にばんせんじ【二番煎じ】落語演目

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【どんな?】

自身番での飲酒はご法度。
登場人物の巧みな演じ分けが醍醐味です。

あらすじ】 

火事は江戸の華で、特に真冬は大火事が耐えないので、町内で自身番を置き、商家のだんな衆が交代で火の番として、夜巡回することになった。

寒いので手を抜きたくても、定町廻り同心の目が光っているので、しかたがない。

そこで月番のだんなの発案で、二組に分かれ、交代で、一組は夜回り、一組は番小屋で酒をのんで待機していることに決めた。

最初の組が見回りに出ると、凍るような寒さ。

みな手を出したくない。

宗助は提灯を股ぐらにはさんで歩くし、拍子木のだんなは両手を袂へ入れたまま打つので、全く音がしない。

鳴子なるこ係のだんなは前掛けに紐をぶら下げて、歩くたびに膝で蹴る横着ぶりだし、金棒かなぼう持ちの辰つぁんに至っては、握ると冷たいから、紐を持ってずるずる引きずっている。

誰かが
「火の用心」
と大声で呼ばわらなくてはならないが、拍子木のだんなにやらせると低音で
「ひィのよォじん」
と、謡の調子になってしまうし、鳴子のだんなだと
「チチチンツン、ひのよおおじいん、よっ」
と新内。

辰つぁんは辰つぁんで、若いころ勘当されて吉原の火廻りをしたことを思い出し、
「ひのよおおじん、さっしゃりましょおお」
と廓の金棒引き。

一苦労して戻ってくると、やっと火にありつける。

一人が月番に、酒を持ってきたからみなさんで、と申し出た。

「ああたッ、ここをどこだと思ってるんです。自身番ですよ。役人に知れたら大変です」
とはいうものの、それはタテマエ。

酒だから悪いので、煎じ薬のつもりならかまわないだろうと、土瓶の茶を捨てて「薬」を入れ、酒盛りが始まる。

そうなると肴が欲しいが、おあつらえ向きにもう一人が、猪の肉を持ってきたという。

それも、土鍋を背中に背負ってくるソツのなさ。

一同、先程の寒さなどどこへやら、のめや歌えのドンチャン騒ぎ。

辰つぁんの都々逸がとっ拍子もない蛮声で、たちまち同心の耳に届く。

「ここを開けろッ。番の者はおらんかッ」

慌てて土瓶と鍋を隠したが、全員酔いも醒めてビクビク。

「あー、今わしが『番』と申したら『しっ』と申したな。あれは何だ」

「へえ、寒いから、シ(火)をおこそうとしたんで」
「土瓶のようなものを隠したな」
「風邪よけに煎じ薬をひとつ」

役人、にやりと笑って
「さようか。ならば、わしにも煎じ薬を一杯のませろ」

しかたなく、そうっと茶碗を差し出すとぐいっとのみ
「ああ、よしよし。これはよい煎じ薬だな。ところで、さっき鍋のようなものを」
「へえ、口直しに」
「ならば、その口直しを出せ」

もう一杯もう一杯と、酒も肉もきれいに片づけられてしまう。

「ええ、まことにすみませんが、煎じ薬はもうございません」
「ないとあらばしかたがない。拙者一回りまわってくる。二番を煎じておけ」

しりたい】 

火の番  【RIZAP COOK】

自身番については「粗忽長屋」で触れましたが、町内の防火のため、表通りに面した町家では、必ず輪番で人を出し、火の番、つまり冬の夜の夜回りをすることになっていました。

といっても、それはタテマエで、たいてい「番太郎」と呼ぶ番人をやとって、火の番を代行させることが黙認されていたのです。

ところが、この噺はそろそろ物情騒然としてきた幕末の設定ということで、お奉行所のお達しでやむなく旦那衆がうちそろって出勤し、慣れぬ厳冬の夜回りで悲喜こもごもの騒動を引き起こします。

与力、同心

二番煎じ  【RIZAP COOK】

漢方薬を一度煎じた後、さらに水を加え、薄めて煮出したものです。金気をきらい、土瓶などを用いました。

吉原の火回り  【RIZAP COOK】

歌舞伎「助六所縁江戸桜」で、序幕に二人の廓の若い衆が、鉄棒を突き、棒先の鉄輪を鳴らしながら登場するシーンを、芝居好きの方ならご記憶と思います。

あれが「金棒ひき」で、火回りの際はもちろん、おいらん道中など、重要なイベントの前にも、先触れとして出ます。

「火の用心、さっしゃりましょう」という掛け声は、吉原に限られていました。

長屋のこうるさいかみさん連中が「金棒引き」と呼ばれるのは、火の番が鉄輪をガチャガチャ鳴らして歩くように、町内のうわさをあることないことかまびすしく触れて回ることからきています。

今では、ちょっとしたことをおおげさにふれまわること、あるいはその人をさして「金棒引き」と言っていますね。

【二番煎じ 古今亭志ん朝】



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いちすけざけ【市助酒】落語演目

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【どんな?】

酒好きの市助は番小屋勤め。ねぎらいの酒で寝てしまい。
寒夜は熱燗をぐいいと、てな気持ちにさせてくれる噺。

あらすじ

親父の跡を継ぎ、町内の番小屋で火の番兼走り使いをしている市助という男。

まじめな男だが、酒好きなのが玉に瑕。

ある夜も酔っぱらって火の用心とでかい声を張り上げ、夜回りに歩いていると、質屋の伊勢屋の店から灯が漏れているので、戸をドンドンたたき
「火の用心、ええ火の用心、火の用心」
と、しつこく叫んで、番頭の藤兵衛に追い払われる。

だんなはこれを聞くと、
「飲んべえでも、ちゃんと役目を果たしているのだし、本来なら町内の各表店で火の番に人を出さなければならないお定めなのを、市助を雇ってやらせている、寒い夜の見回りで、酒でものまなければわずらってしまう稼業なのだから、もっとねぎらってやらなければいけない」
と、さとす。

藤兵衛は反省して、
「明日の晩、市助が来たら酒をおごってやろう」
と待っていたが、どういうわけかなかなか現れない。

市助の方でも、伊勢屋をしくじったと思ったから、なるべく店の前を避けて回っていたが、とうとう見つかった。

藤兵衛はさっそく店に呼び入れて、恐縮するのを無理にのませると、酒が回ってだんだん気が大きくなった市助、
「番頭さんは実に親切でいい方だ。お店の台所まで指図して火の用心を心掛けなさるし、犬にまで情け深く、煙管も銀のいいのをお使いだ」
とおべんちゃらを並べたあげく、
「もう一杯、もう一杯」
とねだって、かれこれ五合。

すっかりいい機嫌で帰る。

番小屋に戻るとそのまま寝てしまったが、見回りの時刻だと若い衆にたたき起こされ、寝ぼけ眼で酔いも醒めないまま、また回り始めた。

藤兵衛が見つけて、
「あの後、またどこかで飲りやがったのだろう、また戸をたたかれて、小言の種をまかないうち、こっちからあいさつしてやろう」

「市助さん、あー、ご苦労。あたしのとこはしっかり気をつけてるよ」
「なあに、お宅は焼けたって、ようございます」

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原話

原話は元禄14年(1701)刊の上方笑話本『百登瓢箪ひゃくなりびょうたん』中の「番太郎」、安永2年(1773)刊の『再成餅ふたたびもち』」中の「火の用心」。

原話二話のうち、後者はごく短いもので、番太郎が裏長屋を火の番で回っているとき、ある家から呼びいれられる筋で、オチも同じですが、ごちそうになるのは、貧乏長屋らしく、ねぎ雑炊二杯と、ごくわびしいものです。

上方落語の大ネタ「下役酒」として発展した噺を、三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が東京に移植したものです。

番小屋

隣町との境の四つ辻に町木戸があり、その開閉と不審者の通報、火事の際の半鐘打ちなどに任じる木戸番(番太郎)の住む木戸番屋、町費で雇う書役(町役)の詰める自身番屋がありました。

前者は普通荒物屋や駄菓子屋を営み、後者には、地借りで表通りに店を出す商人が順番に宿直(店番)しましたが、主人の代理で番頭や手代などが詰めることが多かったとか。

火の用心の見回りは、本来は店番の仕事ですが、この噺では、これを非公式にあぶれ者の市助を雇い、使い走りをやらせているわけです。

火の番は「二番煎じ」にも登場しますが、木戸が閉まる四ツ過ぎ(午後10時頃)から明け六ツ(午前5時頃)まで、一晩中、特にこの噺の伊勢屋のような大店には一軒一軒回って「火の用心さっしゃりましょう」と呼びかけます。

噺の発端では、伊勢屋から深夜になっても明かりが漏れているので、市助が不用心だと気を回したわけです。

半鐘が鳴った場合は、火の番は太鼓を叩いて火元の方角を触れてまわる義務がありました。

やはり「本家」は大阪

現在、東京ではあまり演じられません。

上方では比較的ポピュラーで、自身酒のみで、「一人酒盛り」など酒の噺を得意としていた六代目笑福亭松鶴(竹内日出男、1918-86)が得意としていました。

オチは、東京のものは、前に番頭に怒鳴られたので気を使うあまり、おべんちゃらで「お宅は言わなくてもちゃんとしておられますから」というところを言葉の上で失敗したとされます。

やや唐突過ぎて、シャレになりません。

上方の方は「滅相な、ご当家ではどうでも大事ございません」とオチています。

こちらの方がまだ自然ですが、その分、平凡になります。

「大事ございません」だけならまともで、「どうでも」をつけたからあらぬ意味にとられるというわけです。

こうした言葉の機微を感じとれなければ、かえって、なんのことかわからなくなるでしょうね。

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きんしゅばんや【禁酒番屋】落語演目



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【どんな?】

酒の噺。

禁令破りのいつわりの果てに、ついには酒を小便と。

尾籠に落ちます。

あらすじ

ある藩で、酒の上の刃傷沙汰が起きたというので、藩士一同に禁酒令が出された。

しかし、なかなか禁令が行き届かず、隠れてチビリチビリやる者が続出。

それではと、城門のところに番屋を設け、出入りの商人が持ち込むものまで厳しくチェックされることになり、いつしかそこは、人呼んで「禁酒番屋」。

家中第一ののんべえの近藤という侍、屋敷内ではダメなので、町の酒屋でグイッと一気に三升。

「禁酒令糞くらえ」
で、すっかりいい心持ちになった。

まだのみ足らず、酒屋の亭主に、
「なんとか工夫して番屋をかいくぐり、拙者の小屋まで一升届けてくれ」
と頼む始末。

もとより上得意のことでもあり、亭主も無下には断れないが、見つかれば営業停止を食らうし、第一、番屋を突破する方法が思いつかない。

困っていると、番頭がうまい知恵を出す。

「五合徳利を二本菓子折りに詰め、カステラの進物だと言って通ればよい」
という。

まあやってみようというので、早速店の者が番屋の前に行ってみるが……。

番人もさるもの。

家中屈指のウワバミにカステラの進物とは怪しいと、抗議の声も聞かばこそ、折りを改められて、
「これ、この徳利はなんじゃ」
「えー、それはその、水カステラてえ、新製品で」
「水カステラァ? たわけたことを申すな。そこに控えおれ。中身を改める」

一升すっかりのまれてしまった。

「これっ、町人。けしからん奴。かようなけっこうな……いや、けしからんカステラがあるか。あの、ここな、いつわり者めがっ」

カステラで失敗したので、今度は油だとごまかそうとしたが、これも失敗。

都合二升もただでのまれ、腹の虫が治まらないのが、酒屋の亭主。

そこで若い衆が、
「今度は小便だと言って持ち込み、仇討ちをしてやろう」
と言いだす。

正直に初めから小便だと言うのだから、こちらに弱みはない。

「……ご同役、実にどうもけしからんもので。初めはカステラといつわり、次は油、またまた小便とは……これ、控えておれ。ただ今中身を取り調べる。……今度は熱燗をして参ったと見える。けしからん奴。小便などといつわりおって。かようにけっこう……いやふらちなものを……手前がこうして、この湯のみへついで……ずいぶん泡立っておるな。……ややっ、これは小便。けしからん。かようなものを持参なし……」
「ですから、初めに小便と申し上げました」
「うーん、あの、ここな、正直者めが」

しりたい

これも大阪ダネ

お食事前にはちょっと、という噺。大阪の「禁酒関所」を、三代目柳家小さんが東京に移し、翻案したものです。

今までアップした噺の中でも、小さんが東京に持ってきたものは相当数あります。単に明治・大正の名人というにとどまらず、三代目小さんという人が、いかに東京の落語に豊かな遺産を残したかがわかります。

大阪の「禁酒関所」は、大筋は同じですが、女に小便をさせる場面があったり、オチには大…まで登場し、「裏門へ回れ」「糞(ばば)食わされる」といった、あざとく汚いものになっています。

小さん代々のやり方

五代目柳家小さんの独壇場でした。

三代目、四代目小さんや、「三代目の影法師」と呼ばれた七代目三笑亭可楽から継承した型に、五代目がさまざまな工夫を加えています。

たとえば、最初に関所を通るとき、五代目は、手代が思わず「ドッコイショ」と言ってしまい、菓子折りがそんなに思いはずがないと怪しまれる演出です。

三代目は、禁酒令が出たのを「小石川新坂の安藤という旗本屋敷」とし、殿さま自ら酒乱で、自分が禁酒する代わりに家来にも禁酒を強いる設定でしたが、五代目はこれを某藩の城下町の出来事としていました。

カステラ

16世紀末にポルトガルから長崎に渡来しました。

語源はスペインの地名「カスティーリャ」から。表記は「粕底羅」「家主貞良」などさまざま。上菓子で、町人の口にはまず入りませんでした。

【禁酒番屋 五代目柳家小さん】



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