子殺し こころし 演目

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陰惨丸出し。笑えるかなあ。こんなもの、よく笑いに取り入れたものですね。

【あらすじ】

亭主の働きが悪く、借金取りに責めたてられて、大家にも店立てをくっている夫婦。

いっそ夜逃げをしようと相談中に、知人が尋ねてくる。

ある家で、かみさんが産後の肥立ちが悪くてとうとう死んでしまい、亭主もその跡を追うようにあの世へ行ってしまって赤ん坊だけ残されたが、どこか育ててくれる人はないかと、亭主の兄弟分に頼まれたが、心当たりはないかという相談。

なんでも、引き取ってくれる人には、五十両の養育費を付け、赤ん坊の着物も添えるというので、夫婦は金にひかれて、その子をもらい受けることにした。

その五十両で借金もきれいに返し、一息ついてほっとしたものの、こうなると、じゃまになるのが赤ん坊。

もともと金づくでしかたなく引き取ったもので、ピイピイ泣いて手間がかかり、夜も寝られないとあって、
「五十両ぽっちの目腐れ金でこの先も居すわられたのでは割りに合わねえからいっそ片付けちまおう」
と亭主が言い出す始末。

絞め殺したのでは喉に痕がついてバレるからと一計を案じ、湯に連れていって温め、こたつの脇で布団をかぶせて押さえつけた。

しばらくして見てみると、赤ん坊の死骸は、注文通り、真っ赤。

これを医者に見せ、
「疱瘡で亡くなりました」
と言い立ててさっさと葬式を出し、遺留品もきれいに始末してしまう。

以来、悪行が実を結んでか、にわかに金回りがよくなった夫婦。

そうなると亭主の気が大きくなり、吉原のお女郎になじんで、十日も二十日も帰らない。

おもしろくないのがかみさんで、ある日、やっと帰ってきた亭主をつかまえて責めたてたあげく、赤ん坊殺しの件まで大きな声でしゃべり出すので、亭主は仰天。

そんなことがお上に漏れれば、首と胴が泣き別れになると必死になだめすかす。

「もう決して家は明けない」
と謝って、
「おまえと久しぶりに一杯やろうと酒屋に一升頼んできたから、湯に行っている間に届いたら燗をつけておいてくれ」
と、言い残して出ていく。

ところが天の網、さっきのかみさんの声が人に聞かれて、訴人されたか、奉行所の捕り手が四方から家を囲んだ。

「御用だっ」
「おや、酒屋さんかい」

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【しりたい】

江戸の嬰児虐待

陰惨な噺で、特に現在の社会状況を考えると、リアルすぎてシャレになりません。

百年二百年たとうが、人の世は同じことの繰り返しということでしょうか。

いずれにせよ、資料的価値以外にはないでしょう。

原話も不明で、明治32年(1899)の初代三遊亭円左の速記のみ残ります。

この円左以前も以後も、まったく口演資料がないところをみると、あるいは、これ限りの円左の新作かもしれません。

御用聞き

酒屋に限ってこう呼びました。徳利拾いともいいます。

まず酒の御用を聞き、それから味噌醤油と、二、三回も、御用は御用はと聞くのでついた名とか。

オチは、お上の御用を承る目明しの「御用聞き」と掛けています。

初代円左は、わざわざマクラでそのことを説明していて、当時でさえ、後者の意味がわからなくなりかけていたことがうかがえます。

ここで円左は、江戸時代の目明しを「おてききしゅう」と呼び、速記で「御探偵衆」と当て字させています。そのあたりは、いかにも明治のにおいがします。

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藪入り やぶいり 演目

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たっぷり笑わせ、しっかり泣かせる名品。エロネタなんですが。

別題:お釜さま 鼠の懸賞

【あらすじ】

正直一途の長屋の熊五郎。

後添いができた女房で、一粒種の亀をわが子のようにかわいがる。

夫婦とも甘やかしたので、亀は、朝も寝床で芋を食べなければ起きないほど、わがままに育った。

「これではいけない、かわい子には旅をさせろだ」
と、近所の吉兵衛の世話で、泣きの涙で亀を奉公に出した。

それから三年。

今日は正月の十五日で、亀が初めての藪入りで帰ってくる日。

おやじはまだ夜中の三時だというのに、そわそわと落ち着かない。

かみさんに、奉公をしていると食いたいものも食えないからと、
「野郎は納豆が好きだから買っておけ。鰻が好きだから中串で二人前、刺し身もいいな。チャーシューワンタンメンというのも食わしてやろう。オムレツカツレツ、ゆで小豆にカボチャ、安倍川餠」
と、きりがない。

時計の針の進みが遅いと、一回り回してみろと言ったり、帰ったら品川の海を見せて、それから川崎の大師さま、横浜から江ノ島鎌倉、足を伸ばして静岡、久能山、果ては京大阪から、讃岐の金比羅さま、九州に渡って……と、一日で日本一周をさせる気。

無精者なのに、持ったこともない箒で家の前をセカセカと掃く。

夜が明けても
「まだか。意地悪で用を言いつけられてるんじゃねえか。店に乗り込んで番頭の横っ面を」
と大騒ぎ。

そのうち声がしたので出てみると
「ごぶさたいたしました。お父さんお母さんにもお変わりがなく」

すっかり大人びた亀坊が、ぴたりと両手をついてあいさつしたので、熊五郎はびっくりし、胸がつまってしどろもどろで
「今日はご遠方のところをご苦労さまで」

涙で顔も見られない。

「こないだ、風邪こじらせたが、おめえの手紙を見たらとたんに治ってしまった」
と、打ち明け
「こないだ、店の前を通ったら、おめえがもう一人の小僧さんと引っ張りっこをしているから、よっぽど声を掛けようと思ったが、里心がつくといけねえと思って、目をつぶって駆けだしたら、大八車にぶつかって……」
と泣き笑い。

亀が小遣いで買ったと土産を出すと、
「もったいねえから神棚に上げておけ。子供のお供物でござんすって、長屋中に配って歩け」
と大喜び。

ところが、亀を横町の桜湯にやった後、かみさんが亀の紙入れの中に、五円札が三枚も入っているのを見つけたことから、一騒動。

心配性のかみさんが、子供に十五円は大金で、そんな額をだんながくれるわけがないから、ことによると魔がさして、お店の金でも……と言いだしたので、気短で単純な熊、さてはやりゃあがったなと逆上。

帰ってきた亀を、いきなりポカポカ。

かみさんがなだめでわけを聞くと、このごろペストがはやるので、鼠を獲って交番に持っていくと一匹十五円の懸賞に当たったものだと、わかる。

だんなが、子供が大金を持っているとよくないと預かり、今朝渡してくれたのだ、という。

「見ろ、てめえがよけいなことを言いやがるから、気になるんじゃねえか。へえ、うまくやりゃあがったな。この後ともにご主人を大切にしなよ。これもやっぱりチュウ(=忠)のおかげだ」

底本:三代目三遊亭金馬

【しりたい】

お釜さま

原話は詳細は不明ながら、天保15年(1844=12月から弘化と改元)正月、日本橋小伝馬町の呉服屋島屋吉兵衛方で、番頭某が小僧をレイプし、気絶させた実話をもとに作られた噺といいます。

表ざたになったところを見ると、なんらかのお上のお裁きがあったものと思われますが、当時、商家のこうした事件は珍しいことではなく、黙阿弥の歌舞伎世話狂言『加賀鳶』の「伊勢屋の場」にもこんなやりとりがあります。

太助「これこれ三太、よいかげんに言わないか、たとえ鼻の下が長かろうとも」
左七「そこを短いと言わなければ、番頭さんに可愛がられない」
三太「番頭さんに可愛がられると、小僧は廿八日だ」
太・左「なに、廿八日とは」
三太「お尻の用心御用心」

金馬の十八番へ

明治末期に初代柳家小せんが男色の要素を削除して、きれいごとに塗り替えて改作しました。それまでは演題は「お釜さま」で、オチも「これもお釜さま(お上さま=主人と掛けた地口)のおかげだ」となっていました。

亀が独身の番頭にお釜(=尻)を貸し、もらった小遣いという設定で、小せんがこれを当時の時事的話題とつなげ、「鼠の懸賞」と改題、オチも現行のものに改めたわけです。

小僧奉公がごくふつうだった明治大正期によく高座に掛けられましたが、昭和初期から戦後にかけては、三代目三遊亭金馬が「居酒屋」と並ぶ、十八番中の十八番としました。

金馬の、親子の情愛が濃厚な人情噺の要素は、自らの奉公の経験が土台になっているとか。五代目三遊亭円楽も得意でした。

鼠の懸賞

明治38年(1905)、ペストの大流行に伴い、その予防のため東京市が鼠を一匹(死骸も含む)3-5銭で買い上げたことは「意地くらべ」をもご参照ください。補足すると、ペストの最初の日本人犠牲者は明治32年(1899)11月、広島で、東京市が早くも翌33年(1900)1月に、鼠を買い取る旨の最初の布告を出しています。

希望者は区役所や交番で切符を受け取り、交番に捕獲した鼠を届けた上、銀行、区役所で換金されました。

東京市内の最初のペスト患者は明治35年(1902)12月で、38年(1905)にピークとなりました。噺の中の15円は、特別賞か、金馬が昭和初期の物価に応じて変えたものでしょう。鼠の買い上げは、大正12年(1923)9月、関東大震災まで続けられました。

藪入り

「藪入りや 曇れる母の 鏡かな」という、あわれを誘う句をマクラに振るのが、この噺のお決まりです。あるいは、「かくばかり いつわり多き 世の中に 子のかわいさは まことなりけり」なんという歌も。「寿限無」「子褒め」「初天神」「子別れ」なんかでも使いまわされています。

藪入りは江戸では、古くは宿入りといい、商家の奉公人の特別休暇のことです。江戸から明治大正にかけ、町家の男の子は十歳前後(明治の学制以後は、尋常または高等小学校卒業後)で商家や職人の親方に奉公に出るのがふつうでした。

一度奉公すると、三年もしくは五年は、親許に帰さないならわしでした。それが過ぎると年二回、盆と旧正月に一日(女中などは三日)、藪入りを許されました。商家の手代や小僧は奉公して十年は無給で、五年ほどは小遣いももらえないのが建前でした。

「藪」は田舎のことで、転じて親許を指したものです。

「藪入り」の言葉と習慣は、労働条件が改善された昭和初期まで残っていて、横綱双葉山の「70連勝ならざるの日」がちょうど藪入りの日曜日(昭和14年1月15日)だったことは、今でも昭和回顧談でよく引き合いに出されます。

【藪入り 三代目三遊亭金馬】

佐々木政談 ささきせいだん 演目

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南町奉行がさかしいガキを検分。その頓智の妙。期待される人間像ですかね。

別題:池田大助 佐々木裁き(上方)

【あらすじ】

嘉永年間のこと。

名奉行で知られた南町奉行・佐々木信濃守が、非番なので下々のようすを見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをしていると、新橋の竹川町で子供らがお白州ごっこをして遊んでいる。

おもしろいので見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、さっそうと奉行役が登場。

これも年は同じぐらいで、こともあろうに佐々木信濃守と名乗る。

色は真っ黒けで髪ぼうぼう、水っぱなをすすりながらのお裁き。

なんでも、勝ちゃんというのが
「一から十まで、つがそろっているか」
ともう一人に聞き、答えられないので殴った、という。

贋信濃守はすまして、
「さような些細なことをもって、上に手数をわずらわすは不届きである」

セリフも堂にいったもので、二人を解き放つ。

つのことを改めて聞かれると、
「一から十まで、つはみなそろっておる」
「だって、十つとは申しません」
「だまれ。奉行の申すことにいつわりはない。中で一つ、つを盗んでいる者がある。いつつのつを取って十に付けると、みなそろう」

その頓智に、本物はいたく舌を巻き、その子を親、町役人同道の上、奉行所に出頭させるよう、供の与力に申しつける。

さて、子供は桶屋の綱五郎のせがれ、当年十三歳になる四郎吉。

奉行ごっこばかりしていてこのごろ帰りが遅いので、おやじがしかっていると、突然奉行所から呼び出しが来たから、
「それみろ、とんでもねえ遊びをするから、とうとうお上のおとがめだ」
と、おやじも町役一同も真っ青。

その上、奉行ごっこの最中に、お忍びの本物のお奉行さまを、子供らが竹の棒で追い払ったらしいと聞いて、一同生きた心地もしないまま、お白州に出る。

ところが、出てきたお奉行さま、至って上機嫌で、四郎吉に向かい、
「奉行のこれから尋ねること、答えることができるか。どうじゃ」

四郎吉、
「こんな砂利の上では位負けがして答えられないから、そこに並んで座れば、なんでも答える」
と言って、遠慮なくピョコピョコと上に上がってしまったので、おやじは気でも違ったかとぶるぶる震えているばかり。

奉行、少しもかまわず、
「まず星の数を言ってみろ」
と尋ねると、四郎吉少しもあわてず、
「それではお奉行さま、お白州の砂利の数は?」

これでまず一本。

父と母のいずれが好きかと聞かれると、出された饅頭を二つに割り、どっちがうまいと思うかと、聞き返す。

饅頭が三宝に乗っているので、
「四角の形をなしたるものに、三宝とはいかに」
「ここらの侍は一人でも与力といいます」
「では、与力の身分を存じておるか?」
「へへ、この通り」

懐から出したのが玩具の達磨(だるま)で、起き上がり小法師。

錘が付いているので、ぴょこっと立つところから、身分は軽いのに、お上のご威勢を傘に着て、ぴんしゃんぴんしゃんしているというわけ。

「ではその心は」
と問うと、天保銭を借りて達磨に結び付け
「銭のある方へ転ぶ」

最後に、
「衝立に描かれた仙人の絵がなにを話しているか聞いてこい」
と言われて
「へい、佐々木信濃守はばかだと言ってます。絵に描いてあるものがものを言うはずがないって」

ばかと子供に面と向かって言われ、腹を立てかけた信濃守、これには大笑い。

四郎吉が十五になると近習に取り立てたという「佐々木政談」の一席。

底本:六代目三遊亭円生

【しりたい】

江戸町奉行

江戸町奉行は、三千石以上の旗本から抜擢され、老中・若年寄・寺社奉行に次ぐ要職でした。

天保年間までは大坂町奉行、奈良奉行などを経て就任した経験豊かな者も多く、在職期間も「大岡裁き」で有名な大岡越前守の二十年間(1717-36)を筆頭に、十年以上勤めた人も珍しくありませんでしたが、幕末になって人材が払底し、文久3年(1863)から翌元治元年にかけ、一年間で8人も交代するありさまとなりました。

佐々木信濃守

佐々木信濃守顕発は、嘉永5年(1852)から安政4年(1857)まで大坂東町奉行を勤め、江戸に戻って文久3年(1863)、北町奉行に就任。数か月で退いた後、再び年内に南町奉行として返り咲き、翌年退職しました。

オチがある上方演出

民話の「児(ちご)裁判」の筋を借りて、幕末に大坂の三代目笑福亭松鶴が創作したものです。

そのオチは

「あんたが佐々木さんでお父さんが綱五郎、あたくしが四郎吉、これで佐々木四郎高綱」
「それは余の先祖じゃ。そちも源氏か」
「いいえ、平気(=平家)でおます」

わけのわからないダジャレオチとなりますが、子供が出世したかどうかについてはふつう触れられずに終わります。

東京では円生十八番

大阪で長く活躍し、八代目文楽の芸の師でもある三代目三遊亭円馬(橋本の円馬、1882-1945)が、おそらく大正初期に東京に紹介・移植しました。

円馬は、史実通り、佐々木を江戸南町奉行として演じました。円馬の演出を踏襲した六代目三遊亭円生が十八番とし、今回のあらすじも円生のものを底本にしましたが、時代が嘉永年間というのは誤りで、「落語のウソ」です。

後輩の円生から移してもらい、これも得意にしていた三代目三遊亭金馬は「池田大助」の題で演じ、四郎吉が後に大岡越前守の懐刀・池田大助となるという設定でした。これだと当然、時代は百五十年近く遡ることになります。

この噺は子供の描写が命で、へたくそが演じるとまるで与太郎と区別がつかなくなるため、やはり相当の年季と修練が必要な大真打の噺でしょうね。

竹川町

東京都中央区銀座七丁目、ちょうど中央通りをはさんでガスホールやヤマハビルの真向かいになります。地名は、その昔、このあたりが竹林だったことに由来します。

真田小僧 さなだこぞう 演目

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悪ガキの話題を。このがき、こすからくこざかしげなやつです。

別題:六文銭

【あらすじ】

ああ言えばこう言うで、親をへこましてばかりの子供。

今日もおとっつぁんに小遣いをせびり、ダメだと言われると、隣の吉兵衛さんがおとっつぁんの留守に家に上がり込んで、おっかさんと差し向かいで……と気を持たせる話をするので、おやじはついつい気になり、話がとぎれる度に、もう一銭、もう一銭と情報量を追加で取られた上、オチは
「おならをしました」。

子供が逃げていってしまうと、夫婦で、
「末恐ろしいガキだ、今に盗賊になるかもしれない」
と嘆くこと、しきり。

「それに引き換え、あの真田幸村公は、栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳し、十四歳の時、父真幸に付いて、天目山の戦いに初陣、多勢に取り囲まれて真幸が切腹の覚悟をした時、せがれの幸村が、自分に策がありますと申し出て、敵の松田尾張守の旗印である永楽通宝の六文銭の旗を立てて、敵陣に夜襲をかけ、混乱させて同士討ちを誘い、見事に勝利を納めた。それ以来、真田の定紋は二ツ雁から六文銭になった」
という故事をおやじがおふくろに話し、
「あんな奴は幸村どころか、よくいって石川五右衛門だ」
と言っているところへ若さまがご帰城。

いつの間にか盗み聞きしていて、
「おとっつぁん、六文銭ってどんな紋?」
「うるせえガキだ。いいか、こういうふうに二列に並んでいるんだ」
「あたいにもちょっと貸して」

銭を数えるふりをして
「わーい、もーらった、もらった」
とかすめ取って逃げていく。

「あっ、また親をだましぁあがった。やい、それを持ってどこへ行くんだ」
「今度は焼きイモを買ってくるんだ」
「うーん、ウチの真田も薩摩へ落ちたか」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

巨匠が愛した悪童ばなし

上方落語の「六文銭」を、おそらく三代目柳家小さんが東京に移したもので、筋や演出は、東西ともほぼ同じです。

作中の大坂夏の陣の逸話は、大坂で人気のあった講釈演目の「難波戦記」から。当然この噺も、それにこじつけられてつくられたと思われます。

前座噺に近い扱いですが、それでも明治期では三代目小さん、その門下の初代小せん、戦後では六代目円生、三代目金馬、五代目志ん生ほか、意外に超大物が好んで手掛けています。

シャレにならない仕方噺

この噺では、子供のこすからさが相当なものなので、昔は眉をひそめる識者もいたとか。それでも、一心に自分に尽くしてくれる継母をいびりにいびり抜く「双蝶々」の長吉などに比べれば、かわいいものです。

前半の、隣のおやじに、母親の不倫をにおわせる仕方噺(シャレになりません!)で気をもたせ、金をせびり取るくだりは、「アンマさんでした!」と逃げるやり方もあります。

焼きイモ事始

江戸市中に初めて焼芋屋が現れたのは寛政12年(1800)のことで、神田弁慶橋東の甚兵衛橋際で、初めて売り出されました。

甘藷(かんしょ=サツマイモの原種)が小石川農園で試験的に植えられたのは、その65年前の享保20(1735)年3月。江戸では、まず間食用として蒸しイモで売られました。

ウチの真田も

オチの「ウチの真田も薩摩へ落ちたか」は、豊臣秀頼が大坂城で自害せず、真田幸村ともども薩摩に落ちのびたという伝説を採り入れたものです。ただし、講釈の「難波戦記」では、史実通り、秀頼はじめ大坂方はすべて戦死します。

雛鍔 ひなつば 演目

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金を知らない子供と小遣いせがむ悪がき。大人の上いく知恵の巡り小気味よく。

別題:お太刀の鍔(上方)

【あらすじ】

ある植木屋が、大きな武家屋敷で仕事中、昼休みに一服やっていると、若さまがチョロチョロ庭に出てきた。

泉水の傍に落ちていた穴あきの四文銭を拾って、お付きの三太夫に
「これはなにか」
と尋ねる。

「いっこうにに存じません」
「丸くって四角な穴が空いているが、文字の形があるから、古いお雛(ひな)さまの刀の鍔(つば)ではないか」
「いやしいものでございます。お取り捨て遊ばしますよう」
「さようか」

若さま、ポーンと投げ出して行ってしまった。

これを見ていた植木屋、驚いて聞いてみると、若さまは今年お八歳になられるが、高貴なお方には汚らわしい銭のことは教えないという。

ウチの河童野郎が同じお八歳でも、始終「銭をくれ」「おアシをくれ」とまとわりつくのとはえらい違いだと、つくづく感心した植木屋、これまでは、銭をやらないとかえって卑しい料簡になって、悪いことでもしないかと心配で、ついせがまれるままに与えていたが、これは考えなくちゃならねえ、と思いながら家に帰った。

女房にこれこれと話をし、
「氏より育ちと、横丁の隠居が言うが、てめえの育て方が悪いから餓鬼はだんだん悪くなる」
と愚痴をこぼす。

それをちゃっかり後ろで聞いていた悪ガキ、待ってましたとばかり
「遊びに行くから銭おくれよ」

「ためにならねえから銭はやらねえ」
と言うと
「くれなきゃ、糠味噌ん中に小便するぞ」
と親を脅す。

しかると
「やーい、よそィ行っていばれねえもんだから、子供をつかまえていばってやがら。大家さんが来ると震えているくせに」
と手がつけられない。

そこへ、お店の番頭が遅れている仕事の催促にやってきた。

茶を出して言い訳していると、外へ逃げていった河童野郎がいつの間にか戻ってきて
「こんなもーのひーろった」
とうるさい。

穴空き銭を振りかざして、
「なんだろうな、おとっつぁん、真ん中に四角い穴が空いていて、字が書いてある。あたい、お雛さまの刀の鍔だろうと思うけど」

これを聞いた番頭、
「店の坊ちゃんでも銭を使うことはご存じだが、おまえさんのとこの子は、銭をしらないのかい」
と感心。

「女房が屋敷奉公していたので、ためにならない銭は持たさない」
と苦し紛れにうそをつくと
「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳し、末頼もしい子を持って幸せだ。いくつだい」
「へえ、本年お八歳に相なります」
「お八歳はよかった。坊や、おじさんが銭……といっても知らないか。うん。銭はためにならない。おじさんが好きなものを買ってあげよう。なにがいい」
「どうもありがとう存じます。やい、喜べ。あれ、拾った銭をまだ持ってやがる。きたねえから捨てちまえ」
「やだい。これで芋を買うんだ」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

江戸人の金銭蔑視

多いときには人口の七割が武士だったという江戸の町人は、「武士は喰わねど高楊枝」という、朱子学をバックボーンにした武家の金銭を卑しむ思想に大きな影響を受けていました。

もっとも、落語では、寝言にまで「金をくれ」と言う「夢金」の船頭・熊五郎や、小粒銀をアンコロ餅に包んで食べ、悶死する「黄金餅」の西念のような、江戸っ子の風上にもおけない、強欲な守銭奴も例外的に登場しますが、だいたいにおいて、やせがまんの清貧思想がこの町では支配的だったわけです。

そういう意味でこの噺には、誇張・デフォルメされた形でも、「強欲よりも無知のほうがずっといい」という江戸っ子の信念(?)が、よくあらわれていると思います。

そういえば、 往年のディズニー映画『黄色い老犬』で、開拓者一家の少年が、「お金ってなーに」とマジメな顔で聞くシーンがありました。アメリカ人にも昔は、こういうカマトトを喜ぶ「江戸っ子」がいたのですかね。

原話

この「雛鍔」の原話と思われる小ばなしは二つあり、古い方が享保18年(1733)刊『軽口独機嫌』中の「全盛の太夫さま」、次に安永2年(1773)刊『飛談語』中の「小粒」です。

前者は、全盛の吉原の太夫が、百文のつなぎ銭(穴あき一文銭を百枚、麻縄に通したもの)を蛇と思い込んで驚き、梯子から落ちたのをまねして失敗する話、後者もやはり女郎が、銭を知らない振りをする筋立てで、本当の無知と、無垢を装うしたたかさという違いはあっても、どちらも遊女が主人公です。

それが落語化される過程で、いつ子供にすり替わったかは不明です。

四文銭

明和5年(1768)以降鋳造されたもので、青銭ともいいました。

ウチの河童野郎

当時の子供の髪型から、男の子のことを乱暴に呼んだ言葉です。もともとは小僧(丁稚)の髪型で、頭頂部を剃って小さくまげを結ったものを河童と呼びました。

ちなみに、「山の神が河童野郎をひり出した」とは、むろん「かみさんが男のガキを産んだ」の意味です。

悪ガキが登場する噺

このほかに「真田小僧」「初天神」「佐々木政談」、上方落語で、初代桂春団治のレコードが残る「鋳かけや」、六代目三遊亭円生がしっとりと演じた長編人情噺「双蝶々」、八代目林家正蔵が昭和40年度の芸術祭奨励賞を受賞した、平岩弓枝作の「笠と赤い風車」などがあります。

これらのうち、前四席は(「雛鍔」を含めて)いささか度の過ぎたいたずらやマセぶりが目立つものの、どれも落語流にデフォルメされた子供像です。

対照的に後の二席は、どちらも、片親の孤独とひがみから継母の愛情を曲解し、非行の泥沼にはまっていく少年像が近代的でリアルです。ひたすら哀れで空しく救いのない、江戸版「大人は分ってくれない」といえるでしょう。

上方の「お太刀の鍔」

金を知らない子供が、大富豪・鴻池の「ぼんち」という設定で、噺の筋は東京そのままです。

考えてみれば、商都・大阪で金銭を卑しむというのは完全に自己否定ですし、まして商人の跡取りが、いくら子供でも金を知らないという発想はそもそもおかしいわけです。

まあ、江戸とは対極の金銭万能思想への一種の自虐として、大阪人がこういう噺をおもしろがるということはあるかもしれませんね。

上方から東京へ移された噺は山ほどありますが、おそらくこの噺は数少ない逆ルートでしょう。

初天神 はつてんじん 演目

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悪ガキの上手をいく、ピンボケな、すれたおやじ、熊五郎の噺です。

【あらすじ】

新しく羽織をこしらえたので、それをひけらかしたくてたまらない熊五郎。

今日は初天神なので、さっそくお参りに行くと言い出す。

かみさんが、
「それならせがれの金坊を連れていっとくれ」
と言う。

熊は
「口八丁手八丁の悪がきで、あれを買えこれを買えとうるさいので、いやだ」
とかみさんと言い争っている。

当の金坊が顔を出して
「家庭に波風が立つとよくないよ、君たち」

親を親とも思っていない。

熊が
「仕事に行くんだ」
とごまかすと
「うそだい、おとっつぁん、今日は仕事あぶれてんの知ってんだ」

挙げ句の果てに、
「やさしく頼んでるうちに連れていきゃ、ためになるんだけど」
と親を脅迫するので、熊はしかたなく連れて出る。

道々、熊は
「あんまり言うことを聞かないと、炭屋のおじさんに山に捨ててきてもらうぞ」
と脅すと
「炭屋のおじさんが来たら、逃げるのはおとっつぁんだ」
「どういうわけでおとっつぁんが逃げる」
「だって、借金あるもん」

弱みを全部知られているから、手も足も出ない。

そのうち案の定、金坊は
「リンゴ買って、みかん買って」
と始まった。

「両方とも毒だ」
と熊が突っぱねると
「じゃ、飴買って」

「飴はここにはない」
と言うと
「おとっつぁんの後ろ」
と金坊。

飴売りがニタニタしている。

「こんちくしょう。今日は休め」
「冗談いっちゃいけません。今日はかき入れです。どうぞ坊ちゃん、買ってもらいなさい」

二対一ではかなわない。

一個一銭の飴を、
「おとっつぁんが取ってやる」
と熊が言うと
「これか? こっちか?」
と全部なめてしまうので、飴売りは渋い顔。

金坊が飴をなめながらぬかるみを歩き、着物を汚したのでしかって引っぱたくと
「痛え、痛えやい……。なにか買って」

泣きながらねだっている。

「飴はどうした」
と聞くと
「おとっつぁんがぶったから落とした」
「どこにも落ちてねえじゃねえか」
「腹ん中へ落とした」

今度は凧をねだる。

往来でだだをこねるから閉口して、熊が一番小さいのを選ぼうとすると、またも金坊と凧売りが結託。

「へへえ、ウナリはどうしましょう。糸はいかがで?」

結局、特大を買わされて、帰りに一杯やろうと思っていた金を、全部はたかされてしまう。

金坊が大喜びで凧を抱いて走ると、酔っぱらいにぶつかった。

「このがき、凧なんか破っちまう」
と脅かされ、金坊が泣き出したので
「泣くんじゃねえ。おとっつぁんがついてら。ええ、どうも相すみません」

そこは父親で、熊は平謝り。

そのうち、今度は熊がぶつかった。

金坊は
「それ、あたいのおやじなんです。勘弁してやってください。おとっつぁん、泣くんじゃねえ。あたいがついてら」

そのうち、熊の方が凧に夢中になり
「あがった、あがったい。やっぱり値段が高えのはちがうな」
「あたいの」
「うるせえな、こんちきしょうは。あっちへ行ってろ」

金坊、泣き声になって
「こんなことなら、おとっつぁん連れて来るんじゃなかった」

【しりたい】

オチが違う原話

後半の凧揚げのくだりの原話は、安永2年(1773)、江戸で出版された笑話本『聞上手』中の小ばなし「凧」ですが、オチが若干違っています。

おやじが凧に夢中になるまでは同じですが、子供が返してくれとむずかるので、おやじの方のセリフで、「ええやかましい。われ(おまえ)を連れてこねばよかったもの(を)」。

ひねりがなく平凡なものですが、古くは落語でもこの通りにやっていたようです。

文化年間から口演か

古い噺で、上方落語の笑福亭系の祖といわれる初代松富久亭松竹(生没年不詳)が前項の原話をもとに落語にまとめたものといわれています。

松竹は少なくとも文政年間(1818-30)以前の人とされるので、この噺は上方では文化年間(1804-18)にはもう演じられていたはずです。

松竹が作ったと伝わる噺には、このほか「松竹梅」「たちぎれ」「千両みかん」「猫の忠信」などがあります。

東京には、比較的遅く、大正に入ってから。三代目三遊亭円馬が移植しました。

仁鶴の悪童ぶり

東京では柳家小三治、三遊亭円弥、上方では桂米朝でしたが、六代目松鶴から継承した笑福亭仁鶴も得意とします。オチは同じでも、上方の子供のこすっからさは際立っています。

初天神

旧暦では1月25日。そのほか、毎月25日が天神の祭礼で、初天神は一年初めの天神の日をいいます。

現在でも同じ正月25日で、各地の天満宮が参拝客でにぎわいますが、大阪「天満の天神さん」の、キタの芸妓のお練りは名高いものです。

寿限無 じゅげむ 演目

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生まれた男児に名前を付ける。隠居を寄る辺にしたら無量寿経から命名されて。

【あらすじ】

待望の男の子が生まれ、おやじの熊五郎、お七夜に名前を付けなければならないが、いざとなるとなかなかいいのが浮かばない。

自分の熊の字を取って熊右衛門とでもするか、加藤清正が好きだから、名字の下にぶる下げて「田中加藤清正」と付けるか……いや、ハイカラな名前でネルソン、寝ると損をするから、稼ぐように……と考えあぐねて、平山の隠居の所へ相談に行く。

何か好みがあるかと聞かれ、三日の間に五万円拾うような名前、と欲張ったが、そんなのはダメだと言われ、それなら長生きするような名前を、ということになった。

隠居、松、竹、梅、鶴、亀と長命そうな字がつくのを並べるが、どれも平凡過ぎて気に入らない。

「そんなら、長助てえのはどうだ? 長く親を助ける」
「いいねえ。けど、あっしども一手販売で長生きするってえ、世間に例がねえなめえはないですかね」

隠居、しばらく考え、今お経に凝っているが、無量寿経という経文には、案外おめでたい文字があると言う。

たとえば、寿限無。

寿命限りなしというからこれはめでたい。

五劫のすり切れず、というのがあるが、三千年に一度天人が天下って羽衣で岩をなで、それがすり切れてなくなってしまうのが一劫だから、五劫というと何億年か勘定できない。

海砂利水魚は数えきれない物をまとめて呼んだ言葉。

水行末、雲来末、風来末はどこまで行っても果てしない大宇宙を表す。

衣食住は人に大切だから、田中食う寝る所に住む所。

やぶらこうじぶらこうじというのもあり、正月の飾りに使う藪柑子だからめでたい。

またほかに、少々長いが、パイポ、シューリンガ、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナーというのがある。

パイポは唐のアンキリア国の王様、グーリンダイはお妃、ポンポコピーとポンポコナーは 二人の王子で、そろってご長命……それだけ聞けばたくさんで、あれこれ選ぶのは面倒と熊さん、出てきた名を全部付けてしまう。

この子が成長して小学校に行くと、大変な腕白だから、始終近所の子を泣かす。

「ワーン、おばさんとこの寿限無寿限無五劫のすり切れず海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る所に住む所藪ら柑子ぶら柑子パイポパイポパイポのシューリンガ、シューリンガーのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピ、ポンポコナの長久命の長助が、あたいの頭を木剣でぶったアー」

言いつけているうちに、コブがひっこんだ。

【しりたい】

ルーツは

仏教の教説をもとにした噺です。

東京大空襲の犠牲となった野村無名庵は、この噺の原典として、民話集「聴耳草子」中の小ばなしを挙げています。その中の子供の名は、「一丁ぎりの丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、あの山越えて、この山越えて、チャンバラチャク助、木挽の挽助」で、長いだけで特に長寿には関係ありませんが、終わりは、子供が井戸に落ち、長い名を皆で連呼して、和尚まで経文のような節で呼ぶので子供が「だぶだぶだぶ」と溺死します。

大阪の演出(「長命のせがれ」)もこれと同じで、残酷な幕切れになります。

五劫

「劫」には「石劫」と「芥子劫」があります。前者がこの噺の隠居の解釈。後者の「芥子劫」は、方四十里の城の中の芥子一粒を、三年に一度鳳(おおとり)がくわえていき、これがすべてなくなる時間です。

「すりきれ」か「すりきれず」か?

演者によって変わりますが、「五劫(ごこう)」そのものの定義なら前者、名前として無限の寿命を強調するなら後者でしょう。

言い立てのリズムを重んじれば「すりきれ」、はなしの内容重視なら「すりきれず」というところ。

そこで、三代目(先代)三遊亭金馬は、客には「すりきれず」と聞こえさせ、実際には「すりきれ」と言っているという、苦肉の妥協案を編み出しました。

大看板の前座噺

「寿限無」は前座の口ならしの噺で、大看板の師匠連はさすがにあまり手がけませんが、八代目林家正蔵は、信仰篤かったためか、滋味あふれる語り口で、この噺をホール落語でも演じました。

その他、戦後の大物では、自分の飼い犬に「寿限無」と名づけた先代金馬、熊五郎が無類におかしかった九代目桂文治がそれぞれ得意にしました。

聴きどころ

長い名が近所の子から母親、父親と渡りゼリフになるところが、この噺のおかしみでしょう。

母親が、「あーら、悪かったねえ。ちょいとおまいさん、たいへんだよ。『寿……』が金ちゃんの……」と言うとオヤジが、「なんだと。するとナニか、『寿……』の野郎が……」と繰り返します。

もっとも、劇評家の安藤鶴夫は著書『落語国紳士録』で、気の利いた「こぼれ噺」を創作しています。例によって長い名で叱られている寿限無に、友達が、「どうしたの、寿っちゃん」

世界一の長寿者?

古代はともかく、近世以降での長寿記録保持者は「武江年表」などに記載されている、志賀随翁にとどめをさすでしょう。

なにせ、この怪老人、享保10年(1725)現在で数え178歳。逆算すると天文18年(1548)の生まれ。はっきりした没年はわかりませんから、ひょっとすると、まだ生きているかもしれません。

これが文句なしに人類史上最長寿、と思っていたら、やっぱり現れました対抗馬。世界は広い。

『ロンドン塔の宝探し』(臼田昭)に登場する英国代表・ヘンリー・ジェンキンズは169歳(1501-1670)、ついで、かの有名なウイスキー銘柄のラベルになったオールド・パーが152歳(1483-1635)のよし。

まあ、三人とも、怪しげなことではいい勝負ですが、なんにしても、あやかりたいものです。

【寿限無 柳家三三】