のせのくろふだ
能勢の黒札の能勢とは、大阪府の地名であり、そこの有力国衆だった能勢氏をさします。
昔は摂津国と呼ばれた地域ですが、いまは大阪府と兵庫県にまたがった地域です。能勢の地は大阪府里中郡で、能勢町もこの郡に属します。
能勢氏は能勢のあたりに根を張っていた一族でした。
ここは「大阪のてっぺん(最北端)」といわれ、地域全体が標高200mほどの高地のため、大坂市街よりも1-2度ほど気温が低いそうです。
兵庫県川西市と接して、池田市、豊中市、箕面市が接します。
川西市からスタートする能勢電鉄は、妙見山を参詣するたまに敷設されて鉄道で、リフトやケーブルカーこそ廃されはしましたが、鉄道はりっぱに黒字で稼働しています。
乗客の目的は妙見山。
ここに能勢妙見山があります。
妙見とは北斗七星のこと。星をめぐる信仰です。妙見菩薩を尊崇する寺院がありますが、これはもともとは仏教にはなかった神さまです。
妙見信仰は中国の道教由来のものです。妙見菩薩も道教の神さまです。
それをまがいものと断じては野暮。りっぱな信仰対象です。
近松門左衛門は熱心な信心者でしたし、芸事をなりわいとする人々には参詣者が多く、なによりも、この神さまは日蓮宗が取り込みましたので、寺院である真如寺は日蓮宗の霊場として重要な地です。
ご難続きの日蓮は他宗が関心を抱かないようなさまざまな神を、法華経を信じる人々の守護神としてまつりました。
その結果、日蓮宗には、さまざまな神がまつられています。鬼子母神、大黒天、七面大明神、十羅刹女、最上位経王大善神、三十番神などがあり、妙見菩薩もそれに連なります。
これらの神々は、日蓮宗では諸天善神、護法善神と呼ばれ、大切に尊崇されています。
能勢氏は明智光秀の乱に加担したそうで、その後は分が悪くなったのでこの地を去りました。その後、徳川家康を主と仰ぐようになって、ふたたび能勢に戻りました。
確証はありませんが、能勢氏はキリシタンだったふしが見受けられます。この地域には高山右近という強烈なキリシタン大名がいたことですし、能勢氏の家紋は切竹矢筈十字というもので、誰が見てもキリスト教を連想させます。
能勢電鉄の旧社章も、これにちなんたマークを施しています。おもしろいですね。
さて。
江戸期には、能勢氏はキリシタンを捨てたふりをして、日蓮宗の熱心な信者になっています。この地域の人々にも執拗に日蓮宗に改宗するよう強要しました。
どっちが先かは知りませんが、ここに日蓮宗の重要な霊場が存在しているのです。
日本のさまざまな土地で、かつてキリシタンが熱心だったところに日蓮宗や時宗の教線が連なっている痕跡が認められるものです。
なんお確証もありませんが、能勢の地もそのようなところだったのではないか、と思われます。
さてさて。
能勢の妙見菩薩は、江戸にも出張っていました。
4000石の直参旗本となった大身の能勢氏は本所中の郷横川町に下屋敷を拝領するや、妙見菩薩を勧請しました。
江戸で妙見といえば柳島の妙見さまが通り相場ですが、能勢の妙見も捨て置けません。有馬家の水天宮信仰と同じく、お屋敷発のはやり神の登場でした。
ところが。
能勢の黒札とは、妙見信仰とはあまり関係ありません。同じ能勢家が発したはやり神ですが、こちらは稲荷信仰。鴨稲荷ともいわれる神さまです。
鴨稲荷は、能勢家の下屋敷に鎮座まします、妙見堂とともに霊験あらたかで、なによりも狐憑きに効用があるとされていました。
毎年2月の初午、毎月15日の縁日には参詣人が詰めかけ、稲荷の表面に墨を黒々と塗った、降魔の護符をいただきました。
能勢家はぜんぶで14家に分かれていたそうですが、その中の築地の能勢家でも屋敷稲荷をまつって、黒札を発行していたそうです。
江戸のはやり神の典型例です。
能勢家の本所の屋敷は、明治になると上げ地(没収地)とされたため、妙見菩薩はいったんきえましたが、能勢家は土地を確保して、近くに、妙見山別院(能勢妙見山東京別院)をこさえて今日にいたります。墨田区本所4-6-14。
これは能勢の黒札。
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