【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】2005年12月、柳家さん喬に
【前座】2006年6月、柳家小ぞう
【二ツ目】2009年6月、柳家小太郎
【真打ち】2021年3月、柳家喜三郎
【出囃子】牛若丸
【定紋】丸に三ツ柏
【本名】塚本洋平
【生年月日】1979年6月14日
【出身地】神奈川県厚木市
【学歴】大正大学仏教学部
【血液型】A型
【ネタ】食べる噺、シュールな噺、妖怪モノや怪談など
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は妖怪散策、プロレス観戦。2022年3月、令和3年度国立演芸場花形演芸大賞銀賞。
タグ: 神奈川県
しゅんぷうていいっさ【春風亭一左】噺家
きんげんていばぎょく【金原亭馬玉】噺家
さんゆうていいおり【三遊亭伊織】噺家
やなぎやこはぜ【柳家小はぜ】噺家
やなぎやあおば【柳家あお馬】噺家
ここんていゆうすけ【古今亭佑輔】噺家
さんゆうていごはんつぶ【三遊亭ごはんつぶ】噺家
いりふねていせんり【入船亭扇里】噺家
かつらぶんじゃく【桂文雀】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1996年5月、春風亭小朝に、春風亭あーちゃんで。1999年11月、二ツ目昇進、春風亭あ太郎。2000年12月、三代目桂文生に移門してふたたび前座、桂笑生
【二ツ目】2002年5月
【真打ち】2010年3月、三代目桂文雀
【出囃子】早木魚
【定紋】結び柏
【本名】斎藤匡彦
【生年月日】1972年12月11日
【出身地】神奈川県横浜市→千葉県四街道市
【学歴】駒澤大学
【血液型】A型
【ネタ】明烏 風の神送り 伽羅の下駄 近日息子 さじ加減 写真の仇討ち 佃祭 虎の子 中村仲蔵 八問答 鼻ねじ 浜野矩随 竃幽霊 表彰状
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】趣味は図書館通い、献血、自転車。2006年、北とぴあ若手落語家選手権奨励賞。2009年、東西若手落語家コンペティション優勝。2015年、第70回文化庁芸術祭新人賞。
やなぎやこせん【柳家小せん】噺家
おおやままいり【大山詣り】落語演目
【どんな?】
噺のおおよそは参詣の帰途が舞台。
宿で泥酔し、仲間から総スカンの熊。
熊が遂げる仕返しは凝ってます。
別題:百人坊主(上方)
【あらすじ】
長屋の講中で大家を先達に、大山詣りに出かけることになった。
今年のお山には罰則があって、怒ったら二分の罰金、けんかすると丸坊主にする、というもの。
これは、熊五郎が毎年、酒に酔ってはけんかざたを繰り返すのに閉口したため。
行きはまず何事もなく、無事に山から下り、帰りの東海道は程ケ谷(保土谷)の旅籠。
いつも、江戸に近づくとみな気が緩んで大酒を食らい、間違いが起こりやすいので、先達の吉兵衛が心配していると、案の定、熊が風呂場で大立ち回りをやらかしたという知らせ。
ぶんなぐられた次郎吉が、今度ばかりはどうしても野郎を坊主にすると息巻くのを、江戸も近いことだからとなだめるが、みんな怒りは収まらず、暴れ疲れ中二階の座敷でぐっすり寝込んでいる熊を、寄ってたかってクリクリ坊主に。
翌朝、目を覚ました熊、お手伝いたちが坊さん坊さんと笑うので、むかっ腹を立てたが、言われた通りにオツムをなでで呆然。
「他の連中は?」
「とっくにお立ちです」
熊は昨夜のことはなにひとつ覚えていないが、
「それにしてもひでえことをしやがる」
と頭に来て、なにを思ったか、そそくさと支度をし、三枚駕籠を仕立て途中でのんびり道中の長屋の連中を追い抜くや、一路江戸へ。
一足先に長屋に着くと、かみさん連中を集めて、わざと悲痛な顔で
「残念だが、おまえさん方の亭主は、二度と再び帰っちゃこねえよ」
お山の帰りに金沢八景を見物しようというので、自分は気乗りしなかったが、無理に勧められて舟に乗った。
船頭も南風が吹いているからおよしなさいと言ったのに、みんな一杯機嫌、いっこうに聞き入れない。
案の定、嵐になって舟は難破、自分一人助かって浜に打ち上げられた。
「おめおめ帰れるもんじゃないが、せめても江戸で待っているおまえさんたちに知らさなければと思って、恥を忍んで帰ってきた。その証拠に」
と言って頭の手拭を取ると、これが丸坊主。
「菩提を弔うため出家する」
とまで言ったから、かみさん連中信じ込んで、ワッと泣きだす。
熊公、
「それほど亭主が恋しければ、尼になって回向をするのが一番」
と丸め込み、とうとう女どもを一人残らず丸坊主に。
一方、亭主連中。
帰ってみると、なにやら青々として冬瓜舟が着いたよう。
おまけに念仏まで聞こえる。
熊の仕返しと知ってみんな怒り心頭。
連中が息巻くのを、吉兵衛、
「まあまあ。お山は晴天、みんな無事で、お毛が(怪我)なくっておめでたい」
【しりたい】
大山 【RIZAP COOK】
神奈川県伊勢原市、秦野市、厚木市の境にある標高1246mの山。
ピラミッドのような形でひときわ目立ちます。日本橋から18里(約71km)でした。
中腹に名僧良弁が造ったといわれる雨降山大山寺がありました。
雨降山とは、山頂に雲がかかって雨を降らせることからの銘々なんだそうです。
山頂に、剣のような石をご神体とする石尊大権現があります。これは縄文時代以来の古い信仰です。時代が下る(奈良、平安期ですが)と、神仏混交、修験道の聖地となるのですね。
江戸時代以前には、修験者、華厳、天台、真言系の僧侶、神官が入り乱れてごろごろよぼよぼ。
それを徳川幕府が真言宗系に整理したのですが、それでもまだ神仏混交状態。
明治政府の神仏分離令(廃仏毀釈)の結果、中腹の大山寺が大山阿夫利神社に。仏の山から神の山になったわけです。
末寺はことごとく破壊されましたが、大正期には大山寺が復しました。今は真言宗大覚寺派の準本山となっています。
ばくちと商売にご利益 【RIZAP COOK】
大山まいりは、宝暦年間(1751-64)に始まりました。ばくちと商売にご利益があったんで、みんな出かけるんですね。
6月27日から7月17日までの20日間だけ、祭礼で奥の院の石尊大権現に参詣が許される期間に行楽を兼ねて参詣する、江戸の夏の年中行事です。
大山講を作って、この日のために金をため、出発前に東両国の大川端で「さんげ(懺悔の意)、さんげ」と唱えながら水垢離(体を清める)をとった上、納め太刀という木刀を各自が持参して、神前で他人の太刀と交換して奉納刀としました。
これは,大山の石尊大権現とのかかわりからきているんでしょうね。
お参りのルートは3つありました。
(1)厚木往還(八王子-厚木)
(2)矢倉沢往還(国道246号)
(3)津久井往還(三軒茶屋-津久井)
日本橋あたりから行くには(3)が普通でした。
世田谷区の三軒茶屋は大山まいりの通過点でにぎわったんです。
男の足でも4-6日はかかったというから、金も時間もかかるわけ。
金は、先達(先導者)が月掛けで徴収しました。
帰りは伊勢原を経て、藤沢宿で1泊が普通です。
あるいは、戸塚、程ヶ谷(保土ヶ谷)、神奈川の宿のいずれかで、飯盛(私娼)宿に泊まって羽目をはずすことも多かったようです。
それがお楽しみで、群れて参詣するわけなんです。
江戸時代の参詣というのは、必ずこういう抜け穴(ホントに抜け穴)があったんですねえ。
だから、みなさん一生懸命に手ぇ合わすんですぇ。うまくできてます。
この噺のように、江ノ島や金沢八景など、横道にそれて遊覧することも。
こはい者 なし藤沢へ 出ると買ひ (柳多留14)
女人禁制で「不動から 上は金玉 ばかりなり」。最後の盆山(7月13-17日)は、盆の節季にあたり、お山を口実に借金取りから逃れるための登山も多かったそうです。
大山まいりは適度な娯楽装置だった、というわけ。
旧暦は40日遅れ 【RIZAP COOK】
落語に描かれる時代は、だいたいが江戸時代か明治時代かのどちらかです。
この噺は、江戸時代の話。これは意外に重要で、噺を聞いていて「あれ、明治の話だったのー」なあんていうこともしばしば。噺のイメージを崩さないためにも、時代設定はあらかじめ知っておきたいものです。
江戸時代は旧暦だから、6月27日といっても、梅雨まっさかりの6月27日ではないんです。旧暦に40日たすと、実際の季節になります。
だから、旧暦6月27日は、今の8月3日ごろ、ということに。お暑い盛りでのことなんですね。こんなちょっとした知識があると、落語がグーンと身近になるというものです。
元ねたは狂言から 【RIZAP COOK】
「六人僧」という狂言をもとに作られた噺です。
さらに、同じく狂言の「腹立てず」も織り交ぜてあるという説もあります。
「六人僧」は、三人旅の道中で、なにをされても怒らないという約束を破ったかどで坊主にされた男が、復讐に策略でほかの二人をかみさんともども丸坊主にしてしまう話です。
狂言には、坊主のなまぐさぶりを笑う作品が、けっこうあるもんです。
時代がくだって、井原西鶴(1642-93、俳諧、浮世草子)が各地の民話に取材して貞享2年(1685)に大坂刊「西鶴諸国ばなし」中の「狐の四天王」にも、狐の復讐で五人が坊主にされるという筋が書かれています。
スキンヘッドは厳罰 【RIZAP COOK】
明治の名人、四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)は、江戸時代には坊主にされることがどんなに大変だったかを強調するため、この噺のマクラでマゲの説明を入念にしています。
円喬の速記は明治29年のもの。明治維新から30年足らず、断髪令が発布されてから四半世紀ほどしかたっていません。
実際に頭にチョンマゲをのっけて生活し、ザンギリにするのを泣いて嫌がった人々がまだまだ大勢生き残っていたはずなのです。
いかに時の移り変わりが激しかったか、わかろうというものです。
六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)も「一文惜しみ」の中で、「昔はちょんまげという、あれはどうしてもなくちゃならないもんで(中略)大切なものでございますから証明がなければ床屋の方で絶対にこれは切りません。『長髪の者はみだりに月代を致すまじきこと』という、髪結床の条目でございますので、家主から書付をもらってこれでくりくりッと剃ってもらう」と説明しています。
要するに、なにか世間に顔向けができないことをしでかすと、奉行所に引き渡すのを勘弁する代わりに、身元引受人の親方なり大家が、厳罰として当人を丸坊主にし、当分の謹慎を申し渡すわけです。
その間は恥ずかしくて人交わりもならず、寺にでも隠れているほかはありません。
武士にとってはマゲは命で、斬り落されれば切腹モノでしたが、町人にとっても大同小異、こちらは「頭髪には神が宿る」という信仰からきているのでしょう。
朝、自分の頭をなでたときの熊五郎のショックと怒りは、たぶん、われわれ現代人には想像もつかないでしょうね。
多くの名人がみがいた噺 【RIZAP COOK】
四代目円喬は、坊主の取り決めを地で説明し、あとのけんかに同じことを繰り返してしゃべらないように気を配っていたとは、四代目柳家小さん(大野菊松、1888-1947)の回想です。
小さん自身は、取り決めを江戸ですると、かみさん連中も承知していることになるので、大森あたりで相談するという、理詰めの演出を残しました。
そのほか、昭和に入って戦後にかけ、六代目円生、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)、八代目春風亭柳枝(島田勝巳、1905-59)、八代目三笑亭可楽(麹池元吉、1898-1964)、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)、三代目古今亭志ん朝(美濃部強次、1938-2001)と、とうとうたる顔ぶれが好んで演じました。
三笑亭夢楽(渋谷滉、1925-2005)も師匠の八代目可楽譲りで若いころから得意にしていましたが、いまも若手を含め多くの落語家が手がける人気演目です。
上方の「百人坊主」 【RIZAP COOK】
落語としては上方が本場です。
上方の「百人坊主」は、大筋は江戸(東京)と変わりませんが、舞台は、修験道の道場である大和・大峯山の行場めぐりをする「山上まいり」の道中になっています。
主人公は「弥太公」がふつうです。
こちらでは、山を下りて伊勢街道に出て、洞川または下市の宿で「精進落とし」のドンチャン騒ぎをするうち、けんかが起こります。
東京にはいつ移されたかわかりませんが、江戸で出版されたもので「弥次喜多」の「膝栗毛」で知られる十返舎一九(重田貞一、1765-1831、戯作者、絵師)の滑稽本『滑稽しっこなし』(文化2=1805年刊)、滝亭鯉丈(池田八右衛門→八蔵、?-1841)の「大山道中栗毛俊足」にも、同じような筋立ての笑話があるため、もうこのころには口演されていたのかもしれません。
ただし、前項の円喬の速記では「百人坊主」となっているので、東京で「大山詣り」の名がついたのは、かなり後でしょう。
相模の女 【RIZAP COOK】
この噺の背景にはちょっと重要なパラダイムがひそんでいます。
「相模の下女は淫奔」という江戸人のお約束事です。川柳や浮世絵などでもさかんに出てきます。
相模国(神奈川県西部)出身の女性には失礼きわまりないことですがね。「池袋の下女は夜に行灯の油をなめる」といった類の話です。
大山は相模国にあります。
江戸の男たちは「相模に行けば、なにかよいことがあるかもね、むふふ」といった下心を抱きつつ勇んで向かったのでしょう。
大山詣りがにぎわうわけです。
投げ込んで くんなと頼む 下女が文 三24
枕を交わす男から寝物語に「明日大山詣りに行くんだぜ」と聞いた相模出身の下女は「ならばこの手紙を実家に持っていってよ」と頼んでいるところを詠んでいます。こんなことが実際にあったのか。あったのかもしれませんね。
江の島 【RIZAP COOK】
大山詣りの帰りの道筋に選ばれます。近場の行楽地ですが、霊験あらたかな場所でもあります。
浪へ手を あわせて帰る 残念さ 十八02
これだけで江の島を詠んでいるとよくわかるものですなんですね。「浪へ手をあわせて」でなんでしょうかね。島全体が霊場だったということですか。
江の島は ゆふべ話して けふの旅 四33
江の島は 名残をおしむ 旅でなし 九25
江の島へ 硫黄の匂ふ 刷毛ついで 初24
硫黄の匂いがするというのは、箱根の湯治帰りの人。コースだったわけです。大山詣りも同じですね。
江の島へ 踊子ころび ころびいき 十六01
「踊子」とは元禄期ごろから登場する遊芸の女性です。酒宴の席で踊ったり歌ったりして興を添えるのをなりわいとする人。
日本橋橋町あたりに多くいました。
文化頃に「芸者」の名が定着しました。各藩の留守居役とのかかわりが川柳に詠まれます。
江の島で 一日やとふ 大職冠 初15
「大職冠」とは、大化年間(最新の学説ではこの元号は甚だあやしいとされていますが)の孝徳天皇の時代に定めれらた冠位十二階の最高位です。
のちの「正一位」に相当します。実際にこの位を授けられたのは藤原鎌足ですが、「正一位」は稲荷神の位でもあります。
謡曲「海士」からの連想です。
ここでは鎌足と息子の不比等を当てています。
【語の読みと注】
良弁 ろうべん
雨降山 あぶりさん
大山寺 だいせんじ
さんゆうていさゆう【三遊亭左遊】噺家
【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【前座】1969年4月、三代目三遊亭遊三に遊ぼうで
【二ツ目】1973年9月、松遊三で
【真打ち】1984年4月、二代目三遊亭左遊を襲名して
【出囃子】操三番叟
【定紋】高崎扇
【本名】佐藤喜八郎
【生没年月日】1953年9月28日-2022年11月15日 心不全のため 享年70
【出身地】横浜市
【学歴】
【血液型】
【出典】三遊亭左遊 三遊亭左遊Wiki
【蛇足】得意演目は「黄金の大黒」「釜泥」「二人旅」「鼠」など。寄席出演は平成29年(2017)2月5日、浅草演芸ホールの高座が最後の高座での「薮医者」が最後でした。持病の悪化のため、これ以降は「会友」として高座を控えていました。
たてかわしえん【立川志ゑん】噺家
しゅんぷうていしょうよう【春風亭昇羊】噺家
さんゆうていゆうしろう【三遊亭遊史郎】噺家
かみなりもんすけろく【雷門助六】噺家
【芸種】落語
【所属】日本芸術協会→落語芸術協会
【入門】1965年4月、八代目雷門助六(岩田喜多二、1907-91)に
【前座】1965年5月、雷門花助
【二ツ目】1968年9月
【真打ち】1981年10月、二代目雷門五郎。95年5月、九代目雷門助六
【出囃子】助六囃子
【定紋】杏葉牡丹
【本名】岩田孝允
【生年月日】1947年1月13日
【出身地】神奈川県横浜市
【学歴】藤嶺学園藤沢高校
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】八代目の粋な芸を受け継ぐ。「松づくし」「あやつり人形の踊り」など。旧姓は青木。六代目も青木姓。六代目は八代目の実親で艶福家で知られる。八代目と養子縁組したため岩田姓に。
かつらよねまる【桂米丸】噺家
やなぎやさんざ【柳家三三】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会 理事
【入門】1993年3月、十代目柳家小三治に
【前座】1993年5月、柳家小多け
【二ツ目】1996年5月、柳家三三
【真打ち】2006年3月
【出囃子】京鹿子娘道成寺 花咲か爺さん
【定紋】変わり羽団扇
【本名】蛭田健司
【生年月日】1974年7月4日
【出身地】神奈川県小田原市
【学歴】神奈川県立小田原高校
【血液型】B型
【ネタ】明烏 お化け長屋 居残り佐平次 鰻の幇間 火焔太鼓 鰍沢 景清 火事息子 蛙茶番 小間物屋政談 三軒長屋 三人旅 品川心中 鹿政談 三味線栗毛 千両みかん 粗忽の釘 団子坂奇談 唐茄子屋政談 富久 茄子娘 猫定 鼠穴 年枝の怪談 花見小僧 浜野矩随 不孝者 不動坊 船徳 文七元結 妾馬 雪とん 夢金 芝のたらい(自作) 殿様と海(三遊亭白鳥作) 任侠流山動物園(三遊亭白鳥作)
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】2007年公開の映画『しゃべれどもしゃべれども』(平山秀幸監督、佐藤多佳子原作)で、主演の落語家役、国分太一に稽古をつけた。「火焔太鼓」「まんじゅうこわい」の二題。江戸東京落語まつり2023(2023年6月30日-7月5日、総勢36人)。1999年2月、第9回北とぴあ若手落語競演会大賞。2004年5月、平成15年度にっかん飛切落語会若手落語家大賞。2005年3月、平成16年度花形演芸大賞銀賞。2008年1月、平成19年度文化庁芸術祭新人賞。2016年3月、平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)
さんゆうていじょうじ【三遊亭丈二】噺家
やなぎやきんだゆう【柳家禽太夫】噺家
ごめいろうたまのすけ【五明樓玉の輔】噺家
きんげんていいこま【金原亭生駒】噺家
はつねやさきょう【初音家左橋】噺家
はやしやきんぺい【林家錦平】噺家
ここんていきくりゅう【古今亭菊龍】噺家
はやしやかんぺい【林家かん平】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1972年5月、七代目橘家円蔵(市川虎之助、1902-80、明舟町の)に、橘家六蔵で
【二ツ目】1977年3月。80年5月、師の没後、初代林家三平(海老名榮三郎→泰一郎、1925-1980)門下。80年9月、師の没後、林家こん平(笠井光男、1943-2020)門下
【真打ち】1985年9月、林家かん平
【出囃子】金毘羅舟々
【定紋】花菱
【本名】渋谷一男
【生年月日】1949年9月9日
【出身地】長崎県高島町→神奈川県厚木市
【学歴】神奈川県立大和高校
【血液型】AB型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】1990年10月31日、脳卒中で倒れる→2016年9月3日、映画『涙の数だけ笑おうよ』上映。
はやしやぎんぺい【林家ぎん平】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1968年3月、初代林家三平(海老名榮三郎→泰一郎、1925-1980)に
【前座】1969年1月、林家辰平
【二ツ目】1973年4月。80年9月、師没後、林家こん平(笠井光男、1943-2020)門下
【真打ち】1982年4月、林家えび蔵。87年12月、林家ぎん平
【出囃子】あやつりダーク
【定紋】花菱
【本名】菊池辰夫
【生年月日】1952年5月20日
【出身地】神奈川県川崎市
【学歴】川崎市立大師中学校
【血液型】B型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】2006年から体調を崩し、22年7月、廃業。
やなぎやこまん【柳家小満ん】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】八代目桂文楽(並河益義、1892-1971)に入門
【前座】1961年5月、小勇で
【二ツ目】1965年3月。71年12月、文楽死去に伴い、五代目柳家小さん(小林盛夫、1915-2002)門下に
【真打ち】1975年9月、三代目柳家小満ん
【出囃子】酔猩猩
【定紋】三ツ割桔梗
【本名】栗原理
【生年月日】1942年2月17日
【出身地】神奈川県横浜市
【学歴】横浜市立金沢高校→東京農工大学繊維工学部中退
【血液型】A型
【ネタ】宮戸川 居残り
【出典】落語協会HP 柳家小満んWiki 柳家小満ん口演用「てきすと」
【蛇足】1973年、NHK新人演芸コンクール最優秀賞受賞。著書多数。『べけんや わが師、桂文楽』 (河出文庫、2005年)が参考になる。川田順造『人類学者の落語論』(青土社、2020年)に登場する