梅若礼三郎 うめわかれいざぶろう 演目

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珍しいはなし。お能の世界を描いています。

【あらすじ】

梅若礼三郎という能役者。

ある時、老女の役がついたが、どうしても歩き方の工夫が付かない。

神田明神に願掛けをして十二日目、ふと見かけた老婆の足取りからコツがつかめたので、喜んで礼を言うと
「手本を当てにしているようでは、いい役者になれない」
とさとされ、
「ああ、しょせん、オレは素質がない」
と悟る。

それならいっそ太く短くと、心を入替えて大泥棒として再出発。

金持ちから奪い、貧乏人に恵むという義賊として名を上げた。

神田鍋町の背負い小間物屋の利兵衛。

三年以前から腰が抜けて商売にも出られず、女房のおかのは、内職をしながら看病を続けていた。

女の細腕で暮らしは支えきれず、亭主には願掛けと偽って、心ならずも鎌倉河岸で物乞いを。

北風の吹く寒い晩。

もらいが少なく、これでは亭主に粥をすすらせることもできないと、途方に暮れていると、黒羅紗の頭巾、黒羽二重の対服に、四分一ごしらえの大小という立派な身なりの侍が現れ、ずっしりと重い金包みを手渡すと、そのまま行ってしまった。

数えてみると、小粒で九両二分。

貧乏人には夢のような大金。

おかのは観音さまの思し召しと大喜びしたが、みだらなことをして得た金と疑われてはならないと、亭主には言わず、一両だけ小出しにし、残りは亭主の病気が治って商売を始める時の元手にと、大切に仏壇の引き出しに隠す。

それをのぞき見していたのが、隣長屋に住む遊び人の魚屋栄吉という男。

「こいつはしまっておくのはもったいねえ、オレが使わせてもらう」
と、夜中に忍び込み、八両二分の金をまんまと盗み出して、そのまま吉原は羅生門河岸の池田屋というなじみの女郎屋で大散財。

ところが、ふだんに似合わず太吉の金遣いがあらいので、不審に思った見世の若い衆の喜助が主人に報告。

調べてみると、一分金に山型に三の刻印。

これは、芝伊皿子台町の金持ち三右衛門方から盗まれた六百七十両の一部で、お上から布礼が回っていた金と知れた。

翌朝。

いい気分で見世を出たとたん、たちまち太吉はお召し捕り。

すぐに利兵衛方から盗んだと白状に及んだので、利兵衛の家に獲り方が踏み込む。

しかし、病人なのですぐにはしょっぴかず、たまたま湯に行って留守だったおかのを急いで呼びにやり、大家立ち会いの上でおかのから事情聴取すると、侍から恵まれたとは言うものの、恩を受けた義理から、頑として人相風体を隠し通したので、おかのはお召し捕り。

長屋の衆は、おかのの苦労を知っているだけに、早くお解き放ちになるよう水垢離 ごり)を取って祈るが、おかげで体が冷えきって、一杯やって温まろうと居酒屋に入って、お上は血も涙もねえと憤っている話を、たまたま衝立一つ隔てて聞いていたのが、三右衛門方に押し入り、おかのに金を恵んだ張本人の礼三郎。

善意でしたことが、かえって迷惑を及ぼしたことを悔やみ、これより南町奉行・島田出雲守に名乗り出て、貞女おかのの疑いを晴らす。

底本:六代目三遊亭円生

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【しりたい】

円生十八番はタンカが売り物

「しじみ売り」と同じく、盗賊ものの人情噺で、講釈ダネと思われますが、原話は不明です。

梅若礼三は、実在の記録はないので、あくまで架空の人物ですが、梅若が自首した町奉行島田出雲守守政は実在しました。

ただし、記録では北町奉行で、寛文7年(1667)-延宝9年(=天和元、1681)までの在任。その時代の話という設定なのでしょう。

「磯の白波」と題した、明治23年(1890)4月の七代目土橋亭里う馬(1848-1920)の速記が残り、同時代の四代目橘家円喬、三代目三遊亭円馬も演じました。

里う馬、円喬の速記を基に、戦後、六代目三遊亭円生が磨き上げたもので、昭和32年(1957)初演。

上中下三部に分かれ、発端から、魚屋太吉逮捕までが上、おかの逮捕までが中。以下、幕切れで礼三が自首するため、切れ目はいずれもお召し捕りの場面となっています。円生の工夫でしょう。

円生は芸談で、取り調べの八丁堀の切れのいい「べらんめえ」を、安藤鶴夫(評論家、作家)にほめられたと自慢しています。

ライバルだった八代目林家正蔵(彦六)も演じましたが、円生在世中はほとんど同人の専売で、没後は門下の三遊亭円窓が継承しています。

博徒が魚屋とは

「猫定」にも登場しますが、遊び人はバクチ打ちで、初めから博徒と知れればどこの大家も店を貸してくれないので、表向きは魚屋と名乗っているわけです。

梅若

梅若家は能楽・観世流の流れをくむ名家です。本家は梅若六郎を代々名乗り、昭和54年(1979)に没した五十五代目は芸術院会員でした。その祖父、梅若万三郎(1868-1946)が大正9年(1920)に独立して「梅若流」を起こしましたが、それまではずっと観世流の一支流でした。

昭和32年(1957)、梅若宗家の若だんなが大映の映画俳優「梅若正二」を名乗り、「赤胴鈴之助」シリーズで人気を博したことがあります。

刻印

こっくい。大判・小判、一分金などには偽造防止と、出所がわかるように、各家の紋所の焼印が押されていました。これが刻印で、江戸ことばで「こっくい」と発音されます。盗賊は刻印のため足がつくので、強奪した金をすぐには使えず、何年も隠して「寝かせて」おかなければなりませんでした。

鍋町、鎌倉河岸、伊皿子台町

利兵衛・おかのが住む鍋町は千代田区神田鍛冶町一、二丁目。鋳物師が多く住んでいました。

おかのが袖乞いをしていた鎌倉河岸は、千代田区内神田二丁目、旧鎌倉町の外堀沿いの河岸で、幕府草創期に、江戸城改装のための石材を、鎌倉から船で運び、ここから荷揚げしたことからついた地名です。

梅若が六百七十両盗んだ芝伊皿子台町は、港区高輪一、二丁目です。

四分一ごしらえ

刀の装飾の金具に、朧銀、つまり銀一・銅三の合金が使われているものです。

実在した、梅若礼三郎

といっても、こちらは昭和の時代劇俳優。昭和初期には阪妻プロの主役級で、昭和2年(1927)から32年(1957)ごろまで、50本以上の映画に出演しました。前身が梅若流の能役者の出なのか、この噺から芸名を付けたのかはわかりません。「梅若礼三郎」が「梅若礼三郎」を演じていればおもしろかったのですが、残念ながらそうした映画の記録はありません。

【語の読みと注】
黒羅紗 くろらしゃ
黒羽二重 くろはぶたえ
刻印 こっくい
水垢離 みずごり

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穴泥 あなどろ 演目

スヴェンソンの増毛ネット

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穴ぐらに入ってしまった泥棒のはなし。タイトルそのものです。

別題:穴蔵の泥棒 晦日の三両

【あらすじ】

三両の金策に走り回っている男。

手当てが付かずに帰宅すると、かみさんに
「豆腐の角に頭をぶっつけて死んでおしまい」
と、ののられる。

癇にさわって家を飛び出した。

どこかで借りるあてはないかと思案しながら歩いていくと、浅草の新堀端あたりの、りっぱな角蔵がある商家の、二階の雨戸がスーッと開き、なにやら怪しの人影。

これは泥棒だから、捕まえてほうびをもらおうと見ていると、その男、屋根から立てかけた大八車をはしご代わり、天水桶から地面へと飛び下りて
「義どん、早く」

なんのことはない。店の若い者が夜間、こっそり吉原へ行っただけ。

男、ふと悪心が兆し、この脱出路を逆にたどって、まんまと二階に潜入した。

三両だけ盗ませてもらい、稼いで金ができたら、煎餅の袋でも下げて返しに来ようという、能天気な料簡。

明かりが射しているので下をのぞくと、祝い事でもあったのか、膳部や銚子が散らかったままだ。

だんだん大胆になってきた、にわか泥棒、残り物を肴に酒をガブガブ。

酔ってきて思わず
「もう少し熱いのを」
と言いかけ、あわてて口を押さえるうち、小さな子どもがチョロチョロ入ってきた。

もともと子煩悩なたちなので、抱いてあやしているうち、角火鉢につまずき、その拍子で土間の穴蔵に落っこちた。

底に水がたまっていて、思わず
「番頭さん、湯がぬるい」
とわめいたので店の者が起き出し、
「泥棒だ」
と、大騒ぎ。

だんなは、祝いの後なので縄つきを出したくないからと、鳶頭の食客のむこうみずの勝つぁんという男を頼み、泥棒を穴ぐらから引きずり出した上、説諭して見逃してやることにした。

この勝つぁん、身体中彫り物だらけでいかにも強そうだが、中の泥棒に
「下りてくりゃ、てめえの踵ィ食らいつく」
と脅されるととたんに尻込み。

だんなが一両やると言うとまた威勢がよくなるが、今度は
「てめえの急所にぶる下がる」
と言われて
「ええだんな、やっぱりお役人の方が」

賞金が二両に上がると下の泥棒に
「一両やるから上がってこい」

「下りてこい。てめえの喉笛ィ食らいつくから」
「だんな、あっしはごめんこうむって」
「困るよ。じゃ、三両あげるから」

これを聞いた泥棒
「えっ、三両ならこっちから上がっていこう」

底本:八代目林家正蔵(彦六)

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【しりたい】

円遊の明治風物詩

現存のもっとも古い原話は、嘉永年間(1848-54)刊の笑話本『今年はなし』中の「どろ棒」ですが、文化年間(1804-18)から口演されている古い泥棒噺です。

もともと「晦日の三両」「穴蔵の泥棒」という演題だったのを、楽屋でネタ帳に省略して記されるうちに、自然に縮まって現題名になったといわれます。

明治期には、あの三遊亭円朝が速記を残しているほか、一門の初代三遊亭円右、初代三遊亭円遊が得意にしました。

円遊の明治24年(1891)の速記を見ると、大晦日で妻子を抱えて、借金でどうにも首がまわらなくなった、根は善良な職人の悲喜劇を鮮やかに描くとともに、女房に金策してこいと追い出された男が、「両国橋の欄干によりかかって河蒸気の走るを見下して(中略)奥山の十二階も銭がないのであがれず、公園を運動して溝を飛損ない向脛を摺りこはしたり、上野公園のぶらんこでゆすぶられて見たりして」と、明治の東京の景物詩を謳いあげたり、酔っ払って、「当時飲んだようのはサ、甘泉、ベルモット、びいるに葡萄酒、ラムネにシャンパン、日本酒、オヤ、牛の乳さアさ」という具合に、いかにも明治らしいハイカラ趣味の俗曲をうなったりと、噺の内容を離れても、当時の世相が目に浮かぶような貴重な「時代の証言」を残しています。

穴泥、昭和の名人たち

昭和初期以後では、現在音源はありませんが、八代目桂文楽が、滑稽味より、どん底に生きる貧窮者の悲哀を色濃く出して名品に仕立てたほか、五代目古今亭志ん生、六代目春風亭柳橋、五代目柳家小さんが得意にしました。

あらすじの参考にしたのは八代目林家正蔵(彦六)のもので、同師のは円朝門下の三遊一朝の直伝ですが、四代目柳家小さんと初代柳家三語楼のやり方も取り入れ、向こう見ずの勝のナンセンスな描写は、三語楼の踏襲だと語っています。

ほとんどの演者は大晦日の節季に時期を設定していますが、正蔵は特に断っていません。

志ん生の爆笑編、柳好の悲劇

速記、音源とも残る、五代目古今亭志ん生の「穴泥」は、やはり師匠・初代三語楼の影響でしょうが、八代目文楽とは対照的な、くすぐりだくさんの爆笑編です。

中でも、「質屋庫」の熊や「猫と金魚」の虎さんと同じく、いざとなるとからっきしダメな平さん(=勝つぁん)がいばって、尻と背中に三種類の彫り物(ひょっとこ、おかめ、般若)があると自慢したり、男が入り込んだ先で酔っ払い、独り言でかみさんとのなれそめをえんえんとノロけたりする場面は志ん生ならではのおもしろさです。

この噺はもう一つ、戦後、リズミカルで陽気な芸風で人気のあった三代目春風亭柳好の最後の高座でもありました。昭和31年(1956)3月14日水曜日、赤坂のラジオ東京(TBS)で「穴泥」のラジオ録音を済ませた柳好は、その足で上野・鈴本の楽屋入りしましたが、数時間後に脳出血で倒れて意識不明に。同日夜、楽屋で亡くなったものです。享年67。最後に穴に入るこの噺が、文字通り「墓穴」を暗示してしまったわけです。

穴蔵

火災時などに貴重品を投げ込む、幅2メートル四方、深さも同じくらいの穴です。縁板をはがして土間に掘りますが、東京の下町は標高が低く、この噺のように、穴の底に浸水していることが多かったのです。江戸で穴蔵が初めて現れたのは、明暦2年(1656)といいますから、名高い明暦の大火(明暦3年3月18日)の前年にあたります。

新堀端

蔵前から浅草三筋町を経て、下谷竜泉寺まで通じていた掘割です。

男が侵入する家の所在は、演者により異なります。初代円遊では下谷黒門町、五代目志ん生は特定していません。

【語の読みと注】
癇 かん

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夏どろ なつどろ 演目

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泥棒から金を巻き上げる、長屋住まいのしたたか男。痛快です。上方噺。

別題:置きどろ(上方) 打飼盗人(上方)

【あらすじ】

ある夏の夜。

路地裏の貧乏長屋にコソ泥が侵入した。

目をつけたのは、蚊燻しを焚きっ放しにしている家。

小汚いが、灯を点けずに寝ているからは、食うものも食わないで金を溜め込んでいるに違いないと、当たりをつけた。

火の用心が悪いと、お節介を言いながら中に入ると、男が一人で寝ている。

起こして
「さあ、金を出せ」
とすごんでも、男は、
「ああ、泥棒か。なら、安心だ」
と、全く動じない。

男は日雇いの仕事人で、昨日の明け方まで五円あったが、博打で巻き上げられて、今は一文なし。

取られるものなど、なにもないという。

「しらばっくれるな。これでも一軒の家を構えていて、なにもないはずがねえ。銀貨かなにかボロッきれにでも包んで隠してあるだろう。オレが消してやらなかったら、てめえは今ごろ蚊燻しが燃え上がって焼け死んじまったんだ。いわば命の恩人だ」
「余計なことをしやがる」

二尺八寸のだんびらは伊達には差さないと脅しても
「てめえ、なにも差してねえじゃねえか」

このところ雨が続いて稼業に出られず、食うものもないので水ばかりのんで寝ているという。

「いっそ、おめえの弟子にしてくれ」
と頼まれ、泥棒は閉口。

その上
「縁あって上がってきたんだ。すまねえが三十銭貸してくれ」
と、逆に金をせびられた。

「どうせ、ただ取る商売だ。貸したっていいだろう。かわいそうだと思って」
「ばか言え。盗人にかわいそうもあるか」
「どうしても貸さねえな。路地を閉めれば一本道だ。オレが泥棒ッてどなれば、長屋中三十六人残らず飛んでくる。相撲取りだって三人いるんだ」

逆に脅かされ、しかたなく三十銭出すと、今度はおかず代にもう二十銭貸せと、言う。

「とんでもねえ」
と断ると
「どうしても貸さねえな。路地を閉めれば一本道だ」

また始まったから、しぶしぶ二十銭。

すると、またまた今度は
「蚊帳を受け出す金三十銭頼む。質にへえってるんだ。貸さねえと、路地を閉めたら一本道……」

泥棒はもうお手上げ。合計八十銭ふんだくられた。

「ありがてえ。これは借りたんだ。今度来たときに」
「誰が来るもんか」
「そう言わずにちょいちょいおいで。オレは身内がねえから、親類になってくれ」
「ばかあ言え。どなると聞かねえぞ」

泥棒がげんなりして引き上げると、アワを食ったのか煙草入れを置いていった。

男は煙草を吸わないので、もらってもしかたがないと後を追いかけて
「おーい、泥棒ォ」
「こんちくしょう。まぬけめ。泥棒ってえやつがあるか」
「でも、おめえの名前知らねえから」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

上方から東京へ

原話は安永8年(1779)刊『気の薬』中の小咄「貧乏者」です。原話では、「出張先」のあまりの悲惨な現状に泥棒がいたく同情、現行の落語と逆に金子二百疋を恵んでくれる筋です。オチは「おたばこ入れが落ちておりました」。上方噺の「打飼盗人」を大正末期に柳家小はんが東京に移したと言われますが、はっきりしません。上方の題名は、オチが「カラの打飼忘れたある」となっていることからきています。

打飼

うちかえ。布を袋状に縫い合わせた旅行用の胴巻きのことです。胴巻きとは、腹巻きのことです。ややこしいです。

いろいろなオチ

昭和に入ってからは、三代目三遊亭小円朝が得意にしました。小円朝は「忍び込んでからの泥棒の目の動きが難しい噺」と、芸談を残していますが、同師は家のあるじをを大工とし、暑いのでフンドシ一本で寝ている設定にしました。そのオチは、泥棒が引き上げるところで切り、「陽気の変わり目に、もういっぺん来てくんねえ」としていました。

同世代では三代目金馬も演じましたが、そのほかオチは、演者によってかなり異なり、たばこ入れが落ちていた説明を略した上で「おーい」「どなるやつがあるか」「たばこ入れが落ちてた」と、意表をついた上、原話通りに落とすもの、「あとの家賃(用の金)はいつ持ってきてくれる?」と、さらにずうずうしいもの、「また質入れしたころ来てくんねえ」とするものなど、さまざまに工夫されています。

ここでのあらすじの「おめえの名前を知らねえから」は、小はんの師匠、三代目柳家小さんの作ったもので、このオチが東京ではもっとも一般的でしょう。

だんびら

一般には「段平」と記します。短刀で、刃が幅広いもの。たんに刀をもさします。「だびら」とも言ったりします。「だびらひろ」となると、刀の身の幅が広いこと、「だびらせば」は刀の身の幅が狭いことをさします。「徒広」が語源で、セリフの「二尺八寸……」は芝居の泥棒の常套句です。「転宅」の泥棒がこの大仰なセリフのフルバージョンをまくしたてていますので、これから「出動予定」で商売用に丸暗記したい方はその項を参照してください。

ダンビラを振りかざして見得を切る芝居の泥棒。『100年前の東京』(マール社)より

煙草入れ

安永年間(1772-81)から普及し、幕末に近づくにつれしだいに贅沢なものが好まれるようになりました。落語に登場の飯炊き男、権助が持っているのは熊の革の煙草入れと相場が決まっていて、これはいかにもぴったりな感じです。

【語の読み】
二百疋 にひゃっぴき:二千文=二分=一両の二分の一
打飼盗人 うちがえぬすびと
胴巻き どうまき:腹巻き
徒広 ただびろ

締め込み しめこみ 演目

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泥棒とせっかちな亭主のおもしろい噺。オチは平凡ですが。

別題:時の氏神 泥棒と酒宴 盗人の仲裁 盗人のあいさつ(上方)

【あらすじ】

空き巣に入った泥棒。

火がおきていて、薬缶の湯がたぎっているので、まだ遠くには出かけていないと、大あわてで仕事にかかって大きな風呂敷包みをこしらえ、ウンコラショと背負って失礼しようとしたところに、主人が帰ってくる。

あわてて包みを放り出し、台所の板を外して縁の下に避難した。

亭主は風呂敷包みを見て、てっきりかみさんが間男と手に手を取って駆け落ちする算段だと勘違いし、ちょうど湯から帰ってきた女房に
「このアマ。とんでもねえ野郎だ」
と薬缶を投げた。

避けたので薬缶はひっくり返り、縁の下の泥棒は煮え湯を浴びて
「アチッ」
と思わず飛び出し、けんかの仲裁に入る。

「やい、てめえが間男か」
「いえ、泥棒で」

盗みに入ったと白状したので、夫婦は、これで別れずにすむと泥棒に感謝して、酒をのませてやる。

「これを機会に、またちょくちょく」
「冗談じゃねえ。そうちょいちょい来られてたまるか」

泥棒が酔いつぶれて寝てしまったので、しかたがねえと布団をかけてやり、
「おい、不用心でいけねえ。もう寝るんだから、表の戸締まりをしろ」
「だって、もう泥棒は家に……」
「それじゃ、表からしんばりをかえ」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

さまざまなやり方

原話は、享和2年(1802)刊、京都で出版された『新撰勧進話』中の「末しら浪」です。

原話も、筋は現行とまったく同じですが、オチは最後に亭主が「それでは、また近いうちに夜おいでなさい」と言う、マヌケオチになっています。

上方では「盗人のあいさつ」の題で演じられますが、そのほか「盗人の仲裁」「泥棒と酒宴」「時の氏神」など、いろいろな別題があります。

明治の四代目三遊亭円生と三代目柳家小さんという両巨匠の速記があり、小さんの演出がのちの八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生まで受け継がれました。

昔から柳派、三遊派を問わず、けっこうなビッグネームが演じているわけです。

四代目円生では、人家に侵入するのを、貧乏のあまりやかんまで質入れした侍にしましたが、このやり方は、現在は伝わっていません。

文楽は一種の、客がセコなときにやる逃げ噺として演じ、オチまでいかずに「そうちょいちょい来られてたまるか」の部分で切っていました。

泥棒

空き巣は、戸締まりのしていない家に忍び入ることで、ただのコソ泥なので情状酌量され、初犯は敲き五十程度でお目こぼしでした。「出来心」参照。

敲きは厳密に数が数えられ、間違えて一つでも多くした場合は担当した役人の方が譴責され、時にはクビになります。天保のころ、実際にそういうことがあったとか。

一方、「盗賊」は心張り棒がかかってある家に侵入する賊で、鬼平でおなじみの「火盗改め」のお掛かりです。

出来心のコソ泥と違い、計画的なので罪は重く、特に土蔵などを切り破った場合は盗んだ額にかかわらず、首が飛ぶことが多かったといいます。

【語の読み】
敲き たたき
心張り棒 しんばりぼう

【コラム】

明治23年(1890)にやった四代目三遊亭円生の「締込」では、武士が雨宿りに入った家で薬缶を気に入り盗み出そうとするころ合い、夫婦げんかに巻き込まれて熱湯をかけられるという筋。この武士、前半では屋台のそばをただ食いなどして素行がよろしくない。この噺では、いつの間にか武士=泥棒となるおかしな構図。泥棒と薬缶が、この噺のキーワードなのだ。江戸独特の噺だったらしい。明治30年(1897)にやった三代目柳家小さんの「閉め込み」になると、上方から「盗人の仲裁」をまぜ込んで、今日演じられる「締め込み」の原型。五代目古今亭志ん生や八代目桂文楽のは、小さんのを基にしているようだ。古今亭志ん朝になると、志ん生と文楽をうまくまぜ込んでいる。風呂敷包みから始まる亭主の嫉妬を通して、夫婦のねじ曲がった愛情がほの見える。泥棒と夫婦。三者の構図が鮮やかで、テンポのよい佳品に仕上がっている。(古木優)

出来心 できごころ 演目

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オチによっては「花色木綿」とも。泥棒噺。江戸前。間抜け泥、いかにもの笑い。

別題:花色木綿

【あらすじ】

ドジな駆け出しの泥棒。

親分に、
「てめえは素質がないから廃業した方がいい」
と言われる。

心を入れ替えて悪事に励むと誓って、この間土蔵と間違って寺の練塀を切り破って向こうに出たとか、電話がひいてあるので入ったら交番だったなどと話すので、親分はあきれて、おめえにまともな盗みはできねえから、空き巣狙いでもやってみろと、こまごまと技術指導。

まず声をかけて、返事がなかったら入るが、ふいに人が出てきたら
「失業しておりまして、貧の盗みの出来心でございます」
と泣き落としで謝ってしまう。

返事があったら人の家を訪ねるふりをして
「何の何兵衛さんはどちらで?」
とゴマかせばいいと教えられ、さっそく仕事に出かける。

ある家で
「ええ、何の何兵衛さんはどちらで?」
「なにを?」
「いえその、イタチ西郷兵衛さんは……」
としどろもどろで逃げ出した。

次の家では、主人が二階にいるのも気づかず、羊羹を盗み食いして見つかり、
「イタチ西郷兵衛さんはどちらで?」
「オレだよ」
「えっ? その、もっといい男の西郷兵衛」
「なにを?」
「よろしく申しました」
「誰が?」
「あたしが」
「この野郎ッ」
……あわてて逃げ出す。

「あんな、まぬけの名の野郎が本当にいるとは思わなかった」
と胸をなで下ろしながらたどり着いたのが、長屋の八五郎の家。

畳はすり切れ、根太はボロボロ。

転がっているのは汚い褌一本きり。

しかたなく懐に入れ、八五郎が帰ってきたので、あわてて縁の下に避難。

八五郎は、粥が食い散らされているのを見て、
「ははあ泥棒か」
と見当をつけるが、かえって泥棒を言い訳に家賃を待ってもらおうと、大家を呼びに行った。

「それじゃしかたがねえ。待ってやろう」
とそこまではいいが、盗難届けを出さなくてはならないと、盗品をいちいち聞かれるから、はたと困った。

苦し紛れに布団をやられたと嘘をつくと
「どんな布団だ? 表の布地はなんだ?」
「大家さんとこに干してあるやつで」
「あれは唐草だ。裏は?」
「行きどまりです」
「布団の裏だよ」
「大家さんのは?」
「家は、丈夫であったけえから、花色木綿だ」
「家でもそれなんで」

羽二重も帯も蚊帳も南部の鉄瓶も、みんな裏が花色木綿。

「あきれて話しにならねえ。あとは?」
「お礼で。裏は花色木綿」

縁の下の泥棒、これを聞いて我慢できずに下から這い出てくる。

「さっきから聞いてりゃ、ばかばかしい。笑わせるない」
「おやっ、そんなとこから這いだしゃあがって。てめえは泥棒だな?」
「この家にはなにも盗めるものなんぞねえ」

警察に突き出すと言われ、あわてて
「えー、どうも申し訳ござんせん。失業しておりまして、六十五を頭に三人の子供が……これもほんの貧の出来心で……と哀れっぽく持ちかけたら、銭の少しもくれますか?」
「誰がやるもんか。八、てめえもてめえだ」

お鉢が回ってきたので、八五郎、こそこそ縁の下へ。

「おい、なにも盗られてねえそうじゃねえか。どうしてあんな、うそばかり並べたんだ?」
「これもほんの出来心でございます」

【しりたい】

「出来心」ならお上のお慈悲?

落語には泥棒噺が多く、「穴泥」「もぐら泥」「だくだく」「釜泥」「締め込み」「転宅」「夏どろ」……まだまだあります。

そのほとんどが、まぬけで愛すべき空き巣の失敗をおおらかに笑う噺で、いかにのどかな江戸時代でも犯罪の実態は陰惨なものが多かったことを考えれば、落語の泥棒は、むしろ、こういう泥テキばかりなら……という庶民の願望のあらわれともいえるでしょう。

しかし、現実にはお奉行のお裁きは峻厳だったのです。

十両盗めば初犯でも死罪は有名ですが、窃盗を重ねて盗んだ金額が累積で十両に達すれば、その時点で一巻の終わりです。空き巣で初犯なら「出来心」でお上のお慈悲にあずかれますが、土蔵を切り破ったり、家人の在宅しているところに押し入れば、重罪の押し込み強盗ですから、初犯、かつ未遂でも主犯は原則死罪でした。

三度目で首が飛ぶ

空き巣では初犯敲き、再犯刺青、再々犯は有無を言わさず首が飛びました。

極端にいえば、一回に三文盗んだ場合は敲きで済みますが、初犯一文、再犯一文、再々犯一文と三回に分けて合計三文盗めば、あわれ、この世の別れというわけ。

1994年に米カリフォルニア州で制定された「スリーストライク法案」も、重罪を三度重ねれば仮釈放ナシの禁固25年-終身刑という過酷さ。なんと空き巣三回、三回目にたった152ドル盗んだだけで懲役52年という判決が出て、世論を震撼させたことがありますが、こちらは命がないのですから、まさに究極の「スリーストライク、アウト」でしょう。

オチで変わる演題

泥棒噺は、柳家小さん代々が得意にした江戸前の滑稽噺の典型で、この噺も、三代目から五代目小さんまで継承され、五代目春風亭柳朝、入船亭扇橋、桂文朝などの持ちネタでもあります。特に柳朝の泥棒のすっとぼけた味は絶品でした。

泥棒が入る家の主人の珍名は、演者によって「ちょうちん屋ブラ右衛門」などと変わります。

オチは二通りあり、あらすじで紹介した小さんのものが基本形ですが、現実にはそこまでいきません。 寄席などでは「下駄を忘れてきちゃった」で終わる「間抜け泥」が多いようです。 八代目春風亭柳枝のように、大家と泥棒の会話でのもあります。

大「どこから入った?」
泥「裏です」
大「裏はどこだ?」
泥「裏は花色木綿」

このオチでの演目は「花色木綿」となります。

花色木綿

「花色」は「縹色(はなだいろ)」の省略で、薄い藍色の木綿地になります。

「出来心」も死語に

噺のタイトルにもなっているこの言葉も、最近はだんだん使われなくなってきているようです。

「出来」はこの場合、「とっさに」「即席に」という意味。古くは、即席のシャレのことを「出来口」といいました。

要するに、計画してやった犯行ではなく、ついとっさに魔がさしたものなのでご勘弁を、という言い訳ですね。

コソ泥どころか、重大な犯罪をしでかしても、しおらしく謝るどころか、「逆ギレ」して居直るヤカラばかりが増えた昨今ですから、こんな言葉が消えていくのも無理はありません。

小里ん語り、小さんの芸談

こういうネタは「間抜けな奴が本気じゃないといけない」と師匠も言ってました。

五代目小さん芸語録 柳家小里ん、石井徹也(聞き手)著、中央公論新社、2012年