おけちみゃく【お血脈】落語演目

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

善光寺で「血脈の御印」をもらえば極楽に行ける。
その結果、地獄は閑古鳥状態。
地獄の起死回生、御印盗みに石川五右衛門を。
五右衛門は善光寺に乗り込み、御印を見つけた。
会話なし。噺家が語り進めていく地噺。

別題:血脈 骨寄せ(上方) 善光寺骨寄せ(上方)

【あらすじ】

信濃の善光寺で、お血脈の御印というのを売り出した。

これは、百文出して額に印を押してもらえば、どんな罪を犯しても極楽往生間違いなしという、ありがたい代物。

なにしろ、たった百文出せば、人を何万人絞め殺そうが罪業消滅というのだから、世界中から人が押しかけ、ハンコ一つで一人残らず極楽へ行ってしまい、しまいには地獄へ来るものが一人もなくなった。

おかげで地獄では不景気風が吹き荒れ、浄玻璃の鏡などの貴重品はおろか、鬼の金棒に至るまですべて供出させ、シャバの骨董屋に売っぱらってしまうありさま。

赤鬼も青鬼も栄養失調で餓生(?)寸前。

虎の皮のフンドシまで売りとばし、前を隠してフラフラと血の池をさまよっている。

元締めの閻魔大王も、このままでは失脚必至とあって、幹部を集めて対策会議。

部下の見る目と嗅ぐ鼻(ともに探査係)が、こうなれば誰か腕のいい大泥棒を雇い、元凶の、例のお血脈を盗み出すほかないと提案し、全会一致でそれに決まった。

問題は泥棒の人選で、ありとあらゆる大泥棒のリストをあさったが、いずれも帯に短したすきに長しで、結局、最後は人格力量抜群のご存じ、石川五右衛門と決定。

さて五右衛門、地獄の釜の中で都々逸どどいつを三十六曲歌ってのぼせているところ。

大王からのお召しとあって、シャバにいたころそのままに、黒の三枚小袖、朱鞘の大小、素網を着て、重ね草鞋、月代を森のごとくに生やし、六方を踏みながらノソリノソリと御前へ。

「……これこれしかじかだが、血脈の印を盗み出せるのはその方以外になし。やってのけたら重役にしてやる」
「ハハー、いとやすきことにござりまする」

というわけで、久しぶりにシャバに舞い戻った五右衛門、さすがに手慣れたもので、昼間は善光寺へ参詣するように見せかけて入り込み、ようすを探った上で、夜中に奥殿に忍び入って血脈を探したが、なかなか見当たらない。

そのうち立派な箱が見つかったので、中を改めるとまさしくお血脈の印。

見つかったらさっさと地獄へ持って帰ればいいものを、この泥棒、芝居気があるから、
「ありがてえ、かっちけねえ。まんまと首尾しゅびよく善光寺の、奥殿おくどのへ忍び込み奪い取ったるお血脈の印。これせえあれば大願成就」
と押しいただいて、そのままスーッと極楽へ。

底本:四代目橘家円蔵、六代目三遊亭円生

【しりたい】

善光寺の伝承に由来

はっきりした原話は不明ですが、信濃の善光寺にまつわる縁起・伝承が起源とみられます。

四代目橘家円蔵(松本栄吉、1864-1922、品川の師匠)の明治44年(1911)の速記が残っています。

その円蔵の演出を踏襲して、戦後は六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)が得意にしました。

円蔵、円生ともにマクラに釈迦の逸話と善光寺の由来を滑稽化して入れています。

上方では、芝居の「骨寄せの岩藤」の趣向を取り入れ、五右衛門のバラバラになった骨を集めて蘇生させるというやり方なので「善光寺骨寄せ」「骨寄せ」の題でも演じます。

お血脈

おけちみゃく。

六代目円生が生前、善光寺に参詣していただいてきたと語っていました。

それによると、上書きに「信州善光寺、融通念仏血脈譜、別当大勧進」とあり、裏は中央に「浄業者」、脇に「念佛弟子、日課、百遍」、紙包みの中には半紙一枚に、中央に「良忍上人直授元祖聖應大師」、以下、多数の大僧正、上人、阿闍梨(高位の僧侶)の名が書きつらねてある、とのこと。

「血脈」とは、仏教で師匠から弟子に伝えられる戒律や系譜書です。

それを伝えることを「血脈相承」といい、在家の信者にその儀式を省略して護符のように分け与えたのが「お血脈」の始まりとか。

のちに札になりましたが、かつては額に直接押印していました。

ただしタダではなく、浄財百疋(一疋=二十五文)が必要です。

たった二分ちょっとで極楽往生できれば、安いものです。

善光寺

長野市元善光寺町にあります。

無宗派の単立寺院。天台宗と浄土宗とで運営管理されている、珍しい寺です。

本尊は三国伝来一光三尊阿弥陀如来。

天竺(=インド)から閻浮檀金という身の丈一寸八分の阿弥陀像が渡来、それを「仏敵」の物部守屋が難波ヶ池に簀巻きにして放り込み、「処刑」。

それを見つけた本多善光が、仏像を信州に勧請(神仏の分霊を迎える)して寺ができた、というのが沿革です。

本多善光が実在したかどうか。今のところ、可能性は薄いそうです。

石川五右衛門

伝説上の人物として、長く小説、芝居、落語などさまざまなジャンルで取り上げられてきました。

当人が主人公として直接登場するものは意外に少なく、落語ではこの「お血脈」でしょう。

ほかに、歌舞伎では「絶景かな……」で有名な「楼門の場」を含む「釜渕双級巴」、小説では古くは司馬遼太郎の「梟の城」、平成になってからは赤木駿介の「石川五右衛門」、劇画ではケン月影の「秀吉に挑んだ男石川五右衛門」などが、主なところでしょうか。

地噺

じばなし。セリフがほとんどなく、演者の地の語りを中心に進める噺のこと。

その意味では講談に近いわけですが、あれほどエクセントリックではなく、淡々と語ります。

「あたま山」「西行」「紀州」など、歴史上の人物の逸話や民間伝承、寺社縁起などを題材にしたものが多く、江戸前落語特有のジャンルといえます。

短くても笑いが少なく、地味なものが多いので、飽きずに聴かせるには円熟した話芸が必要です。生半可な噺家にはこなせません。

そういう意味では、いまどきははやらないでしょう。

八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、彦六)などは、滋味あふれる地噺の名手で、その語り口は、晩年にはさながら高僧の説教のような趣があったものです。いささか眠くなりますが。

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

やってみたい人

しんきょくほうかい【神曲崩壊】志ん生雑感 志ん生!

五代目古今亭志ん生

  成城石井.com  ことば 噺家 演目 志ん生 千字寄席

山田風太郎(山田誠也、1922-2001、小説家)の地獄めぐりの奇書「神曲崩壊」に顔を出す志ん生。ちょっと覗いてみよう。

アル中どもの堕ちる酩酊地獄の外れが、今の住処。

酒の大河に舟を浮かべ、そこで船頭になっている。

もっとも、とっくに櫓などは放り出し、ねじり鉢巻フンドシ一本。片手に茶碗、片手に釣り竿。

傍らの手桶で、のべつ酒の河から並々と汲んでは、茶碗に注いでグビリグビリ。
地獄どころか、太平天国。

「ありったけ平らげるったって、河ぜんぶが酒じゃあ、いくらあたしだって
どうしようもないやね。ウイウイ、ウイ、ウーイ」

で、時たま左手の釣り竿を持ち上げては、

「これでうめえサカナでも釣れりゃあもっとありがてえんだが。ウーイ

何しろ酒の河だけに、ウワバミなんかが釣れても困る」

あまり出来のよくないサゲが付いたところで、おあとよろしく。

天からは、沛然と永遠に降り注ぐアルコールのくっさい雨。

遠くに霞むは、針の山ならぬ酒樽山。

「おっとっと、なんかひっかかりやがったぜ」

何が釣れたかは、小説本文続きをご参照のほど。

                                                                                                                                     高田裕史



  成城石井.com  ことば 噺家 演目 志ん生 千字寄席

じごくばっけい【地獄八景】落語演目

  成城石井.com  ことば 噺家 演目  千字寄席

【どんな?】

上方では米朝のが有名です。
ここでは明治の円遊ので。
ほとんど同じ。

別題:地獄 地獄八景亡者の戯れ

【あらすじ】

根岸でのんびり日を送る大店の隠居。

そこに、隠居が最近ドイツの名医からもらったという「旅行薬」の噂を効いて、源さんと八っつぁんの二人連れが訪ねてくる。

隠居が、この薬を飲めば、一時間以内で好きなところへ行ってこられるから、試しにどこかへ行ってみないかと言うので、二人は渡りに舟と、地獄旅行としゃれ込む。

すっかり薬が回ると、何だかスーッとしていい気持ち。

いつの間にか、だだっ広い野原にいる。

洋服を着た人が立っていて
「きさまらは新入りだな。自分はこの国の人民保護係だ」
と言う。

ここはシャバを去ること、八万億土のあだし野の原。

吹く風は無常の風、ぬかるみの水は末期の水と名がつく。

役人が、きさまらは娑婆しゃばで罪を犯したので、ここでザンゲをしなければならないと言う。

まず源さんが
「えー、私は間男まおとこしました」

「とんでもねえ奴だ。相手はだれのかみさんだ」
「ここにいるこいつで」
「チクショー、こないだから変だと思った」

これで大げんか。

「八五郎、きさまはなにをした」
「へえ、私は泥棒で」
「どこに入った」
「こいつのとこです」
というわけで、間男と差し引き。

もめながら三途の川まで来ると、ショウヅカの婆さんが、
「当節、地獄も文明開化で、血の池は肥料会社に売却して埋め立て、死出の山は公園に」
と、いろいろ教えてくれる。

いよいよ、三途の川の渡し。

死に方で料金が違う。

心中だと二人で死んだから二四が八銭、お産で死ねば三四が十二銭という具合。

着いたのが閻魔の庁。

役人が一人一人呼び上げる。

「磐梯山破裂、押しつぶされー」
「ホオー」
「ノルマントン沈没、土左衛門」
「ヘイー」
「肺病、胃病、リューマチ、脚気」
「ヘイ」

全部中に通ると、罪の申し渡しがある。

有罪全員が集められ
「その方ら、いずれも極悪非道、針の山に送るべき奴なれど、今日はお閻魔さまの誕生日につき、罪一等を減じ、人呑鬼に呑ませる。さよう心得ろ」

塩をかけて食われることになったが、歯医者がいて、人呑鬼の歯をすっかり抜いちまったから、しかたなく丸飲み。

腹の中で、みんなで、あちこちの筋を引っ張ったので、さすがの人呑鬼もたまらず、トイレに行って全員下してしまった、というところで気がつくと、いつの間にか元の根岸の家。

「どうだ、地獄を見てきたか」
「もし、ご隠居、あの薬の正体はなんです」
「おまえらは腹から下されたから、あれは大王(大黄=下剤)の黒焼きだ」

底本:初代三遊亭円遊

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ

【うんちく】

本家は上方落語

天保10年(1839)刊の上方板笑話本『はなしの種』中の「玉助めいどの抜道」が上方落語「地獄八景(亡者戯)」の原型。

さらに遡れば、宝暦13年(1763)刊の『根南志具佐』を始め、宝暦から文化年間まで流行した地獄めぐり滑稽譚が源流です。

上方では長編連作旅シリーズ「東の旅」の番外編という扱いで、古くは、道中の点描で、軽業師が村祭りで興行中木から転落。そのまま地獄へ直行するのが発端になっていました。

あらすじの東京バージョンは珍しいのでご紹介しましたが、明治中期に初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)が東京に移植・改作したものです。

あだし野の原

実在のあだし野(化野)は、京都府北嵯峨・念仏寺の、京都最古の土葬墓地です。

八千体の石仏や石塔がひしめく荒涼たる風景は、「あだし野の露消ゆる時なく」と兼好が『徒然草』に記しているように、この世の無常、ひいては地獄を感じさせます。

それもそのはず、「あだし野」は特定の地名でなく、冥界を意味する言葉でした。

「八万億土」は、もともとこんな言葉はなく、西方十万億土の少し手前というくすぐりです。

生塚の婆さん

しょうづかのばあさん。脱衣婆のことです。地獄の入り口、三途の川の岸辺で亡者の衣服をはぎ取り、衣領樹の上にいる懸衣翁に渡す仕事の鬼婆。

「ショウヅカ」は「三途河」がなまったものとか。

落語では、「朝友」「地獄の学校」「死ぬなら今」など、地獄を舞台にしたものにはたいてい登場。「朝友」を除けば悪役のイメージは薄く、特にこの噺では、情報通の茶屋の婆さんという扱われ方です。

三途の川の渡し賃

普通は六文と考えられていました。

棺桶(早桶)に六文銭を入れる習わしはそのためです。

磐梯山破裂

明治21年(1888)7月の、会津磐梯山の大噴火を指します。

ノルマントン号事件

明治29年(1896)10月24日、日本人乗客23名を乗せた英国貨物船ノルマントン号が紀州沖で沈没。水死したのが日本人のみだったため、全国で対英感情が悪化しました。

米朝十八番、すたれた円遊改作

円遊は、オチを含む後半はほとんど上方版と同じながら、発端をあらすじのように変え、明治25年(1892)4月の速記では「大王の黒焼」を受けて「道理でぢごく(=すごく)効きがよかった」と、ひどいダジャレオチにしています。

円遊版の特色は、あらすじでは略しましたが、当時すでに死亡していた多くの有名人が、続々と地獄に来ている設定になっていること。

川路利良(明治12年没)、三島通庸(21年没)、西郷隆盛(10年没)、その他三条、岩倉、大久保、木戸の維新の元勲連から、森有礼暗殺犯の西野文太郎、大津事件の津田三蔵、毒婦高橋お伝まで。明治のにおいが伝わってきます。

円遊のこの演出は時代を当て込んだものだけに、当然、以後継承者はなく、明治期にできた地獄噺は、オリジナルの大阪版以外はすべて滅びたといっていいでしょう。

先の大戦後では、三代目桂米朝(中川清、1925-2015)が、発端をフグにあたってフグに死んだ若だんなと取り巻き連のにぎやかな冥土道中にした上、より近代的なくすぐりの多いものに変え、「地獄八景亡者戯」として、一世のヒット作、十八番としています。

この米朝演出を、門弟の二代目桂枝雀(前田達、1939-99)がさらにはでなスペクタクル落語に変え、昭和59年(1984)3月の歌舞伎座公演のトリでも大熱演しました。

枝雀のオチでは、体内を責めさいなまれた人呑鬼が悲鳴を上げるので、閻魔大王がしかたなく「極楽へやってやる」とだまして一同を外にひきずり出してしばりますが、うそをついたというので、閻魔自身が舌を抜かれるという皮肉なものです。

演題の読みはあくまで上方のものを踏襲して「じごくばっけい」と読むのが正式です。

古くは「地獄めぐり」「明治の地獄」「地獄」など、さまざまな別題で演じられていました。

【語の読みと注】
根南志具佐 ねなしぐさ:風来山人、つまり平賀源内の作
脱衣婆 だつえば
衣領樹 えりょうじゅ
懸衣翁 けんえおう:三途の川のほとりにいるといわれる老人
三途河 さんずか
地獄八景亡者戯 じごくばっけいもうじゃのたわむれ



  成城石井.com  ことば 噺家 演目  千字寄席

じごくのがっこう【地獄の学校】落語演目

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

【どんな?】

紺屋こうやの六兵衛が手違いで地獄へ。
あらましを学校を通してが紹介されます。
なんとも不思議な。
こんな学校、あっても行きたくないし。

【あらすじ】

深川六間堀に住む、紺屋の正直六兵衛。

昨夜、酔ったはずみで商売物の緑青ろくしょうを飲んでしまい、気がついた時は、もう六道ろくどうの辻。

道連れになった坊さんに、極楽に行く道はどこか教えてくれと頼むと、拙僧せっそうもよくわからないと言う。

そこへ鬼がやってきて、二人はたちまち閻魔大王えんまだいおうの前に引き出される。

まず坊さんが、娑婆しゃばの行状を映しだす浄玻璃じょうはりの鏡にかけられると、いや、悪行が映るわ映るわ、朱の衣も何もきれいにほうり出し、芸者を揚げて酒池肉林のドンチャン騒ぎ。

たちまち、地獄墜ちと決まった。

次は六兵衛の番。

震えて、自分は娑婆では正直六兵衛と異名を取り、嘘は一度もついたことがないから、どうぞ、極楽へやってくれと頼むが「黙れ。その方は紺屋こうや。紺屋のあさってと申し、染め物がいつできますと聞かれるといつもあさってと申す。嘘ばかりついているではないか」

形勢が悪いところへ、十大王の一人が、それは商売上しかたないので、この者が悪いのではないし、赤鬼や青鬼の服もだいぶ近ごろ色せてきているから、紺屋が来たのを幸い、これを染め替えさせよう、と助け船。

三日だけ地獄で仕事をすれば、極楽へ上げてやると言われて、六兵衛は大喜び。

その間にも、いろいろな亡者もうじゃが来る。

ガラッ八という博打ばくち打ちが連れてこられ「マゴマゴしゃあがると土手っ腹蹴破って鉄の棒を突っ通し、鬼の漬け焼きをこしれえるぞ」と啖呵たんかを切って暴れるので、鬼どもが怒ってぶち生かしてしまったりする騒ぎの後、六兵衛は六道銭一枚もらって、地獄の盛り場のさいの河原で遊んでこいと言われ、喜んで地獄見物。

河原には芝居小屋や寄席が所狭しと並び、大にぎわい。

死んだ名優や大真打ちがすべて出演している。

そのうち河原学校という看板が見えたので入っていくと、子供がぞろぞろいて、先生は石の地蔵さま。

地蔵が黒板に字を書いて、生徒に読ませる。

「そもそも地獄の数々は、一百三十六地獄、あまねく人の聞き知るは、阿鼻地獄あびじごく、堕地獄、阿鼻焦熱、熱鉄地獄、修羅地獄、凍渇地獄、針の山。オーライ芸者の不見転みずてんも、見る目ぐ鼻拘引し、処刑は拘留一週間」

カンカンと鐘が鳴り、授業終わり。

地蔵「無常の鐘が鳴ったから、枕飯まくらめしにしよう」

【無料カウンセリング】ライザップがTOEICにコミット!

底本:初代三遊亭金馬(→二代目小円朝)

【うんちく】

明治の新作

具体的な原話は不詳です。明治中期の新作です。

地獄めぐりを題材にした安永3(1774)年刊の滑稽本「針の供養」や、同じ明治に初代三遊亭円遊が改作した同趣向の「地獄八景(地獄旅行)」などを種本にして作られた噺と思われます。

明治33年(1900)の初代三遊亭金馬(芳村忠次郎、1858-1923、→二代目三遊亭小円朝)の速記が唯一の口演記録ですが、同人の作かどうかはわかりません。

娑婆の教科書のパロディー

この学校で使われている、「そもそも地獄の数々は……」で始まる教材を地蔵先生は「八方奈落国尽」と説明しています。

「奈落」は芝居で使われる用語ですが、もともとの意味は地獄のこと。「国尽くし」は、諸国の名前を列挙して子供に朗唱させて覚えさせるための教材です。

江戸時代の寺子屋の教科書として、「日本国尽」などさまざまな「国尽くし」が作られていました。

明治2年(1869)、福沢諭吉(1835-1901)が『世界国尽』を刊行。仮名垣魯文(野崎文蔵、1829-94)がその翌年、『苦界ふみ尽し』としてこれをパロディー化しました。

この地獄版国尽くしは、それらの民衆(児童)教化本のそのまたパロディーです。

初めは地獄の数々について述べていますが、ごらんの通りだんだん怪しくなります。

あらすじでは略しましたが、途中の「ひっぱりぢごく、旅ぢごく、淫売ぢごくの常として」あたりから、最下級の遊女を「地獄」と呼ぶことにからめて、だんだんげびたものになってきます。

明治の娼妓規制を反映

朗唱の終わりの「処刑は拘留一週間」には当時の社会的な背景があります。

明治6年(1873)に東京府知事により「貸座敷渡世規制」「娼妓規制」「芸妓規制」が立て続けに発布され、私娼や芸者らの「個人営業」の売春を厳しく取り締まることになった、という世相です。

以後、売春は個人・業者共に鑑札制になり、そうした稼業の者を市内数カ所に集め、いわゆる「赤線地帯」が設けられました。

「不見転」は、誰とでも関係を持つ芸者をいう言葉です。

「オーライ」も同じで、往来で「交渉」することと、英語をもじって「ダレでもOK]とが掛けられています。

浄玻璃の鏡

娑婆における亡者の善悪の行為を、すべて映し出す鏡。

人は死ぬ間際に、自分の一生をあますところなく鮮やかに思い出すといわれますが、そのことの象徴でもあるのでしょう。

今なお評価の高い中川信夫監督の『地獄』(1960)でも、効果的に使われていました。

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

しぬならいま【死ぬなら今】落語演目

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

【どんな?】

死は人生最大の難問。
でも、落語にかかれば、どうってことない。

あらすじ

吝嗇屋しわいや吝兵衛けちべえという男。

爪に灯をともすようにして金を貯め込んできたが、いよいよ年貢の納め時が来た。

せがれを枕元に呼び、寿命というものはどうにもならない。

「わたしも、突き飛ばしておいて転がった人の上にずかずか乗るような醜いことまでして、これだけの財産をこしらえたが、もう長くないので、おまえに一つ頼みがある」
と言う。

「どうだろう、早桶ン中に三百両、小判で入れてもらえないか」

地獄の沙汰さたも金次第。

「わたしのような者は必ず地獄におちるだろうが、金をばらまけばひょっとして極楽へ行けるかもしれない」
というわけ。

せがれが承知すると安心したか、ごろっと痰がからまったと思うと、キュウとそのままになってしまった。

いわゆる、ゴロキュウ往生。

湯灌ゆかんも済み、白い着物を着せた。

せがれが遺言ゆいごん通りに頭陀袋ずだぶくろの中に三百両の小判を入れているところを親類の者が見て
「いくら遺言だからといって、そんなばかなことをしてはいけない」
と、知り合いの芝居の道具方に頼み、譲ってもらった大道具の小判とそっくり入れ替えてしまった。

こちらは吝兵衛。

いつの間にか買収資金がニセ金に替わっているともつゆ知らず、閻魔えんまの庁まで来ると、さっそく呼び出される。

浄玻璃じょうはりの鏡にかけられると、今までの悪事がこれでもかこれでもかと映るわ映るわ。

「うーん、不届きなやつ」

閻魔大王が閻魔のような顔になったので、さあ、この時と、袖口に百両をそっと忍ばせると、その重みで大王の体がグラリ。

「あー、しかしながらあ、一代においてこれほどの財産をなすというのも、そちの働き、あっぱれである」

がらっと変わったから、鬼どもがぶつくさ不満タラタラ。

それではと、そいつらの袖の下にも等分に小判を忍ばせたので、吝兵衛、無事に天上し、極楽へスーッ。

吝兵衛のまいたワイロで、地獄は時ならぬ好景気。

赤鬼も青鬼も仕事などやめて、のめや歌えの大騒ぎ。

その金が回り回って、極楽へ来た。

ニセ小判であることはすぐに知れたから、極楽から貨幣偽造及び収賄容疑で逮捕状が出た。

武装警官がトラックに便乗して閻魔の庁を襲う。

閻魔大王以下、牛頭馬頭ごずめず、見る目嗅ぐ鼻、冥界十王めいかいじゅうおう、赤鬼青鬼、生塚しょうづかばあさんまで、残らずひっくくられて、刑務所へ。

地獄は空っぽ。

だから、「死ぬなら今」

底本:八代目林家正蔵(彦六)

ライザップなら2ヵ月で理想のカラダへ

【しりたい】

彦六の残した珍品

民話、民間伝承を基にしたと思われますが、原話は不明です。

もともとは上方落語です。八代目林家正蔵(彦六)と六代目三遊亭円生が大阪の二代目桂三木助から直伝されましたが、円生は手掛けず、彦六が事実上の東京移植者になりました。彦六の後は孫弟子の春風亭小朝が継承。

本家の大阪では、三代目桂文我から桂春之輔に伝わっています。音源は、残念ながら正蔵のものはなく、上方の桂文我のCDが出ています。いずれにせよ、東西とも継承者の少ない、珍品中の珍品といえるでしょう。

「倒叙型」演出も

推理小説では、犯人が当初から明らかにされる倒叙型という手法がありますが、八代目林家正蔵(彦六)は、たまにこの噺でオチを最初に言う演出をとることがありました。

今回のあらすじで参考にした『林家正蔵集』上巻(青蛙房、1974年)の速記では言っていないため、実際に高座で演ずる場合に客の反応や客ダネを見て判断していたものと思われます。オチが考えオチなので、客に対する配慮でもあったのでしょう。

こうした演出を採る噺は数少なく、東京落語ではほかには、やはり正蔵が手掛けた「蛸坊主」があるくらい。上方落語では「苫ケ島」「後家馬子」があります。

牛頭馬頭

ごずめず。地獄の常連です。

かつては劇画「子連れ狼」の道中陣ですっかりおなじみでしたが、牛頭人身と馬頭人身の地獄の獄卒を合わせてこう呼んだものです。

見る目嗅ぐ鼻

みるめかぐはな。こちらも地獄の常連。

閻魔の庁の裁判官で、先に小旗を付けた矛の上に、人の生首が突き刺さっているグロテスクな姿として描かれます。亡者の善悪をすべて見通すと伝えられています。

冥界十王

めいかいじゅうおう。閻魔大王を最高位とする、地獄の十人の幹部です。以下の通り。

閻魔大王
泰広王
初江王
宗帝王
五官王
変成王
太山王
平等王
都市王
五道転輪王

中央に閻魔が座り、左右にこのお歴々が着席することになっています。

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席