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千字寄席編集部 (古木優/高田裕史)

前代未聞の特殊落語家、逝く

寄席で懐メロや軍歌を歌いまくる「歌は世につれ」「ガーコン」「ラ・マラゲーニャ」(これら混然一体)などの新作落語で知られた希代の落語家、川柳川柳かわやなぎせんりゅう(本名は加藤利男かとうとしを)師匠が11月17日、肺炎で亡くなりました。90歳でした。

川柳師匠は、1931年(昭和6)3月23日、埼玉県秩父郡横瀬町よこぜまちの生まれ。学年は昭和5年の方と同じですから、開高健かいこうたけしと同じ学年にあたります。

1955年(昭和30)、川越から千住まで川船で下って上京。当時はそんな定期船がまだあったんだそうです。六代目三遊亭円生師匠に入門し、三遊亭さんしょうを名乗りました。この方、円生師匠が大好きだったのですが、円生師匠のほうはいまいちがっていたふしがあります。そのあらわれだったのでしょうか、真打ち昇進は74年(昭和49)でした。19年もかかりました。

円生師匠の落語協会脱退が生じた78年(昭和53)、すったもんだの果てに、五代目柳家小さん門下に移り、川柳川柳と改名しました。リスタートでした。

小咄を挟みながらラテン音楽をギターで弾き語りする「ラ・マラゲーニャ」など、特異な音楽センスをいかした、奇抜で立体的な高座が人気でした。テレビではめったにお目にかかれず、寄席でもなかなか遭遇できないので、貴重な高座でした。

戦後の日本はアメリカ文化が大量輸入されたような印象を受けますが、そればかりでもありません。彫りの深い、目鼻立ちが整った、とりわけ鼻が高い、白っぽい肌の人を見れば、日本人はみんなアメリカ人だと思っている時代がありました。メキシコ、ベネズエラ、パラグアイ、ウルグアイ、ブラジル、ペルー、チリ、アルゼンチン、キューバ、ジャマイカ、コスタリカ、コロンビア、フィリピンなんかからやってきた音楽、映画、テレビドラマ、グラフィックなどがアメリカ文化と銘打たれて日本中をようよう駆けまわっている時代があったのです。ペレス・プラードの来日はその最たるものでしょう。マンボ、ルンバ、ドドンパ。あの人、何人? キューバの音楽だと知るようになりはしましたが、肝心なプラード自身はキューバからはおさらばしてて、メキシコを本拠に活躍しいる始末で。メキシコでマラガの娘、まさにラ・マラゲーニャ。それでもキューバン・ミュージックはじわじわ染み出して日本人に吸いつく吸いつく。吸盤音楽キューバン・ミュージックでした。ハワイが50番めの州になった頃には「ハワイアンアイ」なるドラマが大はやりでしたが、みてくれがなんだかどうも北米本土とはようすが違うかんじで。でも、白っぽくてすかした人たちがうじゃうじゃ登場しているし。日本離れしたドラマだから、ま、いいか、てなもんで。「キャット」なるドラマにいたってはもうなんだかあやしげの極致でした。いまにして思えば、出てくる人たちはヒスパニッシュばっかり。髭はやしてるしソンブレロかぶってるし。そんなこんなに便乗して、師匠の「ラ・マラゲーニャ」は蕩楽どうらくにも炸裂したのでした。珍無類の川柳せんりゅうワールドです。

師匠は、落語界きっての酒好きといえば聞こえはよいですが、酒なしの生活は考えられないほどの人でした。

(11月27 日 古木優)

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 敬称略。