だいみょうどうぐ【大名道具】落語演目

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【どんな?】

愉快なバレ噺の最高傑作。大名対大明神の戦いや、いかに。

【あらすじ】

さる殿さま。

男っぷりもなにも申し分ないお方だが、残念ながら男としての道具が相当に小ぶり。

欲求不満で業を煮やした奥方が、その方面にご利益があるという城下外れの金勢大明神に殿さまをむりやり引っ張っていき、モノをもう少し大きくしてもらうよう、祈願することになった。

もちろん、家中総出。

ところが、金勢さまのご神体は男子の一物を型どったもの。

四尺ぐらいのりっぱなものが、黒光りしてそそり立っている。

これを見せつけられた殿さま、カーッとなって
「おのれッ、余にあてつけおるなッ」

槍持ちの可内から槍をひったくると、拝殿にズブリと突き入れて、ご神体をゴロッとひっくり返してしまった。

さあ、怒ったのは大明神。

「いざ、神罰を思い知らせてくれよう」
と、その夜、天にもとどろく雷鳴。

殿さまの股間に冷たい風がスーッと吹いたかと思うと、ただでさえあるかないかだったお道具が、きれいさっぱりなくなった。

殿さまばかりか、家中三千人のモノまで、一夜にして一人残らず大切なものを取られてしまったから、大騒動。

あわててご神体を修理したが、お宝はいっこうに戻らない。

結局、山伏を招いて、秘法「麻羅返し」の祈祷をすることになった。

山伏が汗みどろで
「ノーマクサンマンダー」
とやっているのを見て、神さまも気の毒になったのか、修法三日目の夕刻、一天にわかにかき曇り、津波のような大音響とともに米俵が十俵、大広間にドサッ。

中からなんと、三千人分の道具がザーッとこぼれ出た。

殿さまは涼しい顔で、その中で一番大きなモノをくっつけると、さっさと奥へ入ってしまった。

さあ、それから広間は大混乱。

どれが誰のモノやら、わからない。

取り合いで大げんかになるやら、人のお道具を踏みつけるやらの騒ぎがようやくしずまったあと、まだ一人で大広間をごそごそ捜しているのが、槍持ちの可内で、家中第一の大道具の持ち主。

たった一つ発見したのは、四センチほどにも満たない代物。まさに、殿さまの所有物である。

「三太夫さま、あっしのがありません」
「そこにあるではないか」
「冗談じゃねえ。あっしのは、お城一番八寸銅返しってえ自慢のもんで」
「ああ、あれなら殿が持っていかれた」

可内、泣く泣くあきらめさせられたが、殿さまはめでたく「女殺し」に大変身。

三日三晩、寝所に居続けで、奥方は腰も立たないほど。

そこへバタバタと三太夫がやって来た。

「申し上げますッ」
「何事じゃ」
「ただいま槍持ちの可内めが、腎虚で倒れました」

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【うんちく】

艶笑落語の大傑作 【RIZAP COOK】

スケールといい、奇想天外なストーリー展開といい、バレ噺の最高傑作の一つといえるでしょう。

原話は、明和9年(1772=安永元)刊の大坂小咄本『軽口開談儀』中の「大名のお道具紛失」と、安永年間(1772-81)刊の江戸板『豆談語』中の「化もの」。

このうち後者は、殿さま始め家来一同のエテモノを根こそぎさらうのが「化け物」とされているほかは、槍持ちの腎虚というオチまで、大筋はそっくりそのままです。

小島貞二によれば、能見正比古がこれらの原典を脚色、一席にまとめたものとか。能見は血液型による性格分類のパイオニアで知られる人。

当然ながら、口演記録はありません。

金勢大明神 【RIZAP COOK】

通称は金勢さま。金精神、金精大明神、金精さまなどとも呼ばれます。

男根の形をしたご神体をまつった神の一柱をさします。

金清、金生、魂生、根性、根精などとも、さまざまな当て字で表記されています。

男根の形をしたご神体をまつった神であることでひとくくりにされています。

とにかく、ご神体は噺中に出るとおり、巨大でいきり立った男根。これに尽きます。

男の永遠の憧れ、精力絶倫を象徴しているところから、五穀豊穣、安産、子孫繁栄、縁結びなどをつかさどります。

くから信仰を集め、社は日本全国に広く分布しています。

八寸胴返し 【RIZAP COOK】

平常時で24.24cm。いきり立つとどのくらいになるか背筋の寒くなる代物です。

「胴返し」というのは撃剣で、胴を払った太刀先をそのまま返し、反対側の胴、面、小手をなぐ基本技です。

ということは、ピンと反り返った「太刀先」が顔面を直撃……。まさかねえ。

腎虚 【RIZAP COOK】

江戸時代には腎気(精力)の欠乏による病気の総称でした。

狭義では、過度の性行為による衰弱症状です。

これの症例に関しては、「短命」で隠居がわかりやすく解説してくれます。

大名道具 【RIZAP COOK】

題名の「大名道具」とは、大名が持つにふさわしい一流品全般をいいます。

ところで、特に限定していう場合、「大名道具」とは、松の位の太夫のこと。

まさに、大名の権力と財力があって初めてちょうだいできる代物ということです。

太夫にかぎらず、お女郎のことを俗に「寝道具」ともいい、年期が明けてフリーになった遊女をタダで落籍するのを「寝道具をしょってくる」と称しました。

同じ「大名道具」でも、花魁はハード、男のモノはソフトというわけでしょうか。

どんなに特大のソフトを手に入れても肝心のハードがなければ、なんの意味もないわけです。いやはや。

【語の読みと注】
ご利益 ごりやく
金勢大明神 こんせいだいみょうじん
一物 いちもつ
麻羅返し まらがえし
腎虚 じんきょ

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そこつのししゃ【粗忽の使者】落語演目

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【どんな?】

「そこつ」と言ったことない人は、さりげなく使ってみると意外によい語感かも。

あらすじ

杉平すぎだいら柾目正まさめのしょうという大名の家臣、地武太治部右衛門じぶたじぶえもんという、まぬけな名の侍。 驚異的な粗忽者そこつものだが、そこがおもしろいというので、殿さまのお気に入り。 ある日、大切な使者をおおせつかり、殿さまのご親類の赤井御門守あかいごもんのかみの屋敷におもむかねばならない。 家を出る時が、また大変。 あわてるあまり、猫と馬をまちがえたり、馬にうしろ向きで乗ってしまい、 「かまわぬから、馬の首を斬ってうしろに付けろ」 と言ってみたりで、大騒ぎ。 先方に着くと、きれいに口上を忘れてしまう。 腹や膝をつねって必死に思い出そうとするが、どうしてもダメ。 「かくなる上は……その、あれをいたす。それ、あれ……プクをいたす」 「ははあ、腹に手をやられるところを見るとセッップクでござるか」 「そう、そのプク」 応対の田中三太夫たなかさんだゆう、気の毒になって、 「何か思い出せる手だてはござらぬか」 と聞くと、治部じぶザムライ、幼少のころから、もの忘れをした時には、尻をつねられると思い出す、ということをようやく思い出したので、三太夫がさっそく試したが、今まであまりつねられ過ぎて尻肌がタコになっているため、いっこうに効かない。 「ご家中にどなたか指先に力のあるご仁はござらぬか」 とたずねても、みな腹を抱えて笑うだけで、だれも助けてくれない。 これを小耳にはさんだのが、屋敷で普請中ふしんちゅうの大工の留っこ。 そんなに固い尻なら、一つ釘抜くぎぬきでひねってやろうと、作事場さくじばに申し出た。 三太夫はわらにもすがる思いでやらせることにしたが、大工を使ったとあっては当家の名にかかわるので、留っこを臨時に武士に仕立て、中田留五郎なかたとめごろうということにし、治部右衛門の前に連れていく。 あいさつはていねいに、頭に「お」、しまいに「たてまつる」と付けるのだと言い含められた留、初めは 「えー、おわたくしが、おあなたさまのおケツさまをおひねりでござりたてまつる」 などとシャッチョコばっていた。 治部右衛門と二人になると、とたんに地を出し、 「さあ、早くケツを出せ。……きたねえ尻だね。いいか、どんなことがあっても後ろを向くなよ。さもねえと張り倒すからな」 えいとばかりに、釘抜きで尻をねじり上げる。 「ウーン、いたたた、思い出してござる」 「して、使者の口上こうじょうは?」 「聞くのを忘れた」

【RIZAP COOK】

しりたい

この続き   【RIZAP COOK】

今では演じられませんが、この後、治部右衛門が使者に失敗した申し訳に腹を切ろうとし、九寸五分の腹切り刀と扇子を間違えているところに殿さまが現れ、「ゆるせ。御門守殿には何も用がなかった」と、ハッピーエンドで終わります。

使者にも格がある  【RIZAP COOK】

治部右衛門は直参じきさんではなく、殿さまじきじきの家来である陪臣ばいしん、それも下級藩士ですから、じかに門内に馬を乗り入れることは許されません。必ず門前で下馬げばし、くぐり戸から入ります。

作事場とは?   【RIZAP COOK】

大名屋敷に出入りする職人、特に大工の仕事場です。 作事とは、建物を建築したり修理したりすることをいいます。 作事小屋さくじごや」「普請小屋ふしんごや」ともいい、庭内に小屋を建てることもありました。大大名では、作事奉行さくじぶぎょう作事役人さくじやくにんが指揮することもあります。 「太閤記たいこうき」では、木下藤吉郎きのしたとうきちろうが作事奉行で実績をあげ、出世の糸口としています。

赤井御門守  【RIZAP COOK】

赤井御門守あかいごもんのかみとは、ふざけた名前です。もちろん架空の殿さまです。 あるいは、赤い門からの連想で「赤門あかもん」、加賀かが百万石の前田家をきかせたのかもしれませんが、どう見ても、そんな大大名には思えません。 妾馬」での六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)によると、ご先祖は公卿くぎょうだった、算盤数得表玉成卿そろばんかずえのひょうたまなりきょうで、任官にんかんして「八三九九守やつみっつくくのかみ」となった人とか。石高こくだかは12万3千456石7斗8升9合半と伝わっています。 どうも、江戸の庶民は、高貴な人たちの官位という制度と聞きなれない名称の音の響きに奇妙な好奇心を抱いていたようなふしがうかがえます。 高貴な世界に関心とあこがれがあった、ということなのでしょう。 火焔太鼓」では太鼓、「妾馬」では女と、やたらと物を欲しがるのも特徴です。落語に登場する殿さまには、この噺に最初に登場した、根引駿河守ねびきするがのかみ吝坂慾之守やぶさかよくのかみ治部右衛門の主君である、杉平柾目正すぎだいらまさめのしょうもいます。 でも、赤井の殿さまほど有名ではありませんね。

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しょうぎのとのさま【将棋の殿さま】落語演目

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【どんな?】

主君にはさからえない時代の話。とどのつまりは暇なんですね。

あらすじ

ある殿さま、ふとしたことから将棋に懲り、家来を相手に毎日熱中する。

それはいいが、自分が負けそうになると決まって「お取り払い」、つまり、王手の駒を強制的に除かせたり、「お飛び越し」、飛車が金銀を飛び越えて成ってしまったりと、やりたい放題。

文句を言うと、
「主の命に背くか」
と居直るので始末に負えない。

これでは連戦連勝は当たり前で
「うーん、その方たちは弱いのう。鍛えてつかわさんため、今日からは負けたる者は、この鉄扇で頭を打つからさよう心得よ」

始まれば、お取り払いにお飛び越しで、殿さまは負ける気遣いはないから、家来の頭はたちまちコブだらけ。

そこへ現れたのが御意見番の三太夫という、骨のある爺さん。

しばらく病気で出仕しなかったが、お飛び越しの一件を聞くと、これは怪しからんと憤慨し、さっそく殿さまの前へ。

殿さま、子供の頃から育てられているので、三太夫は大の苦手。

いやな爺が来た、と渋い顔をするが、三太夫はいっこうにかまわず
「将棋は畳の上の戦、軍学の修練にもなり、武士の嗜みとしては大いにけっこう。このじいも、年は取ってもまだまだお上のごときナマクラには負け申さん。たちまち、お上のおつむりをコブだらけにしてお目にかけるが、もしお上がお勝ち遊ばし、それがしの白髪頭をお打ちになっても、戦場で鍛えし鋼のごとき頭、ご遠慮は無用」
と挑発した。

それで殿さまも熱くなり、このくそ爺、ほえヅラをかくなと、試合開始。

家臣一同、あのうるさいのがコブだらけになるところを見たいと、ワクワクして見守る中、みるみる殿さまの形勢悪くなり、案の定
「これ、その歩で桂馬を取ってはならん。主命じゃ。控えよ」
「これはけしからん。戦場においては、君臣の区別はござらん。桂馬は侍、歩は雑兵。それが一騎当千の侍を討ち取るときは、末頼もしき奴。帰城の折りは取り立てつかわしたく存じますに、敵の大将がとやかく申したからとて、その言葉に従えましょうや」

理屈でくるから、どうにもならない。

お飛び越しを命じると
「飛車は軍師、その軍師が陣法に従わず、卑怯未練にも道なき所を飛び越して参るとは言語道断。首をはねて梟木に掛けますから、お引き渡しを」と、くる。

とどのつまり、殿さまは実力通り雪隠詰め。

剣の心得のある三太夫に思い切り打たれて、殿さま、涙ポロポロ。

「うーん、一同の者、盤を焼き捨てい。明日より将棋を指す者は、切腹申しつける」

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うんちく

上さまの御前で 【RIZAP COOK】

講談の「大久保彦左衛門将棋の意見」を落語化したものといわれます。

異説には「江戸寄席落語の祖」初代三笑亭可楽(1777-1833、京屋又五郎)の作とも。

可楽は、こともあろうにこの噺を十一代将軍家斉の御前で口演したとか。

やる方も命知らずなら、聴く上さまの方もなかなかシャレがわかる……とほめたくなりますが、いくらなんでもこれは伝説です。

落語界にはこんな不確か情報が意外に漂っています。円歌が昭和天皇の御前でとか、円朝が明治天皇の御前でとか。誤情報です。

それはともかく。

寄席草創期の化政期からある古い噺で、明治期では二代目禽語楼小さん(大藤楽三郎、1848-98)の明治22年(1889)9月付の速記があります。

禽語楼小さんは、自身も延岡藩(日向、宮崎県)の藩士だったこともあり、この噺を含めて殿さま噺を得意にしていました。

古い速記ではほかに、昭和9年(1934)の八代目桂文治(1883-1955、山路梅吉)のものがあります。

上方では「落語の殿さま」 【RIZAP COOK】

上方の「大名将棋」では、殿さまが「紀州侯」と特定されているほかは、東京のやり方と変わりませんが、この後があります。

将棋に懲りた殿さま、今度はこともあろうに落語に凝りだしたから、一難去ってまた一難。その場が氷河期と化すようなダジャレの連発に一同が凍り付いていると「みなの者笑え」と、例によって無理難題。笑わないとまた鉄扇だと、仕方なく無理にワキの下をくすぐりあって笑うと、殿さま、いい気になって、「鶴がいて亀がいて、鶴は千年亀は万年、東方朔は九千歳……」と、締めのダジャレがいつの間にか厄払い(「厄払い」参照)のセリフに。そこで家来一同「笑いまひょ、笑いまひょ」。

最後はやはり「払いまひょ」の地口で、厄払いでオチます。

大名のサディズム 【RIZAP COOK】

家来をあらぬ趣味で苦しめる殿さま噺に「蕎麦の殿さま」がありますが、異色なのが三遊亭円朝「華族の医者」です。

医術に凝った元殿さまが、怪しげな薬で家来を虫の息にしてしまい、「それは幸い。今度は解剖じゃ」。

明治維新を迎えても、「殿さま、ご乱心」はいっこうに変わりがなかったようです。もっとも、無茶苦茶の度合は、「幇間腹」の若だんなの方が上を行きますが。

幕府の将棋保護 【RIZAP COOK】

幕府が寺社奉行管轄下に「将棋所」を設けたのが慶長12年(1607)。大橋宗桂(1555-1634)をその司としました。

禄高は五十石二人扶持で、以来、大橋家は将棋の宗家として代々宗桂を名乗り、明治まで十二代を数えました。

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そばのとのさま【蕎麦の殿さま】落語演目

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【どんな?】

お仕えの噺。そばにまつわる噺は数あれど、かほど過酷な噺はなかりしや。

【あらすじ】

あるお大名。

ご親類にお呼ばれで、山海の珍味を山とごちそうになり、大満足で屋敷に帰ろうというところで、
「お帰り際をお止め申して恐れ入るが、家来のうちにそばの打ち方に妙を得ている者がおりますので、ほんの御座興にその者を呼び、御目前にて打たせて差し上げたいと存ずるゆえ、しばらくお待ちを」
と。

言われて殿さま、そばなんぞはただ長いものと聞いているだけで、見たことも聞いたこともなかったので、興味津々。

実際に木鉢の粉をすりつぶし、こねて切ってゆでて……という名人芸を目のあたりにして、すっかり感心。

根が単純なので、自分もやってみたくてたまらなくなってしまう。

帰ると、早速家来どもを集め、鶴の一声で「実演」に取りかかる。

山のようにそば粉を運ばせる。

小さな入れ物ではダメというので、馬の行水用のたらいを用意させ、殿さま、さっそうとたすきを十字にかけ、はかまの股立ちを高々と取る。

まるで果たし合いにでも行こうという出立ち。

「……これ、水を入れよ。……うん、これはちと柔らかい。粉を足せ。……ありゃ、今度は固すぎる。水じゃ。あコレコレ、柔らかい。粉じゃ。固いぞ。水。柔らかい。粉。水、粉、水、粉、粉水水粉粉水水粉……」

というわけで、馬だらいの中はヘドロのようなものが山盛り。

その上、殿さまが興奮して、鼻水は垂らしっぱなし。

汗はダラダラ。

おまけにヨダレまで、ことごとく馬だらいの「そば」の中に練りこまれるから、家来一同、あれを強制的に食わされるかと思うと、生きた心地もない。

いよいよ、恐怖の試食会。

宮仕えの悲しさ、イヤと言うわけにもいかないから、グチャグチャドロドロのやつを、脂汗を流しながら一同口に入れる。

「あー、どうじゃ、美味であろう」
「ははー、まことにけっこうな……」
「しからば、代わりを取らせる」

汗と唾とよだれと鼻水で調味してあるそばを、腹いっぱい詰め込まされたものだから、翌日は家来全員真っ青な顔で登城する。

みんな、その夜一晩中ひどい下痢でかわやへ通い詰め。

そこへまたしても殿のお召し。

「あー、コレ、一同の者がそば好きじゃによって、本日もそばを打っておいたゆえ、遠慮なく食せ。明日も打ってとらせる」
「殿、恐れながら申し上げます」
「なんじゃ」
「おそばを下しおかれますなら、一思いに切腹を仰せつけ願わしゅう存じまする」

【しりたい】

すまじきものは宮仕え

将棋の殿さま」と並んで、ご家来衆受難の一席。

この種の噺に、今はもう演じ手がありませんが、三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839-1900)の作といわれる「華族の医者」があります。

維新後のはなしで、医術に凝った元殿さまが、怪しげな薬で家来を虫の息にしてしまい、「それは幸い。今度は解剖じゃ」。

サディスティックさの度合い、精神の病根の深さは「蕎麦殿」や「将棋殿」など、メじゃあありませんね。

ぜひどなたかに復活していただきたいものです。

ああこれこれ、「実演」するでないぞ。してよいのは余だけじゃ。

そばと殿さま

松江藩(出雲、島根県)の七代藩主で、茶人としても知られた松平治郷まつだいらはるさと(不昧公ふまいこう、「目黒のさんま」の)が飢饉対策のため、藩内に信州から蕎麦を移植したいきさつは、出雲系そば屋の由来書の紋切りです。

不昧公は名君、茶人として知られます。

いやしくもこの噺のそば殿のモデルになったとは思えませんが、殿さまがズルズルとそばをたぐっている姿を想像すると、漱石ではありませんが、なんとなく「俳味はいみ」があります。

ただ、次項目に記したように、茶人としての散財は目を覆うほどでしたので、「蕎麦殿」の雰囲気も漂っていたのかもしれません。

あくまでも推測です。

そばと茶道

不昧公は茶人としても高名でした。

そこでもう一つ付け加えますが、実はこの噺の発端で、殿さまが茶坊主に命じて、そば粉を調達させるくだりが、あらすじで参考にした、明治の二代目柳家小さん(禽語楼きんごろう小さん→柳家禽語楼、1848-98、大藤楽三郎)の速記にはあります。

このことから、そばきりは茶懐石の添え物として供されたことがうかがわれます。

そばは、いやしき町人のみが好物としていたのではないのですね。

ちなみに、「不昧」とは松平治郷が文化3年(1806)に剃髪ていはつした後に号したもので、僧号のようです。

現役時代から「不昧」を名乗っていたのではありません。

治郷は十代将軍徳川家治いえはる(1737-86)から偏諱へんきをたまわったものです。

偏諱とは、高位者から名の一字をさずかること。

こういうことから特別な主従関係が生じると意識したわけです。

菩提寺は松江の月照寺(浄土宗)です。

不昧を名乗ってからは、江戸・大崎の下屋敷(茶室が11もあった!)で屋敷全部を使った大がかりな茶会を催したりして、松江藩の財政をしっかり逼迫ひっぱくさせています。

朝鮮人参の栽培など振興には活発ながら政治には口出ししなかったそうですから、ある意味ではたしかに名君だったのでしょうが、どうもね。

幻の後日談?

目黒のさんま」でもふれましたが、明治期に、武士や殿さまの噺を得意としたのが、延岡藩(日向、宮崎県)の藩士だった二代目禽語楼小さん(大藤楽三郎、1848-98)です。

「そばの殿さま」の最古の速記が、明治27年(1894)『百花園』所載の二代目小さんのものですが、現在のやり方とあまり大きくは違っていません。

戦後では六代目三遊亭円生(1900-79、山﨑松尾、柏木の師匠)がよく演じました。

『円生全集』第二巻(青蛙房、1980年)所収の速記では、円生はオチは使わず、殿さまが謝った後、「今度は精進料理で失敗するという……」と「続編」をにおわせてサゲていましたが、これについてはいまのところ不明です。

「そばの殿さま」のくすぐり

●家来がイヤイヤそばを食う場で

「中から粉が出ますな」
「貴殿のは粉だからよろしい。拙者のはワラが出ます」
「壁土じゃござらん」

 …………………………………………

「いやしくも侍一人、戦場で捨てる命は惜しまねど、そばごときと刺し違えて相果てるは遺憾至極」
「遺憾もキンカンもくねんぼもダイダイもない。このそばをもって一命を捨てるのも、やはり忠死のひとり」
「宅を出るとき、家内と水杯をいたしてくればよかった」

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めかうま【妾馬】落語演目

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

【どんな?】

殿さまにみそめられた妹の住むお屋敷に兄が招かれ、とんちんかんなやり取り。

別題:八五郎出世 てかけ馬(上方)

宝泉華

あらすじ

丸の内に上屋敷を持つ大名赤井御門守あかいごもんのかみ

正室にも側室にも子供が生まれず、このままでは家が絶えるというので、この際身分は問わず、よさそうな女を見つけて妾にしようと、町屋まで物色している。

たまたま、好みの町娘が味噌漉を下げて、路地裏に入っていくのを駕籠の中から認め、早速家来をやって、大家に話させる。

すぐに、娘はその裏長屋住まいで名はお鶴、今年十七で、母親と兄の職人・八五郎の三人暮らしと知れた。

大家は名誉なことだと喜び、お鶴は美人の上利口者だから、何とか話をまとめて出世させてやろうと、すぐに八五郎の長屋へ。

出てきた母親にお鶴の一件を話して聞かせると大喜び。

兄貴の八五郎には、大家が直接話をする。

その八五郎、大家に、お屋敷奉公が決まれば、百両は支度金が頂けると聞き、びっくり仰天。

こうなると欲の皮を突っぱらかして二百両にしてもらい、めでたくお鶴はお屋敷へ。

兄貴の方は、持ちつけない大金を持ったので、あちこちで遊び散らし、結局スッカラカン。面目ないと長屋にも帰れない。

一方、お鶴、殿さまのお手がついて間もなく懐妊し、月満ちてお世継ぎを出産。

にわかに「お鶴の方さま」「お部屋さま」と大出世。

兄思いで利口者だから、殿さまに甘えて、一度兄にお目見えをと、ねだる。

お許しが出て、早速長屋に使いがきたが、肝心の八五郎は行方知れず。

やっと見つけ出し、一文なしなので着物も全部大家が貸し与え、御前へ出たら言葉をていねいにしろ。

何でも頭へ「お」、尻に「たてまつる」をつければそれらしくなると教えて送りだす。

さて、いよいよご対面。

側用人の三太夫が、どたまを下げいのしっしっだのと、うるさいこと。

殿さまがお鶴を伴って現れ、「鶴の兄八五郎とはその方か」と声をかけてもあがって声が出ない。

「これ、即答をぶて」と言うのを「そっぽをぶて」と聞き違え、いきなり三太夫のおつむをポカリ。

「えー、おわたくしはお八五郎さまで、このたびはお妹のアマっちょが餓鬼をひりだしたてまつりまして」と始めた。

殿さまは面白がり「今日は無礼講であるから、朋友に申すごとく遠慮のう申せ」

ざっくばらんにやっていいと聞いて、「しめこのうさぎよッ」と安心した八五郎、今度は調子に乗って言いたい放題。

まっぴらごめんねえとあぐらをかき「なあ、三ちゃん」

はてはお女中を「婆さん」などと始めたから、三太夫カリカリ。

殿さまは一向気に掛けず、酒を勧める。

八、酔っぱらうとお鶴を見つけ、感極まって「おめえがそう立派になってくれたって聞けば、婆さん、喜んで泣きゃあがるだろう。おい、殿さましくじんなよ。……すいませんね。こいつは気立てがやさしいいい女です。末永くかわいがってやっておくんなさい」と、しんみり。

最後に景気直しだと都々逸をうなる。

「この酒を止めちゃいやだよ酔わしておくれ、まさか素面じゃ言いにくい、なんてなぁどうでえ殿公」

「これっ、ひかえろ」「いや、面白いやつ。召し抱えてつかわせ」というわけでツルの一声、八五郎が侍に出世するという、おめでたい一席。

底本:五代目古今亭志ん生

しりたい

演題 【RIZAP COOK】

「めかう(ん)ま」と読みます。本来は「下」もあって、侍に取り立てられた八五郎が、殿様に使者を申しつかり、乗り慣れぬ馬に乗って暴走。

必死にしがみついているところで、「そのように急いでいずれへおいでなさる?」「行く先は、馬に聞いてくれ」とサゲます。

緻密に演じると、一時間近くはかかろうという大ネタで、明治大正の名人・四代目円蔵なども屋敷の表門で八が門番と珍問答するあたりで切っていました。

もちろん眼目は大詰めで、べろべろになった八だけの一人芝居のような長台詞のうちにその場の光景、その場にいない母親の姿などをありあり浮かび上がらせる大真打の腕の見せ場です。

五代目志ん生は全体にごくあっさり演じていましたが、六代目円生は胃にもたれるほどすべての場面をたっぷりと、そして志ん朝は、前半を思い切ってカットし、最後の酔態で悲痛なほど、肉親の情愛と絆を浮き彫りにする演出でした。

ちなみに、「妾」は現代では差別語の範疇に入るものでして、新聞やテレビでは極力使いません。あってはならないものだからです。NHKでは「八五郎出世」で放送していました。ただ、芸能の認識を少し深めたのか、現在では「妾馬」で放送しているようです。えらいです。

魚屋宗五郎  【RIZAP COOK】

「妾馬」で思い出すのが歌舞伎の「魚屋宗五郎」。河竹黙阿弥の傑作です。

酒に酔って殿様の面前で言いたい放題くだをまくのは共通していますが、こちらは悲劇で、旗本の屋敷奉公にあがった妹がこともあろうに無実の罪でお手討ちになったくやしさに、一本気な宗五郎が、やけ酒の勢いで屋敷に暴れ込み、斬られるのを覚悟で洗いざらい恨み言をぶちまけます。

おめでたい「妾馬」とは違って、弱者の精一杯の抵抗と抗議が観客の胸を打ちますが、殿様の「ゆるせ」のたった一言でへなへなになってしまいます。

悲劇と喜劇の違いこそあれ、権力者に頭をなでられれば、すぐ猫のように大人しくなる下層民のメンタリティは八五郎にも共通しているのでしょう。

映画『運がよけりゃ』(山田洋次監督、松竹、1966年)で賠償千恵子扮するおつるは、恋仲の若者への思いを貫くため、敢然と殿さまのお召しをはねつけ、長屋一同もそれを応援します。少なくとも江戸時代には、そのようなことは、天地がひっくりかえってもありえなかったのでしょう。

御座り奉る  【RIZAP COOK】

「四代目小さん・聞書」(安藤鶴夫著『落語鑑賞』所収、苦楽社、1949年)によると、「妾馬」は昔、「御座り奉る」という名題で、歌舞伎で上演されたことがあるそうです。

そのほか、劇化された落語に、「大山詣り」「祇園会」「三軒長屋」「締め込み「粗忽の使者」「らくだ」「ちきり伊勢屋」とあり、現在も上演されるものに「芝浜」「文七元結」があります。むろん、円朝の怪談ものなどは別です。「大山詣り」「らくだ」はともに岡鬼太郎脚本で、それぞれ「坊主烏賊」「眠駱駝物語」の名題。「大山詣り」(「坊主烏賊」)は初代中村吉右衛門、「祇園会」「芝浜」「文七元結」は六代目尾上菊五郎、「三軒長屋」は七代目松本幸四郎・十五代目市村羽左衛門、といずれも名優が主演しています。ただし、「どうも道具立てがどっさりで、落語から芝居にしたものは、妙にみんな面白くありませんな」。

武士の側室  【RIZAP COOK】

この噺と同類の題材は川柳にも多く見られます。江戸の市中では時折あったことなのでしょう。手厚い人間関係。コネ丸出しの社会でした。

にわか武士 けだし妾の 兄にして   十六31

「けだし」は「思うに」くらいの意。まさに「妾馬」そのものですね。

能い妹 もつてちゃらくら 武士になり   二十一27

「ちゃらくら」は「でたらめ」。兄貴はちゃらくら野郎だったわけですね。

馬鹿なこと 妹が死んで 武士をやめ   二十一27

笑やるな 若殿様の 伯父御だよ   十二28

妹の おかげで馬に おぶつさり   三26

馬の行く 方へのってく にわか武士   十四11

御めかけの 母は大きな 願をかけ   四13

生まれた男の子が跡取りになってほしいと願をかける母親の心情でしょう。

かりものの 部へは入れど 手柄なり   四11

この「かりもの」は「借り腹」のこと。「かりものの部」とは「側室」を意味します。手柄は男児を産んだから。

【RIZAP COOK】

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席