よかちょろ 演目

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なんだか意味不明の「よかちょろ」。道楽息子の噺です。

別題:山崎屋・上

【あらすじ】

若だんなの道楽がひどく、一昨日使いに行ったきり戻らないので、だんなはカンカン。

番頭に、おまえが信用しないとよけい自棄になって遊ぶからと、与田さんの掛け取りにやるように言ったのがいけないと、八つ当たり。

今日こそみっちり小言を言うから、帰ったら必ず奥へ寄越すように、言いつける。

実はこっそり帰っている若だんな、おやじが奥へ入るとちゃっかり現れ、番頭にさんざん花魁のノロケを聞かせた挙げ句、ずうずうしくも、これからおやじに意見してくるという。

「おやじは、癇癪持ちだから、すぐ煙管の頭でポカリとくるが、あたしの体は花魁からの預かり物で、顔に傷をつけるわけにはいかない。もし花魁が傷のわけを知ったら『なんて親です。おやじというのは人間の脱け殻で、死なないように飯をあてがっとけばいいんです。そういうおやじは片づけてくださいッ』」

興奮してきて番頭の首を締め上げ、大声を出すので奥に筒抜けで、
「番頭ォ」
とどなる声。

「あたしがやりこめて、煙管が飛んできたら体をかわすから、おまえが代わりに首をぬっと出しな」
「ご免こうむります」

嫌がるのをぽかりとなぐり、一回二円で買収し、おやじの前へ。

「おとっつぁん、ご機嫌よろしゅう」
「ちっともご機嫌よくないッ。黙って聞いてりゃいい気になりゃあがってッ。おまえみたいなのは、兄弟があれば家に置く男じゃないんだ」

与田さんとこで勘定は取ってきたかと追及すると、確かに十円札で二百円もらったが、使っちまったと、いう。

おやじ、唖然として、
「たった一日や半日で二百円の大金を使い切れるものじゃない」
と言うと、
「ちゃんと筋道の通った、むだのない出費です」
と、譲らない。

いよいよ頭に来て
「なら、内訳を言ってみろ。十銭でも計算が違ったら承知しないからな」

若だんな、いわく、
「まず髭剃代が五円」

大正のそのころで、一人三十銭もあれば顔中髭でもあたってくれる。

「おとっつぁんのは普通の床屋で、あたしのは、花魁が『あたしが湿してあげます。こっちをお向きなさいったら』って」
と、おやじの顔をグイと両手でこっちへ向けたから、おやじは毒気を抜かれてしまう。

あとは
「『よかちょろ』を四十五円で願います」

「安くてもうかるものだ」
というので、
「ふうん、おまえはそれでも商人のせがれだ。あるなら見せなさい」
「へい。女ながらもォ、まさかのときはァ、ハッハよかちょろ、主に代わりて玉だすきィ……しんちょろ、味見てよかちょろ、しげちょろパッパ。これで四十五円」

あきれ返って、そばの母親に
「二十二年前に、おまえの腹からこういうもんができあがったんだ。だいたいおまえの畑が悪いから」
「おとっつぁんの鍬だってよくない」
と、ひともめ。

「孝太郎が自分の家のお金を喜んで使ってるんだから、それをお小言をおっしゃるのはどういう料簡です。それに、あなたと孝太郎は年が違います」
「親子が年が同じでたまるかい」
「いいえ、あなたも二十二のときがありました。あなたが二十二であたしが十九で、お嫁に来たとき三つ違い。今でも三つ違い」
「なにを、ばかなことを言ってるんだ」

これから若だんな勘当とあいなる。

底本:八代目桂文楽

【しりたい】

遊三、文楽

「山崎屋」の発端部分を、初代三遊亭遊三が明治20年(1887)前後に、当時流行の「よかちょろ節」を当て込んで滑稽落語に改作したものですが、現在では別話と見なされます。

遊三以後はほとんど演じ手がなく、昭和以後は八代目桂文楽の独壇場でしたが、その没後は継承者はいません。

遊三では、このあと、母親が父親とのなれそめをえんえんとのろけたあげく夫婦げんかになり、おやじが今聞いた「よかちょろ」の歌詞をもう忘れているというので、「パッパというところがありますよ。お父さんパッパ」「ハッハ、よかちょろパッパ」となっていますが、わかりづらい(英語のパパ=パッパを効かしたものか?)ので、文楽が以下をカットしています。

文楽晩年の演出ではオチはありませんが、かつては、若だんながこれ以外の出費を並べて二百円ちょうどにしたので、おやじがケムにまかれて「うん、してみると無駄が少しもない」と落とすやり方もありました。

山崎屋

長編で、道楽者の若だんなが番頭の知恵でおやじをだまし、めでたく吉原の花魁を身請けしてかみさんにするという筋です。

「よかちょろ」のもとになった発端部分は、若だんなの花魁のノロケを、そっくり小僧がまねしてしかられる、というたわいないお笑いです。本体の「山崎屋」でも、この部分はかなり早くから演じられなくなっていました。

よかちょろ節

明治21年(1888)ごろ流行した俗曲です。

芸者だませば七代たたる
パッパよかちょろ
たたるはずだよ猫じゃもの
よかちょろ
スイカズワノホホテ
わしが知っちょる
知っちょる
言わでも知れちょるパッパ

こういう歌詞が伝わりますが、意味は不明。

この噺のとは違いますが、とにかく「パッパよかちょろ」が付けばいいとかなり替え歌ができたようです。

「よか」と「ちょろ」

「よかちょろ」の「ちょろ」は、東京ことばの「ちょろ」または「ちょろっか」で、「安易」「たやすい」の意味。

「よか」は薩摩なまりに引っかけたものでしょう。つまり、「いいよいいよ、ちょろいもんだ」ということ。

遊三の現存の速記は明治40年(1907)のものです。噺中の替え歌「女ながらも……」の元唄は不明で、おそらく内容から、日清か日露の戦時中のものと思われます。

スイカズワ

「猫」は芸者の異称で、猫皮の三味線を商売道具にし、客を「化かす」ところから。「スイカズワのホホテ」は、おそらく「すいかづら(忍冬=ツルクサ、カヅラの一種)の這うて」の誤記・誤聞で、ツルクサが長く這うように、相手をずっと思い続ける意味なのでしょう。「玉かづら→這(延)う」は万葉時代からの代表的な枕詞です。

「いいよいいよ、おまえたちの仲はお見通しだ。ワシが何もかものみこんでいるから心配するな」という内容の、粋な唄ですね。

【語の読みと注】
花魁 おいらん
癇癪 かんしゃく
煙管 きせる
唖然 あぜん
髭 ひげ
料簡 りょうけん

六尺棒 ろくしゃくぼう 演目

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ほとんど二人、おやじと息子のやりとりのみで展開する「対話噺」です。

【あらすじ】

道楽息子の孝太郎が吉原からご帰還。

店が閉め切ってあるので、戸口をどんどんたたく。

番頭と思いのほか、中からうるさいおやじの声。

「ええ、夜半おそくどなたですな。お買い物なら明朝願いましょう。はい、毎度あり」
「いえ、買い物じゃないんですよ……あなたのせがれの孝太郎で」

さすがにまずいと思っても、もう手遅れ。

「……ああ、孝太郎のお友達ですか。手前どもにも孝太郎という一人のせがれがおりますが、こいつがやくざ野郎で、夜遊び火遊び。あんな者を家に置いとくってえと、しまいにゃ、この身上をめちゃめちゃにします。世間へ済みませんから、親類協議の上、あれは勘当しましたとどうか孝太郎に会いましたなら、そうお伝えを願います」

明日っからもう家にいますと謝ろうが、跡取りを勘当しちまって、家はどうなると脅そうが、いっこうに効き目なし。

自殺すると最後の奥の手を出しても……。

「止めんなら今のうちですよ……ううう、止めないんですか。じゃあ、もう死ぬのはやめます」
「ざまァ見やがれ……と言っていたとお伝えを願います」

孝太郎、とうとう開き直って、できが悪いのは製造元が悪いので、悪ければ捨てるというのは身勝手だと抗議するが……。

「やかましい。他人事に言って聞かせりゃいい気になりやがって、よそさまのせがれさんは、おやじの身になって、『肩をたたきましょう』『腰をさすりましょう』、おやじが風邪をひけば『お薬を買ってまいりましょう』と、はたで見ていても涙が出らァ。少しは世間のせがれを見習え」

親父が小言にかかると、孝太郎、養子をとってまで、どうでも勘当すると言うなら、他人に家を取られるのはまっぴらなので、火をつけて燃やしてしまうと脅迫。

言葉だけでは効果がないと、マッチに火をつけてみせたから、戸のすきまから様子をうかがっていたおやじ、さすがにあわてだす。

六尺棒を持って、表に飛び出し
「この野郎、さァ、こんとちくしょう!」

幸太郎、追いかけられて、これではたまらんと逃げ出し、抜け裏に入って、ぐるりと回ると家の前に戻った。

いい具合に、おやじが開けた戸がそのままだったので、これはありがたいと中に入るとピシャッと閉め込み、錠まで下ろしてしまった。

そこへおやじが腰をさすりながら戻ってくる。

「おい、開けろ」
「ええ、どなたでございましょうか」
「野郎、もう入ってやがる。お前のおやじの孝右衛門だ」
「ああ、孝右衛門のお友達ですか。手前どもにも孝右衛門という一人のおやじがありますが、あれがまあ、朝から晩まで働いて、ああいうのをうっちゃっとくってえと、しまいにゃ、いくら金を残すかしれませんから、親類協議の上、あれは勘当いたしました」

立場が完全に逆転。

「やかましい、他人事に言って聞かせりゃいい気になりやがって、世間のおやじは、せがれさんが風邪でもひいたってえと、『一杯のんだらどうだ?小遣いをやるから、女のとこへ遊びにでも行け』。はたで見ていても涙が出らァ。少しは世間のおやじを見習え」
「なにを言やがんでェ。そんなに俺のまねをしたかったら、六尺棒を持って追いかけてこい」

底本:五代目古今亭志ん生

【しりたい】

初代遊三の十八番

文化4年(1807)の口演記録が残る、古い噺です。

明治末期には 初代三遊亭遊三が得意にしていました。 御家人上がりで、もとは彰義隊士という変わり種の落語家でした。

この遊三、ヘナヘナ侍の典型で、幕府賄方役人でありながら、飲む打つ買うの「三道楽煩悩」だけが一人前。

お城勤めよりも、寄席で一席うかがうのがむしろ本業で、彰義隊に駆り出されて立てこもった上野の山からも、さっさと脱走。

維新後、裁判官になりましたが、被告の女に色目を使われてフラフラ。カラスをサギと、有罪をむりやり無罪にしてあっさりクビに。これでせいせいしたと喜んで落語家に「戻った」という、あっぱれな御仁です。

女優、十朱幸代の曽祖父にあたります。つまり、十朱久雄の祖父ということですね。なんとなく納得。

志ん生へ

この遊三師匠、五代目志ん生の父親の美濃部戌行、明治の爆笑王金ちゃんこと初代三遊亭円遊と三人、御家人仲間で、若き日の遊び友達。

その関係でか、せがれの志ん生をかわいがり、志ん生は、のちに十八番にした、「火焔太鼓」「疝気の虫」なども遊三から習っています。この「六尺棒」もその一つです。

遊三の明治41年(1908)の速記を見ると、このおやじ、ガンコを装っていても、一皮むけば実に大甘で、せがれになめられっ放しということがよくわかります。本当に勘当する気などさらさらなく、むしろ心配で心配でならないのです。

志ん生の方は、遊三のくすぐりなどは十分残しながら親子して「勘当ごっこ」で遊びたわむれてるような爆笑編に仕上げています。

なかでも、おやじがいちいち、返事に「明日ッから明日ッからてえのは、もう聞き飽きた……とお言伝てを願います」「どうしようと大きなお世話だ……とお言伝を願います」というぐあいに、いちいち「お言伝て」をつけるところは抱腹絶倒です。

十代のころ、もと警官のおやじの金キセルを勝手に質入れして槍を持って追いかけられ、そのまま家に帰らなかったというほろ苦い思い出が、志ん生のこの噺に生きているのでしょう。

六尺棒

樫材などで作る、泥棒退治用のこん棒ですが、志ん生の父親は維新後は「棒」と呼ばれた草創期の巡査で、巡邏のときは、いつも長い木の棒を持ち歩いていたとか。

高座でこの噺を演じながら、志ん生は、遊三と同じ年(大正3年)に亡くなった、遠い日の父親を思い出していたかもしれません。

対話噺

落語は、講談と違って、複数の登場人物の会話を中心に進めていく芸です。例外的に「地ばなし」といって、説明が中心になるものもありますが、大半は演者は「ワキ」でしかありません。

今回の「六尺棒」は、その中でも登場人物が二人しかいない、おやじと息子のやりとり、ダイアローグだけで展開する「対話噺」とでもいえるものです。それだけに、イキ、テンポ、間の取り方が命で、芸の巧拙がこれほどはっきりわかる噺はないかもしれません。

この種のものは落語にはそう多くありません。

隠居と八五郎しか登場しない「浮世根問」はその典型。「穴子でからぬけ」「今戸焼」「犬の目」なども同じように登場人物二人ですが、どちらかというと小咄程度の軽い噺ばかりです。「六尺棒」のように本格的な劇的構成を持ち、背景としての人物も登場しない噺はかなりまれです。