【喜作】きさく 噺家 落語 あらすじ
元禄期の噺家
【芸種】はなし
【入門】不詳
【定紋】不詳
【本名】不詳
【生没年月日】不詳 元禄年間の人
【出身地】不詳
【前歴】不詳
【血液型】不詳
【ネタ】「三浦が妻産の沙汰」「一念の悦」「太平記の沙汰」「書き付けもこのうちどんなこととも」「念仏の大寄り」「子のほめそこない」「海人の沙汰」「そこつの火の見やくら付き ねぼれのどら」「昨夜の火難の入札」「登り八島仕かた」「女の鑓持ち」
【出典】Wiki
【蛇足】『松平大和守日記』(松平直矩)の元禄7年(1694)5月8日の条に記されている。喜作なる者は芝に住み、5月8日には七つ過ぎから暮れまで、料理の間で11席はなした。大和守は小姓詰め所で子供といっしょに聴いた。
その11席は以下の通り。
「三浦が妻産の沙汰」
「一念の悦」
「太平記の沙汰」
「書き付けもこのうちどんなこととも」
「念仏の大寄り」
「子のほめそこない」
「海人の沙汰」
「そこつの火の見やくら付き ねぼれのどら」
「昨夜の火難の入札」
「登り八島仕かた」
「女の鑓持ち」
『江戸図鑑項目』(元禄2年=1689)には、「座敷仕方咄」として、鹿野武左衛門、休慶、伽羅小左衛門、伽羅四郎斎を掲載している。
ちなみに、伽羅小左衛門は正徳元年(1711)3月7日に死去したとされる。
要は、鹿野武左衛門が遠島の処罰中でも、江戸でははなしが禁じられていなかったことがわかる、というもの。
参考文献:『口演速記 明治大正落語集成』(暉峻康隆・興津要・榎本滋民編、講談社、1980-81年)、『名人名演落語全集 第9巻 昭和篇4』近代落語家歿年譜(斎藤忠市郎・山本進他編、立風書房、1981-82年)、『古今東西 落語家事典』(諸芸懇話会+大阪芸能懇話会、平凡社、1989年)、読売新聞、朝日新聞