しゅんぷうていはくし【春風亭柏枝】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】2001年2月、七代目春風亭柳橋(駒木根正男、1935-2004)に
【前座】2001年3月、春風亭べん橋。2004年10月、師没後、七代目春風亭柏枝(→八代目春風亭柳橋)門下
【二ツ目】2005年6月
【真打ち】2014年5月、十一代目春風亭柏枝
【出囃子】筑摩祭
【定紋】三ツ追沢瀉
【本名】菊地貴紀
【生年月日】1974年6月19日
【出身地】北海道札幌市
【学歴】北海道立北広島高校→札幌学院大学
【血液型】
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】趣味は人間観察。2013年、 第3回城源寺二ツ目選手権優勝。父はレークプラシッド五輪(1980年)バイアスロン日本代表の菊地二久氏。 (白)



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しゅんぷうていはしぞう【春風亭橋蔵】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】2014年3月、八代目春風亭柳橋に、春風亭かん橋で
【前座】2014年4月
【二ツ目】2018年4月、春風亭橋蔵
【真打ち】
【出囃子】正札くずし
【定紋】三ツ追沢瀉
【本名】宮﨑慶太
【生年月日】1988年6月10日
【出身地】和歌山県日高郡みなべ町
【学歴】和歌山県立田辺高校→東京経済大学
【血液型】O型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】趣味は喫茶店通い。 (白)

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しゅんぷうていべんきょう【春風亭弁橋】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】2015年3月、八代目春風亭柳橋に、春風亭べん橋で
【前座】2015年7月
【二ツ目】2019年8月、春風亭弁橋
【真打ち】
【出囃子】橋弁慶
【定紋】三ツ追い沢瀉
【本名】石坪卓巳
【生年月日】1996年5月17日
【出身地】山梨県韮崎市
【学歴】韮崎高校
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】趣味は映画をみる、演劇をたのしむ、歌舞伎でなやむ、本をよむ、そこらをあるく、古書店をめぐる、立ち食いそばでたぐる。にらさき親善大使。十条演芸場通り商店街親善大使。ルート9(芸協の若手二ツ目ユニット)内のさば弁のメンバー(ほかに三遊亭仁馬、神田桜子) (白)

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しゅんぷうていかけはし【春風亭かけ橋】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語協会→落語芸術協会
【入門】2012年5月、柳家三三
【前座】2013年2月、柳家小かじ。
【二ツ目】2016年11月。2018年4月、落語協会退会。2018年7月、八代目春風亭柳橋に、春風亭かけ橋で
【真打ち】
【出囃子】連獅子→都囃子
【定紋】
【本名】横川辰也
【生年月日】1988年8月18日
【出身地】神奈川県横浜市
【学歴】横浜高校→法政大学理工学部 ※落研
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】趣味は筋トレ、ボディメイク  (白)

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しゅんぷうていりゅうきょう【春風亭柳橋】噺家

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【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【入門】1982年5月、七代目春風亭柳橋(駒木根正男、1935-2004)に
【前座】1982年6月、春風亭べん橋で
【二ツ目】1986年9月、七代目春風亭柏枝で ※10人目の柏枝
【真打ち】1994年5月。2008年9月、八代目春風亭柳橋
【出囃子】せり ※七代目も
【定紋】三ツ追沢瀉
【本名】竹内秀男
【生年月日】1956年5月30日
【出身地】茨城県古河市
【学歴】栃木県立栃木高校→東京経済大学経営学部
【血液型】O型
【出典】いばナビ 落語芸術協会 Wiki 公式
【蛇足】落語芸術協会副会長 にゅううおいらんずでギター担当(2014年~) 「平成名物TV ヨタロー」(TBS系、1990年4月28日-1991年4月6日)で「芸協ルネッサンズ」のメンバーとして、春風亭昇太、春風亭柳八(五代目春風亭柳好)、三遊亭右左喜などと参加



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らくごげいじゅつきょうかい【落語芸術教会】

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公益社団法人です。略称は「芸協」。

葉茶屋と水茶屋は異なります。葉茶屋はお茶を売る店。水茶屋はお茶を飲ませる店。その違いは大きいです。茶舗か飲み屋か、ですから。

山下敬太郎の実家は芝の葉茶屋でした。三遊亭金勝が経営する店でした。敬太郎は金勝の息子でした。この息子、7歳で初高座に。天才少年落語家としてまたたく間に知られていきます。のちの柳家金語楼がその人。

NHKがラジオ放送を始めた頃、席亭はラジオを嫌がりました。席亭に隷従する芸人たちはNHKには出ませんでした。

それが金語楼は率先して出演します。先見の明があったのですが、席亭からは総スカンを食らいます。芸の世界から締め出されるわけです。でも、金語楼の人気はすさまじく。

そこで、この人が活躍する場を確保するために、吉本興行と千葉博己(大正昭和期のフィクサー)が出資して作ったのが、日本芸術協会でした。昭和5年(1930)10月のこと。この名称は昭和52年(1977)まで続きます。当初は会長は六代目春風亭柳橋、副会長が初代柳家金語楼でスタート。実質的には金語楼人気におんぶにだっこだったのですが。

当の金語楼は、昭和17年(1942)に落語家を廃業し、喜劇俳優に転向してしまいます。

昭和59年(1984)、桂米丸が会長のとき、鈴本演芸場と決裂して、以来、芸術協会は鈴本には出ていません。

その頃の芸協は100人にも満たない団体でした。「うちには芸術が入ってる。あっちはない」なんて言って笑わせているつもりの落語家もいました。そうは言っても、10日交代の定席では、「芸協が当番なら行くの、やめよう」という客が出るほどの不入りでした。「古典の協会、新作の芸協」といわれて、本寸法の古典落語を聴きたければ、落協のほうがおもしろい、というのが常識だったのです。

今ではそんな頼りなさからも払拭されて、陣容も200人近く数えます。りっぱなものです。おしむらくは、鈴本で聴けないこと。その分、国立で多めに聴けますが。まあこれも、遠からぬ日解消されることでしょう。

2019年6月に春風亭昇太師が会長に就任しました。

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