船を岸につなぎとめておくこと。
おい、なにやってんだよ。船がまだ舫ってあるじゃねえか。
「舫い」という名詞の場合は、「船と船、船と岸をつなぐ綱」をいいます。
そこから、「舫い遣い」ということばが生じて、「二人で一人をつかう」、「共用する」意味に。となると、「舫う」も「共用する」意に。「船縄」を「もやい」と読んだりもします。
450演目。それぞれをギュッと千字に。わかりやすくて深い情報。
船を岸につなぎとめておくこと。
おい、なにやってんだよ。船がまだ舫ってあるじゃねえか。
「舫い」という名詞の場合は、「船と船、船と岸をつなぐ綱」をいいます。
そこから、「舫い遣い」ということばが生じて、「二人で一人をつかう」、「共用する」意味に。となると、「舫う」も「共用する」意に。「船縄」を「もやい」と読んだりもします。
船宿に駆け込んできた男と女。金銭欲丸出しの船頭との取り合わせで。
【あらすじ】
山谷堀の吉田屋という船宿。
そこの船頭・熊五郎は、このところ毎晩のように超現実的な寝言をうなっている。
「金が欲しいな。二十両欲しい。だれかくれぇ」
ある夜、いつものように熊の
「金くれえ」
が始まったころ合いに、門口で大声で案内を乞う者がある。
亭主が出てみると、年のころは三十ばかり、赤羽二重の黒紋の羽織、献上博多の帯のぼろぼろになったのを着た侍が、お召し縮緬の小袖に蝦夷錦の帯を締め、小紋の羽織、文金高島田しとやかにお高祖頭巾をかぶった十六、七の娘を連れて、雪の中を素足で立っている。
話を聞くと、今日妹を連れて芝居見物に行ったが、遅くなり、この雪の中を難渋しているので、大橋まで屋根舟を一艘仕立ててもらいたいという。
今、船頭は相変わらず
「二十両くれえ」
とやっている熊五郎しかいない。
「大変に欲張りなやつですから、酒手の無心でもするとお気の毒ですので」
と断っても
「かまわない」
と言うので、急いで熊を起こして支度をさせる。
舟はまもなく大川の中へ。
酒手の約束につられてしぶしぶ起き出した熊五郎、出がけにグイっとあおってきたものの、雪の中。寒さにブルブル震えながら漕いでいる。
娘の顔をちらちら見て
「こいつら兄妹じゃねえな」
と踏んだが、まあなんにしろ
「早くゼニをくれればいい、酒手をくれ、早く一分くれ」
と独り言を言っていると、侍が舟の障子をガラリと開け
「おい、船頭。ちょっともやえ(止めろ)。きさまに話がある」
女は寝入っている。
「この娘は実は妹ではなく、今日、吉原土手のところで犬に取り巻かれて難儀していたのを助けてやったもの。介抱しながら懐に手を入れると、大枚二百両を持っていたから、これからこの女をさんざんなぐさんだ上、金をとってぶち殺すので手伝え」
という。
熊が仰天して断ると、侍は
「大事を明かした上は命はもらう」
とすごむ。
「それじゃあ、いくらおくんなさいます」
「さすがは欲深いその方。震えながらも値を決めるのは感心だ。二両でどうだ」
「冗談言っちゃいけねえ。二両ばかりの目くされ金で、大事な首がかけられるけえ。山分け、百両でどうでやす。イヤなら舟を引っくり返してやる」
とにかく話がまとまった。
舟中でやるのは証拠が残るからと言って中洲まで漕ぎつけ、侍が先に上がったところをいっぱいに棹を突っ張り、舟を出す。
「ざまあみろ。土左衛門になりゃあがれ」
これから娘を親元である本町三丁目の糸屋林蔵に届け、二十両の礼金をせしめる。
思わず金を握りしめた瞬間
「あちいッ」
夢から覚めると熊、おのれの熱いキンを握っていた。
【しりたい】
六代目円生の芸談
戦後、稠密な人物描写の妙で、この噺には定評のあった六代目三遊亭円生は、「これは初めから終わりまで夢……まことにたあいのない噺ですが、出てくる人物の表現、言葉のやりとり、そういったものを形から何からととのえてやれば面白く聞けるというのが、むずかしいところでもあるわけです。(中略)とりわけこの『夢金』なぞは、まずくやったら聞いちゃいられないという噺でございます」と語り残しています。
「芝浜」などと同じく、最後まで夢であると客に悟らせず、緊密な構成と描写力で噺を運ぶ力量が必要とされる、大真打の出し物でしょう。
我欲の浅ましさ
古くは別題を「欲の熊蔵」ともいいましたが、その通り、熊に代表される人間の金銭欲のすさまじさ、浅ましさが中心になります。
ただ、その場合も落語のよいところで、その欲望を誰もが持っている業として、苦笑とともに認めることで、この熊五郎も実に愛すべき、今でもどこにでもいそうな人間に思えてきます。
円生は、金銭欲の深さを説明するのに、マクラで「百万円やるからおまえさんをぶち殺させろ」と持ちかけられた男が、「半分の五十万円でいいから、半殺しにしてくれ」という小ばなしを振っています。
オチの改訂
昔からそのものずばり、夢うつつで金玉を握り、その痛さで目覚めるというのが本当で、これでこそ「カネ」と「キン」の洒落でオチが成立するのですが、やはり下品だというので、そのあたりをぼやかす演者も少なくありません。
たとえば、「錦嚢」と題した明治23年(1890)の二代目古今亭今輔の速記では、熱いと思ったらきんたま火鉢(火鉢を股間に挟んで温まる)をして寝ていた、と苦肉の改訂をしていますし、立川談志は、金玉の部分をまったくカットして、「静にしろッ、熊公ッ」と初めの寝言の場面に戻り、親方にどなられて目覚める幕切れにしていました。
明治の珍演出
安藤鶴夫・述『四代目小さん・聞書』によると、明治の初代・三遊亭円右は、「夢金」を演ずるとき、始めから終わりまで、人物のセリフも地の語りもすべて、人気役者や故人の落語家、講釈師の声色(声帯模写)で通したということです。
これは「夢金」だけに限られたといいますから、それだけこの噺は、芝居がかったセリフが目立つということなのでしょう。
お召し縮緬と蝦夷錦
お召し縮緬(ちりめん)は、横に強い撚りをかけた糸を織り込み、織ったあと、ぬるま湯に入れてしぼり立てた絹織物です。
縞、無地、紋、錦紗などの種類があります。
「お召し」とは貴人が着用したことから付いた名称です。
蝦夷錦(えぞにしき)は、繻子地に金糸、銀糸と染め糸で雲竜の紋を織り出した錦。
満洲(中国東北部)でつくられたものが、樺太、蝦夷(北海道)経由で入ってきたため、この名があります。
文金高島田
日本髪で、島田髷(まげ)の根を高く上げ、油で固めて結ったものです。
高尚、優美な髪型で、江戸時代には御殿女中、明治維新後は花嫁の正装となりました。
これに似せた「文金風」は男の髪型で、髷の根を上げて前に出し、月代(さかやき)に向かって急傾斜させた形です。
お高祖頭巾
おこそずきん。四角な切地に紐を付けた頭巾で、頭、面、耳を隠し、目だけを出します。
婦人の防寒用で、袖頭巾ともいいます。
時代劇で、ワケありの女がお忍びで夜出歩くときに、よく紫地のものをかぶっていますね。
勘当若だんなの噺。船頭にあこがれる道楽の過ぎた野郎は見上げたもんです。
別題: お初徳兵衛
【あらすじ】
道楽が過ぎて勘当され、柳橋の船宿・大枡(だいます)の二階で居候の身の上の若だんな、徳兵衛。
暇をもてあました末、いなせな姿にあこがれて「船頭になりたい」などと、言いだす始末。
親方始め船宿の若い者の集まったところで「これからは『徳』と呼んどくれ」と宣言してしまった。
お暑いさかりの四万六千日。
なじみ客の通人が二人やってきた。あいにく船頭が出払っている。
柱に寄り掛かって居眠りしている徳を認めた二人は引き下がらない。
船宿の女将が止めるのもきかず、にわか船頭になった徳、二人を乗せて大棧橋までの約束で舟を出すことに。
舟を出したのはいいが、同じところを三度も回ったり、石垣に寄ったり。
徳「この舟ァ、石垣が好きなんで。コウモリ傘を持っているだんな、石垣をちょいと突いてください」
傘で突いたのはいいが、石垣の間に挟まって抜けずじまい。
徳「おあきらめなさい。もうそこへは行きません」
さんざん二人に冷や汗をかかせて、大桟橋へ。
目前、浅瀬に乗りあげてしまう。
客は一人をおぶって水の中を歩いて上にあがったが、舟に残された徳、青い顔をして「ヘッ、お客さま、おあがりになりましたら、船頭を一人雇ってください」
底本:八代目桂文楽
【しりたい】
文楽のおはこ
八代目桂文楽の極めつけでした。
文楽以後、無数の落語家が「船徳」を演じていますが、はなしの骨格、特に、前半の船頭たちのおかしみ、「四万六千日、お暑い盛りでございます」という決め文句、客を待たせてひげを剃る、若旦那船頭の役者気取り、舟中での「この舟は三度っつ回る」などのギャグ、正体不明の「竹屋のおじさん」の登場などは、刷り込まれたDNAのように、どの演者も文楽に右にならえです。
ライバルの五代目古今亭志ん生は、前半の、若旦那の船頭になるくだりは一切カットし、川の上でのドタバタのみを、ごくあっさりと演じていました。
この噺は元々、幕末の初代志ん生作の人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋」発端を、明治の爆笑王・鼻の円遊こと初代三遊亭円遊がパロディ化し、こっけい噺に仕立てたものです。
元の心中がらみの人情噺は、五代目志ん生が「お初徳兵衛」として時々演じました。
四万六千日さま
浅草の観世音菩薩の縁日で、旧暦7月10日にあたります。現在の8月なかば、もちろん猛暑のさ中です。
この日にお参りすれば、四万六千日(約128年)毎日参詣したのと同じご利益が得られるという便利な日です。なぜ四万六千日なのかは分かりません。
この噺の当日を四万六千日に設定したのは明治の三代目柳家小さんといわれます。
「お初徳兵衛浮名桟橋」のあらすじ
(上)勘当された若旦那・徳兵衛は船頭になり、幼なじみの芸者お初を送る途中、夕立に会ったのがきっかけで関係を結ぶ。
(中)ところが、お初に横恋慕する油屋九兵衛の策謀で、徳兵衛とお初は心中に追い込まれる。
(下)二人は死に切れず、船頭の親方のとりなしで徳兵衛の勘当もとけ、晴れて二人は夫婦に。
竹屋のおじさん
客を乗せて船出した後、徳三郎が「竹屋のおじさあん、今からお客を 大桟橋まで送ってきますゥッ」と橋上の人物に呼びかけ、このおじさんなる人が、「徳さんひとりかいッ?大丈夫かいッ?」と悲痛に絶叫して、舟中の旦那衆をふるえあがらせるのが、「船徳」の有名なギャグです。
「竹屋」は、今戸橋の橋詰、向島に渡す「竹屋の渡し」の山谷堀側にあった、同名の有名船宿を指すと思われます。
端唄「夕立や」に「堀の船宿、竹屋の人と呼子鳥」という文句があります。
渡船場に立って、「竹屋の人ッ」と呼ぶと、船宿から船頭が艪を漕いでくるという、夏の江戸情緒にあふれた光景です。
噺の場面も、多分この唄からヒントを得たものでしょう。
【船徳 古今亭志ん朝】