さんのうごんげん
落語に出てくる「山王権現」「山王さま」は、日枝神社のことです。
千代田区永田町二丁目に現存します。もとは日吉山王大権現といいましたが、「日枝神社」の命名者は、明治天皇(1852-1912)だそうです。「日吉」ではなく「日枝」にしたところがミソですね。
徳川家の産土神(土地の守護神)として、江戸では最高格の神社でした。神田明神と並び称せられ、両社とも毎年6月15日に祭礼がありました。現在も、陽暦で催されています。
「てめえなんぞにはわかるめえが、目の前に見えてるじゃねえか。神田の祭がよ、それに、山王の祭がよ」
囃子長屋より
さらにくわしく。
山王権現は一般に「山王さま」と呼ばれています。有名な山王さまは三つあります。
その1
近江国(滋賀県)の日吉神社の別称です。滋賀県大津市坂本本町にあります。
社殿は東西にふたつあって、東本宮は大山咋神、西本宮は大己貴(=大国主)をまつります。
最澄(766-822)が大和国(奈良県)の三室山の大三輪神(=大物主=大国主)を勧請(離れた地の神仏にこちらへ来てくれるよう祈り願う)し、中国の天台山国清寺の山王祠をまねて神号を山王とたてまつり、比叡山の守護神としたことから始まります。
古くから、山王、山王権現、山王二十一社と呼ばれ、朝廷の尊崇があつい神社でした。例祭は毎年4月14日で、日吉祭、山王祭と呼ばれています。
その2
武蔵国(東京都)の日枝神社。東京都千代田区永田町にあります。
主神は大山咋神、相殿に国常立神、足仲彦尊(=仲哀天皇)、伊弉冉神を合祀(他の人の遺骨といっしょにする、まとめてまつる)します。
この神社は、文明年間(1469-87)に太田道灌(1432-86)が江戸城の守護神に、近江の日吉神社から勧請したのが始まりでした。
その後、徳川幕府の崇敬あつく、祭礼は寛永年間(1624-44)に「大祭礼」と定められ、後年には、神田祭りとセットで天下祭りと呼ばれました。
さらに、根津権現の祭を加えて、御用祭りとも呼ばれることもありました。
山車、屋台踊り、地走り踊り、赤坂奴、朝鮮踊りなどの練り物でにぎやかな雰囲気です。
天和年間(1681-84)からは、神田祭りと隔年で大祭を行うようになり、一時は根津権現と三社で三年交代で行われましたが、その後、隔年に戻り、今日にいたっています。例祭は6月15日です。
その3
山形県酒田市の日枝神社。例祭は5月20日。豪華な山車で有名です。
というわけで、主な山王権現は三つあるのですが、落語に出てくる山王権現は、その2ですね。
中世に発生した神仏習合(神と仏がいっしょになる)の中で生まれた、天台の神道、天台神道から発するものでした。山王一実神道、一実神道とも呼ばれます。「山王」とは、山麓にある日吉神社(日吉大社)のことです。比叡山一帯にはびこる土地の神さまが日本での仏教の中心地となる比叡山と延暦寺を守るため役割を果たしています。
神仏習合の考えでは、日本の神は仏陀に付き従う修行者、または守り神とされます。しかも、その本当の姿はインドの神だる、という具合です。日本の神々は仏教に帰依した解脱(悟り)を得たいと必死なのだ、という解釈がなされます。
まあ、明治元年までの日本はこんなかんじでした。
ついでに。権現とは、仏や菩薩が人間の姿となって、人々を救う、ということ。権化、権者ともいわれます。仏や菩薩が仮の姿で現れることをいいます。
神さまを弱い人々を救う能力があるのですが、しょせんは仏教に帰依する修行者にすぎない構造がなんともいやはやなのです。神よりも、仏のほうがワンランク上なのです。