Categories: 落語演目

【お盆】

おぼん

成城石井

【どんな噺】

明治期につくられた珍品です。

別題:巣鴨の狐

【あらすじ】

目白の近くの鼠山という、人跡まれな山中。

怪しげな祈祷で人をたぶらかすのをなりわいにしている、法印と呼ばれる行者が、飯炊きの権助と二人で住んでいた。

ある日、王子に使いに出した権助が夕方にやっと帰ってきて、狐の子でも捕まえて狐汁にでもしてくってやろうと、遅くまで見張っていたと言い訳する。

「法印の家来が王子権現のお使いの狐を殺してどうする」
と説教しているところへ、商人風の男が尋ねてくる。

「実は、自分は、巣鴨の傾城が窪の商家の者だが、主人の娘が狐憑きになって困っているので、ぜひ行者さまに祈祷で狐を退散させてほしい」
という頼み。

このところ客足が鈍って懐がピイピイなので、渡りに船と喜んだ法印、
「自分が引き受けるからには立ちどころに追い払ってやる」
と大見得。

「ウチのだんなは字が読めねえから祈祷なんかできねえ」
と余計なことを言いだす権助を必死で黙らせ、七両二分で手を打った。

前金一両を盆に乗せて、しかつめらしく受け取ろうとするが、持っていないのでぼろぼろの膳の蓋で代用。

男は喜んで帰っていく。

さて、どうゴマかそうかと考えた法印、先ほどの狐汁の話を思い出し、一計を思いついた。

権助に狐を一匹捕まえ、後から背負ってこさせる。

自分が線香をたいて、ムニャムニャと唱え始め、座敷中煙で真っ暗になった時分に、合図で権助がそっと忍び込み、風呂敷をほどいて狐を出し、そいつを追っぱなして生け捕るか、ぶち殺して差し出せばいいというわけ。

飯炊き以外の超過労働はしたくねえ、お使いの狐を殺しちゃなんねえ、といったのは誰だとごねる権助を、一両やるからと、ようやく言い含め、準備を整えて、いよいよ巣鴨に乗り込んだ法印。

線香を百本用意させ、さあこれからという時に、権助が狐を入れた箱をさげて座敷に押し入ってきたので大あわて。

まだ早いと小言を言いながら、
「マカハンニャハラミッタシンギョウ、カンジーザイボーサツ、ギョウジン」
これ一つしか知らない般若心経を、もっともらしくうなりだす。

「そろそろ出すか」
「ばか野郎、声が大きい。フーショウフーメツフクーフージョウ……そろそろ出せ」
「ムーゲンニービーゼツシン……死んでもいいから出せ」
「よし台所へ行って、お盆を借りてこよう」

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【しりたい】

江戸のインチキ霊能者

法印とは、本来は「まともな」山伏修験者をいいますが、この噺に登場するのは、江戸末期にはびこったインチキ行者で、怪しげな加持祈祷を行い、金銭をだまし取る手合いです。

山伏は役小角を祖とし、過酷な修行を通して真言密教の奥義に達し、超人的な法力を会得した者が少なくないと言われます。

その「破邪の法」は、歌舞伎十八番「勧進帳」で弁慶が再現していますが、臨兵闘者皆陳列在前という九字の真言を唱え、歯を三十六度叩き、さらに「急急如律令」と唱えるのが定法です。

それさえ知らず、般若心経でゴマかしているところにこの主人公のインチキ振りがうかがえます。

天保改革の際、こうした輩を郊外に追放したという記事が『武江年表』に見え、目白の鼠山もその配流地の一つでした。

黙阿弥の「三人吉三」の発端で、法印と浪人がグルになって狂言のケンカをやらかし、法印が不動金縛りの術を見せるというので見物人が集まったところを、その隙に、一味のスリが、全員の財布を失敬してしまうという場面がありますが、現在ではカットされます。

明治の新作落語か

この噺、別題を「巣鴨の狐」といい、明治29年(1896)の二代目三遊亭円橘の速記が残っています。

同時代では二代目三遊亭小円朝もよく演じたらしく、続いて大正から昭和初期までは五代目三升家小勝(1939年没)が一手専売にしましたが、それ以後、現在までやり手はありません。

円橘は、円朝門下の「四天王」の一人として明治後期まで重きをなした人で、人情噺、落とし噺ともに優れていました。

明治39年(1906)7月11日、谷中全生庵での師円朝の七回忌法要の席で、本堂での読経中に倒れ、そのまま亡くなったという因縁めいた最期で知られます。

この速記のマクラで、円橘は「当世風には参りませぬが、何かおあたらしい落語を」と述べていて、この噺が自身の新作であることを匂わせていますが、詳細ははっきりしません。

傾城が窪

傾城が窪は鶏声が窪とも書き、元の文京区駒込曙町、現在の同区本駒込1、2丁目にあたります。

下総古河八万石、土井大炊頭の下屋敷の南西部一帯で、地名の起こりは、土井屋敷で毎晩、怪しい鶏の鳴き声がするので、その声のあたりを掘ってみると、金銀でつくられた鶏が出てきたため、その故事にちなんだといわれます。

したがって、鶏声が窪が古い表記とみられます。「傾城」は遊女の古称ですが、同音の転化でしょう。 

鼠山

鼠山は、現在のJR目白駅西側一帯の台地。かなり範囲は広く、豊島区目白4丁目付近から西武池袋線・椎名町駅を越え、同区長崎四丁目あたりまで広がっていたようです。古くは子ツミ山、また櫟の大木があったことから櫟山ともいいました。

享保12年(1727)、幕府直轄地になり、将軍家調馬場、お狩場となりました。「大江戸の尻尾のあたり鼠山」という雑俳が残っていますが、文字通り、江戸の尻尾、最西端でした。

まずかった狐汁

寛永年間(1624-44)に書かれた、料理書の先駆け「料理物語」にも、鹿・狸・かわうそ・犬などの調理法はあるものの、狐はなし。

よほど、まずかったのでしょうね。

【語の読みと注】
鼠山 ねずみやま

成城石井

落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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