初天神 はつてんじん 演目

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悪ガキの上手をいく、ピンボケな、すれたおやじ、熊五郎の噺です。

【あらすじ】

新しく羽織をこしらえたので、それをひけらかしたくてたまらない熊五郎。

今日は初天神なので、さっそくお参りに行くと言い出す。

かみさんが、
「それならせがれの金坊を連れていっとくれ」
と言う。

熊は
「口八丁手八丁の悪がきで、あれを買えこれを買えとうるさいので、いやだ」
とかみさんと言い争っている。

当の金坊が顔を出して
「家庭に波風が立つとよくないよ、君たち」

親を親とも思っていない。

熊が
「仕事に行くんだ」
とごまかすと
「うそだい、おとっつぁん、今日は仕事あぶれてんの知ってんだ」

挙げ句の果てに、
「やさしく頼んでるうちに連れていきゃ、ためになるんだけど」
と親を脅迫するので、熊はしかたなく連れて出る。

道々、熊は
「あんまり言うことを聞かないと、炭屋のおじさんに山に捨ててきてもらうぞ」
と脅すと
「炭屋のおじさんが来たら、逃げるのはおとっつぁんだ」
「どういうわけでおとっつぁんが逃げる」
「だって、借金あるもん」

弱みを全部知られているから、手も足も出ない。

そのうち案の定、金坊は
「リンゴ買って、みかん買って」
と始まった。

「両方とも毒だ」
と熊が突っぱねると
「じゃ、飴買って」

「飴はここにはない」
と言うと
「おとっつぁんの後ろ」
と金坊。

飴売りがニタニタしている。

「こんちくしょう。今日は休め」
「冗談いっちゃいけません。今日はかき入れです。どうぞ坊ちゃん、買ってもらいなさい」

二対一ではかなわない。

一個一銭の飴を、
「おとっつぁんが取ってやる」
と熊が言うと
「これか? こっちか?」
と全部なめてしまうので、飴売りは渋い顔。

金坊が飴をなめながらぬかるみを歩き、着物を汚したのでしかって引っぱたくと
「痛え、痛えやい……。なにか買って」

泣きながらねだっている。

「飴はどうした」
と聞くと
「おとっつぁんがぶったから落とした」
「どこにも落ちてねえじゃねえか」
「腹ん中へ落とした」

今度は凧をねだる。

往来でだだをこねるから閉口して、熊が一番小さいのを選ぼうとすると、またも金坊と凧売りが結託。

「へへえ、ウナリはどうしましょう。糸はいかがで?」

結局、特大を買わされて、帰りに一杯やろうと思っていた金を、全部はたかされてしまう。

金坊が大喜びで凧を抱いて走ると、酔っぱらいにぶつかった。

「このがき、凧なんか破っちまう」
と脅かされ、金坊が泣き出したので
「泣くんじゃねえ。おとっつぁんがついてら。ええ、どうも相すみません」

そこは父親で、熊は平謝り。

そのうち、今度は熊がぶつかった。

金坊は
「それ、あたいのおやじなんです。勘弁してやってください。おとっつぁん、泣くんじゃねえ。あたいがついてら」

そのうち、熊の方が凧に夢中になり
「あがった、あがったい。やっぱり値段が高えのはちがうな」
「あたいの」
「うるせえな、こんちきしょうは。あっちへ行ってろ」

金坊、泣き声になって
「こんなことなら、おとっつぁん連れて来るんじゃなかった」

【しりたい】

オチが違う原話

後半の凧揚げのくだりの原話は、安永2年(1773)、江戸で出版された笑話本『聞上手』中の小ばなし「凧」ですが、オチが若干違っています。

おやじが凧に夢中になるまでは同じですが、子供が返してくれとむずかるので、おやじの方のセリフで、「ええやかましい。われ(おまえ)を連れてこねばよかったもの(を)」。

ひねりがなく平凡なものですが、古くは落語でもこの通りにやっていたようです。

文化年間から口演か

古い噺で、上方落語の笑福亭系の祖といわれる初代松富久亭松竹(生没年不詳)が前項の原話をもとに落語にまとめたものといわれています。

松竹は少なくとも文政年間(1818-30)以前の人とされるので、この噺は上方では文化年間(1804-18)にはもう演じられていたはずです。

松竹が作ったと伝わる噺には、このほか「松竹梅」「たちぎれ」「千両みかん」「猫の忠信」などがあります。

東京には、比較的遅く、大正に入ってから。三代目三遊亭円馬が移植しました。

仁鶴の悪童ぶり

東京では柳家小三治、三遊亭円弥、上方では桂米朝でしたが、六代目松鶴から継承した笑福亭仁鶴も得意とします。オチは同じでも、上方の子供のこすっからさは際立っています。

初天神

旧暦では1月25日。そのほか、毎月25日が天神の祭礼で、初天神は一年初めの天神の日をいいます。

現在でも同じ正月25日で、各地の天満宮が参拝客でにぎわいますが、大阪「天満の天神さん」の、キタの芸妓のお練りは名高いものです。

がまのあぶら【蝦蟇の油】演目

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ホント、昔はよく縁日で見かけたもんです、こういうの。

【あらすじ】

その昔、縁日にはさまざまな物売りが出て、口上を述べ立てていたが、その中でもハバがきいたのが、蝦蟇の油売り。

ひからびたガマ蛙を台の上に乗せ、膏薬が入った容器を手に、刀を差して、白袴に鉢巻、タスキ掛けという出て立ち。

「さあさ、お立会い。御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいで。遠目山越し笠のうち、物の文色(あいろ)と道理がわからぬ……」

さまざまに言い立てて、なつめという容器の蓋をパッと取り、「手前持ち出したるはこれにあるヒキセンソウはがまの油。……手前持ちいだしたるは四六のがまだ。四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本、後足の指が六本。これを名づけて四六のがま。このがまの棲める所は、これより、はァるゥか北にあたる筑波山の麓にて、オンバコという露草を食らう。……このがまの油を取るには、四方に鏡を立て、下に金網を敷き、その中にがまを追い込む。がまはおのれの姿が鏡に映るのを見ておのれで驚き、たらーりたらりと脂汗を流す。これを下の金網にてすき取り、柳の小枝をもって、三七二十一日の間とろーり、とろりと煮詰めたるのがこのがまの油だ。赤いはシンシャヤシイの実、テレメンテエカにマンテエカ、金創には切り傷、効能は、出痔イボ痔、はしり痔ヨコネガンガサ、その他腫れ物一切に効く。いつもはひと貝で百文だが、今日はおひろめのため、小貝を添え、二貝で百文だ」と、怪しげな口上で見物を引きつけておいて、膏薬の効能を実証するため、刀で白紙を三十六枚に切ってみせた。

「……かほどに斬れる業物でも、差裏差表へがまの油を塗る時は、白紙一枚容易に斬れぬ。さ、このとおり、たたいて……斬れない。引いても斬れない。拭き取る時はどうかというと、鉄の一寸板もまっ二つ。触ったばかりでこれくらい斬れる。だがお立会い、こんな傷は何の造作もない。がまの油をこうして付ければ、痛みが去って血がピタリと止まる」

こんな案配で、むろんインチキだが、けっこう売り上げがいいので気を良くしたがまの油売り、売り上げで大酒をくらってベロンベロンに酔ったまま、例の口上。

ロレツが回らないので支離滅裂。それでもどうにか紙を切るところまではきたが、「さ、このとおり、たたいて……切れた。どういうわけだ?」

「こっちが聞きてえや」
「驚くことはない、この通りがまの油をひと付け付ければ、痛みが去って……血も……止まらねえ……。二付け付ければ、今度はピタリと……かくなる上はもうひと塗り……今度こそ……トホホ、お立会い」
「どうした」
「お立会いの中に、血止めはないか」

【しりたい】

はなしの成立と演者

「両国八景」という風俗描写を中心とした噺の後半部が独立したものです。酔っぱらいが居酒屋でからむのを、連れがなだめて両国広小路に連れ出し、練り薬売りや大道のからくり屋をからかった後、がまの油売りのくだりになります。

前半部分は先代(三代目)金馬が酔っぱらいが小僧をなぶる「居酒屋」という一席ばなしに独立させ、大ヒット作にしました。金馬は、がまの油の口上をそのまま「高田の馬場」の中でも使っています。

昭和期では三代目春風亭柳好が得意にし、六代目三遊亭円生、八代目林家正蔵も演じました。大阪では、「東の旅」の一部として桂米朝など大師匠連も演じました。

上方版ではガマの棲息地は「伊吹山のふもと」となります。

オチは現行のもののほか、「(血止めの)煙草の粉をお持ちでないか」とすることもあります。

本物は……?

本物の「がまの油」はセンソといい、れっきとした漢方薬です。ガマの分泌液を煮詰めて作るのですから、この口上もあながちデタラメとはいえません。ただし、効能は強心剤、いわゆる気付け薬です。一種の覚せい剤のような作用があるのでしょう。

口上中の「テレメンテエカ」は、正しくは「テレメンテエナ」で、ポルトガル語です。松脂を蒸留して作るテレビン油のこと。芳香があり、染料に用います。

六代目円生「最後の高座」

1979年(昭和54)8月31日、死を四日後にひかえた昭和の名人・六代目三遊亭円生は、東京・三宅坂の国立小劇場でのTBS落語研究会で、「蝦蟇の油」を回想をまじえて楽しそうに演じ、これが公式には最後の高座となりました。

この高座のテレビ放送で、端正な語り口で解説を加えていた、劇作家・榎本滋民氏も2003年(平成15)1月16日、亡くなっています。

マンテエカ

『昭和なつかし博物学』(周達生、平凡社新書)によると、マンテエカはポルトガル語源で豚脂、つまりラードのことで、薬剤として用いられたそうです。

いやあ、知識というものはどこに転がっているかわかりませんな。不明を謝すとともに、周氏にはこの場を借りて御礼申し上げます。

同書は、ガマの油売りの詳細な実態ほか、汲めども尽きぬ文化人類学的知識が盛りだくさんでおすすめの一冊です。

ジャズのディジー・ガレスピー。ご当地シリーズの名曲「manteca」はジャマイカをイメージして彼が作ったものですが、このマンテカは「蝦蟇の油」のマンテエカと同語源です。英軍が現地人を虐殺、そのごろごろした死体の山をマンテカと呼んだというのが曲名の由来です。世界は狭いもので。なんともいやはや。

「ガマの油」でご難の志ん生

五代目古今亭志ん生が前座で朝太時分のこと。東京の二ツ目という触れ込みでドサ(=田舎)まわりをしているとき、正月に浜松の寄席で「がまの油」を出し、これが大ウケでした。

ところが、朝の起き抜けにいきなり、宿に四,五人の男に踏み込まれ、仰天。

「やいやい、俺たちゃあな、本物のガマの油売りで、元日はばかに売れたのに、二日目からはさっぱりいけねえ。どうも変だてえんで調べてみたら、てめえがこんなところでゴジャゴジャ言いやがったおかげで、ガマの油はさっぱりきかねえってことになっちまったんだ。おれたちの迷惑を、一体全体どうしてくれるんだッ」

ねじこまれて平あやまり、やっと許してもらったそうです。

志ん生が自伝「びんぼう自慢」で、懐かしく回想している「青春旅日記」の一節です。

【蝦蟇の油 三遊亭円生】

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

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