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むだぐち ことば  落語演目 【RIZAP COOK】

街場に「ヒラキ」があった頃

江戸時代の中頃から明治24年まで、「ヒラキ」と呼ばれる遊芸空間がありました。文字に記せば「開き」なのでしょう。

それは、寄席と見世物小屋の中間のようなもののようです。明治初期の新聞や雑誌などには「葭簀張り」と記されているのがわかります。簡易で粗末な大道芸をする人々の小屋です。

往来に掘っ立て小屋が長っぽそく続いていて、その前を客がそぞろに歩いては、葭簀張りの奥でやっている珍芸のさまざまを見て聴いて、おもしろければじっくりたのしみ投げ銭をくれてやる、というもの。いまもお祭りや縁日などで見かける、軒を連ねた露店のような風景に似ています。

江戸では、神田筋違見附(千代田区神田須田町一丁目)、銀座采女が原(地下鉄東銀座駅の近く)、両国広小路(両国橋西詰)、上野山下、下谷佐竹が原(JR鶯谷駅の近く)、薩摩っ原(芝区松本町→港区芝三丁目)、浅草奥山、秋葉原などにあったそうです。人の往来の多い、繁華な街に多かったのですね。

ヒラキで人気を得た芸人は、五厘(寄席のブローカー)に引っ張られて寄席に出られるようになります。明治前半の寄席改良運動ともかかわるのかもしれませんが、明治24年(1891)10月のお触れで、ヒラキは消えてしまいました。

プロの演芸空間だった寄席の前段階の場としてヒラキがあって、そこから這い上がった芸人はメジャーの寄席に出られるようになっていく、という歩み方だったのですね。当時は、芸人を見定める目をもつ客の層が厚かったといえるのでしょう。

2021年6月12日 古木優

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千字寄席編集部 (古木優/高田裕史)

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