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志ん生と孫 落語 あらすじ


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「中央公論」1964年の新年特大号。

「うちの三代目」というグラビア特集で、志ん生が三人の孫娘に囲まれ、いかにも幸福そうにニコニコ笑っている写真があります。

いずれも長男十代目馬生の娘たちで、キャプションには当人の弁として「志津子は八つ、由起子は五つ、寿美子は三つである……名前は私と(馬生が)相談してつけた。……今が可愛いね。もう手がかからなくて一番いい頃。朝にはかならず飛び込むようにして私に会いに来る。おじいちゃん、おじいちゃんと言われると、全くたまらないね」という、孫のろけ。

志ん生は当時、病魔をやっと克服して、寄席に復帰したばかり。

その年の秋には紫綬褒章を受章します。

自伝(らしい)『びんぼう自慢』で紹介している通り、志ん生夫妻には「清のところに三人、喜美子のところに二人」で、後に次男志ん朝にも二人誕生して、都合七人の孫。

『びんぼう自慢』の巻頭には、昭和38年ごろの、その五人の孫を含む一家三代の集合写真も掲載されていました。

ところで、「志ん生の孫」でいちばん有名なのは女優の池波志乃。中尾彬夫人で、おしどり夫婦として知られていますね。

十代目馬生の長女で、本名は志津子。その志津子がずっと後、「文藝春秋」1989年9月号誌上に、祖父の回想を寄せています。

そのタイトルはかなり辛辣で「貧乏したのは家族だけだった『勝手な人』」。

で、彼女いわく、「私は初孫ですし、珍しいもんだから、おもちゃみたいに可愛がるんです。でも、元来子供の好きな人ではないので孫と遊ぶのは私であきてしまい、もう子供はうっとうしいと思ったのか、二人の妹のことは全くかまいませんでした」

そういえば、末っ子の志ん朝以外は、馬生を含む上の三人にはほとんどかまいつけず、そもそも、一年中ほとんど家にいなかったというワイルドな親父だった志ん生が、いくら功成り名遂げて金もできたところで、そう簡単に子供好きになるはずもなく、前記の、いかにも孫たちが目に入れても痛くないという風なコメントも、多分に外面の営業用に思えてきます。

「もう手がかからなくて」一番いい、というのは、当時の年齢からして、志津子だけのことでだったのでしょう。

そのほか、彼女の祖父批判は留まるところを知らず、家族がほとんど餓死寸前の極貧生活で、祖母りん夫人の内職だけで辛うじて食いつないでいるのに、祖父志ん生はどこ吹く風、毎日、酒だバクチだお女郎買いだと「別の次元にいるようだった」と、実に手厳しいものです。よほど、幼時に父や祖母から、散々愚痴や恨みつらみを聞かされていたのでしょうね。

この手記でおもしろいのは、批判が祖父だけではなく、後年貞女の鏡、聖女のように讃えられた祖母りんにまで及んでいること。

後年、テレビの志ん生貧乏譚の再現ドラマで、その祖母を演じていましたし、「いだてん」でも同様に演じていたほど、若い頃のりん刀自に瓜二つな池波志乃ですが、いわく「おじいちゃんが売れっ子になって生活がよくなってきたら、かつての貧乏生活の反動か、祖母の金の遣い方が派手になりました」。

祝儀の切り方も手当りた次第、千疋屋から高級メロンをあつらえると、使いの者にまで祝儀の大盤振る舞い。

若い頃はおじいちゃんがすっからかんすっからかんに使い、年取ってからは祖母が浪費して最後には何も残らず、だったよし。

まあ、それだけ長年貧窮を見てきた人だから、そのくらいは、とも思いますが、とかく女の子の家族を見る目というのはシビアなもの。

というより、そういう客観的で怜悧な観察力を、幼時から持ち合わせていたことが、池波志乃の女優としての類まれな資質で、これもまた、りっぱな「名人の系統」なのでしょうね。

高田裕史


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落語あらすじ事典 千字寄席編集部

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