るのは、殺生戒を破るからいけない」
とかみさんはいう。

「盗みなら、あなたの方がよっぽど」
「オレがなにを盗んだ」
「あなた、二、三日前に女中のお初のところに夜這いに行ったじゃありませんか。ああいうのを豆泥棒といいます」

釈迦が自分の股の肉を削いで鷹に与え鳩を助けたという故事を長々と並べ立て
「このハゲ頭。ちっとはお慎みなさい」
と、やっつけるものだから、亭主は頭にきて、
「日本は神国、このありがたい国に生まれながら天竺の仏を祟めるのはけしからん」
と、反撃開始。

古事記の国生み神話の講釈を並べるうちに、だんだん脱線。

「八百屋お七を見ろ。宗旨が法華だから、七字の題目の頭を取って親がお七と名付けたが、あの通り火あぶりになった。法華の餓鬼は火あぶりになるんだ。梅川忠兵衛の浄瑠璃を聞いたか。忠兵衛は一向宗の門徒で、あの通り引回しの上、獄門だ」

しだいにエスカレートし、ついに亭主が女房の胸ぐらを取って、実力行使。

「アーレー、喉の仏さまが痛い」
「人の体に仏があってたまるか」

ポカポカと殴る。

あわてて女中が止めに入っていったんは収まったが、女房、お茶を一杯飲んで
「あつつつ、これお竹、熱いじゃないか。喉の仏様を火傷したよ」
と言うと、亭主、
「ざまあ見やがれ。喉仏を火傷するはずだ。茶碗が新渡(しんとう=神道)だもの」

底本:四代目春風亭柳枝

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【うんちく】

豆泥棒、梅川忠兵衛など

夫婦げんかの言い合いに登場する言葉のうち、昔はごく普通の日常語として使われていた言い回しや故事も、現在では外国語のスラング並みに、ほとんど注釈がいるハメになりました。

●「豆泥棒」は、間男または夜這いのこと。

●「釈迦が、自分の股の肉を削いで……」は、インドの釈迦転生説話「ジャータカ物語」が原典。

●「梅川忠兵衛」は、近松門左衛門作の「冥途の飛脚」、菅専助作「けいせい大和飛脚」の主人公。現在でもよく歌舞伎・文楽で上演される、悲劇のカップルです。

骨董屋と道具屋

ともに古物商ですが、一般に骨董屋は高級品で古美術品に近いものまで扱いました。

道具屋になると、「火焔太鼓」「道具屋」に登場するようにかなりインチキくさいものまで売っていて、「キリ」の方になると、店舗を持たない露天商も多かったわけです。

新渡

この噺の別題でもありますが、オチのダジャレのタネだけに、あらかじめ説明しておかないと、現在ではどうにもなりません。

新渡は古物商の用語で、外国(古くはおもに中国)から江戸時代以後に渡来した品物のこと。

ちなみに、室町時代以前の渡来物を「古渡(ことう、こわたり)」、その中間の室町、戦国、安土桃山時代のものを「中渡」と呼びました。

師弟の因縁

この四代目春風亭柳枝は、のち隠居名・華柳を名乗りましたが、昭和2年4月20日、NHKのラジオ出演中に脳溢血で倒れ、そのままなくなりました。享年58歳。

ところが、32年後の昭和34年9月23日、この人の弟子でだった八代目柳枝が、やはり同じようにラジオ放送中に、師匠とまったく同じ脳出血で人事不省に陥り、同年10月8日に死去。

オカルトめいたことを連想させる、因縁話です。

原話は不詳

原話はまったく不祥で、明治以後は口演記録もなく、まったくすたれた噺です。別題を「神道の茶碗」「新渡の茶碗」とも。

四代目春風亭柳枝が小柳枝時代の明治31年(1898)3月、雑誌『百花園』に載せた速記が、現存する唯一の記録です。柳枝は明治中期から昭和の初めにかけて、品格のある芸風で一家をなした人です。

演者がマクラで、「腹の中へ大事に仕舞って置きましたのを、お勧めに委(まか)して申し上げます」と断っているので、あるいはこの人の若いころの創作かもしれません。

明治の初めはいわゆる「廃仏毀釈」の嵐が吹きすさび、神道が「ハバをきかせていた」時代なので、それを揶揄するような噺も多く生まれたと思われ、この噺も、何らかの実話をもとにしているのかも知れませんが、推測の域を出ません。

古色蒼然とはしていますが、宗教上のいがみあいというのは現在でもいたるところにあり、アレンジ次第では復活してもおもしろそうです。

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金明竹 きんめいちく 演目

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「寿限無」と並ぶ言い立ての心地よい噺。必聴です。

【あらすじ】

骨董屋のおじさんに世話になっている与太郎。

少々頭に霞がかかっているので、それがおじさんの悩みのタネ。

今日も今日とて、店番をさせれば、雨宿りに軒先を借りにきた、どこの誰とも知れない男に、新品の蛇の目傘を貸してしまって、それっきり。

「そういう時は、傘はみんな使い尽くして、バラバラになって使い物にならないから、焚き付けにするので物置きへ放り込んである、と断るんだ」
としかると、鼠が暴れて困るので猫を借りに来た人に
「猫は使い物になりませんから焚き付けに……」
とやった。

「ばか野郎、猫なら『さかりがついてとんと家に帰らなかったが、久しぶりに戻ったと思ったら、腹をくだして、粗相があってはならないから、またたびを嘗めさして寝かしてある』と言うんだ」

そう教えると、おじさんに目利きを頼んできた客に
「家にもだんなが一匹いましたが、さかりがついて……」

こんな調子で小言ばかり。

次に来たのは上方者らしい男だが、なにを言っているのか、さっぱりわからない。

「わて、中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先度、仲買の弥市の取り次ぎました道具七品のうち、祐乗、光乗、宗乗三作の三所もの。並びに備前長船の則光、四分一ごしらえ横谷宗岷小柄付きの脇差し、柄前はな、だんなはんが古鉄刀木といやはって、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうにな、木が違うておりまっさかいなあ、念のため、ちょっとお断り申します。次は、のんこの茶碗、黄檗山金明竹、ずんどうの花いけ、古池や蛙飛び込む水の音と申します。あれは、風羅坊正筆の掛け物で、沢庵、木庵、隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はなあ、もし、わてのだんなの檀那寺が、兵庫におましてな、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、かようお伝え願います」
「わーい、よくしゃべるなあ。もういっぺん言ってみろ」

与太郎になぶられ、三べん繰り返されて、男はしゃべり疲れて帰ってしまう。

おばさんも聞いたが、やっぱりわからない。

おじさんが帰ってきたが、わからない人間に報告されても、よけいわからない。

「仲買の弥市が気がふれて、遊女が孝女で、掃除が好きで、千ゾや万ゾと遊んで、しまいに、ずんどう斬りにしちゃったんです。小遣いがないから捕まらなくて、隠元豆に沢庵ばっかり食べて、いくら食べてものんこのしゃあ。それで備前の国に親船で行こうとしたら、兵庫へ着いちゃって、そこに坊さんがいて、周りに屏風を立てまわして、中で坊さんと寝たんです」
「さっぱりわからねえ。どこか一か所でも、はっきり覚えてねえのか?」
「確か、古池に飛び込んだとか」
「早く言いなさい。あいつに道具七品が預けてあるんだが、買ってったか」
「いいえ、買わず(蛙)です」

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【しりたい】

ネタ本は狂言

前後半で出典が異なり、前半の笠を借りに来る部分は、狂言「骨皮」をもとに、初代石井宗淑(?-1803)が小咄「夕立」としてまとめたものをさらに改変したとみられます。

類話に享和2年(1802)刊の十返舎一九作『臍くり金』中の「無心の断り」があり、現行にそっくりなので、これが落語の直接の祖形でしょう。

一九はこれを、おなじみ野次喜多の『続膝栗毛』にも取り入れています。「夕立」との関係は、「夕立」が著者没後の天保10年(1839)の出版(『古今秀句落し噺』に収録)なので、どちらがパクリなのかはわかりません。

後半の珍口上は、初代林家(屋)正蔵(1781-1842)が天保5年(1834)に自作の落語集『百歌撰』中に入れた「阿呆の口上」が原話で、これは与太郎が笑太郎となっているほかは弥市の口上の文句、「買わず」のオチともまったく同じです。

前半はすでに文化4年(1807)の喜久亭寿曉の落語ネタ帳『滑稽集』に「ひん僧」の題で載っているので、江戸落語としてはもっとも古いものの一つですが、前後半を合わせて「金明竹」として一席にまとめられたのは明治維新後と思われます。

「骨皮」と「夕立」

骨皮 シテが新発意(しんぼち=出家間もない僧)でワキが住職。檀家の者が寺に笠を借りに来るので、新発意が貸してやり、住職に報告したところ、ケチな住職が「辻風で骨皮バラバラになって貸せないと断れ」としかる。次に馬を借りに来た者に笠の口上で断ると、住職は「バカめ。駄狂い(発情による狂馬)したと断れ」。今度はお経を頼みに来た者に、「住職は駄狂い」と断ったので、聞いた住職が怒り狂い、新発意が、お師匠さまが門前の女とナニしているのは「駄狂い」だと口答えして大ゲンカになる筋立て。

ボタンの掛け違いの珍問答は、民話の「一つ覚え」にヒントを得たとか。

夕立 主人公(与太郎)は権助、ワキが隠居。笠、猫と借りに来るくだりは現行と同じです。三人目が隠居を呼びに来ると、「隠居は一匹いますが、糞の始末が悪いので貸せない」。隠居が怒って「疝気が起こって行けないと言え」と教えると次に蚊いぶしに使う火鉢を借りにきたのにそれを言い、「どこの国に疝気で動けない火鉢がある」と、また隠居がしかると権助が居直って「きんたま火鉢というから、疝気も起こるべえ」

石井宗淑は医者、幇間、落語家を兼ねる「おたいこ医者」で、長噺の祖といわれる人。

東京に逆輸入

この噺、前半の「骨皮」の部分は、純粋な江戸落語のはずながらなぜか幕末には演じられなくなっていて、かえって上方でよく口演されました。

明治になって、それがまた東京に逆輸入され、後半の口上の部分が付いてからは、四代目橘家円喬、さらに三代目三遊亭円馬が得意にしました。

円喬は、特に弥市の京都弁がうまく、同じ口上を三回リピートするのに、三度とも並べる道具の順序を変えて演じたと、六代目円生が語っています。

代表的な前座の口慣らしのための噺として定着していますが、戦後は五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭円生、三代目三遊亭金馬など、多数の大看板が手掛け、現在に至っています。

中でも金馬は、昭和初期から戦後にかけ、流麗な話術で「居酒屋」と並び十八番としました。

CDは三巨匠それぞれ残っていて、柳家小三治のもありますが、口上の舌の回転のなめらかさでは金馬がピカ一だったでしょう。志ん生は、前半部分を再び独立させて演じ、後半はカットしていました。

祐乗

ゆうじょう。後藤祐乗(1440-1512)は室町時代の装剣彫刻の名工です。足利義政の庇護を受け、特に目貫にすぐれた作品が多く残ります。

光乗

こうじょう。後藤祐乗の曾孫(1529-1620)です。やはり名工として織田信長に仕えました。

長船

おさふね。鎌倉時代の備前国の刀工長船氏で、祖の光忠以下、長光、則光など、代々名工を生みました。

宗珉

そうみん。横谷宗珉(1670-1733)は江戸時代中期の金工で、絵画風彫金の考案者。小柄や獅子牡丹などの絵彫を得意にしました。

金明竹

福建省原産の黄金色の名竹です。黄檗山万福寺から日本に渡来し、黄檗宗の開祖となった隠元禅師(1592-1673)が、来日して宇治に同名の寺を建てたとき、この竹を移植し、それが全国に広まりました。観賞用、または筆軸、煙管のらおなどの細工に用います。

隠元には多数の工匠が同行し、彫刻を始め日本美術に大きな影響を与えましたが、金明竹を使った彫刻もその一つです。

漱石がヒントか

「吾輩は猫である」の中で、二絃琴の師匠の飼い猫、三毛子の珍セリフとして書かれている「天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘」は、落語マニアで三代目小さんや初代円遊がひいきだった漱石が「金明竹」の言い立てからヒントを得たという、半藤一利氏の説があります。落語にはこの手のギャグはかなりあり、なんとも言えません。

【語の読みと注】
目貫 めぬき:刀の目釘に付ける装身具
小柄 こづか
隠元 いんげん
黄檗山 おうばくさん

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尿瓶 しびん 演目

★auひかり★

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いまどきは「しびん」を知らない人もいるかも。

別題:しびんの花活け(上方)

【あらすじ】

田舎の侍が、道具屋をあさると、古いしびんを見つけた。

侍、これを花瓶と間違えて、
「明日国元に帰るが、土産物にしたいからぜひほしい」
という。

道具屋が
「それはしびんでございます」
と正直に言っても
「ああ、しびんという者が焼いたか」
と、いっこうに通じない。

そこで道具屋の安さん、このばかを一つ引っかけてやれと
「これは日本に二つとないものでございます。だんなさなのお目利きには感服いたします」
とおべんちゃらを並べ、
「五両」
と吹っ掛ける。

知らぬほど怖いものはなく、侍は
「安い」
と喜び、即金で買っていった。

花瓶と勘違いして、侍が宿で花をいけていると、知り合いの本屋があいさつに来て、
「それは小便をするしびんでございます」
と教えたから、さあ怒ったのなんの。

道具屋にどなり込み、
「手討ちに致すから首を出せ」
と刀の柄に手を掛けたから、安さんは真っ青になって震えた。

「病気の老母に、朝鮮人参という五両もする高い薬をのまさなければなりません。その金欲しさ、悪いこととは知りながら、ただのしびんを五両でお売りしました。母の喜ぶ顔を見ますれば、もうこの世に思い置くことはございませんから、その時まで命を預けてください」

もちろん、その場からドロンするつもりでのウソ八百。

侍は
「孝行のためとあらばさし許す」
と帰っていった。

おふくろなんぞ、もう三年前に死んでいる。

隣の吉つぁんが騒ぎを聞きつけてやって来て
「おい、首ゃあついているかい。それにしてもさすがはお侍、よく代金を返せと言わなかったな」
「それもそのはず。小便(売買契約破棄)はできねえ。しびんは向こうにある」

★auひかり★

【うんちく】

朝鮮人参

時代劇に登場する、高価な薬といえばこれ。享保年間(1716-36)に種子が朝鮮から渡来しました。根を乾燥したものが、漢方薬に用いられます。肝心の薬効は、強壮・健胃などで、疲労や虚脱、胃腸虚弱などに効果があるとされますが、むろん万能薬ではありません。

「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星由良之助に、「人参のんで首くくるようなもの」というセリフがあります。これは、高価な人参を無理して手に入れて病人が回復しても、べらぼうな薬代の借金で結局は首をくくらなければならない、という皮肉で、ムダな骨折りという意味のことわざになっています。

この程度の薬でも町人にとっては「高嶺の花」で、江戸時代では事実上、無医、無薬同然、病気になればほとんどが「はいそれまでよ」だったわけです。

しびん

「しゅびん」ともいい、昔は陶製でした。

八代目桂文楽(黒門町の)も、マクラで説明しているのですが、江戸時代は瀬戸物屋で、たかだか20-25文が相場。

日用品なので、いくら侍でも知らないのはおかしいと言えなくはありませんが、現代同様、元来病人、老人の使うものなので、どこの家にもあるという品ではありませんでした。

文楽の隠れた十八番

三代目三遊亭円馬が、大阪在住中に仕込んだ上方落語「しびんの花活け」を東京風に直しました。円馬に芸を仕込まれた八代目桂文楽が直伝で継承、十八番の一つに仕立てたものです。文楽在世中は、東京ではほかにやり手はありませんでした。

本家の大阪では、橘ノ圓都(1883-1972)が持ちネタとし、道具屋は大坂の日本橋筋の露店、武士は鳥取藩士で演じました。

演題は、「こいがめ」と同様に汚いので、「花瓶」で演じられることもあります。

「小便」はご法度

というわけで、買わずに逃げる意味の「小便」は、もともと江戸ことばですが、現在でも業界では普通に使われているようです。

道義的には、商取引上は一種の詐欺行為と見なされるので、「引っ掛ける」から「小便」としゃれたものでしょう。もとは、露天商などの符丁でした。「左少弁」は、どうも怪しいものです。

「小便」の由来

原話は、宝暦3年(1753)刊の『軽口福徳利』中の「しゆびん」、続いて同13年(1763)刊『軽口太平楽』中の「しゅびんの花生」があげられます。いずれも大坂ルーツですが、もっとも古い原型は、元禄7年(1694)、江戸で刊行の『正直咄大鑑』赤之巻四「買て少弁」中の「商人の物売にねをつけてまけたるとき、かわぬを江戸ことばにしやうべんのするといふ由来」という、長ったらしい題の小咄もみられます。

これは、左少弁道明卿という公家の家人が主命で江戸に下り、日本橋の骨董屋で散々値切ったあげく買わなかったことから、常識をわきまえないのを「少弁」→「しょうべん」と呼んだ由来話です。これが「小便=買わずに行く」と転化したわけでしょうが、ともかく現行のオチの部分の元となっています。

宝暦年間の二つの原話は田舎者と無筆の者をからかう内容です。

前者は、田舎者がしびんを十個も買うのでわけを尋ねると、「故郷でそばを打つので、つゆを入れる猪口にする」という笑話。

後者は、逆に客がしびんと気付いて詰問するので、花瓶だとだまそうとした亭主がしどろもどろになり「いえ、そんな名のあるものではありません」とごまかすもの。

どちらも「小便」のくだりはありませんが、後者の方が現行により近い内容です。

【語の読みと注】
日本橋筋 にっぽんばしすじ

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家見舞 いえみまい 演目

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物語を知れば、そっちのほうがしっくりくるかもしれません。

別題:祝いがめ 肥瓶 祝いの壺(上方) 雪隠壺(上方)

【あらすじ】

借金をしても義理だけは欠かないのが江戸っ子。

今度、兄貴分の竹さんが引っ越したので、日ごろ世話になっている手前、祝いの一つも贈らなくてはならないと考えた二人組。

ところが、なにを買っていいか見当がつかないので、直接本人に聞きに行く。

竹兄イが
「そんな無理をしなくてもいい」
と断るのに、
「箪笥長持ち一式はどうです?」
なんぞと大きなことを言う相棒に、
「どこにそんな金があるんだ」
と片一方はハラハラ。

ところが、ふと台所を見ると、昔はどこの家でも必需品の水瓶がなく、バケツで代用しているようす。

「さあ、これだ」
と二人、兄イが止めるのも聞かず、脱兎のごとく外に飛び出した。

さっそく、ある道具屋に飛び込んで物色すると、手ごろなのがあった。

値段を聞けば二十八円。

少しばかり、いや大いに高い。

一番安いのを見ると四円。

ところが、ばかなことに、所持金額は一人が一銭、相棒は一文なし。

お互いに相手の懐を当てにしていたわけ。

しかたなく消え入りそうな声で、
「あの、もう少しまかりませんか?」
「へえ、どのくらいに?」
「あの一銭」
「ははあ、一銭お引きするんで?」
「一銭はそのまま。後の方をずーっと……」

これでは怒らない方がおかしい。

「顔を洗って出直してこい、来世になったら売ってやる」
と、おやじにケンツクを食わされた。

別の道具屋を覗くと、またよさそうなのがある。

当たって砕けろと、恐る恐る一銭と切り出すと、
「一銭? そんな金はいらない。タダで持ってきなさい」

大喜びの二人。

さっそく、差し担いで運ぼうとすると道具屋、
「あんた方、それをなにに使いなさる?」
「水瓶だよ」
「そりゃいけねえ。見たらわかりそうなもんだ。おまえさん方、毎朝あれにまたがってるでしょう」

ん……? 毎朝またがる? 

よくよく見ると、果たしてそれは紛れもなく、便器用の肥瓶(こいがめ)。

タダなわけだ。

と言って、今さらどうしようもない。

洗ってみても、猛烈な悪臭で鼻が曲がりそう。

しかたなく水を張ってゴマかし、引っ越し祝いに届けると、兄イは大喜び。

飯を食っていけと言われて、出てきたのが湯豆腐。

うめえ、うめえと食っているうちに、ふと気づいて二人、腰が抜けた。

「豆腐を洗った水はどこから汲んだ?」
「へえ、その、豆腐は断ってまして」
と言うと、
「それじゃ香の物はどうだ」
と出され
「そりゃいい、古漬はかくやに刻んで水に……あの、コウコも断ってます」
「なんでも断ってやがる。それじゃ焼き海苔で飯を食え」
「その飯はどこの水で炊きました?」
「決まってるじゃねえか。てめえたちがくれたあの水瓶よ」
「さいならツ」
「おい、待ちな。あの瓶が……おい、こりゃひでえ澱(おり)だ。こんだ来る時、鮒ァ二、三匹持ってきてくれ。鮒は澱を食うというから」
「なに、それにゃあ及ばねえ。今までコイ(肥=鯉)が入ってた」

底本:五代目柳家小さん

【しりたい】

水がめと肥がめ

水がめは、明治31年(1898)に近代的な水道が敷設され始めてからも、その普及がなかなか進まなかったため、昭和に入るまでは家庭の必需品でした。

特に長屋では、共同井戸から汲んでくるにしても水道の溜枡からにしても、水をためておく容器としては欠かせません。素焼きの陶磁器で、二回火といって二度焼きしてある頑丈なものは、値が張りました。噺に最初に出てくる28円のものがそれで、備前焼です。水がめより低く、口が広いのが肥がめです。五人用、三人用など、人数によって横幅・容量が異なりました。 江戸の裏長屋では、総後架(そうごうか)と呼ばれた共同便所に、大型のものを埋めて使用し、トイレが各戸別になっているところでは、それぞれの裏口の突き出しに置かれました。

上方の「雪隠壺」

「雪隠(せんち)」は東京では「せっちん」と読みますが、元々関西の言葉です。上方のやり方は、東京のものとはかなり異なり、家相を見てもらって、ここに雪隠を立てて、肥壺(肥がめ)は一回だけ使えとアドバイスされた男がもったいないと、使用後道具屋に売る場面が前に付きます。それを水がめ用に買っていった男が、新築祝いにしますが、宴会でバアサン芸者が浮かれたので、「ババ(=糞)も浮くわけや。雪隠壺へ水張った」と汚いオチになります。それをはばかってか、桂米朝は「祝いの壺」として演じました。

東京では小さん系

明治期に三代目小さんが東京に移植、改作しましたが、速記は残されていません。八代目春風亭柳枝を経て、五代目小さんが十八番にしていました。今回のあらすじのテキストも小さんのものですが、小さんは高座では「こいがめ」で演じても、後年、レコードやCDでは「家見舞」「祝いがめ」の題名で入れていました。

かえんだいこ【火焔太鼓】演目

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道具屋の噺。古い太鼓がお大名に三百両で売れた。夫婦はびっくりにんまり。

【あらすじ】

道具屋の甚兵衛は、女房と少し頭の弱い甥の定吉の三人暮らしだが、お人好しで気が小さいので、商売はまるでダメ。

おまけに恐妻家で、しっかり者のかみさんに、毎日尻をたたかれ通し。

今日もかみさんに、市で汚い太鼓を買ってきたというので小言を食っている。

なにせ甚兵衛の仕入れの「実績」が、清盛のしびんだの、清少納言のおまるだの「立派」な代物ばかりだから、かみさんの怒るのも無理はない。

それでも、買ってきちまったものは仕方がないと、定吉にハタキをかけさせてみると、ホコリが出るわ出るわ、出尽くしたら太鼓がなくなってしまいそうなほど。

調子に乗って定吉がドンドコドンドコやると、やたらと大きな音がする。

それを聞きつけたか、赤井御門守(あかいごもんのかみ)の家臣らしい身なりのいい侍が「コレ、太鼓を打ったのはその方の宅か」。

「今、殿さまがお駕籠でお通りになって、太鼓の音がお耳に入り、ぜひ見たいと仰せられるから、すぐに屋敷に持参いたせ」

最初はどんなお咎めがあるかとビビっていた甚兵衛、お買い上げになるらしいとわかってにわかに得意満面。

ところがかみさんに
「ふん。そんな太鼓が売れると思うのかい。こんなに汚いのを持ってってごらん。お大名は気が短いから、『かようなむさいものを持って参った道具屋。当分帰すな』てんで、庭の松の木へでも縛られちゃうよ」
と脅かされ、どうせそんな太鼓はほかに売れっこないんだから、元値の一分で押しつけてこいと家を追い出される。

さすがに心配になった甚兵衛、震えながらお屋敷に着くと、さっきの侍が出てきて
「太鼓を殿にお目にかけるから、暫時そこで控えておれ」

今にも侍が出てきて「かようなむさい太鼓を」ときたら、風のようにさっと逃げだそうと、びくびくしながら身構えていると、意外や意外、殿様がえらくお気に召して、三百両の値がついた。

聞けば「あれは火焔太鼓といい、国宝級の品」というからまたびっくり。

甚兵衛感激のあまり、百五十両まで数えると泣きだしてしまう。

興奮して家に飛んで帰ると、さっそく、かみさんに五十両ずつたたきつける。

「それ二百五十両だ」
「あァらま、お前さん商売がうまい」
「うそつきゃあがれ、こんちくしょうめ。それ、三百両だ」
「あァら、ちょいと水一ぱい」
「ざまあみゃあがれ。オレもそこで水をのんだ」
「まあ、おまえさん、たいへんに儲かるねェ」
「うん、音のするもんに限ラァ。おらァこんだ半鐘(はんしょう)を買ってくる」
「半鐘? いけないよ。おジャンになるから」

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

おジャン

オチの「おジャン」は江戸ことばで「フイになる」こと。江戸名物の火事の際、鎮火するとゆるく「ジャン、ジャン」と二度打って知らせたことから、「終わり」の意味がついたものです。

戦後この噺を専売にしていた五代目古今亭志ん生が前座時分、神田の白梅で聞き覚えた初代三遊亭遊三の演出では、実際に半鐘を買ってしまい、小僧に叩かせたので、近所の者が店に乱入、道具はメチャメチャで儲けが本当におジャンという「悲劇」に終わっています。

この噺は随所にギャグ満載で、「本物の火焔太鼓は高さ3mを超える化け太鼓だから、とても持ち運びなどできない」という真っ当な批判など、鼻で吹き飛ばすようなおもしろさがあります。

実際、長男の先代馬生がそのことを言うと、志ん生は「だからてめえの噺はダメなんだ!」としかったといいます。

二男の志ん朝は、甚兵衛の人間描写・心理も掘り下げ、軽快さと登場人物の存在感では親父まさりの「火焔太鼓」に仕上げて、後世に残しました。

火焔太鼓の急所

最後の、甚兵衛がこれでもかと金をたたきつけ、神さんが逆にひっくり返るところがクライマックスでしょう。

志ん生独自の掛け合いのおもしろさ。「それ百両だ」「あーら、ちょいと」「それ百五十両だ」「あーら、ま」

畳み掛けるイキは無類。志ん朝だと序幕でかみさんの横暴ぶりを十分に強調してありますから、この場は、何年も耐えに耐えてきた甚兵衛のうっぷんが一気に爆発するようなカタルシスがあります。

火焔太鼓のこばなし

まだまだ無数にあります。まずは一度聞いてみてください。

その1

(太兵衛=甚兵衛)「金は、フンドシにくるんで」

(侍)「天下の通用金を褌にくるむやつがあるか」

(太)「どっちも金です」

                        (遊三)

その2

(甚兵衛)「この目を見なさい。馬鹿な目でしょう。これはバカメといって、おつけの実にしかならない」


(志ん生)

その3

(甚兵衛)「顔をごらんなさい。ばかな顔してるでしょ。あれはバカガオといって、夏ンなると咲いたりなんかすンですよ」


(志ん朝)

その4

(かみさん)「おまいさんはね、人間があんにゃもんにゃなんだから、自分てえものを考えなくちゃいけないよ。血のめぐりが悪いんだから、人間が少し足りないんだからって」

                         (志ん生) 

   
世に二つ

実際は、「(せいぜい)世に(一つか)二つ(しかない)という名器」ということですね。志ん生も含め、明治生まれの古い江戸っ子は、コトバの上でも気が短く、ダラダラと説明するのを嫌い、つい表現をはしょってしまうため、現代のわれわれにはよく通じないことが、ままあります。

これを「世に二つとない」と補って解釈することも可能でしょうが、それではいくらなんでも意味が百八十度ひっくり返ってしまうので、やはり前者程度の「解読」が無難でしょう。

【もっとしりたい】

五代目古今亭志ん生が、神田白梅亭で初代三遊亭遊三のやった「火焔太鼓」を聞いたのは、明治40年(1907)ごろのこと。前座なりたてのころだったらしい。

それから約30年後、志ん生はじっくり練り直した「火焔太鼓」を演じる。世評を喝采させて不朽の名作に仕立て上げてしまった。

とはいえ、全編にくすぐりをてんこ盛りにした噺にすぎない。噺の大筋は遊三のと変わっていないのだが。

海賀変哲は、この噺を「全く以ってくだらないお笑いです」と評している。遊三の専売だったそうだ。

遊三のは、太鼓でもうけたあとに半鐘を買ってきて小僧がジャンジャン鳴らしたら、近所の人が火事と間違えて店に乱入。飾ってあった道具はめちゃくちゃに。「ドンと占めた太鼓のもうけが半鐘でおジャンになった」というオチになっている。

五代目桂文楽は、火事のくだりで、懐からおもちゃのまといを取り出して振るという所作をしていたそうだ。大正のころのこと。うーん、こんな芸で受けたのだろうか。

志ん生のは、金を差し出してかみさんを驚き喜ばせるくだりで笑いがピークに達したところで、すーっと落とす筋の運び。見事に洗練されている。

遊三のでは、甚兵衛ではなく銀座の太兵衛だ。お殿さまは赤井御門守、侍は平平平平(ひらたいらへっぺい)。落語世界ではお決まりの面々である。

それを、志ん生は甚兵衛以外名なしで通した。おそらく、筋をしっかり聞いてほしいというたくらみからだったのだろう。

リアリティーなどどうでもいいのだ、この噺には。

火焔太鼓とは、舞楽に使うもの。太鼓の周りが火焔の文様で施されている。一般に、面の直径は6尺3寸(約2m)という。まあ、庶民には縁のなさそうな代物だ。

志ん生の長男・金原亭馬生が「火焔太鼓ってのは風呂敷で持っていけるようなものじゃないよ、おとっつぁん」と詰め寄ったという逸話は、既出の手垢のついた話題だ。

遊三の「火焔太鼓」でも、太兵衛は風呂敷でお屋敷に持参している。志ん生は遊三をなぞっているわけだから、当然だ。考証や詮索にうつつを抜かしすぎると、野暮になるのが落語というもの。

リアリティーを出すために太鼓を大八車に載せては、それこそおジャンだ。この噺の眼目は、別のところにあるのだろうから。

(古木優)

【火焔太鼓 古今亭志ん朝】

はつねのつづみ【初音の鼓】演目 

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歌舞伎『義経千本桜』中、有名な「狐忠信」のパロディー です。

別題:ぽんこん

【あらすじ】

骨董好きの殿さまのところに、出入りの道具屋・金兵衛が怪しげな鼓を売り込みに来る。

側用人の三太夫に、これは下駄の歯入れ屋のじいさんが雨乞いに使っていた鼓で、通称「初音の鼓」という。

じいさんが
「今度娘夫婦に引き取られて廃業するので形見にもらった」
と説明。

これを殿さまに百両でお買い上げ願いたいと言うから、三太夫はあきれた。

なにしろこの男、この間も真っ黒けの天ぷら屋の看板を、慶長ごろの額と称して、三十両で売りつけたという「実績」の持ち主。

金兵衛、殿さまの身になれば、「狐忠信」の芝居で名高い「初音の鼓」が百両で手に入れば安いもので、一度買って蔵にしまってしまえば、生涯本物で通ると平然。

「もし殿が、本物の証拠があるかと言われたら、どうする」
「この鼓を殿さまがお調べになりますと、その音を慕って狐がお側の方に必ず乗り移り、泣き声を発します、とこう申し上げます」
「乗り移るかい」
「殿さまがそこでポンとやったら、あなたがコンと鳴きゃ造作もないことで」

三太夫、
「仮にも武士に狐の鳴きまねをさせようとは」
と怒ったが、結局、一鳴き一両で買収工作がまとまる。

殿さまポンの、三太夫コンで一両。

ポンポンのコンコンで二両というわけ。

早速、金兵衛を御前に召し連れる。

話を聞いた殿さまが鼓を手にとって「ポン」とたたくと、側で三太夫が「コン」。

「これこれ、そちはただ今こんと申したが、いかがいたした」
「はあ、前後忘却を致しまして、一向にわきまえません」

「ポンポン」
「コンコン」
「また鳴いたぞ」
「前後忘却つかまつりまして、いっこうに」
「ポンポンポン」
「コンコンコン」
「ポンポン」
「コンコンコンコン」
「これ、鼓はとうにやめておる」
「はずみがつきました」

「次の間で休息せよ」
というので、二人が対策会議。

いくつ鳴いたか忘れたので、結局、折半の五十両ずつに決めたが、三太夫、鳴き疲れて眠ってしまい、ゆすっても起きない。

そこへ殿さまのお呼び出し。

一人で御前へ通ると、殿さまが
「今度はそちが調べてみい」

さあ困ったが、今さらどうしようもない。

どうなるものかと金兵衛が「ポン」とたたくと、殿さまが「コン」。

「殿さま、ただ今お鳴きに」
「何であるか、前後忘却して覚えがない」
「ありがとうさまで。ポンポンポン、スコポンポン」
「コンコンコン、スココンコン」
「ポンポン」
「コンコン……。ああ、もうよい。本物に相違ない。金子をとらすぞ」「へい、ありがとうさまで」

金包みを手に取ると、えらく軽い。

「心配するな。三太夫の五十両と、今、身が鳴いたのをさっ引いてある」

底本:六代目三遊亭円生

【しりたい】

歌舞伎のパロディー

古風な噺で、歌舞伎や文楽のファンにはなじみ深い「義経千本桜」の「狐忠信」のくだりのパロディーです。

「初音の鼓」はその前の場「吉野山」で、落ち行く義経が愛妾の静御前に形見に与える狐革の鼓をさします。

親狐の皮でつくったその鼓を慕う子狐が、家来の佐藤忠信に化けて静に同行し、鼓を奪おうとするが、見破られ、静の打つ鼓の音で正体を現すのです。

「初音」の意味は、その浄瑠璃の詞章に「狐は陰の獣ゆえ、雲を起こして降る雨の、民百姓が喜びの声を初めてあげしより」に由来します。

噺の中で下駄屋の爺さんが雨乞いをしたのは、天気だと皆わらじばかり履き、下駄の歯がすりきれないから。

林家彦六がよく演じましたが、立川談志も持ちネタにしていました。

殿さま、金兵衛、三太夫みんな仲良しで、誰もがうそを承知で遊び戯れているような、ほのぼのと捨てがたい味わいが。

別話の「継信」も、別題が「初音の鼓」なので、区別してこの噺は「ぽんこん」とも呼ばれています。

【初音の鼓 三遊亭円生】