しんぶんきじ【新聞記事】落語演目

  成城石井.com  ことば 噺家  演目 志ん生 円朝迷宮 千字寄席

【どんな?】

新聞が新鮮だった明治期。
殺人事件と天ぷらで一席の噺が。

別題:阿弥陀が池(上方、改作)

あらすじ】 

あわて者で少しぼーっとした八五郎。

ご隠居のところでバカを言っているうちに、
「おまえ、新聞は読むか」
と聞かれる。

「へえ、月初めに一月分」
「そりゃ古新聞だろ。じゃ、まだ今朝のを見てないな」

急に隠居の声が低くなって、
「おまえの友達の天ぷら屋の竹さんが、昨夜、夜中に泥棒に殺された」
という。

竹さんが寝ていると、枕元でガサガサ物音がするので電気をつけると、身のたけ六尺(180cm)はあろうという大男。

そいつがギラリと日本刀を抜いて、
「静かにしろ」
と脅したが、竹さん、なまじ剣術の心得があるものだから、護身用のかしの棒を取るとピタリと正眼に構えた。

泥棒は逆上して、ドーンと突いてくる。竹さん、ヒラリとかわして馬乗りになり、縛ろうとすると、泥棒がのんでいたあいくちで胸元をグサッ! 

「あっ」
と後ろへのけぞって一巻の終わり。

家は右往左往の大騒ぎで、そのすきに泥棒は逃げ出した。

しかし、悪いことはできないもので、五分たつかたたないうちにアゲられた。

それもそのはず、天ぷら屋……。

なんのことはない、落とし噺でからかわれただけ。

ところが八五郎、これを聞いてすっかり感心し、自分もやってみたくなった。

当の本人の家で
「天ぷら屋の竹が殺されたよ」
とやって、ほうほうのていで逃げ出した。

それでもまだりずに、もう一人のところへ上がり込んだ。

隠居の
「おい、ばあさん、八っつあんが来たよ。茶を出してやんな」
のセリフからそっくり始めたから、
「おい、なんでウチの女房をばあさんにしやがるんだ」
とケンツクを食らわされてミソをつける。

こうなれば、もう乗りかけた船。

強引に殺人事件を吹きまくるが、ところどころおかしくなり、泥棒の身のたけが一尺六寸(48cm)になったり、あいくちが出てこないで包丁になったり、竹さんがヒラリとタイをかわした、のタイが思い出せずに、二つ並んでいる→布袋大黒ほていだいこく恵比寿えびすさま→釣り竿→魚→たいで連想ゲームまでやってのける。

ようやく最後の、五分たつかたたないうちに、というところまで行き着いたが、またも肝心の「あげられた」が出ない。

四苦八苦していると、向こうが先に
「アゲられただろ。天ぷら屋だからな」
とやってしまった。

それを言いたいためだけに連想ゲームまで演じたのだから、立つ瀬がない。

「ところでおめえ、その話の続きを知ってるかい? 竹さんのかみさんが、亭主が死んで、もう二度とだんなは持たないと、尼さんになったてえのは」
「どうして」
「もとが天ぷら屋のかみさんだけに、衣をつけたがらあ」

底本:三代目三遊亭円歌

しりたい】 

上方落語の改作   【RIZAP COOK】

昭和初期、二代目昔々亭桃太郎せきせきていももたろう(山下喜久雄、1910-70、自称二十四代目)が「百田芦生ももたあしお」の筆名で作ったものです。

上方噺の「阿弥陀あみだが池」の改作で、桃太郎は元ネタの後半の筋立てをうまく取り入れ、東京風にすっきり仕上げています。

桃太郎没後は四代目柳亭痴楽(藤田重雄、1921-1993.12.1)に継承され、ついで三代目三遊亭円歌(中澤信夫、1932-2017)のレパートリーにもなりました。ギャグも豊富で、筋立てもおもしろいので、多くの若手が手がけています。

「阿弥陀が池」   【RIZAP COOK】

日露戦争後に初代桂文屋ぶんや(1867-1909)が作ったといわれ、今も上方落語の代表作となっています。

「新聞記事」と筋は似ていますが、ちょいと違います。

ヨタ話のネタの主人公は戦死した将校夫人の尼さん。忍んで来る泥棒が偶然夫の元部下で、それがわかって許しをうと、「おまえが来たのも仏教の輪廻りんね。誰かが行けと教えたのであろう」「阿弥陀が行け言いました」という、尼寺のある場所(阿弥陀が池のほとり)と掛けた洒落話で隠居にだまされる筋立てです。ブンヤがつくったからシンブンキジに似ているわけですね。どおりで。

桃太郎のこと   【RIZAP COOK】

作者の二代目昔々亭桃太郎は、初代柳家金語楼きんごろう(山下敬太郎、1901-72)の実弟です。

昭和初期から戦後にかけ、「桃太郎さんでございます」という開口一番のフレーズとともに、「桃太郎後日」など自作自演の明るい新作落語で親しまれました。

兄弟ともに才能あふれていたのですね。実弟は時折、東条英機に落語を聴かせていたとか。三代目桃太郎が時折高座で話してますが、おもしろいですねえ。

噺のカンどころ   【RIZAP COOK】

「おうむと呼ばれる、くり返しの面白さで笑わせるはなしだけに、しこみ、つまり前半の部分の演じ方がむずかしいところなのです」
                                       

(三代目三遊亭円歌)

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評価 :1/3。

しんぶんきしゃ【新聞記者】落語演目

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【どんな?】

新聞記者が珍しかったころの噺。
時代遅れでどうってことないです。

【あらすじ】

明治の中ごろ。

根岸お行の松の近くに「雷號堂」と表札を揚げた家があったが、主人はなにをやっているのか、正体不明。

朝は八時に起き、夕方まで部屋に閉じこもったきり。

それからどこかへ出かけて、夜中の二時三時、時には明け方まで帰らない。

女っ気は全くなく、ただ権助という用人を一人置いているだけ。

家に出入りする人種も、商人や官員、職人や芸人とさまざま。

この権助、大河内久左衛門というごりっぱな本名があるので、
「権助権助と呼ぶのはやめてくらっせえ」
と頼んでも、主人は
「なに、権助というのはあの白井権八の弟で、やっぱり女にもてた色男の名前だから、おまえにゃ、ふさわしい」
とはぐらかすうち、権助はふとだんなの正体が気にかかり、
「あんたの商売はいったいなんだ」
と尋ねると
「オレの商売は、実は商売往来にはない」

権助、これはひょっとしたらと思っているところへ、やってきたのが荒川という髭男。

鼻が高く、眼光鋭い。

荒川は
「この間の三千円の一件に早く片をつけたいから、ゆっくり内談をしたい」
と言うので、主人は権助に酒の用意をさせ、八畳の座敷でヒソヒソ話。

これはますます怪しいと、権助が立ち聞きしていると
「実は三千円持っているあの磯之丞の跡をつけ、仕込み杖で土手っ腹ァえぐって、金をいただいて長崎へ行き、あの久左衛門も生けておいては後日の祟りだから、寝ているところを、喉をダンビラで。死骸は橡の木の下に」
「なるほど、これは名案」
と、とんでもない会話が聞こえてきたので、権助、いきなり飛び出し
「どうか、お暇をくだせえ」
「どうしてだ」
「あんたの心に聞いたらわかるだんべえ」

わけを言わなければ暇はやらないと言われ
「今あんた方、おらを殺すと言いなさった」
と責めると、だんなは笑って
「そいつはおまえの勘違いだ。実は、荒川も私も新聞に出ている連載小説の筋立ての算段をしているだけだ」
と明かす。

「そんなことはどうでもええだ。こんな家にいると同類だと思われちゃなんねえ。お暇をおくんなせえ」
「われわれは記者だよ」
「えっ、あんな方、汽車で逃げる? そいじゃ、おらあ汽船で逃げよう」

存在薄い記者にはスヴェンソンの増毛ネット

【うんちく】

最初の新聞小説

明治8年(1875)、『東京平仮名絵入新聞』に三日間連載された「岩田八十八の話」(前田香雪)で、実際の殺人事件をスキャンダラスに小説化したものです。

以後、こうした通俗的新聞小説は、政治家のスキャンダル暴露記事とともに、小新聞の売り物となっていきました。

新聞ことはじめ

最初の日刊紙は、明治3年(1870)12月発刊の『横浜毎日新聞』といわれます。

以後、政治関係のニュースや論説中心の大新聞『東京日日』(明治5)や『郵便報知』(同)、通俗記事中心の小新聞『読売』(同7)や『大坂朝日』(同12)などに分かれていきます。

発想はダジャレから

明治32年(1899)9月、初代三遊亭円左が速記を雑誌『百花園』に掲載したものです。

内容としては、当時の新進メディアであった新聞、ハイカラな職業としての記者を登場させる新味をねらっただけの凡庸な作で、明治中期の風俗資料という以上の価値はないでしょう。

発想は、記者と汽車のダジャレからきたもので、そんなものからとにかく一席にしてしまう豪腕?には感じ入ります。

【語の読みと注】
小新聞 こしんぶん
大新聞 おおしんぶん

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

web千字寄席が毎日新聞に

当サイトが毎日新聞「余録よろく」に取り上げられました。朝刊一面に毎日連載されている名コラムじゃないですか。めくってみたら、故戸田ツトム氏や岡孝治氏らのアートディレクションも古さを感じさせることなく健在です。他紙を圧倒しています。毎日新聞、すばらしい!  以下に「余録」を引用させていただきます。

【余録】

熱い湯に「ぬるい、ぬるい」と競って入り…

毎日新聞朝刊 2021年4月28日付

 熱い湯に「ぬるい、ぬるい」と競って入り、あまりの熱さに「口きくな」「動くな!」とそろってせっぱ詰まる江戸っ子である。そのやせ我慢がまんや意地っ張りは「強情灸ごうじょうきゅう」はじめ落語の笑いの源泉となってきた▲明治の新作落語「意地くらべ」も、借金の貸手と借り手がそれぞれ勝手な理屈で意地を張り合うのがおもしろい。その中に出てくる「ネズミの懸賞」とは、当時の東京市が行ったペスト予防のためのネズミの買い上げのことだという▲参考にさせてもらった「web千字寄席」によれば、この施策もむなしく当時の東京ではペストの流行で300人以上の死者が出たという。意地っ張りの落語にも刻まれている江戸―東京の感染症とのたたかいの歴史の一こまである▲「大衆娯楽である寄席は社会生活の維持に必要なものだ」。こう緊急事態宣言下の営業継続を表明した東京都内の寄席4軒と落語家の団体である。もちろん感染対策をとったうえで、芸人らの窮状を背景に投げた意地の一石だった▲これには政府の担当相が再考を促すなど、批判の声が出たのも当然だろう。だがこの江戸っ子譲りの強情、落語ファンの支持ばかりか、政府のコロナ対策への不信や不満も取り込んで予想を超える応援の盛り上がりを見せたのである▲日ごろ落語にお世話になっている小欄だが、今はやはり人出の抑制を求める専門家に従いステイホームをおすすめするしかない。ただ、いつか誰かがとびきりの人情噺にんじょうばなしにするかもしれぬ令和の「強情寄席」だ。