ひなつば【雛鍔】落語演目

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【どんな?】

金を知らない子供と小遣いせがむ悪がき。
大人の上いく知恵の巡り小気味よく。

別題:お太刀の鍔(上方)

【あらすじ】

ある植木屋が、大きな武家屋敷で仕事中、昼休みに一服やっていると、若さまがチョロチョロ庭に出てきた。

泉水の傍に落ちていた穴あきの四文銭を拾って、お付きの三太夫に
「これはなにか」
と尋ねる。

「いっこうにに存じません」
「丸くって四角な穴が空いているが、文字の形があるから、古いお雛(ひな)さまの刀の鍔(つば)ではないか」
「いやしいものでございます。お取り捨て遊ばしますよう」
「さようか」

若さま、ポーンと投げ出して行ってしまった。

これを見ていた植木屋、驚いて聞いてみると、若さまは今年お八歳になられるが、高貴なお方には汚らわしい銭のことは教えないという。

ウチの河童野郎が同じお八歳でも、始終「銭をくれ」「おアシをくれ」とまとわりつくのとはえらい違いだと、つくづく感心した植木屋、これまでは、銭をやらないとかえって卑しい料簡になって、悪いことでもしないかと心配で、ついせがまれるままに与えていたが、これは考えなくちゃならねえ、と思いながら家に帰った。

女房にこれこれと話をし、
「氏より育ちと、横丁の隠居が言うが、てめえの育て方が悪いから餓鬼はだんだん悪くなる」
と愚痴をこぼす。

それをちゃっかり後ろで聞いていた悪ガキ、待ってましたとばかり
「遊びに行くから銭おくれよ」

「ためにならねえから銭はやらねえ」
と言うと
「くれなきゃ、糠味噌ん中に小便するぞ」
と親を脅す。

しかると
「やーい、よそィ行っていばれねえもんだから、子供をつかまえていばってやがら。大家さんが来ると震えているくせに」
と手がつけられない。

そこへ、お店の番頭が遅れている仕事の催促にやってきた。

茶を出して言い訳していると、外へ逃げていった河童野郎がいつの間にか戻ってきて
「こんなもーのひーろった」
とうるさい。

穴空き銭を振りかざして、
「なんだろうな、おとっつぁん、真ん中に四角い穴が空いていて、字が書いてある。あたい、お雛さまの刀の鍔だろうと思うけど」

これを聞いた番頭、
「店の坊ちゃんでも銭を使うことはご存じだが、おまえさんのとこの子は、銭をしらないのかい」
と感心。

「女房が屋敷奉公していたので、ためにならない銭は持たさない」
と苦し紛れにうそをつくと
「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳し、末頼もしい子を持って幸せだ。いくつだい」
「へえ、本年お八歳に相なります」
「お八歳はよかった。坊や、おじさんが銭……といっても知らないか。うん。銭はためにならない。おじさんが好きなものを買ってあげよう。なにがいい」
「どうもありがとう存じます。やい、喜べ。あれ、拾った銭をまだ持ってやがる。きたねえから捨てちまえ」
「やだい。これで芋を買うんだ」

底本:三代目柳家小さん

【しりたい】

江戸人の金銭蔑視

多いときには人口の七割が武士だったという江戸。

そこの町人は、「武士は喰わねど高楊枝」という、朱子学をバックボーンにした武家の金銭を卑しむ思想に大きな影響を受けていました。

もっとも、落語では、寝言にまで「金をくれ」と言う「夢金」の船頭・熊五郎や、小粒銀をアンコロ餅に包んで食べ、悶死する「黄金餅」の西念のような、江戸っ子の風上にもおけない、強欲な守銭奴も例外的に登場しますが、だいたいにおいて、やせがまんの清貧思想がこの町では支配的だったわけです。

そういう意味でこの噺には、誇張・デフォルメされた形でも、「強欲よりも無知のほうがずっといい」という江戸っ子の信念(?)が、よくあらわれていると思います。

ディズニー映画『黄色い老犬』で、開拓者一家の少年が、「お金ってなーに」とマジメな顔で聞くシーンがありました。アメリカ人にも昔は、こういうカマトトを喜ぶ「江戸っ子」がいたのですかね。

原話

この「雛鍔」の原話と思われる小ばなしは二つあり、古い方が享保18年(1733)刊『軽口独機嫌』中の「全盛の太夫さま」、次に安永2年(1773)刊『飛談語』中の「小粒」です。

前者は、全盛の吉原の太夫が、百文のつなぎ銭(穴あき一文銭を百枚、麻縄に通したもの)を蛇と思い込んで驚き、梯子から落ちたのをまねして失敗する話、後者もやはり女郎が、銭を知らない振りをする筋立てで、本当の無知と、無垢を装うしたたかさという違いはあっても、どちらも遊女が主人公です。

それが落語化される過程で、いつ子供にすり替わったかは不明です。

四文銭

明和5年(1768)以降鋳造されたもので、青銭ともいいました。

ウチの河童野郎

当時の子供の髪型から、男の子のことを乱暴に呼んだ言葉です。

もともとは小僧(丁稚)の髪型で、頭頂部を剃って小さくまげを結ったものを河童と呼びました。

「山の神が河童野郎をひり出した」とは、むろん「かみさんが男のガキを産んだ」の意味です。

悪ガキが登場する噺

真田小僧」「初天神」「佐々木政談」、上方落語で、初代桂春団治(皮田藤吉、1878-1934)のレコードが残る「鋳かけや」、六代目三遊亭円生(山﨑松尾、1900-79、柏木の)がしっとりと演じた長編人情噺「双蝶々」、八代目林家正蔵(岡本義、1895-1982、→彦六)が昭和40年度の芸術祭奨励賞を受賞した、平岩弓枝作の「笠と赤い風車」などがあります。

これらのうち、前四席は(「雛鍔」を含めて)いささか度の過ぎたいたずらやマセぶりが目立つものの、どれも落語流にデフォルメされた子供像です。

対照的に後の二席は、どちらも、片親の孤独とひがみから継母の愛情を曲解し、非行の泥沼にはまっていく少年像が近代的でリアルです。

ひたすら哀れで空しく救いのない、江戸版「大人は分ってくれない」といえるでしょう。

上方の「お太刀の鍔」

金を知らない子供が、大富豪・鴻池の「ぼんち」という設定で、噺の筋は東京そのままです。

考えてみれば、商都大阪で金銭を卑しむというのは完全に自己否定ですし、まして商人の跡取りが、いくら子供でも金を知らないという発想はそもそもおかしいわけです。

まあ、江戸とは対極の金銭万能思想への一種の自虐として、大阪人がこういう噺をおもしろがるということはあるかもしれませんね。

上方から東京へ移された噺は山ほどありますが、おそらくこの噺は数少ない逆ルートでしょう。

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しのじぎらい【しの字嫌い】落語演目

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【どんな?】

主人と太郎冠者とののんきなやりとりみたいで、狂言のようなのどかさです。

【あらすじ】

さるご隠居が、飯炊きの権助一人を置いて、暮らしている。

小女などは扱いがめんどうくさいし、泥棒の用心にも男の方がいいと使っているのだが、この男、いちいち屁理屈をこねて主人に逆らうので、癪の種。

灯を煙草盆に入れろと言えば
「煙草盆に火を入れたら焦がしちまう。火入れの中の灰の上へ灯を入れるだんべ」
とくるし、困らせてやろうと
「衝立の絵の虎が気味が悪いから、ふんじばってくれ」
と言うと
「棒でその虎を追い出してくらっせえ」
と、一休のようなことを言ってすましている。

どうにも始末におえないので、しの字封じをしてとっちめてやろうと思いつき、権助に
「しの字は死んだ、身代限り、仕合せが悪いという具合に縁起が悪いから、これからおまえも、しを言ってはいけない。言えば給金をやらない」
と申し渡す。

権助は、隠居がもし言った場合は、望むものをくれるという条件で承知する。

「待ってくだせえ。今しの字を書いて飲んでしまう。ひいふうみ、さ、もう言わねえ」

これで協定が成立したが、隠居、なんとか権助に「し」と言わせようと必死。

不意に
「水は汲んだか」
と声を掛ければ、いつものくせで
「水は汲んでしまいました」
と二回言うに違いないと考えて試すと、権助引っかからず
「汲んで終わった」

隠居、思わず
「しょうがねえ」
と言いかけて、あわてて口を押さえ、今度は四百四十四文の銭を並べて勘定させれば、イヤでも言わないわけにはいかないと企むが、敵もさるもの。

四百四十四のところにくると、ニヤリと笑い
「三貫一貫三百一百二十二十文だ」

「そんな勘定があるか。本当を言え」
「よ貫よ百よ十」
「この野郎、しぶとい野郎だ」
「ほら言った。この銭はオラのもんだ」

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【うんちく】

原話はチョンボ

古い原型は、正徳年間(1711-16)刊の上方笑話本『異本軽口大矢数』中の「四の字を嫌ふだんな」にあり、続いて天明6年(1786)刊『十千万両』中の「銭くらべ」が、短い小咄ながら、現行のパターンにより近いものとなっています。

これはケチだんなと小僧の賭けで、「四の字」を言ったらお互い銭五貫文という取り決めです。仕掛けるのは小僧で、使いから帰ってだんなに、小僧が「モシ、だんな様。今日通り丁(=町)で、鍋屋が木の鍋に精出して、火であぶつておりました」、だんなが「とんだやつだ。それは大きに、しりがこげるだろう」と、あっさりひっかかって五貫文せしめられるという、たわいないものですが、小僧の言葉をよく読むと完全チョンボで、小僧が先に「モシ、だんな様」「精出して」で「シ」を二回も言ってしまっています。

それに加えてもしこの小僧が江戸っ子なら当然、「火で」は「シで」と発音しているわけで、そうなると勝負は、小僧が三回で十五貫、だんなが一回で五貫、差し引きで小僧が十貫の罰金です。

現在でも演者によって、人物設定を原話の通りだんなと小僧の対話とする場合があります。

名人二代、連発

現存するもっとも古い速記は、明治29年(1896)7月の三代目柳家小さんのものですが、暉峻康隆は、この速記の大チョンボを指摘していました。

よく通しで読むと、実は、ほかのところで権助は三度も「シ」とやらかしていて、だんなはそれに気づいていない、というわけです。

だんなが気づかないだけでなく権助当人も気づかず、演じている小さん当人も、当時の読者も編集者も速記者もすべてだれも気づかなかったに違いありません。

ちなみに、この噺の一部ををマクラに組み入れている二代目(禽語楼)小さんの「かつぎや」(明治22年)を調べると、案の定ここでも、客が「昨日は途中でシつれいを」とやり、後の方でも「よんるい中でそのよん睦会をもよおシまシて」、主人も主人で「ただあっちの方てえのはおかシいが」とやらかしています。

アラを探せばいくらでもこの種のチョンボはあらわれるもの。『古典落語・続』(興津要、講談社学術文庫)の速記(演者不明)でも、やっぱりありました。

おそらく、寄席で口演されるときでも、どの演者も一度や二度は必ずやっているはずです。

熟達の演者自身をも巻き込む、錯覚の恐ろしさ自体が、この噺のテーマと解釈すれば、実は傑作中の傑作ということになるでしょうか。

いずれにせよ、鶴亀鶴亀。一見前座噺のように見える軽い噺ですが、六代目三遊亭円生や三代目三遊亭小円朝のような、コトバに対して緻密な落語家しか手掛けなかったというのもなにやらうなずけます。

言霊の恐怖

類話に「かつぎや」があります。

同じ忌み言葉をめぐるお笑いでも、「しの字嫌い」の方は「かつぎや」の主人公と異なり、特に縁起かつぎというわけではありません。とはいえ、やはりそれなりに、日本人の言霊への根強い恐怖感が根底にあることはいなめないでしょう。

「し」をまったく発音しまいとするのは極端としても、披露宴の席での「忌み言葉」は厳として残り、「四」「九」の発音は「死」「苦」につながるという俗信は現在も残っていて、多くのアパートやマンション、ホテルでは444号室や44号室のルームナンバーは忌避されます。

江戸ことばでは四は、たとえば四文はヨモンというふうに発音を替えられるので問題ないものの、四十、四百は慣用的にシジュウ、シヒャクと発音せざるを得なかったので、そこにくすぐりが成立したわけです。

言葉によっては、四でも「四海波」をシカイナミと読まねばならないため、いちいち気にしていてはきりがありません。

おまけに、婚礼の席でうたわれる、おめでたい極みの謡曲「高砂」の一説に、「月もろともに出で潮の 波の淡路の島影や」と、ごていねいにも「シ」が二回入っているのですから、なにをか言わんやですね。 

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