Categories: 落語演目

【金明竹】

きんめいちく

珍品が吹き寄せ

【どんな?】

骨董を題材にした前座噺。
小気味いい言い立てが聴きどころです。
耳に楽しい一席。

別題:長口上 骨皮 夕立 与太郎

★★

成城石井

【あらすじ】

骨董屋こっとうやのおじさんに世話になっている与太郎よたろう

少々頭にかすみがかかっているので、それがおじさんの悩みのタネ。

今日も今日とて、店番をさせれば、雨宿りに軒先を借りにきた、どこの誰とも知れない男に、新品のじゃ傘を貸してしまって、それっきり。

おじさんは
「そういう時は、傘はみんな使い尽くして、バラバラになって使いものにならないから、き付けにするので物置ものおきへ放り込んであると断るんだ」
しかった。

すると、ねずみが暴れて困るので、猫を借りに来た人に
「猫は使いものになりませんから、焚き付けに……」
とやった。

「ばか野郎、猫なら『さかりがついてとんと家に帰らなかったが、久しぶりに戻ったと思ったら、腹をくだして、粗相そそうがあってはならないから、またたびをめさして寝かしてある』と言うんだ」

おじさんがそう教える。

おじさんに目利めききを頼んできた客に、与太郎は、
「家にも旦那が一匹いましたが、さかりがついて……」

こんな調子で、小言ばかり。

次に来たのは上方者かみがたものらしい男だが、なにを言っているのかさっぱりわからない。

「わて、中橋なかばし加賀屋佐吉かがやさきち方から参じました。先度せんど、仲買いの弥市やいちの取り次ぎました道具七品どうぐななしなのうち、祐乗ゆうじょう宗乗そうじょう光乗こうじょう三作の三所物みところもの、並びに備前長船びぜんおさふね則光のりみつ四分一しぶいちごしらえ横谷宗珉よこやそうみん小柄こつか付きの脇差わきざし柄前つかまえはな、旦那はんが鉄刀木たがやさんやといやはって、やっぱりありゃ埋もれ木じゃそうにな、木が違うておりまっさかいなあ、念のため、ちょっとお断り申します。自在じざいは、黄檗山おうばくさん金明竹きんめいちく寸胴ずんどうの花いけには遠州宗甫えんしゅうそうほめいが入っております。織部おりべ香合こうごう、のんこの茶碗ちゃわん古池ふるいけかわずとびこむ水の音、と申します。あれは、風羅坊正筆ふうらぼうしょうひつの掛け物で、沢庵たくあん木庵もくあん隠元禅師いんげんぜんじ貼り交ぜの小屏風こびょうぶ、あの屏風びょうぶはなあ、もし、わての旦那の檀那寺だんなでらが、兵庫ひょうごにおましてな、この兵庫ひょうご坊主ぼうずの好みまする屏風びょうぶじゃによって、表具ひょうぐへやって兵庫ひょうご坊主ぼうず屏風びょうぶにいたしますと、かようにおことづけを願います」
「わーい、よくしゃべるなあ。もういっぺん言ってみろ」

与太郎になぶられ、三べん繰り返されて、男はしゃべり疲れて帰ってしまう。

おばさんも聞いたが、やっぱりわからない。
おじさんが帰ってきたが、わからない人間に報告されても、よけいわからない。

「仲買いの弥市が気がふれて、遊女ゆうじょ孝女こうじょで、掃除そうじが好きで、千ゾや万ゾと遊んで、しまいに寸胴斬ずんどぎりにしちゃったんです。小遣いがないから捕まらなくて、隠元豆いんげんまめ沢庵たくあんばっかり食べて、いくら食べてものんこのしゃあ。それで備前びぜんの国に親船おやふねで行こうとしたら、兵庫ひょうごへ着いちゃって、そこに坊さんがいて、周りに屏風びょうぶを立てまわして、中で坊さんと寝たんです」
「さっぱりわからねえ。どこか一か所でも、はっきり覚えてねえのか」
「たしかか、古池に飛び込んだとか」
「早く言いなさい。あいつに道具七品が預けてあるんだが、買ってったか」
「いいえ、買わず(蛙)です」

成城石井

【しりたい】

ネタ本は狂言  

前後半で出典が異なり、前半の笠を借りに来る部分は、狂言「骨皮」をもとに、初代石井宗叔(?-1803)が小咄「夕立」としてまとめたものをさらに改変したとみられます。

類話に享和2年(1802)刊の十返舎一九作「臍くり金」中の「無心の断り」があり、現行にそっくりなので、これが落語の直接の祖形でしょう。

一九はこれを、おなじみ野次喜多の『続膝栗毛』にも取り入れています。

「夕立」との関係は、「夕立」が著者没後の天保10年(1839)の出版(『古今秀句落し噺』に収録)なので、どちらがパクリなのかはわかりません。

後半の珍口上は、初代林屋正蔵はやしやしょうぞう(1781-1842)が天保てんぽう5年(1834)刊の自作落語集『百歌撰ひゃっかせん』中に入れた「阿呆あほう口上こうじょうナ」が原話。

これは与太郎が笑太郎しょうたろうとなっているほかは弥市の口上の文句、「買わず」のオチともまったく同じです。

前半はすでに文化4年(1807)刊の落語ネタ帳『滑稽集』(喜久亭寿曉きくていじゅぎょう)に「ひん僧」の題で載っているので、江戸落語としてはもっとも古いものの一つです。

前後を合わせて「金明竹」として一席にまとめられたのは、明治時代になってからと思われます。

「骨皮」のあらすじ

シテが新発意しんぼち(出家したての僧)で、ワキが住職。

檀家の者が寺に笠を借りに来るので、新発意が貸してやり、住職に報告したところ、ケチな住職が「辻風で骨皮バラバラになって貸せないと断れ」と叱る。次に馬を借りに来た者に笠の口上で断ると、住職は「バカめ。駄狂い(発情による乱馬)したと断れ」。今度はお経を頼みに来た者に、「住職は駄狂い」と断った。聞いた住職が怒り、新発意が「お師匠さまが門前の女とナニしているのは『駄狂い』だ」と口答えして、大ゲンカになる筋立て。

ボタンの掛け違いの珍問答は、民話の「一つ覚え」にヒントを得たとか。

「夕立」のあらすじ

主人公(与太郎)は権助、ワキが隠居。笠、猫と借りに来るくだりは現行と同じです。

三人目が隠居を呼びに来ると、「隠居は一匹いますが、糞の始末が悪いので貸せない」。隠居が怒って「疝気が起こって行けないと言え」と教えると次に蚊いぶしに使う火鉢を借りに来たのにそれを言い、どこの国に疝気で動けない火鉢があると、また隠居が叱ると権助が居直って「きんたま火鉢というから、疝気も起こるべえ」

石井宗叔いしいそうしゅくは医者、幇間、落語家を兼ねる「おたいこ医者」で、長噺の祖といわれる人。

東京に逆輸入

この噺、前半の「骨皮ほねかわ」の部分は、純粋な江戸落語のはずながらなぜか幕末には演じられなくなっていて、かえって上方でよく口演されました。

明治になってそれがまた東京に逆輸入され、後半の口上の部分が付いてからは、四代目橘家円喬えんきょう(柴田清五郎、1865-1912)、さらに三代目三遊亭円馬(橋本卯三郎、1882-1945、大阪→東京)が得意にしました。

円喬は特に弥市の京都弁がうまく、同じ口上を三回リピートするのに、三度とも並べる道具の順序を変えて演じたと、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)が語っています。

代表的な前座の口慣らしのための噺として定着していますが、先の大戦後は、五代目古今亭志ん生(美濃部孝蔵、1890-1973)、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900.9.3-79.9.3、柏木の)、三代目三遊亭金馬(加藤専太郎、1894-1964)、八代目春風亭柳枝(島田勝巳、1905-59)、十代目柳家小三治(郡山剛蔵、1939.12.17-2021.10.7)など、多数の大看板が手がけました。

現在でも多くの噺家が手掛けます。三遊亭小遊三なども。すっとぼけた物言いがおかしみを増幅させます。

なかでも金馬は、昭和初期から先の大戦後しばらくまで、流麗な話術で「居酒屋」と並び十八番としました。CDは三巨匠それぞれ残っています。

口上の舌の回転のなめらかさでは金馬がピカ一だったでしょう。

ヘンな関西弁の志ん生は、前半部分を再び独立させて演じ、後半はカットしていました。

言い立ての中身

この噺の言い立て、要は道具七品を説明しているのです。整理してみましょう。

その1 備前長船則光の脇差
脇差とは一般的な日本刀よりも短い刀剣。後藤祐乗(1440-1512、初代)、後藤宗乗(1461-1538、二代)、後藤光乗(1529-1620、四代)は後藤家の金工。後藤は金細工の流派。三所物とは、刀の柄の目貫、小柄、笄の三品で、備前長船の柄のこしらえ(飾り)。目貫は柄の中央の表裏に据えられた小さな金具。小柄は刀の鞘に付けられた細工用の小刀。笄は刀の差表に挿しておき、髪をなでつけるのに用いるもの。拵えとは刀の外装。横谷宗珉の四分一分(銀と銅の合金、その割合で、灰黒色の金物)とは小柄の拵のこと。柄前とは刀の柄、刀の柄の体裁、柄のつくりをさします。柄前は鉄刀木ではなく埋もれ木。埋もれ木とは地層中に埋もれて化石ようになった樹木。ここでは、三所物と脇差で一品と数えているようです。

その2 金明竹の自在鉤
自在鉤じざいかぎとは、囲炉裏いろりの上にぶら下がっている金属製の鉤をつなげた竹のこと。金明竹とは、マダケの栽培品種。かん(茎のこと)、枝は黄色を帯び、緑条が入ります。竹の皮は黄色。別名は、しまだけ、ひょんちく、あおきたけ、きんぎんちく、べっこうちく。

その3 金明竹の花いけ
金明竹を寸胴に切った素朴な花いけ。寸胴は上から下まで同じように太いこと。遠州宗甫は小堀遠州のこと。小堀遠州(1579-1647)は茶人。宗甫の銘(器物に刻み記した作者の名前)が入った花いけですが、華道遠州という生花の流派があります。小堀遠州を祖と仰いでいます。これとは別に、茶道には遠州流という流派があります。

その4 織部の香合
織部は古田織部(1544-1614)。武将で茶人。利休七哲の一人です。織部が作った香合。香合とは茶道で香を入れる蓋付き容器です。

その5 のんこの茶碗
のんことは、楽焼らくやき本家の三代目楽吉左衛門家当主の楽道入らくどうにゅう(1599-1656)の俗称。ここでは、道入の作った楽焼茶碗のことです。

その6 松尾芭蕉の掛け軸
風羅坊とは松尾芭蕉(1644-94)の坊号。正筆は真筆。芭蕉が書いた掛け軸ということですね。

その7 沢庵、木庵、隠元禅師貼り交ぜの小屏風
三人の僧侶がそれぞれに記した書を、ひとつの屏風に貼り合わせたもの。貼り交ぜの常識では、隠元隆琦いんげんりゅうき(1592-1673)、木庵性瑫もくあんしょうとう(1611-84)、即非如一そくひじょいつ(1616-1671)の三人が一般的で、これは煎茶に用いる道具です。三者とも黄檗宗の高僧です。沢庵宗澎たくあんそうほう(1573-1646)のは抹茶に用いるもの。ですから、沢庵、木庵、隠元の貼り交ぜはありません。こういうところは落語的ですね。

祐乗

後藤祐乗ごとうゆうじょう(1440-1512)は室町時代の装剣彫刻の名工です。足利義政あしかがよしまさ庇護ひごを受け、特に目貫めぬきにすぐれた作品が多く残っています。

後藤光乗ごとうこうじょう(1529-1620)はその曽孫そうそんで、やはり名工として織田信長に仕えました。

長船

長船おさふねは鎌倉時代の備前国びぜんのくに(岡山県)の刀工・長船氏。備前派、長船派といわれる刀工グループです。

祖の光忠みつただは鎌倉時代の人。子の長光ながみつ(1274-1304)、弟子の則光のりみつなど、代々名工を生みました。

宗珉 

横谷宗珉よこやそうみん(1670-1733)は江戸時代中期の金工きんこうで、絵画風彫金ちょうきんの考案者。

小柄こつか獅子牡丹ししぼたんなどの絵彫りを得意にしました。

金明竹

中国福建省ふっけんしょう原産の黄金色の名竹です。

福建省の黄檗山万福寺おうばくさんまんぷくじから日本に渡来し、黄檗宗おうばくしゅうの開祖となった隠元隆琦いんげんりゅうき(1592-1673)が、来日して宇治に同名の寺を建てたとき、この竹を移植し、それが全国に広まりました。

観賞用、または筆軸、煙管きせる羅宇らおなどの細工に用います。隠元には多数の工匠が同行し、彫刻を始め日本美術に大きな影響を与えましたが、金明竹を使った彫刻もその一つです。

漱石がヒントに?

『吾輩は猫である』の中で、二絃琴にげんきんの師匠の飼い猫・三毛子みけこの珍セリフとして書かれている「天璋院てんしょういん様の御祐筆ごゆうひつの妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘」。

これは、落語マニアで三代目柳家小さん(豊島銀之助、1857-1930)や初代三遊亭円遊(竹内金太郎、1850-1907、鼻の、実は三代目)がひいきだった漱石が「金明竹」の言い立てからヒントを得たという説(半藤一利はんどうかずとし氏)があります。

落語にはこの手のくすぐりがかなりあるもので、なんとも言えません。



成城石井

 

落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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