あいおいちょう
本所相生町。
堅川通りの北側、一の橋ぎわから二の橋まで一丁目から五丁目まで続く細長い地域。
お祝いの意から町名がつけられました。
ポイントは、相生町二丁目。
ここは俗に一ツ目と呼ばれました。三遊亭円朝(出淵次郎吉、1839.4.1-1900.8.11)の「塩原多助一代記」の塩原太助(彦七、1843-1816)が住んでいたところとされています。木炭の粉に海藻を混ぜ固めた炭団(たどん)を発明して売り、ビジネスとして大成功を収めた道徳的な商人でした。
日大講堂があった場所のわきを行くと、堅川に架かる塩原橋があります。
相生町とは離れてしまいますが、日本大学講堂についてひとこと。
昭和33年(1958)から昭和58年(1983)まで墨田区両国にあった、国技館(蔵前国技館と呼んでいた)を改装した日本大学の施設です。特徴的なドーム状の屋根を持つ「大鉄傘」として知られ、入学式・卒業式といった式典のほか、プロレスやボクシングの会場としても広く利用されましたが、老朽化で1983年に解体されました。現在、跡地には両国シティコアが建っています。
亀戸天神の拝殿前にある大きな石灯籠は、天明元年(1781)に塩原太助が寄進したものです。
塩原太助の墓は文化13年(1816)に74歳で亡くなりました。蔦屋重三郎(1750-96)や長久保赤水(1717-1801)などが活躍した時代ですね。
墓は東陽寺(曹洞宗単立、足立区伊興町狭間)に。東陽寺には河村瑞賢や戸田茂睡の墓もあります。
相生町五丁目(墨田区緑1丁目)は、堅川通り二の橋の北側にあります。ここは俗に二ツ目と呼びます。
この地には小林一茶(小林弥太郎、1763-1828)の仮寓がありました。