いなせやはんしち【いなせ家半七】噺家

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いなせ家半七師匠は、2023年5月11日(木)0時40分、膵臓がんのため亡くなりました。64歳でした。合掌。

【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1980年5月、五代目春風亭柳朝(大野和照、1929-1991)に
【前座】1981年11月、春風亭朝吉
【二ツ目】1985年3月、春風亭茶々丸。91年2月、師の没後、春風亭小朝門下
【真打ち】1996年3月、いなせ家半七
【出囃子】昼飯ひるまま
【定紋】光琳蔦
【本名】国本貴久
【生年月日】1959年3月13日-2023年5月11日 膵臓がん 64歳
【出身地】大阪府大阪市
【学歴】山口県立徳山高校→成蹊大学法学部中退
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】政治家めざして温泉博士に。最後の寄席出演は令和5年4月20日の鈴本演芸場でした。

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はやしやそめごろう【林家染語楼】噺家

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【芸種】落語
【所属】上方落語協会
【入門】2001年12月、四代目林家染語楼(鹿田佳歩、1950-2005)に林家市楼で。2005年3月、四代目林家染丸の預かりに。2022年11月、五代目林家染語楼を追贈
【出囃子】 天王寺
【定紋】 ぬの字うさぎ
【本名】鹿田圭人
【生年月日】1980年4月13日
【没年月日】2022年11月14日 心臓疾患で
【出身地】大阪市
【学歴】大阪府立東住吉高校中退
【血液型】A型
【出典】上方落語家名鑑HP 林家市楼Wiki
【蛇足】新作中心。祖父は三代目林家染語楼(鹿田吉彦、1918-75)

林家市楼、逝く

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上方落語の林家市楼(鹿田圭人しかたよしと)さんが、心臓疾患のため、11月14日に亡くなりました。42歳でした。

市楼さんは、12日に鹿児島県の加計呂麻島かけろまじまで落語会を催し、翌日はこの島で行われた5kmのマラソン大会に参加しました。14日、大阪に戻ると知人の飲食店で倒れ、救急搬送されましたが、そのまま亡くなりました。

市楼さんは1980年生まれの大阪市出身。祖父は三代目林家染語楼、師匠でもある父は四代目林家染語楼という、三代続く噺家一家でした。四代目染語楼の没後は林家染丸一門の預かりとなっていました。一門の意思により、五代目林家染語楼を追贈することが決まりました。

ご冥福を祈ります。

2022年11月18日 古木優

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さんゆうていきんおう【三遊亭金翁】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)に
【前座】1941年7月、三代目山遊亭金時で
【二ツ目】1945年8月、三遊亭小金馬で
【真打ち】1958年3月。67年、四代目三遊亭金馬。2020年9月、二代目三遊亭金翁
【出囃子】本調子かっこ
【定紋】中陰に鬼蔦
【本名】松本龍典りゅうすけ
【生没年月日】1929年3月19日-2022年8月27日 93歳
【出身地】東京都世田谷区
【学歴】深川区立八名川尋常小学校(江東区立八名川小学校)
【血液型】A型
【持ちネタ】阿武松 芝浜 親子酒 藪入り 試し酒 茶金 御神酒徳利 長短 子なさせ地蔵 文七元結 ねぎまの殿様 鼠穴 景清 など
【出典】落語協会 Wiki
【蛇足】落語協会最高顧問、日本演芸家連合名誉会長。息子は五代目三遊亭金馬、孫はホンキートンク。『金馬のいななき―噺家生活六十五年』(朝日新聞社、2006年)

金翁ロードショショー ⇒2021年10月30日、鈴本演芸場で開催された「三遊亭金翁芸歴80周年記念の会 金翁ロードショー」。これは必見必聴!

【三遊亭金翁師匠に聞く】インタビュー「寄席とは何か」第3回 古今亭菊之丞

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やなぎやさんきち【柳家さん吉】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1957年4月、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)に、柳家小二三で
【前座】1957年秋
【二ツ目】1960年11月、柳家小三郎で。62年、柳家さん吉に
【真打ち】1973年3月
【出囃子】南公(おはん)
【定紋】片喰
【本名】榑井くれい昌夫
【生年月日】1938年1月18日-2022年2月15日 心不全 84歳
【出身地】新潟県中蒲原郡村松町(五泉市)
【学歴】新潟県立村松高校
【血液型】AB型
【出典】落語協会HP 柳家さん吉Wiki
【蛇足】剣道 テレビレポーター

かわやなぎせんりゅう【川柳川柳】噺家

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  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

 

【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1955年7月、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)に三遊亭さん生で
【二ツ目】1958年3月
【真打ち】1974年3月。1978年、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)門下に、川柳川柳で
【出囃子】三味線ブギ
【定紋】結び橘
【本名】加藤利男
【生年月日】1931年3月23日-2021年11月17日 90歳
【出身地】埼玉県秩父市
【学歴】横瀬村尋常小学校
【血液型】A型
【出典】落語協会HP 川柳川柳Wiki
【蛇足】「ラ・マラゲーニャ」「ガーコン」「ジャズ息子

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

 

さんゆうていえんりゅう【三遊亭圓龍】噺家


【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1965年2月、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)に旭生で
【二ツ目】1969年4月。78年6月、六代目円生に従い落語協会を脱会。円生没(79年9月)後、79年11月落語協会に復帰
【真打ち】1981年3月、三遊亭圓龍で。2018年4月、引退
【出囃子】末広狩
【定紋】三ツ組橘
【本名】水野孝雄
【生年月日】1939年2月20日-2021年8月20日 悪性腫瘍 82歳
【出身地】東京都杉並区→山梨県北巨摩郡高根町(北斗市)
【学歴】東京都立紅葉川高校→松井証券
【血液型】AB型
【出典】落語協会HP 三遊亭圓龍Wiki
【蛇足】『圓龍のそば行脚』308店 三味線で「転失気」など多彩

さんゆうていえんじょう【三遊亭圓丈】噺家

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

 


【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1964年12月、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の師匠)にぬう生で
【二ツ目】1969年3月
【真打ち】1978年3月、二代目三遊亭円丈に。78年6月、六代目円生に従い落語協会を脱会。円生没(79年9月)後、79年11月落語協会に復帰
【出囃子】官女
【定紋】くずし橘
【本名】大角弘
【生年月日】1944年12月10日-2021年11月30日
【出身地】愛知県名古屋市
【学歴】明治大学文学部中退
【血液型】A型
【出典】落語協会HP 三遊亭円丈Wiki 
【蛇足】落語協会理事

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

 

やなぎやこさんじ【柳家小三治】噺家

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【芸種】落語
【所属】落語協会 会長→顧問
【入門】五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)に入門
【前座】1959年3月、小たけで
【二ツ目】1963年4月、さん治で
【真打ち】1969年9月、十代目柳家小三治に
【出囃子】二上がり鞨鼓
【定紋】変わり羽団扇
【本名】郡山剛蔵
【生年月日】1939年12月17日-2021年10月10日 81歳
【出身地】東京都新宿区
【学歴】東京都立青山高校
【血液型】B型
【出典】落語協会 Wiki 
【蛇足】3人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)。若林映子と高校で同学年。柳家の噺以外では、初代三遊亭円遊の持ちネタを小三治流にさらっていたように見える。

得意ネタ⇒ 柳家小三治、逝く

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柳家小三治、逝く 

青高の12月生まれ同士



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柳家小三治師匠が亡くなりました。残念です。

2021年9月25日、テレ東系「新美の巨人たち」で新宿末広亭の屋内が特集された折、ちょっとだけですが、師匠が登場していて、この演芸場のの空間を気持ちのいいほどほめちぎっていました。

お声がちょっとヘンだなあ、なんて感じましたが、あれが見納めでした。深山でこだまを聴いたような思い。

高田馬場の街角では、手塚治虫、楳図かずお、天本英世といった滔々たる有名人を、よくお見かけしたものです。もちろん、師匠も。ムトウとかで。1980年前後の話です。

永六輔が仕切るNHKのテレビ番組にも、師匠は出ていました。俳句つながりだったのですね。師匠は物故の名人上手のものまねなんかやって会場の客を大いに笑わせ、「こんなことやってるから、あたしゃ、出世が遅れたんですな」なんて、大声でひとりごちていました。小ゑんにいじめられてたんでしょうかね。

82年頃。土曜日の昼下がり、師匠のオーディオ番組をよく聴いてました。師匠は相当な音マニアでしたから、ジャズを中心に、たまにはクラシックやボサノバも。管見ながら、藤岡琢也をもしのぐものすごさだったような。

89年春、聖路加国際病院の朝。師匠が、道端にでっかいバイクを横付けして、あの建物に入るところをお見かけしました。

あれは、私のようにどなたかのお見舞いのためだったのか、あるいはご自身の定期診察ででもあったのか。細身に革張り黒ずくめのそのスタイルは永六輔にも似ていて、どこか洗練されていて、素っ気なくて、あこがれを抱くスタイルでした。

粋の体現だったような。六代目林家正蔵のスタイルをまねていたのを、後日知ったときにはホント、びっくりしました。

どこまでも、すっとぼけた、ものまねにたけた、さりげなさを最良とする噺家さんだったのですね。

志ん朝亡き後、小三治師匠の高みには雲助師匠だけが迫ってきているもんだと、勝手に思い込んでいました。その視点は間違いではないと思うのですが、両者の差異は大人と子供くらいあったように感じます。

ラジオ東京の「しろうと寄席」で15週勝ち抜いた果てに「大学に進まず落語家に入門する」という爆弾発言で、番組ファンは「誰に入門するのか」注目していたそうです。

1959年のことですから、文楽、志ん生、三木助、円生、正蔵などなど、あまたの名人上手がわんさか。その中から小さんを選んだのは慧眼だったのかもしれません。兄弟子に小ゑんがいたことが少なからずの不幸だったのでしょうけど。それでも才を盛る器がまったく違っていました。小ゑんは災でしたか。

若林映子あきこさんとは同じクラスだったのかどうか。同窓だったことはたしかなのですがね。ウッディ・アレンの監督第一作は若林映子さん主演のものでした。ビックリです。むちゃくちゃなパクリ映画でしたが、アレンのアジアン・ビューティー好きは筋金入りなのですね。

若林映子さんは12月14日、師匠は12月17日。お二人とも近いお生まれです。

これほど余韻を帯びた噺家、もういません。志ん朝が逝ってちょうど20年。ともに贅言せずとも客を笑わせる噺家でした。嗚呼。

柳家小三治のプロフィル
1939年12月17日~2021年10月7日
東京都新宿区出身。出囃子は「二上がりかっこ」。定紋は「変わり羽団扇」。本名は郡山剛藏こおりやまたけぞう。1958年、都立青山高校卒業。同学年に若林映子わかばやしあきこ、一学年下には仲本工事と橋爪功(天王寺高から転入)。ラジオ東京「しろうと寄席」で15週勝ち抜いて全国的に注目されました。59年3月、五代目柳家小さんに入門。前座名は小たけ。63年4月、二ツ目昇進し、さん治に。69年9月、17人抜きの抜擢で真打ち、十代目柳家小三治を襲名。76年、放送演芸大賞受賞。79年から落語協会理事に。81年、芸術選奨げいじゅつせんしょう文部大臣新人賞受賞。2004年に芸術選奨文部科学大臣賞を、05年4月、紫綬褒章しじゅほうしょう受章。10年6月、落語協会会長に。14年5月に旭日小綬章きょくじつしょうじゅしょう受章。6月、落語協会会長を勇退し、顧問就任。10月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。21年10月2日、府中の森芸術劇場での落語会で「猫の皿」を演じました。これが最後の高座に。10月7日、心不全のため都内の自宅で死去。81歳。戒名は昇道院釋剛優しょうどういんしゃくごうゆう。浄土真宗なのですね。69年に結成された東京やなぎ句会の創設同人の一。俳号は土茶どさ

郡山剛蔵くんを大きく舵切りさせた「しろうと寄席」は、聴取者が参加するラジオ公開放送演芸番組です。一般の聴取者が得意の芸を披露して、プロの審査員に評定され、番組が進行します。ラジオ東京(JOKR、現TBSラジオ)で昭和30年代前半に放送されました。ちなみに、一般人が放送に参加できるようになったのはNHK「素人のど自慢」が初めて。戦前ではあり得ないことでしたから、民主国家日本の画期でした。「しろうと寄席」もこれに倣ったのですね。放送期間は1955年3月9日~62年10月29日。番組開始時では大正製薬の単独提供だったのが、終了時には日電広告に。開始時では毎週水曜21時30分~22時。終了時では毎週月曜14時10分~15時に。司会は牧野周一(声帯模写)。審査員は、桂文楽(落語)、神田松鯉しょうり(講談)、コロムビアトップ・ライト(漫才)。主な出身者には、小三治師匠以外には、牧伸二(ウクレレ漫談)、入船亭扇橋(東京やなぎ句会同人、俳号光石)、片岡鶴八(声帯模写、片岡鶴太郎の師匠)など。フジテレビ系列で昭和40年代前半に放送された同名の番組もありましたが、これは別番組です。

小三治師匠が得意とした主な演目(順不同)

花見の仇討ち」「もう半分」「宿屋の富」「大山詣り」「三年目」「堪忍袋」「船徳」「不動坊火焔」「睨み返し」「長者番付」「粗忽の釘」「子別れ」「お化け長屋」「藪入り」「鹿政談」「芝浜」「三軒長屋」「蛙茶番」「死神」「お神酒徳利」「厩火事」「千両みかん」「小言幸兵衛」「あくび指南」「うどん屋」「癇癪」「看板のピン」「金明竹」「小言念仏」「大工調べ」「千早ふる」「茶の湯」「出来心」「転宅」「道灌」「時そば」「鼠穴」「初天神」「富士詣り」「百川」「薬缶なめ」「蝦蟇の油」「一眼国」「二人旅」「お直し」「湯屋番」「明烏」「たちきり」「五人廻し」「山崎屋」「禁酒番屋」「品川心中」「鰻の幇間」「青菜」「野ざらし」「二番煎じ」「粗忽長屋」「猫の皿」「厩火事」など。

柳家なのか三遊亭なのか、演目だけでは判断がつきません。というか、初代談洲楼燕枝(長島傳次、1837-1900)にならって「はなし」をじっくり体現しようとしたのかもしれません。晩年は滑稽噺ばっかりでしたが。 まくらが異様に発達進化したのは、その後の柳家の芸風ゆえんだったのではないでしょうか。「小言念仏」(マクラが魅力) 、「千早ふる」 (細部まで小さん流)、 「転宅」 はまた聴きたいです。

(2021年10月7日 古木優)

柳家小三治 人形町末広の思い出】

2002年7月14日 第27回朝日名人会 有楽町朝日ホール

人形町末広は、慶応3年(1867)に開場し、昭和45年(1970)1月に閉場しました。今は読売新聞系列のチラシ会社が建つのみ。お隣には刃物老舗の「うぶけや」が。店内に掛かった扁額は、日下部鳴鶴門下の一字ずつの寄せ書きとなっています。その内訳は、「う」が伊原雲涯、「ぶ」が丹羽海鶴、「け」が岩田鶴皐、「や」が近藤雪竹。みなさん、近代を代表する書家です。うぶけやの爪切りは高いけど、しびれる切れ味です。

落語演目

 



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さんゆうていたかすけ【三遊亭多歌介】噺家

【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1983年、三代目三遊亭円歌に、三遊亭歌ちわりで
【二ツ目】1989年、三遊亭歌風
【真打ち】1998年、三遊亭多歌介
【出囃子】昇上
【定紋】かたばみ
【本名】栗原史郎
【生年月日】1966年11月26日-2021年8月27日 新型コロナウイルス感染症で死去
【出身地】東京都江東区→鹿児島県→埼玉県越谷市
【学歴】春日部共栄高校
【血液型】
【ネタ】主に円歌流の新作
【出典】落語協会 Wiki
【蛇足】趣味はマージャン

ここんていはっちょう【古今亭八朝】噺家



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古今亭八朝師匠は、2023年6月26日(月)、老衰のため亡くなりました。71歳でした。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1969年7月、三代目古今亭志ん朝(美濃部強次、1938-2001)に
【前座】1970年4月、古今亭志ん吉
【二ツ目】1975年11月、古今亭八朝
【真打ち】1984年9月
【出囃子】雛鶴三番叟
【定紋】鬼蔦
【本名】丸山美治まるやまみはる
【生年月日】1951年7月19日-2023年6月26日
【出身地】東京都豊島区
【学歴】東京都立明正高校
【血液型】B型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は巨人軍の応援(年間ドームに30回)、カラオケ。1984年9月、上野本牧亭で八朝師の真打ち襲名披露がありました。その日、志ん朝師匠がやったのは「時そば」。なんという見事な話芸なのかと、ただただ感激したものです。



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やなぎやこはん【柳家小はん】噺家

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席

【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】三代目桂三木助(小林七郎、1902-61)に入門
【前座】1960年4月、桂木久弥で。1961年3月三木助の死没で五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)門下、柳家さん弥に
【二ツ目】1964年10月
【真打ち】1973年9月。75年3月、二代目柳家小はん
【出囃子】並木駒形
【定紋】剣片喰
【本名】渡辺研三
【生没年月日】1941年12月18日-2022年4月25日 膵臓がん
【出身地】東京都足立区
【学歴】東京都立上野高校
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】落語協会HP 柳家小はんWiki 
【蛇足】2022年4月25日、膵臓がんで死去。80歳。初代小はん(鶴見正四郎、1873-1953)は三代目柳家小さん(豊島銀之助、1853-1930)門下で、大正末期に八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982)、五代目古今亭今輔(鈴木五郎、1898-1976)たちといっしょに革新派を結成した人。二代目登場まで40年以上も空白の名跡でした。またも空白になってしまいました。南無。

  【RIZAP COOK】  ことば 演目  千字寄席