うきよねどい【浮世根問】落語演目


成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

「根問」とつくのは、上方噺です。
「どーして? どーして?」としつこく尋ねるのが「根問」。
いまではめったに聴けない噺。ちょっと残念です。

あらすじ

三度に一度は他人の家で飯を食うことをモットーとしている、八五郎。

今日もやって来るなり「お菜は何ですか?」と聞く厚かましさに、隠居は渋い顔。

隠居が本を読んでいるのを見て八五郎、
「本てえのはもうかりますか」
と聞くので
「ばかを言うもんじゃない。もうけて本を読むものじゃない。本は世間を明るくするためのもので、おかげでおまえが知らないことをあたしは知っているのだから、なんでも聞いてごらん」
と隠居が豪語する。

そこで八五郎は質問責め。

まず、今夜嫁入りがあるが、女が来るんだから女入りとか娘入りと言えばいいのに、なぜ嫁入りかと聞く。

隠居、
「男に目が二つ、女に目が二つ、二つ二つで四目入りだ」
「目の子勘定か。八つ目鰻なら十六目入りだ」

話は正月の飾りに移った。

「鶴は千年、亀は万年というけど、鶴亀が死んだらどこへ行きます?」
「おめでたいから極楽だろう」
「極楽てえのはどこにあります?」
西方弥陀さいほうみだ浄土じょうど十万億土じゅうまんおくどだ」
「サイホウてえますと?」
「西の方だ」
「西てえと、どこです?」

隠居、うんざりして、
「もうお帰り」
と言っても八五郎、御膳が出るまで頑張ると動じない。

八五郎の言うのには、この間、岩田の隠居に 「宇宙をぶーんと飛行機で飛んだらどこへ行くでしょう」 と聞くと、 「行けども行けども宇宙だ」 とゴマかすので、 「じゃあ、その行けども行けども宇宙を、ぶーんと飛んだらどこへ行くでしょう?」と。

行けどもぶーん、行けどもぶーんで三十分。

岩田の隠居は喘息ぜんそく持ちだから、だんだん顔が青ざめてきた。

「その先は朦々もうもうだ」
「そんな牛の鳴き声みてえな所は驚かねえ。そこんところをぶーんと飛んだら?」
「いっそう朦々だ」
「そこんところをぶーん」

……モウモウブーン、イッソウブーンで、四十分。

「そこから先は飛行機がくっついて飛べない」
「そんな蠅取り紙のような所は驚かねえ。そこんところをぶーん」

岩田の隠居はついに降参。八五郎に五十銭くれた。

「おまえさんも極楽が答えられなかったら、五十銭出すかい?」
「誰がやるか。極楽はここだ」
と、隠居が連れていったのが仏壇。

こしらえものの蓮の花、線香をけば紫の雲。鐘と木魚が妙なる音楽、というわけ。

「じゃ、鶴亀もここへ来て仏になりますか?」
「あれは畜生だからなれない」
「じゃ、なにになります?」
「ごらん。この通りロウソク立てになってる」

底本:五代目柳家小さん

しりたい

根問

ねどい。「根問」とは、「根元まで問い詰める」「質問を繰り返す」「根掘り葉掘り聞く」「細かく尋ねる」といった意味です。

上方由来のことばですが、江戸の町でも使われていました。

「根問」とつく噺は、概して上方噺です。

七代目立川談志(松岡克由、1935-2011)は入門する前から「浮世根問」をそらんじて、近所の悪ガキ相手に聴かせていたそうです。その頃は「根問」を「ねもん」と読むものだと勝手に思っていたそうです。

ということは、昭和の東京では「根問」ということば、すでにすたれていたのかもしれませんね。

物語のない噺

上方噺の「根問もの」の代表作。明治期に東京に移されたものです。

上方では短くカットして前座の口ならしに演じられます。

初代桂春団治(皮田藤吉、1878-1934)の貴重な音源が残っています。

どこで切っても噺にはなるので、「物語のない噺」とされています。

えんえんと、「根問」が繰り返されるだけの、

「薬缶」と「浮世根問」

明治時代にはまだ、東京では「薬缶」と「浮世根問」の区別が曖昧あいまいでした。

たとえば、明治期の四代目春風亭柳枝(飯森和平、1868-1927)の速記はかなり長く、「無学者」の題で残っています。

いろいろな魚の名前の由来を聞いていく前半は、「薬缶」と共通しています。

とはいえ、「薬缶」の隠居は知ったかぶりの、えせ知識。「浮世根問」の隠居は、もの知りで誠実なご仁。八五郎のしつこさにへきえきしているわけ。

五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)によれば、同じ隠居でも、ぜんぜん違うタイプなのだそうです。

弟子筋の七代目立川談志(松岡克由、1935-2011)によれば、「違いがわからねえ」と言ってはいますが。

聴いてみると、たしかに小さんの見立てがかなっているように思えます。この噺のキモなのかもしれません。

ここでのあらすじは、師匠の四代目柳家さん(大野菊松、1888-1947)譲りで演じた、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)のものを底本にしました。

二代にわたる小さんが上方のやり方を尊重し、この噺を独立した一編として確立したわけです。

「浮世根問」は、いまでは、物語のない噺で、柳家の芸とされています。

鶴亀のろうそく立て

オチの「ろうそく立て」については、今ではなんのことやらさっぱりわからなくなっているので、現行の演出ではカットし、最後までいかないことが多くなっています。

これは、寺などで使用した燭台で、亀の背に鶴が立ち、その頭の上にろうそくを立てるものです。

鶴亀はいずれも長寿を象徴しますから、要するに縁起ものでしょう。

目の子

「目の子勘定かんじょう」といって、公正を期すため、金銭などを目の前で見て数えることです。

黙阿弥もくあみの歌舞伎世話狂言「髪結新三かみゆいしんざ」で、大家の長兵衛が悪党の新三の目の前で小判を一枚一枚並べる場面が有名です。

原話について

もっとも古いものは、露の五郎兵衛(1643-1703)の『露休置土産ろきゅうおきみやげ』中の「鶴と鷺の評論」です。五郎兵衛は京都辻ばなしの祖です。

これは、二人の男が鶴の絵の屏風について論じ合い、一人が「この鳥は白鳥にしてはちょっと足が長い」と言うと、もう一人が「はて、わけもない。これは鷺だ」と反論します。見かねた主人が「これは鶴の絵ですよ」と口をはさむと、後の男が「人をばかにするでない。鶴なら、ろうそく立てをくわえているはずだ」。

安永5年(1776)、江戸で刊行された『鳥の町』中の小ばなし「根問」になると、以下のようになっています。

「鶴は千年生きるというが、本当かい?」
「そうさ。千年生きる証拠に、鎌倉には頼朝の放したという鶴がまだ生きているじゃないか」
「じゃ、千年たったらどうなる?」
「死ぬのさ」
「死んでどうなる?」
「十万億土(極楽)に行くのさ」
「極楽へ行ってどうする?」
「うるさい野郎だな。ろうそく立てになるんだ」

現行にぐっと近くなります。

四代目小さんがよく登場させていた、ご隠居です。「ろくろ首」にも出てきます。

噺に直接登場するわけではないのですが、噂話や立ち話などの中で間接的に出てくる、陰の登場人物です。「のりやのばばあ」にどこか似ています。

現在、この噺を演じるのは、柳家の系統でもあまりいません。

あえてあげれば、四代目春雨や雷蔵くらいでしょうか。柳家ではありませんが。

先の大戦後には、五代目小さんのほかには、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)、二代目三遊亭円歌(田中利助、1890-1964)、七代目立川談志(松岡克由、1935-2011)などでした。



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評価 :2/3。

ざっぱい【雑俳】落語演目

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【どんな?】

八五郎がご隠居に雑俳を習う。
「初雪」で隠「初雪や瓦の鬼も薄化粧」
八「初雪やこれが塩なら金もうけ」
「春雨」で「船端をガリガリかじる春の鮫」

別題:歌根問い 天 初雪 りん廻し[前半] 雪てん[後半]

あらすじ

長屋の八五郎が、横町の隠居の所に遊びに行くと、このごろ雑俳に凝っていると言う。

題を出して五七五に読み込むというので、おもしろくなって、二人でやり始める。

最初の題は「りん」。

隠居が
「リンリンと 綸子りんず繻子しゅすの 振り袖を 娘に着せて ビラリシャラリン」
とやれば、八五郎が
「リンリンと 綸子や繻子はちと高い 襦袢じゅばんの袖は 安いモスリン」

隠「リンリンと リンと咲いたる 桃桜 嵐につれて 花はチリ(=散り)リン」
八「リンリンと リンとなったる 桃の実を さも欲しそうに あたりキョロリン」「リンリンと 淋病病みは 痛かろう 小便するたび チョビリチョビリン」

今度はぐっと風雅に「初雪」。

隠「初雪や 瓦の鬼も 薄化粧」
八「初雪や これが塩なら 金もうけ」

「春雨」では、八五郎の句が傑作。

「船端を ガリガリかじる 春の鮫」

隠居の俳句仲間が来て、この間「四足」の題で出されたつきあいができたという。

「狩人が 鉄砲置いて 月を見ん 今宵はしかと(=鹿と) 隈(=熊)もなければ……まだ天(最秀句)には上げられない」
と隠居が言うと八五郎、
「隠居さん、初雪や二尺あまりの大イタチこの行く末は何になるらん」
「うん、それなら貂(=天)だろう」

底本:初代三遊亭円遊ほか

【RIZAP COOK】

しりたい

雑俳  【RIZAP COOK】

万治年間(1658-61)に上方で始まり、元禄(1688-1704)以後、江戸を初め全国に広まった付け句遊びです。

七七の題の前に五七五を付ける「前句付け」は、「めでたくもあり めでたくもなし」の前に「門松は 冥土の旅の 一里塚」と付けるように。

五文字の題に七七を付ける「笠付け」、五文字の題を折り込む「折句」などがあり、そこから、「文字あまり」「段々付け」「小倉付け」「中入り」「切句」「尽くし物」「もじり」「廻文」「地口」など、さまざまな言葉遊びが生まれました。

  【RIZAP COOK】

俳諧で、句を添削・評価する人を「点者」といい、雑俳では、天・地・人の三段階で判定します。

柳昇の十八番  【RIZAP COOK】

文化13年(1816)刊の笑話本『弥次郎口』中の「和歌」ほか、いくつかの小ばなしを集めてできたものです。

前半で切る場合は「りん廻し」といい、伸縮自在なので、前座噺としてもポピュラーです。

新作落語を得意とした五代目春風亭柳昇(秋本安雄、1920-2003)の数少ない古典の持ちネタの一つで、その飄逸な個性で十八番にしていました。

柳昇がこの噺をやったときは、いつも爆笑の渦。

あの高っ調子で鼻に抜けるような「ふなばたを……」は今も耳に残ります。

最後の「大イタチ……」の狂歌は「三尺の」となっている速記もありますが、大田蜀山人(1749-1823)作と伝わっています。



  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

 

評価 :3/3。