かつらうたわか【桂歌若】噺家



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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】1987年3月、桂歌丸(椎名巌、1936-2018)に
【前座】1987年5月、桂歌若
【二ツ目】1991年9月
【真打ち】2001年5月
【出囃子】牛若丸
【定紋】丸に三ツ柏
【本名】葛西哲治
【生年月日】1968年3月6日
【出身地】青森県弘前市
【学歴】青森県立弘前東高校
【血液型】O型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】落語芸術協会創立75周年記念テレビアニメ『落語天女おゆい』の原作者。 (白)



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かつらうたぞう【桂歌蔵】噺家



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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】1991年12月、桂歌丸(椎名巌、1936-2018)に
【前座】1992年3月、桂歌郎
【二ツ目】1996年2月、桂歌蔵
【真打ち】2005年5月
【出囃子】ハッピートーク
【定紋】丸に木瓜
【本名】安田彰吾
【生年月日】1964年7月20日
【出身地】大阪府大阪市
【学歴】大東文化大学経済学部
【血液型】O型
【ネタ】古典 与太郎噺 滑稽噺
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】趣味は音楽、スポーツ。2017年、第5回赤羽萬次郎賞「ふるさとへ」エッセーコンテスト優秀賞。2017年10月、第3回藤本義一文学賞特別賞。2019年6月、日本文藝家協会「ベストエッセイ2019」選出。 (白)



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かつらえだたろう【桂枝太郎】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】1996年6月、桂歌丸(椎名巌、1936-2018)に
【前座】1996年9月、桂歌市
【二ツ目】2000年6月、桂花丸
【真打ち】2009年5月、三代目桂枝太郎
【出囃子】串本節
【定紋】丸に横木瓜
【本名】佐々木修市
【生年月日】1977年8月28日
【出身地】岩手県奥州市
【学歴】岩手県立岩谷堂高校
【血液型】O型
【ネタ】ユキヤナギ など
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】(白)



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かつらうたはる【桂歌春】噺家

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【芸種】落語
【所属】日本芸術協会→落語芸術協会 理事
【入門】1970年10月、二代目桂枝太郎(池田芳次郎、1895.5.7-1978.3.6)に、桂枝八で
【前座】1972年4月
【二ツ目】1976年4月。師没後の1979年3月、桂歌丸(椎名巌、1936-2018)に移門、桂うたはち
【真打ち】1985年9月、桂歌春
【出囃子】さわぎ
【定紋】丸に蔦の葉
【本名】田代修吉
【生年月日】1949年9月9日
【出身地】宮崎県日向市
【学歴】宮崎県立延岡西高校→西南学院大学中退
【血液型】B型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】趣味はゴルフ、料理。娘はタレントの田代沙織



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らくごげいじゅつきょうかい【落語芸術教会】

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公益社団法人です。略称は「芸協」。

葉茶屋と水茶屋は異なります。葉茶屋はお茶を売る店。水茶屋はお茶を飲ませる店。その違いは大きいです。茶舗か飲み屋か、ですから。

山下敬太郎の実家は芝の葉茶屋でした。三遊亭金勝が経営する店でした。敬太郎は金勝の息子でした。この息子、7歳で初高座に。天才少年落語家としてまたたく間に知られていきます。のちの柳家金語楼がその人。

NHKがラジオ放送を始めた頃、席亭はラジオを嫌がりました。席亭に隷従する芸人たちはNHKには出ませんでした。

それが金語楼は率先して出演します。先見の明があったのですが、席亭からは総スカンを食らいます。芸の世界から締め出されるわけです。でも、金語楼の人気はすさまじく。

そこで、この人が活躍する場を確保するために、吉本興行と千葉博己(大正昭和期のフィクサー)が出資して作ったのが、日本芸術協会でした。昭和5年(1930)10月のこと。この名称は昭和52年(1977)まで続きます。当初は会長は六代目春風亭柳橋、副会長が初代柳家金語楼でスタート。実質的には金語楼人気におんぶにだっこだったのですが。

当の金語楼は、昭和17年(1942)に落語家を廃業し、喜劇俳優に転向してしまいます。

昭和59年(1984)、桂米丸が会長のとき、鈴本演芸場と決裂して、以来、芸術協会は鈴本には出ていません。

その頃の芸協は100人にも満たない団体でした。「うちには芸術が入ってる。あっちはない」なんて言って笑わせているつもりの落語家もいました。そうは言っても、10日交代の定席では、「芸協が当番なら行くの、やめよう」という客が出るほどの不入りでした。「古典の協会、新作の芸協」といわれて、本寸法の古典落語を聴きたければ、落協のほうがおもしろい、というのが常識だったのです。

今ではそんな頼りなさからも払拭されて、陣容も200人近く数えます。りっぱなものです。おしむらくは、鈴本で聴けないこと。その分、国立で多めに聴けますが。まあこれも、遠からぬ日解消されることでしょう。

2019年6月に春風亭昇太師が会長に就任しました。

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