Categories: 落語演目

【江戸っ子】

えどっこ

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【どんな?】

江戸っ子は意地っ張りの権化。
とりあえず見た目だけの威勢が身上ですね。

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【あらすじ】

江戸っ子気質は、律儀と強情。

それを絵に書いたような老人が、江戸から明治にかけては山ほどいた。

日本橋槙町の駄菓子屋「野村」の隠居、稲造も、その一人。

若いころから茶道具に凝り、また、音曲なら河東節であれ一中節であれ、なんでも玄人はだしという粋人だが、せがれに店を譲って楽隠居した今も、いったん言い出したことはテコでも譲らず、いっこうに丸くならない。

ある日、隠居が昔から目をかけている道具屋の竹屋六兵衛が、いい茶碗が入ったというので訪ねてくる。

この男、目利きは一流だが、強情では稲造にまさるるとも劣らない。

そこでひと騒動。

稲造が茶碗を気に入って、問題は値段に。

六兵衛の言い値が十五両。

ところがご隠居、事もなげに
「ああそうか。じゃ、十両でいいね」

耳が遠いふり。

こう当然のように値切られると、いくら日ごろ世話になっている相手でも、簡単に負けては六さん、男と江戸っ子が立たない。

「いえ、負かりません」
「いいじゃねえか。出し掛けたもんだから、十両にしときな」
「いいえ、いけません。高いと思いなさるなら、こちらへお返しを」
「誰が返すと言った」
「だから、十五両掛け値なしです」

負けろ、負けないの水掛け問答で、こうなれば二人とも意地づく。一歩も引かない。

そのうち隠居が、昔のことをネチネチと持ち出し、おまえには無利息で金を貸してやったと言うと、六兵衛も、利息はあなたが受け取らないので、その代わりに大黒屋の切手(=商品券)を付けた、と応酬。

険悪なムードになったところで、大声を聞きつけてせがれの当主、権次郎が登場。

事情を聞き、なんとか調停しようとするが、まるでダメ。

困って六兵衛に、私が差額の五両を出すから、親父の顔を立てて、表向きは負けると言ってくれと頼み、ようよう承知させた。

隠居、勝利(?)で、とたんにご機嫌。

「いや、よく負けてくれた。負け賃に五両出そう」

いや、ごりっぱ。

六兵衛、ありがたく受け取って権次郎に、
「これは若だんなにお返しします」
「どうして?」
「今度のケンカまでお預けしときます」

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【しりたい】

二大絶滅種「恐竜と……」

「江戸っ子」の純粋種とともに、今では滅び去った噺。

四代目橘家円喬(柴田清五郎、1865-1912)の、明治30年代の新作と見られます。

明治39年(1906)の「文藝倶楽部」に掲載された円喬の速記が、今残るこの噺の唯一の「化石」です。

江戸っ子の常軌を逸した強情をカリカチュアした「意地くらべ」(岡鬼太郎)の先行作品ともみられます。

円喬の速記の題名表記は「江戸子」ですが、読みは「えどっこ」。

文七元結」の別題も同名ですが、むろん別話です。それには理由がありまして、これについては「文七元結」をお読みください。

江戸っ子の源流

古くは「江戸者」「江戸びと」「江戸根生い」などと呼びました。

「江戸っ子」という言葉が現れたのは意外に新しく、明和年間(1764-71)あたりといわれています。

よく時代劇で赤穂浪士の討ち入り(1702)の背景に登場する江戸町人が「コチトラエドッコデイベラボーメ」などとタンカをきるのは、まったくの嘘っぱちということになります。

有名な川柳「江戸っ子の 生まれぞこない 金をため」は、安永2年(1773)刊の「川柳評万句合」に登場します。

安永5年刊『俳風柳多留』第11篇には、まだ「江戸もの」とあります。

家康の江戸入府から170年余り、ようやく江戸気質というものがはっきり成熟してきたのがこの時代です。

金銭を卑しむ風潮、この噺や「強情灸」などに見られる強情者、意地っぱりといった気質が、このあたりから「江戸っ子」のイメージの代表として定着し始めるわけです。

江戸っ子の条件 

「江戸っ子」の定義には、さまざまあります。

-山王権現・神田明神の氏子であること
-芝口から筋違御門までの範囲で生まれた者
※これを「古町」と呼び、行政区画としての江戸の範囲である「御朱引内」よりなお狭い。
-親子三代続いて下町に住んだ者
※四谷・牛込などの山の手は厳密には「江戸」ではない。牛込(新宿区)生まれの夏目漱石も「江戸っ子」ではない、ということになる
-職人であること※商人は他国者が多く、江戸っ子ではない

などが挙げられています。

こうした希少価値の「純粋な江戸っ子」は、かえって正面切って「江戸っ子」というのを恥じらい、「江戸者」「東京びと」と自らを呼んだようです。

七代続きの江戸人である池波正太郎(1923-1990)の小説に、「江戸っ子」という名称は使われていません。

商人も、江戸者のガサツさを嫌い、下町育ちでも「江戸っ子」と呼ばれるのを嫌ったとか。

大黒屋の切手

大黒屋は、尾張町(中央区銀座5丁目)にあった鰹節問屋「大黒屋重兵衛」のこと。

切手と呼ばれる商品券は、贈答用に鮨屋、菓子屋、鰹節屋などの大店が発行したもので、現存する老舗「にんべん」の切手も有名でした。

【語の読みと注】
日本橋槙町 にほんばしまきちょう
音曲 おんぎょく
河東節 かとうぶし
一中節 いっちゅうぶし
江戸根生い えどねおい

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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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