地口合わせ じぐちあわせ 演目

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「おやじくすぐり」などとさげすまされちまっては地口が泣きますね。

【あらすじ】

隠居が俳諧に凝っているというので、遊びに行った八五郎が、ぜひあなたの同類にしておくんなさいと頼み、珍妙な句会が始まった。

隠居が雪の題で
「初雪や せめて雀の 三里まで」
という通句があると言うと、八五郎が
「雀が三里 灸をすえたんで?」

隠「初雪や 二の字二の字の 下駄の跡」
八「初雪や 一の字一の字 一本歯の下駄の跡」
隠「初雪や 狭き庭にも 風情ある」
八「初雪や 他人の庭では つまらない」

さらに八五郎が
「初雪や 鉄道馬車の馬の足跡 お椀八つかな」
「初雪や 大坊主小坊主 おぶさって一緒に 転んで頭の足跡 お供えかな」
と迷句を連発。

隠居が
「おまえはおしゃべりだから、俳句より地口(語呂合わせ)の方が向いている」
と言うと、八は
「これは得意だからまかしておくんなさい」
と、これまた自信作を次から次へ。

「侍がフンドシを締めて片手に大小、片手に団扇で飛び上がっていると、下に据え風呂桶があって、その中から煙が出ている」
という長ったらしい前置きで
「飛んで湯に入る夏の武士(飛んで火にいる夏の虫)」

爺さんが集会をしているところに雨が降って
「雨降ってジジかたまる」
とまあ、やりたい放題。

「今度は狂歌七度返しはどうだ」
と隠居が言う。

「りんりんりんと咲いたる桃さくら嵐につられ花はちり(散り)りん」
「りんりんりんと振ったるなぎなたを一振り振れば首はちりりん」
「りんりんりんとりんごや桃を売っているさも欲しそうに立ってキョロリン」
「山王の桜に去るが三下がり合の手と手と手手と手と手と」
「トテテトテトテトテテテ」
「ラッパだね。手と手と手手と手と手と」

「トテトテテテトテト」
とやっていると、表から人が
「箔屋さんはこちらですか?」

底本:二代目柳家小さん

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【うんちく】

名人の「遺言」

明治31年(1898)8月の『文藝倶楽部』に、二代目柳家小さんが、禽語楼の隠居名で「ぢぐち」と題して速記を載せたものです。ところが、当人はその一月前の同年7月3日、満49歳で没しているため、これは事実上の置き土産、遺言とでもいえるものとなってしまいました。実際、小さんが病床で、速記者を呼んで口述筆記させたものと速記の断り書きにあります。

まあ、遺言がダジャレの羅列というのも、いかにも噺家らしいといえるでしょう。

改変自在の地口噺

原話は不明で、地口(ダジャレ)を並べ立てただけのものに、オチの部分は「雑俳」の「りん廻し」の部分を付けています。

地口そのものがわかりにくくなったため、現在ではこの題で口演されることはほとんどありません。

後半部分は「雑俳」の一部となっています。

地口の部分は演者によって大幅に変わります。

例えば、こわい大家を壷で焼いて「差配(さはい=さざえ)の壷焼き」、樽の中に子供が遊んでいて「樽餓鬼(=柿)」など。

今、シャアシャアとやれば、トマトをぶつけられるような古めかしい噺ですが、そこが「古きよき時代」だったのでしょう。

箔屋

はくや。箔屋は、金、銀、銅、真鍮などをたたいて、薄く平たく延ばす商売。オチは、「トテトテトテ」というのを、箔屋の槌の音と間違えたというだけ。これをラッパに直し、「雑俳」のマクラに使うこともあります。

【語の読みと注】
真鍮 しんちゅう

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山号寺号 さんごうじごう 演目

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これぞ醍醐味、軽口の応酬。だじゃれなんかじゃありません。

別題:恵方詣り

【あらすじ】

若だんなが丁稚の丁松をお供に、おやじの代参で新年の恵方(えほう)参りに出かけた。

途中、上野広小路あたりでひいきの幇間の一八に出会うと、例によって下らないヨイショを並べた後、どちらへと聞くので、「うん、成田山だ」「へえ、新勝寺でげすか」「わからねえ男だな。成田山だってえのに」「だから新勝寺でげしょう。成田山は新勝寺、東叡山寛永寺、金龍山浅草寺、一縁山妙法寺、どこでも山号に寺号がつきます」「そうかい、きっとどこにでもあるな?」正面切ってそう言われると、さしもの一八もシドロモドロ。

ところが若だんな、粋なもので、「どうだい、寺でなくても山号寺号を出してみな。一つ言うごとに半助(五十銭)やろうじゃないか」

金と聞いては見逃せない一八、さあ張り切って、あらん限り絞り出す。

「按摩さん揉み療治、漬物屋さん金山寺、時計屋さん今十時、お乳母さん子大事、お巡りさん棒大事」と大分取られた。

若だんな、「今度はオレがやろう。今やった祝儀を全部ここィ出しな」「へえ、こう出しまして」「これをオレが懐へ入れて」「入れまして」「一目散随徳寺」

ひどい奴があるもの。風を食らって逃げだした。

「あっ、南無三、し損じ」
と悔しがると丁稚が
「だんなさんよい感じ」

底本:初代三遊亭円遊

【しりたい】

由緒ある噺

原話は古く、初代露の五郎兵衛の遺稿集『露休置土産』(宝永2=1705年刊)中の「はやる物は山号寺号」です。この人は京都辻噺のパイオニアにして、落語家のもっとも重要な始祖の一人です。

それから一世紀以上を経た文政4年(1821)刊の松浦静山(1760-1841)の随筆『甲子夜話』には現行の落語により近い小咄が紹介されていて「一目散随徳寺」「南無三し損じ」の洒落もあります。

いくらでも新しいシャレが加えられるため、演者によって融通無碍、自由自在の噺です。

初代三遊亭円遊は「小秀(明治の痴情殺人犯の芸者時代の名)さん暴療治」「おまわりさん棒大事」など、明治の新風俗も織り込みました。

前座噺の扱いですが、昭和以後では八代目春風亭柳枝が得意で、柳枝は大阪のオチにならって「南無三し損じ」で切っていました。

山号寺号

古くからある言葉遊びです。原話の『露休置土産』所載の小咄では、琵琶湖から大津までの乗合船である矢橋(やばせ)船に乗り合わせた江戸、大坂、京都の人間がお国自慢する趣向の中に織り込まれます。

この中に、江戸で名高い医者のあだ名を「医王山薬師寺」などとシャレるくだりがありますが、これは薬師如来が医療の守護神であったところから来ています。

そこからも、古くは「山号寺号」が単なるダジャレでなく俳句の付け合いの趣向を採った見立て遊びであったことがうかがえます。

オチで、京者が「京の島原には、『みなさんご存じ』と申す太夫がござる」と、これはダジャレでしめていて、こうしたたわいないダジャレの部分だけ落語の「山号寺号」に残ったといえるでしょう。

ズイッと随徳寺

「ずいっ」と逃げ出すので、寺の名に引っ掛けただけです。

わき目も振らずに逃げ出す意味の「一目散」を山号にして前に付け、「一目散(山)随徳寺」。これは、戦前まではごくふつうの日常語でした。

一説には、昔あった随徳寺という寺の和尚が夜逃げしたことからきたともいいますが、さて、どうでしょう。

「山号」は、初期の仏教では多くの寺が山中に建てられたところから付いたものです。