ききにきたののほととぎす【聞きに北野の時鳥】むだぐち ことば

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「時鳥の声を聞きに来た」というのと、北野の天満宮の「北野」を掛けたしゃれに過ぎません。

「聞き」は、動詞の連用形が名詞化して「評判」という意味もあるので、「北野で名高い時鳥の噂を」という意味も含んでいるでしょう。

北野天満宮(京都市下京区)旧一ノ保社いちのほしゃは、かつて時鳥ほととぎす篇額へんがくを掲げていたため、「時鳥天満宮」の異名、「安楽寺天満宮」と称されて、神仏習合の施設でした。

寺と神社のごちゃまぜです。

天神社の縁起によると、北野の神殿には木彫りの時鳥があり、いつも奇声を上げていたとか。

一ノ保社の社殿が全焼した文安元年(1444)の「麹騒動」の際、木彫りの時鳥がこずえに止まって鳴くという奇譚がありました。

麹騒動とは、麹づくりをなりわいとする同業者の仲間の権利を巡るひともんちゃく。

この権利の仕切り役は天満宮の北野神人でした。神人じにんとは神社で働く人。麹室での麹づくりにからむ免税や独占製造権など、ここは金づるでした。

応永26年(1419)、幕府は北野神人に麹づくり特権を認めていました。

以来、別当の安楽寺が神仏分離令(廃仏毀釈)で明治元年に廃寺となるまで、時鳥の扁額は火災、疱瘡除ほうそうよけの霊宝とされ、毎年旧暦6月15日にかぎって開帳されていました。

まあ、以上、なんだか要領を得ない話ですが、時鳥がこの社の特別な名物だった由来は、なんとなくわかります。

北野天満宮ですから梅が名所。梅にうぐいす、といきたいところなのに、ここはほととぎすとなります。

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ありがたやまのとびからす【ありがた山の鳶烏】むだぐち ことば

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照れを含んだ感謝の意で「ありがたや」の言葉遊び。語尾の「や」から語呂合わせで「やま」、そこから連想で「鳶」「烏」を出しただけです。

「鳶烏」の最初の形は「時鳥ほととぎす」。

「ありがた山」も最初は「ただ取る山」→「待ちかね山」だったのを、ニュアンスを変えて謝礼の言葉になってから、爆発的に流行。

「山の」の後付け部分だけでも「桜」「二軒茶屋」「猫」、「呑込山」「出来兼山」と、さまざまなバリエーションができました。

しまいには、現代の子供のおふざけの「蟻が十匹」まで、この系譜は続いています。

「ありがた山」は「有難山」と記すこともあります。

蛇足ですが。

大昔、大学の体育祭でのこと。

講堂のステージでは、ウェイトリフティングの競技が行われていました。誰がどれだけ重いバーベルを持ち上げられるかいう、あれです。

体重150kgもあろうかという肥満型の男子学生がのっそり登壇し、100kgのバーベルをうんとこやっとこ持ち上げたのです。

割れんばかりの拍手喝采。と同時に、「いいぞー、肉山くーん!」の声援が湧きました。会場は大爆笑。ウケた。

肥満学生の名前が「肉山」だったわけでもないし、肉屋のせがれでもなかったはずです。

贅肉ぷりぷりの、およそスポーツとは無縁そうな男が130kgを持ち上げたことからの、その意外な状況と、ふいに頭をよぎった語感が結びつけられた、野次馬の安直な連想だったのでしょう。

わかりやすい発想です。

むだぐちが生まれる場面は、およそ、とっさのひらめきが突き上げるものなのですね、きっと。

この「ありがた山の鳶烏」もそんなところから生まれた、唐突な瞬間芸だったといえます。

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