【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【前座】2019年2月、三遊亭遊吉に、三遊亭美よしで
【二ツ目】2023年3月
【真打ち】
【出囃子】ガイ・イズ・ア・ガイ(江利チエミ)
【定紋】
【本名】村田みゆき
【生年月日】1995年5月10日
【出身地】富山県高岡市
【学歴】近畿大学文芸学部英語コミュニケーション学科
【血液型】O型
【ネタ】
【出典】公式 落語芸術協会 Wiki
【蛇足】趣味は筋トレ、クロスフィット、ヨガ(RYT200取得)、神保町散策。主な職歴はスイミングインストラクター(3-15歳対象)、パティシエ(4年間)、パン屋(生地こね係)、歯科助手
タグ: 三遊亭
ごんべえだぬき【権兵衛狸】落語演目
【どんな?】
狸が人を化かす噺。
さほどおもしろいとは思えないのですが、名人がこぞってやってます。
別題:とんとん権兵衛(上方) 化け物
【あらすじ】
権兵衛という、渡し守を兼ねているお百姓。
夜になると寝酒を一杯飲んで寝るだけが何よりの楽しみという、慎ましい暮らしをしている。
最近、毎晩決まってトントンと戸をたたく音がし、
「権兵衛、権兵衛」
と呼ぶ声がするので、外に出てみると誰もいない。
おおかた、狸のいたずらだろうと見当がついたが、これがあまり続くため、権兵衛、だんだん腹が立ってきた。
「野郎、明日の晩来てみやがれ。ひどい目に逢わしてやる」
刻限を見計い、戸の陰に立って見張っているのだが、なかなかどうして、捕まらない。
狸はますます調子に乗ったのか、三日目の晩も四日目の晩も相変わらず、
「トントン、トントン、権兵衛、権兵衛」
ある晩、来たなと思って戸口で出し抜けに
「なんだァ?」
と返事をして急にガラリと戸を開けると、不意を食らった狸はびっくりして家の中に転がり込み、目を回した。
権兵衛は狸を細引きでグルグル巻にふん縛って土間に転がしておく。
「さあ、どうしてくれべえか」
といろいろ考えたが、狸汁にして食ってみたところで、あまりうまいとは思えない。
それよりも、二度とこんな悪さをする気を起こさないように、こらしめて放してやることにして、仲間に手伝ってもらい、剃刀で狸の頭を寄ってたかってくりくり坊主にした上で追い払う。
さすがに、これにはこたえたと見え、それから八日ほどはやってこない。
ヤレヤレと安心していると、九日目の晩、
「トントントン、権兵衛さん」
「野郎、また来やがって。今度はさん付けだ。たぶらかそうったって、そうは問屋がおろさねえだぞ。この間のように痛い目にあいてえか」
外で狸が、
「もう決していたずらはしないからちょっと開けてください」
と、いやにしおらしく頼むので、権兵衛、しかたなしに戸をガラリと開けた。
「何の用だ」
「ええ、先日はまことにどうも」
「あんだ、まだ不服があるだか」
「春先でのぼせていけませんから、すいませんが、もういっぺん剃ってくださいな」
【しりたい】
大看板が好んで競演
あまりおもしろい噺とも思えませんが、明治の昔には四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)、初代三遊亭円左(小泉熊山、1853-1909、狸の)、四代目橘家円蔵(松本栄吉、1864-1922、品川の)など、円朝門下の錚々たる名人連が手掛けました。
昭和以後も、円蔵直伝の六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)ほか、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)、八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、彦六)、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)から七代目立川談志(松岡克由、1935-2011)にいたるまで、名だたる大看板はほとんどレパートリーに入れています。
四代目円喬の「化物」
明治の四代目橘家円喬は「化け物」と題し、「権兵衛狸」の後に、狐が人を化かす小ばなしを付け、オムニバスで演じた速記を残しています。
そのあらすじは……。
浅茅ヶ原(台東区石浜二、三丁目にあった原野)に悪狐が出没し、いきなり金玉を蹴飛ばして悶絶させ、食物を奪うので、馬方の九郎兵衛が退治しようと見張っていると、狐が現れて馬糞の団子をこしらえ、近所の娘に化けて九郎兵衛の家に行く。かみさんがころりとだまされたので、あわてて戻った九郎兵衛が、それは馬糞だと言おうとしたとたんに、金玉を蹴られる。気がつけば蹴ったのは自分の馬、のぞいていた家の戸の節穴は馬の尻の穴。
「権兵衛狸」そのものが小ばなしとして扱われていたのがわかります。
権兵衛
地方出身者の代名詞ですが、『江戸語の辞典』(前田勇編、講談社学術文庫)に、「男女児の生後七日に産髪を全部剃り落とし、盆窪のみに剃り残した毛髪」とあります。
狸がクリクリ坊主にされることと掛けて、演題が付けられたものと思われます。
オチ
「髭もついでにあたってくんねえ」と、狸が伝法に言うやり方もあります。
これだと、タヌ公の「性格」が変わり、すご味が出ますね。
さんゆうていさゆう【三遊亭左遊】噺家
【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【前座】1969年4月、三代目三遊亭遊三に遊ぼうで
【二ツ目】1973年9月、松遊三で
【真打ち】1984年4月、二代目三遊亭左遊を襲名して
【出囃子】操三番叟
【定紋】高崎扇
【本名】佐藤喜八郎
【生没年月日】1953年9月28日-2022年11月15日 心不全のため 享年70
【出身地】横浜市
【学歴】
【血液型】
【出典】三遊亭左遊 三遊亭左遊Wiki
【蛇足】得意演目は「黄金の大黒」「釜泥」「二人旅」「鼠」など。寄席出演は平成29年(2017)2月5日、浅草演芸ホールの高座が最後の高座での「薮医者」が最後でした。持病の悪化のため、これ以降は「会友」として高座を控えていました。
さんゆうていえんらく【三遊亭円楽】噺家
【芸種】落語
【所属】五代目円楽一門会
【入門】1970年4月、五代目三遊亭円楽(吉河寛海、1932-2009)に
【前座】1972年3月、楽太郎で
【二ツ目】1976年7月
【真打ち】1981年3月。2010年3月、六代目円楽。2017年6月、落語芸術協会に客員として入会
【出囃子】元禄花見踊り
【定紋】三ツ組
【本名】會泰通
【生没年月日】1950年2月8日-2022年9月30日
【出身地】東京都墨田区
【学歴】青山学院大学法学部
【血液型】A型
【出典】五代目円楽一門会HP 三遊亭円楽Wiki
【蛇足】五代目円楽一門会幹事長 息子は三遊亭一太郎
金翁、逝く
三遊亭金翁師匠が、令和4年(2022)8月27日未明、お亡くなりになりました。93歳でした。
金翁師匠は、昭和4年(1929)、東京の生まれ。本名は松本龍典。両親が深川森下町で安価な洋食店をいとなんでいたそうです。昭和16年(1941)7月、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、本所生まれ、1894-1964)に入門しました。山遊亭金時の名で、12歳でした。太平洋戦争が始まる5か月前のこと。戦前の入門だったとは、びっくりです。
昭和20年(1945)に小金馬で二ツ目となり、33年(1958)には真打ちに。三代目没後、42年(1967)には四代目金馬を襲名。令和2年(2020)からは名跡を次男に譲り、二代目金翁を名乗っていました。
この人と言ったら、ゼッタイ忘れられないのが「お笑い三人組」です。
このテレビ番組がNHKで始まったのは昭和31年(1956)年なんだそうですが、私が覚えているのは、毎週火曜日20時-20時30分の時間帯での時期です。それは38年(1963)から39年(1964)3月までで、ちょうど東京五輪が始まる頃の、日本全体が勢いと張りで輝いていた時代でした。
「お笑い三人組」が放送される時間帯の前後が、これまたすごかった。前の19時30分-20時に「ジェスチャー」が、後の20時30分-21時30分に「事件記者」が。
どれも、ものすごい人気番組です。これら3つの番組を通して見るのが、その夜のまっとうなおつとめだったような心持ちでした。
家族みんながテレビの前で大笑い。日本中が笑ってたかんじ。そんな時代でした。
「お笑い三人組」は生放送だったそうです。「あまから横丁」という架空の街角が舞台の、町内もの人情劇です。
満腹ホールというラーメン店の金ちゃんが小金馬、ニコニコクレジット社員の正ちゃんが講談の一龍斎貞鳳、クリーニング店の八ちゃんが物まねの三代目江戸家猫八。
三人が中心に繰り広げる、笑いと涙の舞台劇場だったのでした。
「お笑い三人組」と言ったら、金馬じゃなくて小金馬と、今でも記憶している日本人は少なくないのではないでしょうか。

円蔵じゃなくて円鏡、円歌じゃなくて歌奴、というのと同じですね。
この「お笑い三人組」、もとはといえば、日本テレビが企画を立てていたところ、NHKに持っていかれたんだとか。
当時はそんなことがよくあったそうなのです。永六輔が言っていました。テレビ草創期のNHKは、野心的だったのですね。
そもそもの話。
昭和28年(1953)、日本テレビ開局記念番組の放送中、どうしたわけかトラブルがあって、小金馬、歌奴(四代目三遊亭円歌)、貞鳳、猫八の4人が、即興でプロレスコントを演じることになり、なぜかそれが爆発的な人気を得たそうです。
それを見ていた日本テレビ社長の正力松太郎が、4人を使ってレギュラー番組をつくるようにと、社員に命じたんだそうです。
残念ながら、歌奴は「山のあなあな」で売れっ子になってしまい、すぐに抜けてしまいました。
残る3人はNHKに移されて、そこで「お笑い三人組」を演じることに。売れてなかった三人は、あれよあれよの急上昇に夢心地。
お茶の間の人気をがっちりつかまえたのでした。
金馬師匠とテレビと言ったら、じつはほかにもあるのです。
「ミスター・エド」という米国ドラマ。

その日本語吹き替えにも出ていたのです。フジテレビ系では、昭和37年(1962)から39年(1964)まで。
エドという名の馬が、飼い主(アラン・ヤング、吹き替えは柳澤愼一さん)とだけおしゃべりする、というもの。
その会話を聴けるのはお茶の間の視聴者だけ、というお得感もりもりのドラマでした。
飼い主のお悩みを馬が聞いてあげて、適切な解決策を飼い主に導く、というものすごい筋立てです。
金馬師匠はエドくんの声を演じていました。金馬が馬を演じて、その名もエドとは。江戸落語家にはぴったり。
人のことばをしゃべる馬が登場するのは、どこか鹿野武左衛門にも似ていて、落語とゆかりあり過ぎの設定です。
なんとも、奇妙で不思議な米ドラでした。

それと、もうひとつ。
国立演芸場が設立したこと。国立演芸場ができたのは、じつは、金馬師匠や一龍斎貞鳳先生たちが頑張ったからなのだそうです。
貞鳳先生は一期ながらも参院議員となって、三木武夫内閣や福田赳夫内閣の政務次官を務めました。
ちょうどその頃、国立演芸場が三宅坂に建設されることが決まったのです。演芸界には快挙、というよりも椿事でした。
今泉正二参院議員(一龍斎貞鳳先生の本名)の執務室で、金馬師匠が親し気に「ショウちゃーん」と呼んだら、「なんだ、ショウちゃんとは。先生と呼べ」と一喝されたんだとか。講談も先生、政治家も先生、同じ先生なのにね。
当時の三宅坂は陸の孤島でした。あんなへんぴなところに演芸場ができても、不便でしかありません。今もまだ不便かも。それでも、実現できたのは、先生のお力のたまものでしょう。
と、こんな内輪の話は『金馬のいななき 噺家生活六十五年』(朝日新聞出版、2006年3月)に載っていました。これを機に文庫化してほしいものです。中公文庫あたりで、ぜひ。
ヘタを演じる金馬師匠の住吉踊りも、今はただ懐かしく。見ているだけで楽しくなる、明るい芸風でした。
ご冥福をお祈りいたします。
(2022年8月28日、古木優)
さんゆうていえいらく【三遊亭栄楽】噺家
さんゆうていうたじ【三遊亭歌司】噺家
かわやなぎせんりゅう【川柳川柳】噺家
さんゆうていきんおう【三遊亭金翁】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)に入門
【前座】1941年7月、三代目山遊亭金時で
【二ツ目】1945年8月、三遊亭小金馬で
【真打ち】1958年3月。67年、四代目三遊亭金馬。2020年9月、二代目三遊亭金翁
【出囃子】本調子かっこ
【定紋】中陰に鬼蔦
【本名】松本龍典
【生没年月日】1929年3月19日-2022年8月27日 93歳
【出身地】東京都世田谷区
【学歴】深川区立八名川尋常小学校(江東区立八名川小学校)
【血液型】A型
【持ちネタ】阿武松 芝浜 親子酒 藪入り 試し酒 茶金 御神酒徳利 長短 子なさせ地蔵 文七元結 ねぎまの殿様 鼠穴
【出典】落語協会HP 三遊亭金翁Wiki
【蛇足】落語協会最高顧問、日本演芸家連合名誉会長。息子は五代目三遊亭金馬、孫はホンキートンク。
さんゆうていえいば【三遊亭栄馬】噺家
【芸種】落語
【所属】落語芸術協会
【前座】1967年9月、四代目三遊亭小円馬(森山清、1925-99)に三遊亭栄馬で
【二ツ目】1971年9月
【真打ち】1981年4月
【出囃子】越後獅子中程
【定紋】高崎扇
【本名】足立建比古
【生年月日】1944年9月7日-2021年9月27日 急性心筋梗塞 77歳
【出身地】大分県臼杵市
【学歴】大分県立臼杵高校
【血液型】O型
【出典】三遊亭栄馬Wiki
【蛇足】絵手紙
さんゆうていりゅうらく【三遊亭竜楽】噺家
さんゆうていうたむさし【三遊亭歌武蔵】噺家
さんゆうていらんじょう【三遊亭らん丈】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】1981年4月、二代目三遊亭円丈(大角弘、1944-2021)に
【前座】1982年2月、三遊亭丈々寺
【二ツ目】1986年9月、三遊亭乱丈
【真打ち】1996年3月、三遊亭らん丈
【出囃子】鳩ぽっぽ
【定紋】三ツ組橘
【本名】小野寺明
【生年月日】1959年2月28日
【出身地】東京都町田市
【学歴】東京都立町田高校→1981年3月、立教大学文学部キリスト教学科(神学士)→2002年3月、立教大学経済学部経済学科(学士(経済学))→07年3月、早稲田大学社会科学部社会科学科(学士(社会科学))→2009年3月、早稲田大学大学院社会科学研究科政策科学論専攻修士課程(修士(学術))→11年3月、早稲田大学大学院法学研究科民事法学専攻修士課程(修士)→13年3月、一橋大学国際・公共政策大学院国際・公共政策専攻専門職学位課程(国際・行政修士(専門職))→18年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻公共政策専修コース(修了証(公共政策))
【血液型】A型
【ネタ】
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】206年3月、町田市議当選、現在4選。趣味は
さんゆうていそうり【三遊亭窓里】噺家
さんゆうていわかえんか【三遊亭若圓歌】噺家
さんゆうていかるた【三遊亭歌る多】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【前座】1981年9月、三代目三遊亭円歌(中澤信夫、1932-2017)に、三遊亭歌代で
【二ツ目】1987年5月、三遊亭歌る多
【真打ち】1993年3月
【出囃子】正月娘
【定紋】片喰
【本名】金井ひとみ
【生年月日】1962年10月9日
【出身地】東京都荒川区南千住
【学歴】松戸市立小金中学校→國學院高校→國學院大学経済学部中退
【血液型】O型
【ネタ】宗論 西行 替わり目 など
【出典】公式 落語協会 Wiki
【蛇足】落語協会理事。趣味はダイエット、スキー、ウォーキング、ケーキ作り、料理、海外旅行(特にアジア)、韓流時代劇DVD観賞。著書に『噺家の小言指南』(日東書院)。
さんゆうていえんか【三遊亭円歌】噺家
さんゆうていうたひこ【三遊亭歌彦】噺家
さんゆうていぐんま【三遊亭ぐんま】噺家
さんゆうていあいば【三遊亭藍馬】噺家
さんゆうていさいだい【三遊亭彩大】噺家
さんゆうていえんそう【三遊亭圓窓】噺家
【芸種】落語
【所属】落語協会
【入門】八代目春風亭柳枝(島田勝巳、1905-1959)に入門
【前座】1959年3月、枝女吉で。59年10月、柳枝死去に伴い、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79)門下、三遊亭吉生で
【二ツ目】1962年11月
【真打ち】1969年3月、六代目三遊亭円窓。78年6月、円生に従い落語協会を脱会。円生没後の80年2月1日、落語協会に復帰
【出囃子】新曲浦島
【定紋】三ツ組橘
【本名】橋本八郎
【生没年月日】1940年10月3日-2022年9月15日 心不全
【出身地】東京都江東区(当時は深川区)深川生まれ、豊島区育ち
【学歴】東京都立文京高校
【血液型】B型
【持ちネタ】五百噺
【出典】三遊亭圓窓HP 落語協会HP 三遊亭圓窓Wiki 圓窓五百噺全集
【蛇足】落語協会相談役。息子は三遊亭窓輝。1970年6月21日から77年8月21日まで「笑点」の大喜利レギュラー。色紋付きはピンクだったにもかかわらず、地味でした。後任は三笑亭夢之助(佐藤信夫、1949-、2019廃業)。78年6月の落語協会分裂騒動で円生らと脱会。80年2月1日、落語協会に復帰。五百噺は2001年、名古屋市東区の含笑寺(曹洞宗)で完了。仏教知識に造詣の深い人でした。七代目三遊亭円生の襲名にに名乗りを上げましたが、2015年には取り下げました。。著書多数ながら、最初の作品『ふてくされ人生学―古典的生き方のすすめ』(社会思想社現代教養文庫、1972年)が秀逸でした。
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