かわりめ【代わり目】落語演目

  成城石井.com  ことば 演目  千字寄席

【どんな?】

おかしさの中に妻への情愛。
悪くありませんねえ。
志ん生が人情噺にがらりと。

別題:元帳 鬼のうどん屋(上方) 銚子の代わり目(上方)

【あらすじ】

ぐでんぐでんに酔っぱらって、夜中に帰ってきた亭主。

途中で車屋をからかい、家の門口で梶棒を上げさせたと思ったら、もう下りた。

出てきた女房はハラハラし、車屋に謝って帰ってもらうと、ご近所迷惑だからいいかげんにしとくれと文句を言う。

亭主、聞かばこそ、てめえは口の聞きようが悪い、寝酒を出さないから声が大きくなると、からむ。

しかたなく酒を注ぐと、今度は何かサカナを出せと、しつこい。

「なにもありません」
「コウコがあったろう」
「いただきました」
「佃煮」
「いただきました」
「納豆」
「いただきました」
「干物」
「いただきました」
「じゃあ……」
「いただきました」

うるさくてしかたがないので、夜明かしのおでん屋で何か見つくろってくるからと、女房は出かける。

その間に、ちょうどうどん屋の屋台が通ったから、酔っぱらいのかっこうの餌食に。

ずうずうしく燗を付けさせた挙げ句、てめえは物騒ヅラだ、夜遅くまで火を担いで歩きやがって、このへんにちょくちょくボヤがあるのはてめえの仕業だろうと、からむので、うどん屋はあきれて帰ってしまう。

その次は、新内流し。

むりやり都々逸を弾かせ、どうせ近所にびた一文借りがあるわけじゃねえと、夜更けにいい気になって
「恋にこがれーてー、鳴く蝉よりもォ……」
と、うなっているところへ女房が帰ってくる。

ようすを聞いてかみさん、顔から火が出た。

外聞が悪いので、うどん屋の荷を見つけると、
「もし、うどん屋さーん」
「……おい、あそこの家で、おかみさんが呼んでるよ」
「へえ、どの家で」
「あの、明かりがついてる家だ」
「あっ、あすこへは行かれません」
「なぜ」
「今ごろ、お銚子の代わり目時分ですから」

底本:初代柳家つばめ、五代目古今亭志ん生ほか

【しりたい】

原話は薬売りが受難

文化9年(1812)、江戸で刊行された笑話本『福三笑』中の小ばなし「枇杷葉湯びわようとう」が原話です。

これは、酔った亭主が枇杷葉湯(=暑気払いに効く甘い煎じ薬)売りに無理やり燗をつけさせるくだりが、現行の落語の後半に一致し、オチも同じです。

落語としては、上方で「銚子の代わり目」または「鬼のうどん屋」としてよく演じられたため、夜泣きうどん屋の登場するくだりは、当然その間に付け加えられたものでしょう。

枇杷葉湯

この噺の原話名は「枇杷葉湯」でした。

これは江戸期の一般的な薬名として知られています。

枇杷の葉、肉桂、甘茶などを細かく切ってまぜあわせたものを煎じた汁で、暑気払いや急性の下痢などに効果があったそうです。

初めは京都烏丸で売り出されたのですが、江戸に下ってからは、宣伝用に道端などで行き交う人々に無料でふるまっていたそうです。

そこで、多情、多淫を意味する隠語となりました。

この言葉が出てくると意味深長となり、要注意です。

志ん生が人情噺に「改作」

東京では大正期に四代目三升家勝次郎(本多吉之助、1868-1923)が、音曲噺として新内、都々逸をまじえて演じていました。

昭和に入って、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)が十八番にしました。

志ん生は後半(うどん屋にからむ部分)をカットし、かみさんを買い物にやった亭主が、「なんだかんだっつっても、女房なりゃこそオレの用をしてくれるんだよ。ウン。あれだって女は悪かねえからね……近所の人が『お前さんとこのおかみさんは美人ですよ』って……オレもそうだと思うよ。『出てけ、お多福っ』なんてってるけど、陰じゃあすまない、すいませんってわびてるぐれえだからな本当に……お、まだ行かねえのかおう……立って聞いてやがる。さあ大変だ。元を見られちゃった」と、ほほえましい夫婦の機微を見せて結んでいました。

年輪がいる噺

この志ん生のやり方は、自ら「元帳」と改題したことからもうかがわれるように、優れた工夫でしたが、晩年はオチの「元を見られた」さえも省略していました。

今ではこのやり方がスタンダードになっています。うどん屋の部分がカットされるだけに、笑いは薄くなりますが、一種の人情味のある噺として定着し、独特の味わいを持つにいたっています。

これも志ん生なればこそで、凡百の演者ではクサくなったり、わざとらしくなったりするのは、もう聴いちゃいられません。

こうしたやり方は、若い噺家ではとうてい無理でしょう。

芸はもちろん、実生活の年輪を経てコケが生えたような年齢になってようやく、さまになってくるものなのではないでしょうか。

志ん生、映画で一席

志ん生ファンにはよく知られていますが、映画『銀座カンカン娘』(新東宝、昭和24)で、引退した噺家・桜亭新笑に扮した五代目志ん生(当時59歳)が、ラストで甥夫婦(灰田勝彦・高峰秀子)の新婚の前途を祝うため、「かわり目」を演じてみせます。

ちょうどかみさんを追い出すくだりで、汽車の時間があるから早く立て、と目と仕種で二人を促し、客だけになったあと、いい間で亭主の独白に入るあたりは、後年の志ん生のイメージとはまた違った、たたき上げた正統派の芸を感じさせました。

志ん生は、その後も、4作品に特別出演しています。都合5作品ということになります。

●志ん生出演の映画作品一覧

『銀座カンカン娘』(新東宝、昭和24)
『ひばりの子守唄』(大映、昭和26)
『息子の花嫁』(東宝、昭和27)
『クイズ狂時代』(東映、昭和27)
『大日本スリ集団』(東宝、昭和44)

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くまのかわ【熊の皮】落語演目



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【どんな?】

甚兵衛が先生に。
「女房がよろしく申してました」
思わずニヤリの艶笑噺。

別題:八百屋

【あらすじ】

横町の医者から、祝い事があったからと、赤飯が届けられた。

その礼に行かなければということで、少し人間のネジがゆるみ加減の亭主の甚兵衛に、女房が口上を教える。

「うけたまわれば、お祝い事がありましたそうで、おめでとう存じます。お門多のところを、手前どもまで赤飯をちょうだいしまして、ありがとう存じます。女房からくれぐれもよろしく申しました」

「おまえさんはおめでたいから、決して最後のを忘れるんじゃない。それからあの先生は道具自慢だから、なにか道具の一つも褒めといで」
と注意されて送り出される。

まあ、おなじみの与太郎ほどではないから、
「ありがとう存じます」
まではなんとか言えたが、肝心の 「女房が」 以下をきれいに忘れてしまった。

「はて、まだなにかあったみてえだが……」

座敷へ上げてもらっても、まだ首をひねっている。

「……えー、先生、なにかほめるような道具はないですか」
「ナニ、道具が見たいか。よしよし、……これはどうだ」
「へえ、こりゃあ、なんです」
「珍品の熊の皮の巾着だ」

なるほど本物と見えて、黒い皮がびっしりと生えている。

触ってみると、丸い穴が二か所開いている。鉄砲玉の痕らしい。

甚兵衛、感心して毛をなでまわしている間に、ひょいとその穴に二本の指が入った。

「あっ、先生、女房がよろしく申しました」

【しりたい】

触るものはいろいろ

原話は安永2年(1773)刊の笑話本『聞上手』中の「熊革」ですが、その他、同3年刊『豆談語』、同5年刊『売言葉』、同8年刊『鯛味噌津』など、複数の出典に類話があります。

男が最後になでるものは、「熊革」ではたばこ入れですが、のちに胴乱(腰に下げる袋)、熊の敷皮など、いろいろ変わりました。

前出の『売言葉』中の「寒の見まい」では敷皮になっていて、現在ではほぼこれが定着しています。

エロ味を消す苦心

五代目柳亭左楽(中山千太郎、1872-1953、八代目桂文楽の師匠)、六代目蝶花楼馬楽(河原三郎、1908-87)、六代目三升家小勝(吉田邦重、1908-1971、右女助の、糀谷の)など、かつてはどちらかというとマイナーで「玄人好み」の落語家が手掛けた噺でした。

二代目桂文朝(田上孝明、1942-2005)、柳家喜多八(林寬史、1949-2016、殿下)などもやっていました。おふたりとも、故人になられているのがじつにもう残念でありますが。

この程度の艶笑噺でも、やはり公ではそのままはやりにくいとみえ、昔からエロ味を消した、当たりさわりのないオチが工夫されています。

たとえば、同じ毛皮を触るやり方でも、女房が亭主のスネ毛を引っ張ったので、後でその連想で思い出したり、熊の皮は尻に敷くものだと言われて初めて「女房がよろしく……」となったり、演者によっていろいろですが、いずれもおもしろくもなんともなく、味も素っ気もありません。

医者と巾着

昔の医者は、往診の際に巾着を薬入れに使ったため、それがオチの「小道具」として用いられるのがいちばん自然ですが、現在では理解されにくくなっています。

隠語では巾着は女性の局部を意味するので、特別な会やお座敷で艶笑噺として演じる場合は当然、オチに直結するわけです。

鉄砲玉の痕をくじるやり方はかなり後発のものらしく、安永年間のどの原話にも見られません。

たばこ入れ、巾着、敷皮と品は変わっても、すべてなめし革ではなく、毛のびっしり付いたものですから触るだけでも十分エロチックで、穴まで出すのは蛇足なばかりか、ほとんどポルノに近い、えげつない演出といえます。



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やすべえぎつね【安兵衛狐】落語演目

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【どんな?】

上方噺。
明治の中頃。
三代目柳家小さんが伝えました。

別題:道灌山 墓見 天神山(上方)

【あらすじ】

六軒長屋があり、四軒と二軒に分かれている。

四軒の方は互いに隣同士で仲がよく、二軒の方に住んでいる「偏屈の源兵衛」と「ぐずの安兵衛」、通称グズ安も仲がいい。

ところが、二つのグループは犬猿の仲。

ある日、四軒の方の連中が、亀戸に萩を見に繰り出そうと相談する。

同じ長屋だし、グズ安と源兵衛にも一応声をかけようと誘いにいくが、グズ安は留守で、源兵衛の家へ。

この男、独り者であだ名の通りのへそ曲がり。

人が黒と言えば白。

案の定、
「萩なんぞ見たってつまらねえ。オレはこれから墓見に行く」
と、にべもない。

四人はあきれて行ってしまう。

源兵衛、本当は墓などおもしろくないが、口に出した以上しかたがないと、瓢の酒をぶら下げて、谷中天王寺の墓地までやってきた。

どうせ墓で一杯やるなら女の墓がいいと「安孟養空信女」と戒名が書かれた塔婆の前で、チビリチビリ。

急に塔婆が倒れ、後ろに回ってみると穴があいている。塔婆で突っ付くと、コツンと音がするので、見ると骨。

気の毒になって、何かの縁と、酒をかけて回向してやった。

その晩。

真夜中に
「ごめんくださいまし」
と女の声。

はておかしい、と出てみると、じつにいい女。

実は昼間のコツで、生前酒好きだったので、昼間あなたがお酒をかけてくれて浮かばれたからご恩返しにきました、と言う。

あとはなりゆきで、源兵衛、能天気にもこの世ならぬ者を女房にした。

この幽霊女房、まめに働くが、夜明けとともにスーッと消えてしまう。

さて、グズ安。

ゆうべ源兵衛の家の前を通ったら、女の酌でご機嫌に一杯やっていたので、翌朝、嫌みを言いに行くと、実はこれこれだという。

ノロケを聞かされ、自分も女房を見つけようと、同じように酒を持って天王寺へ。

なかなか手頃な墓が見当たらず、奥まで行くと、猟師が罠で狐をとったところ。

グズ安、皮をむいちまうと聞いて、かわいそうだと無理に頼み、一円出して狐を逃がしてやる。

その帰り、若い娘が声をかけるので、グズ安はびっくり。

聞いてみると、昔なじみのお里という女の忘れ形見で、おコンと名乗る。

実はこれがさっきの狐の化身。

身寄りがないというので、家に連れていき、女房にした。

騒ぎだしたのが、長屋の四人。

最近、偏屈とグズが揃って女房をもらったのはいいが、片方は昼間見たことがない。もう片方は、口がこうとんがって、言葉のしまいに必ず「コン」。

これはどう見ても魔性の者だと、安兵衛が留守の間に家に押しかける。

「まあ、安兵衛は用足しに出かけたんですよ。コン」

やっぱり変。

思い切って
「あなたはいい女だけど、ひょっとして何かの身では」
と、言いも果てず、狐女房、グルグル回って、引き窓から飛んでいってしまった。

こうなると、亭主の安兵衛も狐じゃねえかと疑わしい。

そこで、近所のグズ安の伯父さんに尋ねるが、耳が遠くていっこうにラチがあかない。

思い切り大きな声で
「あのね、安兵衛さんは来ませんかね」
「なに、安兵衛? 安兵衛はコン」
「あ、伯父さんも狐だ」

【RIZAP COOK】

【しりたい】

志ん生、極めつけの爆笑編  【RIZAP COOK】

上方落語の切りネタ(大ネタ)「天神山」を、三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)が、東京に移植したものです。

前半は「野ざらし」にそっくりで、実際、上方の「天神山」は、「骨つり」(野ざらし)に、「葛の葉子別れ」「保名」の芝居噺を即席に付けたものという、宇井無愁(宮本鉱一郎、1909-92、上方落語研究)の説がありますが、三代目桂米朝(中川清、1925-2015)はこれを否定しています。

先の大戦後は、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)の極めつけ。志ん生がどこからこの噺を仕込んだのかは不明です。

三代目小さんの「墓見」と題した明治40年の速記では最後に登場するのが、安兵衛の父親となっているほかはほぼ志ん生のものと変わらない演出です。

考えてみると、前半と後半がまったく別の話で、全体としてまとまりを欠く噺ですが、さすがに志ん生。

速いテンポとくすぐりにつぐくすぐりの連続で、いささかもダレさせないみごとな手練です。  

現役では、滝川鯉昇ほかが手掛けていますが、まあ、志ん生を超える気遣いはないでしょう。

志ん生が「葛の葉」の題で演じたことがあるという説がありますが、いつごろのことなのかわかりません。

「天神山」はオチが三か所  【RIZAP COOK】

本家・大阪の「天神山」は、桂米朝門下の二代目桂枝雀(前田達、1939-1999)、または三代目笑福亭仁鶴(1937-2021、岡本武士)などが手掛けました。今も多くの噺家が演じています。

舞台は大坂・天王寺門前の安居の天神と、その向かいの一心寺の墓地。

主要キャストの「ヘンチキの源兵衛」の偏屈ぶりは、東京よりはるかに徹底的。

頭は半分伸ばして半分坊主、しびんに酒を入れ、おまるに飯を入れるえげつなさ。

上方は、そのヘンチキがシャレコウベを持ち帰り、夜中に現れた幽霊と夫婦になる段取りです。

オチは、演者がどの部分で切るかによって三通りに分かれます。

まず、東京同様、長屋の者が押しかけて正体がバレ、狐女房が「もうコンコン」と姿を消す部分。

ついで、こちらは東京にはない部分です。

女房に去られた保平(東京の安兵衛)が、障子に書き残された「恋しくば尋ねきてみよ南なる天神山の森の中まで」の歌を見て、狂乱して後を追うくだりで切ります。

ここは、浄瑠璃の『蘆屋道満大内鑑』「保名狂乱」のパロディー仕立ての芝居噺になります。

昔は、このくだりで「保名」の振りで立ち踊りする噺家も多かったとか。

オチは地口で、「蘆屋道満」「葛の葉」をもじり、「貸家道楽大裏長屋、ぐずの嬶ほったらかし」。

最後は「安兵衛狐」と同じ、長屋の者と保平の伯父のトンチンカンな会話で「あ、叔父さんも狐や」でオチ。

江戸名所、亀戸の萩  【RIZAP COOK】

亀戸天神は江東区亀戸3丁目にあります。春は梅、藤、秋は萩の名所としてにぎわいました。

狐釣り  【RIZAP COOK】

罠を仕掛けて狐を捕獲するのを狐釣りともいいました。

皮をはいで胴服、つまり狐皮の下着用に売るわけですが、西洋だとスポーツなのに対し、こちらはれっきとしたお仕事です。

「狐ェ捕ってどうすんです?」
「皮ァむくんだよォ」
「狐が痛がるでしょ」

そんな志ん生のやり取りが笑わせました。

志ん生のくすぐりから  【RIZAP COOK】

(長屋の某がグズ安の伯父さんに)
某「あこら、ほんとに聞こえねえんだ。やいじじい、ひとつなぐってやろうか」
伯「ふふーん、ありがとう」
某「あり……おめえみてえなものはね、あの、もうね、くたばっちゃえ」
伯「そう言ってくれんのはおまいばかりだ」
某「あ、しょうがないよこりゃ……自分で死ね」
伯「あは、それもいいや」

【語の読みと注】
塔婆 とうば
回向 えこう
嬶 かか

【RIZAP COOK】

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さんねんめ【三年目】落語演目

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【どんな?】

逝かれた亭主。

出てこない女房。

しびれ切らした亭主は。

共にわけありで。

別題:茶漬け幽霊(上方)

あらすじ】  

ある夫婦、大変に仲むつまじく暮らしていた。

ある年、かみさんがふとした風邪がもとでどっと床につき、亭主の懸命の看病の甲斐なく、だんだん弱るばかり。

いよいよ今日か明日かという時になって、病人は弱々しい声で
「私が死んだ後、あなたが後添いをおもらいになると思うとそればかりが心残りでございます」
と言う。

「なにを言っている、あたしはおまえに万万が一のことがあっても、決して生涯、再婚などしない」
といくら言っても、
「いえ、あなたは必ず後添いをおもらいになります」
と繰り返すばかり。

あまりしつこいので亭主、
「そんなことはない。決してそんなことはないけれども、もし、あたしが後添いをもらうようなことがあったら、おまえ、婚礼の晩に化けて出ておいで。前妻の幽霊がとりついているようなところに嫁に来るような女はないから、そうすればどうでもあたしは独り身で通さなくてはいけなくなるんだから」
「それでは、八ツの鐘を合図に、きっと」
「ああ、いいとも」

えらいことを約束してしまったが、亭主のその言葉を聞くと、かみさんやっと安心したのか、にわかに苦しみだしたかと思うと、ついにはかなく息は絶えにけり。

泣きの涙でとむらいを出し、初七日、四十九日と過ぎると、そろそろ親類連中がやかましくなってくる。

まだ若いのだし、やもめを通すのは世間の手前よくない、いい人がいるから、ぜひとも再婚しろと、しつこく言われるのを、初めのうちは仏との約束の手前、耳を貸さなかったが、百か日にもなると、とうとう断りきれなくなる。

それはそうで、まさか先妻とこれこれの約束をしたから……などと、ばかなことは言えない。

いよいよ婚礼の晩になり、亭主、幽霊がいつ出るかと、夜も寝ないで待っていたが、八つの鐘はおろか、二日たっても、三日たっても、いっこうに現れないものだから、
「ばかにしてやがる。恨めしいの、とり殺すの、と言ったところで息のあるうちだけだ」

それっきり先妻のことは忘れるともなく忘れ、後妻もそれほど器量が悪いという方ではないから、少しずつなじんでいくうちに、月満ちて玉のような男の子も生まれた。

こうして、いつしか三年目。

子供の寝顔に見入っているうち、ふと先妻のことを思い出している。

と、どこで打ち出すのか、八つの鐘がゴーン。

急にブルブルッと寒気がきたので、これはおかしいと枕元をヒョイと見ると、先妻の幽霊が髪をおどろに振り乱して、恨めしそうにこっちを見ている。

「……あなた、まあ恨めしいお方です。こんな美しい方をおもらいになって、かわいい赤ちゃんまで……お約束が違います」
「じょ、冗談言っちゃいけない。おまえが婚礼の晩に出てくるというから、あたしはずっと待っていたんだ。子供までできた後に恨みを言われちゃ困るじゃないか。なぜもっと早く出てこない」
「それは無理です」
「なぜ?」
「私が死んだ時、坊さんにしたでしょう」
「ああ、親戚中が一剃刀ずつ当てた」
「坊さんでは愛想を尽かされるから、髪の伸びるまで待ってました」

しりたい】  

「原作者」は中興の祖  【RIZAP COOK】

桜川慈悲成さくらがわじひなり(1762-1833)が、享和3年(1803)刊の笑話本『遊子珍学問ゆうしちんがくもん』」中の「孝子経曰、人之畏不可不畏」が原作です。

慈悲成は、本業の落語はもちろん、黄表紙、笑話本、滑稽本の執筆から茶道、絵画、狂歌と多芸多才、江戸のマルチタレントとして活躍した人でした。

これは、やもめ男が昼飯を食っていると、ドロドロと死んだ女房が現れたので、幽霊ならなぜ夜出てこないととがめると、「だってえ、夜は怖いんだもん」というオチ。

上方で演じられる「茶漬け幽霊」は、「昼飯中」が「茶漬け中」に変わっただけで、大筋とオチは同じです。

「髪がのびるまで待っていた」は、「夜は怖い」の前の幽霊の言い訳で、東京の「三年目」は、ここで切っているわけです。

三年目とは  【RIZAP COOK】

今でいう三周忌(三回忌)です。

『十王経』という仏教の啓蒙書に、七七忌(四十九日)、百カ日、一周忌など忌日、法事の規定があるのが始まりです。

坊さんにする  【RIZAP COOK】

江戸時代までは、髪剃こうぞりといいました。

男女を問わず、納棺の直前にお坊さんに剃髪ていはつしてもらう習慣がありました。

東は悲話、西はドライ  【RIZAP COOK】

東京の「三年目」では、亭主は約束を守りたかったのに、周囲の圧力でやむなく再婚する設定です。

それだけに先妻に未練があり、オチでも「すれ違い」の悲劇が色濃く出ます。

これに対し、上方の「茶漬け幽霊」は、男は女房のことなど小気味いいほどきれいに忘れ、すぐに新しい女とやりたい放題。薄情でドライです。

幽霊が出るのが「茶漬け中」というのもふざけていますし、オチも逆転の発想で笑わせ、こっけい噺の要素が強くなっています。

バレ噺「二本指」  【RIZAP COOK】

類話に「二本指」という艶笑小咄があります。

れぬいたかみさんがあの世に行き、ある夜化けて出てきて、「あたしが死んだから、おまえさんが浮気でもしてやしないかと思うと、心配で浮かばれないよ」と愚痴ぐちを言います。あんまりしつこいので、めんどうくさくなった亭主、そんなに信用できないならと、自分の道具をスパッと切って渡しますが、翌晩また現れて、「あと、右手の指が二本ほしい」

二代目露の五郎兵衛(明田川一郎、1932-2009)が「指は知っていた」の題で演じました。逸物をチョン切るときの表情が抱腹絶倒です。

円生、志ん生のくすぐり  【RIZAP COOK】

●円生

(マクラで、幽霊を田舎言葉で)「恨めしいぞォ……おらァはァ、恨めしいで、てっこにおえねえだから……生き変わり死に変わり、恨みを晴らさでおかねえで、このけつめど野郎」

土左衛門になると、男は下向き、女は上向きで流れてくる。この間横になって流れてきたので、聞いてみたらゲイボーイ。

●志ん生

(亭主が幽霊に)「そんなわけのわからねえ、ムク犬のケツにのみがへえったようなことを言ったって、もうダメだよ」

いやあ、この二人が戦後では「三年目」の双璧でした。

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【RIZAP COOK】

たらちね【垂乳根】落語演目

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【どんな?】

上方由来のおとしばなしの代表格。笑っちゃいますね。

別題:延陽伯(上方)

【あらすじ】

長屋でただ一人の独り者の八五郎のところに、大家が縁談を持ちかけてきた。 年は十九で、近所の医者の姪だという。 器量は十人並み以上、夏冬の着物もそろえているという、まことに結構な話。 結構すぎて眉唾なくらい。 「そんな女が、あっしのような男のところへ来るわけがない。なんか、疵でもあるんじゃないですか」 「ないと言いたいが、たった一つだけある」 もとは京の名家の出で、言葉が女房言葉。 馬鹿丁寧すぎてまるきりわからないという。 この間も、目に小石が入った時「ケサハドフウハゲシュウシテ、ショウシャガンニュウス」つまり「今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入す」と、のたもうたそうな。 そんなことはなんでもないと八五郎が承諾したので、その日のうちに祝言となった。 なるほど美人なので、八五郎は大喜びだが、いざ話す段になると、これが相当なもの。 名を聞くと 「そも我が父は京都の産にして姓は安藤名は慶三あざなを五光、母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴の夢を見てはらめるがゆえに、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしがそれは幼名、成長の後これを改め清女と申しはべるなぁりいー」 「ナアムミョウ、チーン、ご親類の方からご焼香を」 これではかみ合わない。 ネギが一文字草、米はしらげと、通訳がいるくらい。 朝起きれば起きたで 「アーラ、わが君、しらげのありかはいずこなりや」 頼むから、そのアーラワガキミてえのはやめてくれと言っているところへ、葱屋がやって来た。 「こーれ、門前に市をなすあきんど、一文字草を朝げのため買い求めるゆえ、門の敷居に控えておれ」 「へへへー」 ようやく味噌汁ができたが、 「アーラわが君。日も東天に出御ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るべう存じたてまつる、恐惶謹言」 「飯を食うのが恐惶謹言なら、酒ならよって(=酔って)くだんの如しか」

【しりたい】

女房言葉

宮中の女官が用いた言葉です。 代表的な女房言葉には、 かもじ =髪 いしいし =団子 おすもじ =寿司 あも =餅 うちまき =米 あか =小豆 こもじ =鯉 しゃもじ =杓子 ごふじょう(御不浄) =便所 おみおつけ(御御御つけ) =味噌汁 などがあります。 「しゃもじ」「おみおつけ」などは、すでにわれわれの日常語になってしまっているかんじですね。

たらちね

垂乳根と書き、「母」に掛かる枕詞です。父の枕詞は「たらちを(垂乳男)」です。

東西の演出

大阪の「延陽伯」が東京に移されたものです。 大阪では、女は武家娘という設定なので、漢語をやたらに使いますが、東京では京女ということで、女房ことばや京ことばを使うことになっています。

「せんにせんだんにあって」

明治27年(1884)4月の「百花園」誌上に掲載された四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)の速記では、女の珍言葉の部分がさらに長く、「天は梵天地は奈落比翼連理とどこまでも……」などとあります。 まったく解読不能なのが、「せんにせんだんにあって是を学ばざれば 金たらんと欲す」(原文通り、ふつうは「賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」とやるところ) というフレーズです。 「落ちこぼれ古典教師」さんが「正解」案を提供してくださいました。深謝。

続編「つる女」

大阪では、「つる女」という「たらちね」の後日談があります。 今はもう、誰も演じ手はないようですが。 なかなか言葉が普通にならない細君が、大家の夫婦喧嘩の仲裁に入り、「御内儀には白髪秋風になびかせたまう御身にて、嫉妬に狂乱したまうは、省みて恥ずかしゅうは思し召されずや。早々にお静まりあってしかるべく存じたてまつる」とケムに巻き、火を消します。 「どないして急にピタリと治まったんやろ?」 「つる(鶴女=東京の清女)の一声」

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