はなよめのへ【花嫁の屁】落語演目


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【どんな?】

もとは、小咄かマクラ程度の軽い噺だったものです。

【あらすじ】

ある田舎で婚礼があった。

ところが、いよいよ三三九度という時、花嫁が衆人環視の中、「プーッ」と一発。

面目ないと、あっという間に裏の井戸に身を投げた。

すると、花嫁の両親も、娘の不始末のおわびと、同じく井戸にドボン。

今度は婿さんが、嫁の一家だけ死なせては義理が立たないと、これも井戸へ飛び込んだ。

これを見ていた婿さんの両親、せがれと嫁が死ぬならあたしたちもと、これまた井戸底に直行。

最後に残った仲人夫婦、みなさんがお飛び込みなら、あたしたちもこうしてはいられないと、後を追って飛び込もうとしたら、井戸のところに赤い札で「満員」。

【RIZAP COOK】

【しりたい】

時代を感じさせるオチ

オチは、路面電車に、当時(明治末から大正初期)「満員」の赤札が下がったことからきています。

噺としてはおもしろいのですが、時代色がつき過ぎ、現代の客にはまるで理解できないので、このあたりをうまく改作しないと、とうてい高座には掛けられないでしょう。

当時の東京の市電はやたらに故障し、満員になると、どんなに客が待っていてもあっさり通過してしまうので、評判は最悪だったとか。

大正中期ですが、「東京節」(添田さつき)の一節には、こんなものが。

東京の名物満員電車
いつまで待ってても乗れやしねえ 
乗るにゃケンカ越し命がけ 
やっとこさと空いたのが来やがっても 
ダメ、ダメと手を振って 
そのまま乗せずに行きゃあがる 
なんだ、故障車か
ボロ電車め

誰かやらないか?

速記、音源はおろか、口演記録もまったくない幻の珍品です。

三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)が明治末期、立花家左近時代に作ったという掌編です。マクラにでも使っていたのでしょう。

それにしては、実に皮肉な、カラシがきいた逸品で、埋もれさせるにはちと惜しいブラック落語です。

円馬に前座・二つ目時代に仕込まれた八代目桂文楽(並河益義、1892.11.3-1971.12.12、黒門町、実は六代目)が自伝『あばらかべっそん』中であらすじを紹介しています。


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しんしょうのひとこと003【志ん生のひとこと 003】志ん生雑感 志ん生!



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それで文楽師匠が「孝ちゃん、その着物ウールかい」って言ったら、志ん生が「売らないよ」って答えるんです(笑)。

古今亭志ん駒のインタビュー
聞き手は吉川潮氏。2006年1月11日
KAWADE夢ムック『古今亭志ん生』(河出書房新社、2006年)より

■「孝ちゃん」とは、もちろん五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890.6.5-1973.9.21)のこと。志ん生が体調不良のときに、八代目桂文楽(並河益義、1892.11.3-1971.12.12、黒門町、実は六代目)がウイスキーなんかを持ってお見舞いに来るんだそうで、そのときの会話を、弟子の古今亭志ん駒(徳永一夫、1937-2018)が語っています。志ん生の天性のおかしさがみじみでていますね。そういえば、何年か前に「明神下神田川」で鰻を堪能した折、二階の踊り場に志ん生と文楽のツーショットが飾ってありました。それが左上の写真です。店主が言うのには、文楽はよく利用してくれたけど、志ん生はめったに来なかったんだとか。昭和31年(1956)12月に志ん生が「お直し」で芸術祭賞を受賞したお祝いに、文楽が招いた折の写真だとうかがいました。文楽と志ん生はなかよしだったのですね。

2023年9月27日 古木優