ふどうぼう【不動坊】演目

【RIZAP COOK】

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上方噺を明治期に東京に。わいわいにぎやか。けっこうえげつない噺です。

別題:不動坊火焔 

【あらすじ】

品行方正で通る、じゃが屋の吉兵衛。

ある日、大家が縁談を持ち込んできた。

相手は相長屋の講釈師・不動坊火焔の女房お滝で、最近亭主が旅回りの途中で急にあの世へ行ったので、女一人で生活が立ちいかないから、どなたかいい人があったら縁づきたいと、大家に相談を持ちかけてきた、という。

ついては、不動坊の残した借金がかなりあるのでそれを結納代わりに肩代わりしてくれるなら、という条件付き。

実は前々からお滝にぞっこんだった吉公、喜んで二つ返事で話に飛びつき、さっそく、今夜祝言と決まった。

さあ、うれしさで気もそぞろの吉公。

あわてて鉄瓶を持ったまま湯屋に飛び込んだが、湯舟の中でお滝との一人二役を演じて大騒ぎ。

『お滝さん、本当にあたしが好きで来たんですか?』
『なんですねえ、今さら水臭い』
『だけどね、長屋には独り者が大勢いますよ。鍛治屋の鉄つぁんなんぞはどうです?』
『まァ、いやですよ。あんな色が真っ黒けで、顔の裏表がはっきりしない』
『チンドン屋の万さんな?』
『あんな河馬みたいな人』
『じゃあ、漉返し屋の徳さんは?』
『ちり紙に目鼻みたいな顔して』

湯の中で、これを聞いた当の徳さんはカンカン。

長屋に帰ると、さっそく真っ黒けと河馬を集め、飛んでもねえ野郎だから、今夜二人がいちゃついているところへ不動坊の幽霊を出し、脅かして明日の朝には夫婦別れをさしちまおうと、ぶっそうな相談がまとまった。

この三人、そろって前からお滝に気があったから、焼き餅も半分。

幽霊役には年寄りで万年前座の噺家を雇い、真夜中に四人連れで吉公の家にやってくる。

屋根に登って、天井の引き窓から幽霊をつり降ろす算段だが、万さんが、人魂用のアルコールを餡コロ餠と間違えて買ってきたりの騒動の後、噺家が
「四十九日も過ぎないのに、嫁入りとはうらめしい」
と脅すと、吉公少しも動ぜず、
「オレはてめえの借金を肩代わりしてやったんだ」
と逆ねじを食わせたから、幽霊は二の句が継げず、すごすご退散。

結局、「手切れ金」に十円せしめただけで、計画はおジャン。

怒った三人が屋根の上から揺さぶったので、幽霊は手足をバタバタ。

「おい、十円もらったのに、まだ浮かばれねえのか」
「いえ、宙にぶら下がってます」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

パクリのパクリ  【RIZAP COOK】

明治初期、二代目林家菊丸(?-1901?)作の上方落語を、三代目柳家小さんが東京に移植しました。

溯れば、原話は、安永2年(1773)刊『再成餅』中の「盗人」とされますが、内容を見るとどこが似ているのか根拠不明で、やはり菊丸のオリジナルでしょう。

菊丸の創作自体、「樟脳玉」の後半(別題「源兵衛人玉」「捻兵衛」)のパクリではという疑惑が持たれていて(宇井無愁説)、そのネタ元がさらに、上方落語「夢八」のいただきではと言われているので、ややこしいかぎりです。

菊丸は創作力に秀でた才人で、この噺のほか、現在も演じられる「後家馬子」「猿廻し」「吉野狐」などをものしたと伝えられますが、晩年は失明し、不遇のうちに没したようです。

本家大阪の演出  【RIZAP COOK】

桂米朝によれば、菊丸のオリジナルはおおざっぱな筋立て以外は、今ではほとんど痕跡をとどめず、現行のやり方やくすぐりは、すべて後世の演者の工夫によるものとか。

登場人物の名前は「登場しない主役」の不動坊火焔と、すき返し屋の徳さん以外はみな東京と異なり、新郎が金貸しの利吉、脅しの一味が徳さんのほか、かもじ洗いのゆうさん、東西屋の新さん。幽霊役が不動坊と同業で講釈師の軽田胴斎となっています。

利吉は、まじめ人間の東京の吉兵衛と異なり、徹底的にアホのキャラクターに描かれるので、上方版は銭湯のシーンを始め、東京のよりにぎやかで、笑いの多いものとなっています。

上方では幽霊の正体が最後にバレますが、そのきっかけは、フンドシをつないだ「命綱」が切れて幽霊が落下、腰を打って思わず「イタッ」と叫ぶ段取りです。

オチに四苦八苦  【RIZAP COOK】

あらすじのオチは、東京に移植された際、三代目小さんが作ったもので、現行の東京のオチはほとんどこちらです。明治42年(1909)10月の「不動坊火焔」と題した小さんの速記では、「てめえは宙に迷ってるのか」「途中にぶら下がって居ります」となっています。

オリジナルの上方のオチは、すべてバレた後、「講釈師が幽霊のマネして銭取ったりするのんか」「へえ、幽霊(=遊芸)稼ぎ人でおます」と、いうもの。

これは明治2年(1869)、新政府から寄席芸人に「遊芸稼ぎ人」という名称の鑑札が下りたことを当て込んだものです。同時に大道芸人は禁止され、この鑑札なしには、芸人は商売ができなくなりました。つまり、この噺が作られたのは明治2年前後ということになります。

この噺はダジャレで出来が悪い上、あくまで時事的なネタなので、時勢に合わなくなると演者はオチに困ります。そこで、上方では幽霊役がさんざん謝った後、新郎の耳に口を寄せ「高砂や……」の祝言の謡で落とすことにしましたが、これもイマイチ。

試行錯誤の末、最近の上方では、米朝以下ほとんどはマクラで「遊芸稼ぎ人」の説明を仕込んだ上でオリジナルの通りにオチています。当然、オチが違えば切る個所も違ってくるわけです。

桂枝雀は、昭和47年(1972)の小米時代に、幽霊役が新郎に25円で消えてくれと言われ、どうしようかこうしようかとぶつぶつ言っているので、「なにをごちゃごちゃ言うとんねん」「へえ、迷うてます」というオチを工夫しましたが、のち東京式の「宙に浮いとりました」に戻していました。

ほかにも、違ったオチに工夫している演者もいますが、どれもあまりしっくりはこないようです。

前座の蛮勇  【RIZAP COOK】

東京では、三代目小さんから四代目、五代目に継承された小さんの家の芸です。

五代目小さんはこの噺を前座の栗之助時分、覚えたてでこともあろうに、神田の立花で延々45分も「熱演」。のちの八代目正蔵(彦六)にこっぴどく叱られたという逸話があります。

九代目桂文治も得意にしていました。現在でも東西で多くの演者が手掛けています。

人魂の正体  【RIZAP COOK】

昔の寄席では、怪談噺の際に焼酎を綿に染み込ませて火を付け、青白い陰火を作りました。

その後、前座の幽霊(ユータ)が客席に現れ、脅かす段取りです。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言「加賀鳶」の按摩道玄の台詞「掛け焔硝でどろどろと、前座のお化けを見るように」は有名です。

この噺は明治期が舞台なので、焼酎の代わりにハイカラにアルコールと言っています。

古くは「長太郎玉」と呼ばれる樟脳玉も使われ、落語「樟脳玉」の小道具になっています。

引き窓  【RIZAP COOK】

屋根にうがった明かり取りの窓で、引き綱で開閉しました。

歌舞伎や文楽の「双蝶々曲輪日記」の八段目(大詰め)「引窓」で、芝居に重要な役割を果たすと共にその実物を見ることができます。

五代目小さんのくすぐり  【RIZAP COOK】

(吉公が大家に)「……もう、寝ても起きてもお滝さん、はばかりィ入ってもお滝さん……仕事も手につきませんから、なんとかあきらめなくちゃならないと思って、お滝さんは、あれはおれの女房なんだと、不動坊に貸してあるんだと……ええ、あのお滝さんはもともとあっしの女房で……」

不動   【RIZAP COOK】

不動とは不動明王の略です。不動とはどんな存在か。仏像から見ていきましょう。仏像は四種類に分かれています。

如来 真理そのもの
菩薩 真理を人々に説いて救済する仏
明王 如来や菩薩から漏れた人々を救う存在
天 仏法を守る神々

この種類分けは仏像の格付けとイコールです。不動明王はいくつかの種類分けがされています。五大明王とか八大明王とか。ここでは五大明王について記します。

不動明王 中央 大日如来の化身
降三世明王 東 阿閦如来の化身
軍荼利明王 南 宝生如来の化身
大威徳明王 西 阿弥陀如来の化身
金剛夜叉明王 北 不空成就如来の化身

寺院で五大明王の像を配置すると、必ず不動明王がそのセンターに位置します。それだけ高い地位にあるのです。さらには、明王がすべて如来の化身とされています。如来で最高位の大日如来の化身が不動明王になっています。

明王は、如来や菩薩の救いから漏れた人々を救う、敗者復活戦の主催者のような役割を担っています。有象無象を救済するため、怒った顔をしているのです。忿怒の表情というやつで、怖そうな存在です。右手に宝剣、左手に羂索。羂索とは人々を漏れなく救うための縄です。背後には火焔光背という、炎を表現しています。強そう。でも怖そう。そんなイメージです。

不動信仰はおもしろいことに、関西よりも関東地方に篤信の歴史があります。平将門の怨霊を鎮める意味があったと考えられているからです。将門は御霊信仰のひとつ。御霊信仰とは、疫病や天災を、非業の死を遂げた人物などの御霊の祟りとしておそれ、御霊を鎮めることで平穏を回復しようとする信仰をいいます。漏れた人々をも救おうとする不動明王の信仰は、関東で将門の御霊信仰と結びついたのです。

【語の読みと注】
相長屋 あいながや:同じ長屋に住むこと。
相店 あいだな:相長屋に同じ
結納 ゆいのう
漉返し すきがえし:紙すき
東西屋 とうざいや:チンドン屋
加賀鳶 かがとび
双蝶々曲輪日記 ふたつちょうちょうくるわにっき
大日如来 だいにちにょらい
降三世明王 ごうさんぜみょうおう
阿閦如来 あしゅくにょらい
軍荼利明王 ぐんだりみょうおう
宝生如来 ほうしょうにょらい
大威徳明王 だいいとくみょうおう
阿弥陀如来 あみだにょらい
金剛夜叉明王 こんごうやしゃみょうおう
不空成就如来 ふくうじょうじゅにょらい
忿怒 ふんぬ
腱索 けんさく けんじゃく

【RIZAP COOK】

いはいや【位牌屋】演目

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すさまじいケチんぼうのはなし。ブラック噺の極北です。オチがきいてます。

別題:位牌丁稚

【あらすじ】

ケチでは人後に落ちないだんな。

子どもが生まれ、番頭の久兵衛が祝いに来ても、
「経費がかかるのに何がめでたい」
と小言を言う。

なにしろ、この家では奉公人に魚などくわせたことはなく、三年前に一人、目を悪くしたとき、まじないにメダカを三匹呑ませただけなのだから、とても赤飯に尾頭付きどころの騒ぎではない。

八百屋が摘まみ菜を売りに来ると、八貫五百の値段を、
「八貫を負けて五百で売れ」
と言って怒らせ、帰ると、こぼれた菜を小僧に拾わせて味噌漉しいっぱいにしてしまう。

今朝の、芋屋との会話。

五厘だけ買った。

だんな「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいと煙草を貸しとくれ」
芋屋「おあがんなさい」
だんな「いい煙草だ。いくらだい? 一銭五厘? 商人がこんな高い煙草のんじゃいけない。家はどこだい?」
芋屋「神田堅大工町です」
だんな「家内多か?」
芋屋「女房とせがれが一人で」
だんな「買い出しはどこでしなさる」
芋屋「多町でします」
だんな「弁当なぞはどうしている?」
芋屋「出先の飯屋で食います」
だんな「そりゃもったいない。梅干しの一つも入れて弁当を持って出なさい。茶とタクアンぐらいはあげるから、ウチの台所でおあがり。いや、うまかった。食うのがもったいないから置き物にしたいぐらいだ。時に、これを一本負けておきな」

この会話をそっくり繰り返す。

三回目に「家はどこだい」と始めたところで、芋屋は悪態をついて帰ってしまう。

嫌がられても五厘で二回負けさせ、たばこをタダで二服。

そのだんな、小僧の定吉に、注文しておいた位牌を取りに仏師屋へやる。

それも裸足で行かせ、
「向こうにいい下駄があったら履いて帰ってこい」
と言いつけるものすごさ。

定吉と仏師屋の親父の会話。

定吉「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいとたばこを貸しとくれ」
親父「てめえが小僧じゃねえか」
定吉「商人がこんな高いたばこをのんじゃいけねえ。家はどこだい?」
親父「ここじゃねえか」
定吉「家内多か?」

全部まねして、今度は位牌をほめる。

「いい位牌だ。食べるのはもったいないから、置き物にしたいくらいだ。形がいい。時に、これ一本負けときな」
「おい、持ってっちゃいけねえ」

ちゃっかり位牌を懐に入れ、オマケの小さな位牌もぶんどって、一目散に店へ。

「下駄は履いてきたか」
「あ、あわてたから片っぽだけ」
「しょうがねえ。そりゃなんだ」
「位牌です」
「同じオマケなら、なぜ大きいのをぶんどってこない」

だんなが小言を言うと、定吉は
「なーに、生まれた坊ちゃんのになさい」

底本:六代目三遊亭円生

【しりたい】

吉四六話が原話

後半の、位牌を買いに行くくだりの原話は、文政7年(1824)、江戸で刊行された『新作咄土産』中の「律義者」で、現行とオチまでまったく同じですが、前半のケチ噺は、宇井無愁によると、豊前地方の代表的なとんち民話、吉四六話を二編ほどアレンジしたものということです。

上方落語「位牌丁稚」が東京に移されたものとみられますが、詳細は不明です。昭和以後では、六代目三遊亭円生、三代目三遊亭小円朝などが、時折「逃げ噺」の一つとして演じました。

位牌屋

仏師屋ともいいます。「仏師」は仏像を彫刻する人、もしくは描く人で、それぞれ木仏師、絵仏師と呼びました。後世、それらが衰退し、江戸時代に入ると、死者の霊を祭る位牌が一般に普及したため、位牌を作って売る者を仏師屋と呼ぶようになったわけです。人間は死ねば仏になるから、位牌も仏像も同じ感覚で扱われたため、この名称が転化したものと考えられます。

ブラック噺

かなりすごいオチで、これゆえにこそ、この噺は凡百のケチ噺と区別され、ブラック落語として異彩を放っているわけです。

世の善男善女の非難をかわすため、この「生まれた坊ちゃんのになさい」という最後っ屁につき、「たんなるあほうな小僧の、無知による勘違い」と言い繕う向きもありますが、どうしてどうして、確信犯です。かなりの悪意と嫉妬と呪詛が渦を巻いていると解釈する方が自然でしょう。それをナマで表してしまえばシャレにならず、さりげなく、袖の下にヨロイをチラチラと見せつけるのが芸の力というものでしょうね。

【語の読みと注】
吉四六 きっちょむ
宇井無愁 ういむしゅう:上方落語研究家
豊前 ぶぜん:大分県