芝居好きの泥棒 しばいずきのどろぼう 演目

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

泥棒が婚礼宴の後に忍び込む、という設定自体が奇妙ですね。

別題:二番目

【あらすじ】

芝居好きの泥棒が犬に吠えたてられて、さるお屋敷に入り込む。

ちょうど婚礼の後らしく、入ってみると酒宴の後のごちそうや酒がまだ片付けられずに散らばり、使用人たちも全員酔いつぶれて白川夜船。

これ幸い、と徳利に残った酒を失敬して、グビリグビリ。

そのうち酔っぱらってきて、まぬけにも自分で
「お泥棒さまがへえったぞ。酒を持ってこい」
と、大声でオダをあげたから、寝ていた奴が目を覚ました。

庖丁を持っているかも知れないから怖いし、どうせ取られても自分の金ではないので、皆そのまま寝たふりをしていると、調子に乗った泥棒、
「さあ、お嫁さんを拝見しよう。二階だな。ミシリミシリ揺れている。ウーン、二階へ上がっていくべえ。さあ、石川五右衛門が競り上がっていくぜ」

昔はしゃれた奴があったもので、「競り上がる」というからには、この泥棒は芝居好きに違いないと見抜いて、台所にこっそり行って金だらいをたたき、三味線で「楼門」の下座を弾き始めた。

泥棒は嬉しくなった。

「ありがてえかっちけねえ。同類が増えた」

はしご段の真ん中で
「絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金と小せえ小せえ、この五右衛門の目からは価万両、はや日も西に傾き、まことに春の夕暮れに花の盛りもまた一しお、ハテ、うららかなァ、眺めじゃなあ」

うなりながら二階へ上がっていくので、あわてたのが、奉公人。

金どんが
「よし、オレが久吉になって止めてやる」
と、負い鶴の代わりに袖なしを着て、頭巾を手ぬぐいでこさえ
「石川や浜の真砂尽きるとも」
「なんと」
「世に盗人の種は尽きまじ」
「エイッ」

泥棒が手裏剣を打つと、ひしゃくで受け
「婚礼(巡礼)に、ご報謝」

底本:六代目桂文治

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

【しりたい】

原話はバレ噺

この噺、明治31年(1898)6月の『百花園』に掲載された、六代目桂文治の速記が唯一の口演記録です。

文治は、明治初期から中期にかけての、芝居噺の名手でした。

原話は不詳ですが、もともと艶笑落語で、バレで演じるときは「二番目」と題しました。

この場合は、泥棒が二階へ上がっていくと、もう若夫婦が夜の大熱戦の真っ最中で、「二番目じゃ、二番目じゃ」と、オチになります。これも、芝居用語がわからないと理解困難です。

最初、泥棒が階下で、「一番目もの」と呼ばれた時代物狂言の「楼門」の石川五右衛門のセリフをうなっていて、続いて上で若夫婦が「二番目狂言」、つまり男女の濡れ場が付き物の「世話物狂言」を、床の上でおっぱじめることから、このオチ、別題になるというわけです。

楼門

さんもん。本来の外題を「金門五三桐」(きんもんごさんのきり)といい、のち「楼門五三桐」と改題されました。初演は安永7年(1778)4月、大坂道頓堀中の芝居(のち中座)で、初代並木五瓶の作です。

全五幕の長編ですが、二幕目返し(第二場)の「楼門の場」が特に有名になり、現在ではほとんどこの場面だけが、歌舞伎の様式美の極致としてしばしば上演されます。

桜花がけんらんと咲き誇る、京都南禅寺の楼門の上で、大盗賊石川五右衛門が、ゆうゆうと夕日を眺めながら「絶景かな、絶景かな」の名セリフを大音声でうなります。

そこへ、真柴久吉(豊臣秀吉)に滅ぼされた五右衛門の父、此村大炊助こと、実は大明国の遺臣宋蘇卿の遺書を脚に結びつけた鷹が飛来。

それを読んだ五右衛門が、父の仇久吉を討って日本国を征服することを決心したとき、楼門の下から「石川や浜の真砂は尽きるとも」と、朗々と詠む声がして、巡礼姿の久吉がせり上がってくるという名場面です。

【語の読みと注】
金門五三桐 きんもんごさんのきり

自宅で始めて、年収1,300万円以上が可能

お血脈 おけちみゃく 演目

 落語ことば 落語演目 落語あらすじ事典 web千字寄席

会話がほとんどなく、噺家が語り進めていく地噺です。 

別題:血脈 骨寄せ(上方) 善光寺骨寄せ(上方)

【あらすじ】

信濃の善光寺で、お血脈の御印というのを売り出した。

これは、百文出して額(ひたい)に印を押してもらえば、どんな罪を犯しても極楽往生間違いなしという、ありがたい代物。

なにしろ、たった百文出せば、人を何万人絞め殺そうが罪業消滅というのだから、世界中から人が押しかけ、ハンコ一つで一人残らず極楽へ行ってしまい、しまいには地獄へ来るものが一人もなくなった。

おかげで地獄では不景気風が吹き荒れ、浄玻璃(じょうはり)の鏡などの貴重品はおろか、鬼の金棒に至るまですべて供出させ、シャバの骨董屋に売っぱらってしまうありさま。

赤鬼も青鬼も栄養失調で餓生(?)寸前。

虎の皮のフンドシまで売りとばし、前を隠してフラフラと血の池をさまよっている。

元締めの閻魔大王も、このままでは失脚必至とあって、幹部を集めて対策会議。

部下の見目嗅鼻(みるめかぐはな)が、こうなれば誰か腕のいい大泥棒を雇い、元凶の、例のお血脈を盗み出すほかないと提案し、全会一致でそれに決まった。

問題は泥棒の人選で、ありとあらゆる大泥棒のリストをあさったが、いずれも帯に短したすきに長しで、結局、最後は人格力量抜群のご存じ、石川五右衛門と決定。

さて五右衛門、地獄の釜の中で都々逸を三十六曲歌ってのぼせているところ。

大王からのお召しとあって、シャバにいたころそのままに、黒の三枚小袖、朱鞘の大小、素網を着て、重ね草鞋(わらじ)、月代(さかやき)を森のごとくに生やし、六方を踏みながらノソリノソリと御前へ。

「……これこれしかじかだが、血脈の印を盗み出せるのはその方以外になし。やってのけたら重役にしてやる」
「ハハー、いとやすきことにござりまする」

というわけで、久しぶりにシャバに舞戻った五右衛門、さすがに手慣れたもので、昼間は善光寺へ参詣するように見せかけて入り込み、ようすを探った上で、夜中に奥殿に忍び入って血脈を探したが、なかなか見当たらない。

そのうち立派な箱が見つかったので、中を改めるとまさしくお血脈の印。

見つかったらさっさと地獄へ持って帰ればいいものを、この泥棒、芝居気があるから、
「ありがてえ、かっちけねえ。まんまと首尾よく善光寺の、奥殿へ忍び込み奪い取ったるお血脈の印。これせえあれば大願成就」
と押しいただいて、そのままスーッと極楽へ。

底本:四代目橘家円蔵、六代目三遊亭円生

【しりたい】

善光寺の伝承に由来

はっきりした原話は不明ですが、信濃・善光寺にまつわる縁起・伝承が起源とみられます。

四代目橘家円蔵の明治44年(1911)の速記が残ります。その円蔵の演出を踏襲して、戦後は六代目三遊亭円生が得意にしました。

円蔵、円生ともにマクラに釈迦の逸話と善光寺の由来を滑稽化して入れています。

上方では、芝居の「骨寄せの岩藤」の趣向を取り入れ、五右衛門のバラバラになった骨を集めて蘇生させるというやり方なので「善光寺骨寄せ」「骨寄せ」の題で演じます。

お血脈

おけちみゃく。六代目円生が生前、善光寺に参詣していただいてきたと語っていましたが、それによると、上書きに「信州善光寺、融通念仏血脈譜、別当大勧進」とあり、裏は中央に「浄業者」、脇に「念佛弟子、日課、百遍」、紙包みの中には半紙一枚に、中央に「良忍上人直授元祖聖應大師」、以下、多数の大僧正、上人、阿闍梨(あじゃり)の名が書きつらねてあるよし。

もともと「血脈」とは、仏教で師匠から弟子に伝えられる戒律や系譜書です。それを伝えることを「血脈相承」といい、在家の信者にその儀式を省略して護符のように分け与えたのが「お血脈」の始まりとか。

のちに札になりましたが、かつては額に直接押印していました。ただしタダではなく、浄財百疋(一疋=二十五文)が必要で、ローマ法王庁の免罪符と同様の代物です。たった二分ちょっとで極楽往生できれば、安いものです。

善光寺

長野市元善光寺町にあります。無宗派の単立寺院。天台宗と浄土宗とで運営管理されています。

本尊は三国伝来一光三尊阿弥陀如来。天竺(=インド)から閻浮檀金(えんぶだごん)という身の丈一寸八分の阿弥陀像が渡来、それを「仏敵」の物部守屋(もののべのもりや)が難波ヶ池に簀巻きにして放り込み、「処刑」。

それを見つけた本多善光が、仏像を信州に勧請して寺ができた、というのが沿革です。

石川五右衛門

伝説上の人物として、長く小説、芝居、落語などさまざまなジャンルで取り上げられてきました。

当人が主人公として直接登場するものは意外に少なく、落語ではこの「お血脈」、歌舞伎では「絶景かな……」で有名な「楼門の場」を含む「釜渕双級巴(かまがふちふたつどもえ)」、小説では古くは司馬遼太郎の「梟の城」、平成になってからは赤木駿介の「石川五右衛門」、劇画ではケン月影の「秀吉に挑んだ男石川五右衛門」などが主なところでしょうか。

地噺

じばなし。セリフがほとんどなく、演者の地の語りを中心に進めます。その意味では講談に近いわけですが、あれほどエクセントリックではなく、淡々と語ります。「あたま山」「西行」「紀州」など、歴史上の人物の逸話や民間伝承、寺社縁起などを題材にしたものが多く、江戸前落語特有のジャンルです。

短くても笑いが少なく、地味なものが多いので、飽きずに聴かせるには円熟した話芸が必要で、生半可な噺家には到底こなせません。そういう意味では、いまどきははやらないでしょう。

八代目林家正蔵(彦六)などは、滋味あふれる地噺の名手で、その語り口は、晩年にはさながら高僧の説教のような趣があったものです。いささか眠くなりますが。