洒落小町 しゃれこまち 演目

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亭主の女遊びを陰で支える女房。歌道から洒落へ。業平故事を使った噺。

【あらすじ】

ガチャガチャのお松とあだ名される騒々しい女房。

亭主が近ごろ、吉原で穴っぱいり(浮気)して帰ってこないと、横町の隠居に相談に来る。

隠居は
「おまえが四六時中あまりうるさくて、家がおもしろくないので亭主が穴っぱいりする。昔、在原業平が、愛人の生駒姫の所に毎晩通ったが、奥方の井筒姫は嫌な顔ひとつせず送りだすばかりか、ある嵐の晩、さすがに業平が外出しかねているのを、こういう晩に行かなければ不実と思われてあなたの名にかかわるから、無理をしても行きなさいと言う。嫉妬するのが当たり前なのに、あまりものわかりがよすぎるから、業平は不審に思って、出かけたふりをして庭先に隠れてようすを伺うと、縁の戸が開き、井筒姫が琴を弾きながら『風吹けば 沖津白波たつ田山 夜半にや君が 一人越ゆらん』と悲しげに詠んだので、それに感じて業平は河内通いをやめたという故事がある。おまえも亭主が帰ったら、たとえ歌は無理としても、優しい言葉のひとつも掛け、洒落のひとつも言ったら、亭主はきっと外に出なくなる」
と、さとす。

「ご隠居さん、歌というのはけっこうですね」
「そりゃそうだ。小野小町は歌を詠んで雨を降らせた、というくらいだからな」

家に帰ったお松、亭主の気を引こうと、さっそく洒落攻め。

大家の所へ行くと言うと
「大家(=高野)さん弘法大師」
「隣の茂兵衛さんに喜兵衛さん……」
「隣の茂兵衛(=モチ)つきゃ喜兵衛(=キネ)の音」

「うるせえな」
とどなると
「うさぎうさぎ、なに見てはねる」

あまり下らないのを連発するから、亭主はお松が頭がおかしくなったと思い、二、三日出かけずにいた。

ある日、雨が降ってきた。

これを待っていたお松、いきなり隣の水屋から蓑と傘を借りてきて、うやうやしく亭主に着せかけると、そのまま外へ突き飛ばした。

亭主が行ってしまったので、ここぞと井筒姫の歌のつもりで間違えて
「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信田の森の 恨み葛の葉」
とやったが、いっこうに帰らない。

また心配になって隠居に掛け合うと、
「そりゃ狐の歌じゃないか」
「あ、道理でまた穴っぱいりだ」

【しりたい】

東西で異なるやり方

古風で、実に粋な噺です。こういう噺を達者にこなせる落語家は、もう絶えていないでしょう。

初代桂文治(→千早振る)がおそらく文化年間に作った古い上方落語を東京に移したもので、大阪では「口合(くっちゃい)小町」です。

「口合」は地口、ダジャレのことです。

東西で演出がもっとも変わる部分は、西(上方)では、かみさんが亭主の跡をつけて女郎屋に入るのを突き止め、乗り込んで大げんかになるのと、オチが異なり、狐の部分がないことです。

戦後、東京では八代目桂文治、六代目円生の後は、立川談志がよく演じました。

小野小町の歌

古今集の六歌仙で紅一点、小野小町が、京に百日も大日照りがあったとき、神泉苑(現在の二条城の向かい)で、「ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとてはまた 天(あめ)が下とは」という雨乞いの歌を詠んだところ、七日続いて雨が降ったという「雨乞い小町」の伝説があります。上方の「口合小町」のオチはこれを踏まえ、亭主が降参して、茶屋通いはやめると謝ると、「まあうれしい。百日の日照りがあったら知らして」「どないするのや?」「口合(洒落)で、雨降らせてみせるわ」と、なっています。

今で言う、男の浮気のことです。愛人のもとに行ったきり帰らないのを、狐が穴に籠もることにたとえたものです。

もっとも、これでは今はまったく通じないでしょう。

穴っぱいり

「狐」は女性器を意味する隠語でもあるため、当然、下ネタの意味も利かしてあるのでしょう。

「風吹けば……」

『伊勢物語』第二十三段中の歌。

意味は「風が吹くと沖の白波が立つ、その龍田山を、今ごろ夜中にあなたが一人で越えているのでしょうか(心配です)」

「恋しくば……」

「仮名手本忠臣蔵」の作者の一人でもある初代竹田出雲(?-1747)作の浄瑠璃『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』(葛の葉子別れ)の四段目で、陰陽師・安部保名(あの安部晴明の父)と夫婦になった雌の白狐が、自分が化けた、夫のかつての恋人が訪ねてきたので、泣きの涙で身を引き、夫と子供を残して去る、その別れ際に障子に書き残す歌です。